● 拝啓、父上様 第7~最終話
「拝啓、父上様」の最終話を見終えるに辺り、総論的感想を述べたいと思う。
このドラマの第1話を見終えた後、私は感想として『拝啓、父上様 第1話』という記事を このブログに掲示し、その記事の中で
単に ひとつのドラマとして見る限り 悪くない、いや これといって目を惹かれるドラマが見当たらない今クールにあっては かなり上質な部類に入る。
たぶん、若い世代の方々には 味のあるドラマに感じられるのではなかろうか?( この作品が、そういう世代に向けられて作られているのならばね )
と、述べた。
この気持ちは 最終話を見終えた今でも変わっていない。
現にブログ仲間であるtaku氏などは
「最近じゃ珍しいぐらいの しっとりとしたストーリーで面白いよ」
と、言っていた。
そう感じる人がいても不思議じゃ無いし、それについてムキになって反論する気なんか全く無い。^^;
以前、別の記事で何度か述べた事だが 私は倉本聰フリークを自認していた。
それぐらい、過去の倉本作品には大好きな作品が多く人生観を変えるぐらい影響された作品もひとつやふたつでは無い。
倉本氏のエッセイも 知る限り、出版されたモノは全て買い求めて読んだし、講演会に行った回数も数え切れない。
ただ、「いつ頃から?」と聞かれると 正確な時期を言えないのだが、数年前ぐらいから講演会やトーク番組などで倉本氏が語る話に「ん?」と引っ掛かる事が生じはじめ その引っ掛かる回数や、度合いが増し…
新作のTVドラマ「優しい時間」や「祇園精舎」を見た感想も かつての感動などは全く感じず、「なんだ、そりゃ?」とすら思う様になった。
ローカルな話で言えば、富良野に高速道路を建設するにあたっての反対運動を含め、自然保護を倉本氏が唱えながら、森を切り拓いて予想以上の規模に広がった富良野塾…
なんかね、氏の言動に言行不一致を強く感じ始めてしまったんだな^^;
だから、「倉本聰」個人を全く知らず、過去の倉本作品も殆ど知らなければ「拝啓、父上様」というドラマは たぶん面白い、面白く感じるドラマなのだろうと私も思う。
けど、母親が呆けてしまう話は 過去の倉本作品で 少なくともパッと思い出すだけで3度(拝啓…を含めず)
料亭が舞台の…、似た様なキャスティングのドラマが…、女性に対して「臆病」に近い主人公…、挙げていけばキリが無いほど 過去作品に類似のティストが散見し…
それを知り、そんな過去の作品を この上なく愛してきた私としては「拝啓、父上様」というドラマを新鮮な作品として受け入れる事は 結局、最終回を見終えた今でも出来ずにいる。
ま、母親が呆ける…というストーリーは 倉本氏のエッセイを読めば 氏の母親の話の相俟ってトラウマの様な 氏個人の永遠のテーマなのであろう事はフリークとして理解はする
けどね、最終話で
上の様な画の後、「拝啓、父上様 神楽坂が壊れます」なんて語りが流れるシーンを見た時
私の心の中では皮肉にも
「拝啓、ブタネコ様 私の中の倉本像が壊れます」
って風に変換されたのだ。
「前略おふくろ様」だけじゃない、「ライスカレー」や「幻の町」や いろんな積み重なった私の心の中の倉本聰がガラガラと崩れる様にオーバーラップして見えた。
そして、1998年に放送された「北の国から'98 時代」迄の倉本作品を これからも尊重し愛し続けるが その後の倉本作品に関しては 私の中では別物と割り切って扱う事にする踏ん切りがついた。
最後に、「拝啓、父上様」における 私の唯一の楽しみだった
「木村多江」と
「松重豊」には 心からお疲れ様と申し上げ、このドラマの事は忘れる事にする。
