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2007年03月20日

● 沖縄シュガーローフの戦い


光人社 作:ジェームス・H・ハラス 訳:猿渡青児 ISBN978-4-7698-1345-3




FORRESTさんお薦めの『ブラッカムの爆撃機』に引き続き「沖縄シュガーローフの戦い」という本が届いたので早速、読んでみた。


画像


この本も FORRESTさん達が主宰されているサイト『MILITARY MOVIE MANIACS』の中のコンテンツである『戦争映画・ミリタリー情報掲示板』の中で紹介されていた記事を拝読したのがキッカケで知ったものだ。




さて、読了して まず感じた事は この書は沖縄戦に従軍した米兵の「生の声」を纏めたものである。


だから、当時の米兵達から見た戦闘前の日本感、実際に戦闘が峻烈を極めた後の、米兵達の日本兵感が生々しく語られ、中には戦場心理を踏まえればさもありなん…という表現もあるけれど おしなべて、如何に日本兵が奮闘したか…をも如実に語っている。


今日、クソ教組や偏向マスコミなどのおかげで すっかり平和ボケしてしまった日本という国において「沖縄戦」について語るのは一種のタブーみたいな扱われ方がある。


にも関わらず、沖縄の米軍基地問題がニュースになると 小賢しいコメンテーター共はこぞって「沖縄の県民感情をもっと大切に配慮すべき」なんて事を言うけれど、それは表面上をデコレートするだけで もう一歩踏み込んだ意見は誰も言わない。


沖縄に限った事では無いが、第二次大戦で戦没した方々への慰霊や遺骨収集や 事実の検証を行おうとすると、ただ それだけで「右翼活動」と批判するバカ者共も少なく、特に沖縄戦においては 守備隊の主力であった陸軍の兵が地元の民間人に対して暴虐な行為を働いた…という事ばかりが前面に掲げられ どんなに慰霊の意だけなんだと主張しても聞く耳を持たぬ輩も多く、触れてはいけないタブーとされていたりする。


ところがね、実際 沖縄に行って地元の人と腹を割った付き合いをし、その上で語る話を聞くと 地元の多くの人は「慰霊」と「暴虐」はキッチリと分けた考えの方が圧倒的多数で マスコミや識者が全国放送や全国紙で述べる「沖縄県民」の感情とは大きな違いがある事に気づかされる。


かつて、海軍守備隊の指揮官であった故・太田実少将が 自決直前に本土に発した電文は(参考記事:『沖縄県民かく戦えり』) 未だに、本土の人々の耳には届いておらず、ましてや 今の県民の実状も きちんと伝わってはいないとすら私には思える。


沖縄に派遣された兵隊の中には 地元県民に暴虐な振る舞いを行った者がいたり、それによる事件があったのかもしれない。


しかし、殆どの兵は 故郷から離れ、沖縄という地で戦い果てていかれたのである。


真面目に戦い、苔むす屍になられた方々への鎮魂を置き去りにしたままでいいのか? 私は ただ、それだけを世に問いたい。




さて、個人的に お恥ずかしい限りだが この「沖縄シュガーローフの戦い」という本を拝読するまで「シュガーローフ」と呼ばれた戦場が沖縄にあった事、そこで どんな戦いがあったのか? それを、今日まで私は正確に知らなかった。


全体的に どれだけの戦死傷者が日米双方にあったのか?とか どういう風に戦闘が変遷したのか?については いろんな書や いろんな方のお話を伺い、一般的にはマニアと呼ばれる程の知識は持っているつもりだったが、それでも「シュガーローフ」と呼ばれた戦場が沖縄にあった事を正確に知らなかった。


で、記述にある従軍兵の証言を目にして 如何に凄まじい戦場だったのかが判り、己の不明をただ恥じ入るばかりである。




数年前まで、私は東京を拠点に債権整理を主とした業務の会社経営者として働いていたのだが、古傷がもとで心臓が壊れ、主治医である友人から「東京を離れて 環境の良いところで静養しろ」と薦められ、役職はそのままに 業務の殆どは腹心の部下達に任せ、いわゆる隠居暮らしへと移行しつつあった時、ある沖縄出身の親子が営み経営不振に陥った会社の再建・整理を引き受ける事になり 沖縄のとある地に数ヶ月、静養と仕事を兼ねて住んだ事がある。


その時、小さいながらも一軒家が管理物件にあったのを幸いに 私は そこに住み、殆ど観光気分でついてきた主治医(二代目開業医)と顧問弁護士(気の弱い弁護士)達とゴルフや麻雀をして過ごしたのだが…


暮らし始めて一週間ぐらい過ぎた頃、札幌から食料などを嫁に送って貰った際に 沖縄では珍しいものをいくつか手土産に 隣家の隠居の爺さんに お近づきの挨拶をしたところ、妙に気が合い その爺さんが、実は息子に後を任せて隠居した漁師で 手頃な漁船を持っており、仲良くなって以降は よく舟に乗せて貰って釣りに出かける様になった。


5月のゴールデンウィークが過ぎたある日、その隣家の爺さんが


「ちょっとした祝い事があって作った料理が余ったから食べに来ないか?」


と、誘いに来たので 私と友人二人は喜んで隣家に御邪魔したところ…


爺さんの友人や家族が大勢集まって 大鍋からすくった汁を美味そうに食べている。


それを我々にも どんぶりになみなみと注いでくれて、


「内地(ナイチャー)には食えないかもしれないけど 試しに食え」


と言う。


それは 沖縄の方なら誰もが知る「山羊汁」である。


独特の臭みのある匂いを嗅いだだけで多くの本州人は食欲を失うのだが…


我々は道産子である。


多少の違いはあるけれど、学生の頃は週に一度のペースでジンギスカンを食べて育ち、今でも ジンギスカンの匂いを嗅いだだけでヨダレが出る^^;


我々の感覚では「山羊汁」の独特の匂いも「ジンギスカンの匂い」プラス「乳臭さ」の匂いでしかなく、何の苦にもならない。


余談だが、道内でも「焼き肉」が美味いと言われている北見や帯広に行くと「乳牛の乳房」の部分を食わせてくれる店がある。


これがね、乳房だけに物凄く乳臭いのだが 食べつけるとなかなかの美味で 我々はそれも食べ付けているから「山羊汁」の乳臭さなどまったく気にならず、沖縄独特の香辛料の風味も相俟って とても美味しく食べたのだが…


その食べっぷりが、隣家の爺や集った人々には「コイツらは普通の内地人とは違う」と判断されたらしく それ以来、腹蔵無い付き合いをしてくれる様になった。^^


で、友人であり顧問弁護士である「気の弱い弁護士」が 特にその「山羊汁」の美味さに感激し、隣家の爺さんに「もう一度食べさせてくれ」と懇願したところ、その爺さんの話では「山羊汁」ってのはお祝い事があった時に振る舞う特別な料理で そう簡単に作るもんじゃ無いのだと言い、でも、近々 別の知人の処でお祝いがあり、そこで山羊汁を振る舞うはずだからオマエ達(我々)のぶんも頼んでやると言ってくれたのだが…


その時に、爺さんが


「変わりと言っちゃナンだが、もし可能なら ひとつ頼みをきいてくれ」


と言う。


で、何?と聞いたところ…


「三重の方に”赤福”って饅頭みたいなモノがあるらしいんだけど

 オマエ達の中に三重の方に知り合いが もし居るのなら、その”赤福”とやらを取り寄せてくれないか?」


と、言った。


そんな頼みは簡単な話で その時は二代目開業医が大学時代の友人で三重で医者をしている奴に すぐ、その場で電話をかけて 数日後には”赤福”がミカン箱一杯に詰められて送られてきた。


隣家の爺さんは 届いた「赤福」を ひとつ、ふたつ…と頬張って


「へぇ… これが、赤福か…」


と、微笑み


「暇なら ちょっと、ドライブに付き合え」


と、いきなり言い出し… 爺さんの案内で行った場所は那覇市の外れの住宅街


変哲の無い住宅が建ち並ぶ路地裏で 爺さんは我々に車を停めさせると ヒョコヒョコと民家の石壁の脇にしゃがみ 赤福を一箱と 水筒から紙コップに注いだお茶と 箱から一本抜き出して火をつけたタバコを供えるように置いて 長い時間、手を合わせている。


後で聞いた話によると 爺さんは少年兵として現地徴用され、沖縄戦に従軍し 主に陸軍司令部伝令として 激戦により、通信手段が途絶した司令部と前線の間を何度も走って往復していたのだそうだ。


その時に、直属の上官が いよいよ玉砕か…という時に 沖縄本島北部の部隊への伝令を爺さんに命じたそうなのだが、その頃は戦局末期で 沖縄本島の中央部は米軍に占領され、軍の主力は南部に集中して転進し、北部の部隊へ伝令に行くのは死を意味する程、危険な事だったのだが、その上官は爺さんに


「この伝聞は 非常に重要な内容だから、どんなに時間がかかっても構わないかわりに、絶対に敵軍に奪われてはならないぞ」


と、命じたのだそうだ。


爺さんは その命令を忠実に守り、「敵(米兵)に見つからないように…」と心がけているうちに いつしか沖縄戦は終了し、北部に辿り着いた時には部隊は霧散していたのだそうだ。


そのおかげで爺さんは生き延びる結果となったわけだが…


爺さん曰く、


「後になって考えたら、ありゃぁ 上官が俺を助けて 生かしてくれようとしたとしか思えないんだ」


以来、その上官が爺さんにとっての命の恩人となったのだが、人づてに上官は爺さんを伝令に出して間も無く戦死を遂げ、その場所は定かでは無い。


だから、爺さんにとって 上官への弔いを捧げる場所は、命令を受けて最後に分かれた場所、つまりは その今では路地裏になっている場所なのだそうだ。


「上官や仲間と掩蔽壕に隠れてる時に 四日市出身の上官が”赤福”を もう一度、食いてぇ…って よく言ってたんだ。

 だから、これがせめてもの恩返しで それが、ようやく出来たって事さ」


成る程な… そんな話なら、恩返しの手伝いが出来て我々も嬉しいよ。(ToT)


「ここは激戦場でな 死体もゴロゴロ転がってて、夜になると敵か味方か判らないぐらいだったんだ…」


今では閑静な住宅街が その昔、そんな場だったとは…


関ヶ原とかね、戦国時代の古戦場跡にも 色々と訪ね歩いたこともあるけれど、たかだか数十年前の激戦地が 今は そんな名残もとどめず、平和で閑静な住宅街に変貌している様を見て 我々は、それを想像する事が出来なかった。


それ以降、暇をみつけては 爺さんの案内で沖縄県内の戦場跡を巡り歩いた私達だったわけで… そういう生の声を聞き、その地を巡ると 私の様な者には(別に私は霊能力者じゃないけれど)苔むす屍となった声無き声が聞こえる様な錯覚に陥る。


故・太田司令官が自決した司令部壕には 今でも手榴弾の破片の跡や、血の染みが残ったままの遺品が展示してあるのだが、それを本州から来た観光客が


「なんか、薄気味悪い~」


なんて言ってるのを見て、性格が変わるぐらいに殴り倒してやろうか?という衝動に襲われたことも一度ならずある。^^;

沖縄県那覇市おもろまち1丁目 (Sorry, this address cannot be resolved.)

今回、「沖縄シュガーローフの戦い」を読んで”シュガーローフ”と呼ばれた丘が 上の地図の中央にあるマークのあたりだった事が判ったが、あらためて この地図を見ていたら、かつて爺さんに連れられて行った路地裏が「おもろまち駅」を挟んで 上の地図中央やや右の辺りだと判り、本の記述によると「ハーフムーン」と呼ばれた丘の東裾だった事も判った。


で、試しに上の地図の右上「航空写真」という部分をクリックし、今の様子を御覧になってみる事をお薦めする。


60年前、この狭い地域で 僅か1週間の間に日米双方合わせて莫大な戦死傷者が生じる程の激戦があった… それを念頭に置いて、航空写真で60年後のその地を眺めて頂きたい。




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コメント

ブタネコさんヘ
2冊目も読了されたのですね、読書の早さに感心しています。実は僕は沖縄に行ったことが有りません、沖縄が返還された時今までと違って気楽に訪問できるようになったとの事で従兄弟と物見遊山で行こうとした事があります。しかしその時一昨年亡くなった親戚の叔父から’あそこは物見遊山で行く所ではない、数珠を持っていく所だ’と諭され計画が頓挫したことがあるのです。今日のブタネコさんのエピソードを読んでいてもそれが真実だと思い知らされ、あの時やめておいてよかったと思いました。航空写真で見ても戦争の名残は風化の一途を辿っているなーと思いましたがそれが良い事なのか悪いことなのか、歴史に学ばない民族は滅びると言いますが、なんか微妙ですね。
それと前回のコメントでの質問ですが、今日メンフィスベルを見ました。いろんな映画の記憶がごっちゃまぜになっていたようで失礼しました。それにしてもB-17って狭いのですね、いまの旅客機しか知らないので驚いています。

★ タンク さん

>それが良い事なのか悪いことなのか

沖縄に生まれ育った方々は それぞれが歴史に学び、考えた上での今なんだと勝手ながらに推察し、であるが故に 私如きが沖縄の方々に対して どうこう言える立場では無いとも思っています。

ただ、問題なのは 沖縄以外の46都道府県の者達が ちゃんと学び、考えていない状態で 今の姿を見たら何も考えず、気づきもせず、判ろうともしないまま時は過ぎるんじゃないかな…なんて思うわけで、その責任という意味を やはり、沖縄の方々に押しつけるつもりもなく…

そんな事を思う時、この本の存在は貴重であり、翻訳して国内に紹介された意義は大きいと私は思うのです。

>ブタネコさん
ご無沙汰しております(;^_^A。
私オススメの「ブラッカム。。」、好印象だったようで良かったです(^_^)。

ではなく、本題の「シュガーローフ。。」は未読なのですが(これから読みます)、ブタネコさんの沖縄に向ける眼差しに何か強いものを感じていました。
こういうバックボーンもあったんですね。。。
納得してしまいました。

沖縄の事は沖縄出身者の知人が数人居た事から、現在の基地問題などを聞く事がありました。
そこで思ったのは「マスコミで書かれている印象とは、ちょいと違うようだ」という事です。
(もっとも、本土に住んでいる沖縄出身者ですから、沖縄在住者とはちょっと違うのかも知れません)

マスコミに毒されていれば、今回の「爺さん」の行動はかなり意外な事と受け取れるんでしょう。
私もそうですが、判っているつもりというのが、実は何も判っていない事と気づかされました。
「爺さん」は、ブタネコさんを「判ってくれる人物」と見込んだので、お話されたのかな。。?
なんて想像してしまいました。

>タンクさん
「メンフィスベル」は良い映画ですよね。
私も好きな映画で何度も観ています。

既にご存知と思いますが、この映画は実際の「メンフィスベル号」25回目の爆撃行とは大きく違い、フィクションを取り混ぜながら上手くまとめています。
(元になった記録映画とは随分違っています)
その後、もっと古い映画「戦う翼」を観たのですが、映画「メンフィスベル」の爆撃行の描写は、この映画が元なんだ!と気づきました。

「戦う翼」は第8空軍の対独戦略爆撃隊を舞台に、クルーの色恋(笑)を描いていますが、随所に似たようなシーンが登場します。
BoBのバルジ戦が映画「戦場(1949年製作の方です)」を元にしたように。。
白黒映画ですが、マックイーンのカッコイイ軍装の着こなしも観られますし、ご興味がおありでしたらDVDも出ていますのでオススメ致します。

★ ラヴァ さん


ども、お薦めの一冊 とても良かったです^^


>「判ってくれる人物」と見込んだので


私には 爺さんは沖縄人じゃない誰かに ただ話したかったんじゃないか?と思えてなりません。^^;


>「戦う翼」


さすがですねぇ…^^

やはり、見識が深い

ブタネコ様
「シュガーローフ」の訳者であります。このたびは、ブログで取り上げていただきどうもありがとうございました。あまりメジャーな書籍ではなく、話題性には乏しいジャンルでありますので、こうした場で、ご推薦いただき、大変感謝しております。こうした口コミだけが頼です。
沖縄戦については、日本で刊行されている書籍では、軍隊対軍隊の戦闘を戦術レベルで描く本が極めて少ないのですが、米国では八原参謀の作戦手記が英訳されたり、あるいは本書以外にも、さまざまな戦闘で戦術面での考察がなされた書籍が多数刊行されております。
今回の原作は文学的な観点からすると相当に荒削りな作品でして、本国米国でもほとんど話題に上っていない状況です。しかし、それ以上に、第一目撃者の言葉が直接的に伝わってくる点と、日本兵に対する視点が極めてフェアである点、それに加えて、これはFORRESTさんからのご指摘ですが、作品が映像的である点に多いに興味をそそられた次第です。
ただ、日本側の調査を翻訳と並行して進めるに当たって、守備隊の中核が、熊本出身の独立混成第44旅団に配属された千葉県出身の独立混成第15連隊であることがわかりました。実は私は、言うならば千葉県生まれの熊本育ちの身です。正直、これは全くの偶然の気がしませんでした。このマイナーな本と巡りあったのも、ある種の必然性があったのかもしれません。
その後、防御側中核の独立混成第15連隊の日本兵の証言を求めて、防衛庁の戦史研究所や、靖国神社の偕行文庫、出身部隊の佐倉連隊跡地の国立博物館などにも足を運びましたが、全く残っていませんでした。(もしご存知の方が居れば教えてください。)恐らく、終戦間際の臨時編成の部隊ばかりのうえ、大半の将兵の方々が戦死してしまったと思われます。
ブタネコさんがブログでご指摘の通り、沖縄の日本軍は、北は北海道旭川の砲兵連隊から、南は鹿児島の歩兵連隊まで、我々の祖父や父の世代の日本人が全国から集められています。彼らは本当に、赤ん坊を殺せと命じたり、民間人を壕から追い出す鬼畜のような人たちばかりなのか?そうした十把一絡のステレオタイプ日本軍のイメージと、彼らに対する汚名を、米兵の目を通じた奮戦ぶりで、多少でも晴らすことができればと思っています。

別の文献の中で、シュガーローフで戦った、ある海兵隊の将官は、「日本兵は、制空権なし、制海権なし、戦車なし、対戦車兵器なし、補給なしの状態でも絶対に諦めない素晴らしい陸軍軍人である」と述べています。こうした賞賛の言葉が自国民ではなくアメリカ人からしか、かけられないのは悲しいことです。


長文失礼致しました。

PS 義弟様にもよろしくお伝えください。(以前、掲示板でお世話になりました)

★ シュガーローフ訳者 様


お越し頂いた上、コメントを頂戴できました事に 深く感謝申し上げます。

ありがとうございました。


いろんな文献や映像を 随分、私なりに耳目にしてきたつもりではありましたが、「沖縄シュガーローフの戦い」を拝読し、まだまだだった事にあらためて気づきました。^^;

私は このブログで今まで「戦没者慰霊」という ただ一点だけに絞って、いろいろと語ってきた次第ですが、沖縄に関しては民間人の犠牲が多く、かつステレオタイプ日本軍のイメージもあって なかなか、口に出せない事が多かったのですが、書を拝読して これからは もう少し踏み込んだ事を語ろうとも思った次第です。


今まで、沖縄戦を題材に描かれてきた小説やドラマや映画では 民間人が立て籠もっていた洞窟に日本軍の兵士が乱入し、民間人を洞窟から追い出したり、洞窟の入り口に盾のように寄せて、兵隊は奥に隠れて…とか、泣き叫ぶ赤ん坊が喧しいから出て行け…とか、その赤ん坊を殺してしまえ…とか、民間人に対する残虐非道な行いばかりが描かれ 遠い地から沖縄防衛のために派遣され、沖縄で真剣に戦い没していった方々の事を描かれる事が希有で そのせいばかりとは言えないのですけど、沖縄とは無縁の地で生まれ育ち 沖縄の実状を そういう小説やドラマや映画でしか知らずにいると、これも ある種のマインドコントロールの様に「全てがそうだった」と信じ込まされてしまう。


現に、自分なりに書物や映像を耳目にして初めて 北海道からも派遣され、沖縄で没した方が少なく無い事を知った時、民間人に対して残虐非道な行為をした兵が もし、北海道からの兵だったとしたら…など いろんな事を考えた事があります。


しかしながら、実際に沖縄に行き 古老達と話してみると

「北海道から来た兵隊さんに優しくして貰った事があってね…」

なんて話があり、それまで勝手に思い描いた事がガラガラと崩れ、ドラマや映画の話をすると

「ああ、それは 本土の人が作ったドラマだから~」

と、趣が全然、違う。


「沖縄シュガーローフの戦い」で描かれているのは米兵からの視点ではありますが、その米兵達が苦戦する様や理由を垣間見て 敵対する日本兵の苦難をも真摯に描いており、それを思い浮かべた時に涙が出ます。

地下壕を巧みに利用した攻撃に手を焼いた米軍が 火炎放射による焼殺、手榴弾による爆殺をメインの戦術とし、日本兵が潜伏する地下壕や洞窟を探す事に躍起になる。

そんな状況を想像すると 周辺を捜索する米兵を怖れながら、息を潜めて洞窟内に篭もる日本兵や民間人の様が浮かび…

もし、そこで赤ん坊が泣き出したら 自分ならどう思うだろ?

正直言って、少なくても「赤ん坊だから仕方が無い」と笑って看過する自信は無い。


映画館でしんみりとシリアスなストーリーを楽しもうとしている時に 前の席に陣取ったガキ共が グチャグチャと音を立ててモノを食い、ギャアギャア騒いでいたら どう思う?

例えは違うと言われるかもしれないが、状況に対する困惑感を判りやすく言えば…というつもりなので、どうか 真剣に方向違いに怒らずに想像してみて頂きたい。

で、映画館なら話は別だが 洞窟では、日本人がいると判ったら 火炎放射の炎か、手榴弾が放り込まれ… という状況をも合わせて想像してみて頂けば そこに「戦場心理」という平和で安全な状態からは想像つかない特殊な心理として いくばくか想像・理解すべき酌量の余地を感じるわけだが、今まで、沖縄戦を題材に描かれてきた小説やドラマや映画には そういう酌量の余地をも描いた作品は希有。

多くが、「日本軍=悪」ありきの描き方なのだ。


だから、「沖縄シュガーローフの戦い」という本を 日本語に翻訳し、紹介しようとした翻訳者さんの意図は 充分に察する事が出来るし、その御苦労には 本当に頭が下がる思いです。

これが、日本人により 日本兵の視点で描かれたならば 中身の吟味などせずに、間違い無く幻想平和主義者共から罵り同様の批判を浴びたと思います。

ゆえに、最近では映画「硫黄島からの手紙」がそうだけど「米兵視点」での作品で描かれた方が 余計な雑音を抜きで、真摯に歴史に触れられやすいのかな…なんて思う事が多いですね。

だからこそ、「沖縄シュガーローフの戦い」が翻訳されて 日本人が誰でも読める様になった事は とても意義深く価値のある事だと私は感じ、感動しました。


追伸、義弟は元気です。 相変わらずバタバタしている様ですが…^^;


ブタネコさんへ
途中用事で中断がありましたので思いのほか時間がかかってやっと読み終えました、引き込まれすぎてとても疲れました、読んだと言うより読まされたという感じです。この著者の払われた努力に敬服です、どれだけの人とインタビューをし、そのためあの広いアメリカを飛び歩いたことか、本当に頭が下がります。内容も日本人に対する意見の中に多少の偏見もありますが、それは命賭けて戦ったのですから仕方の無いことで概ね公平に書かれていたと思います。それとこの翻訳者の方にも感謝です、日本語にしにくい箇所もあったであろうと推察されますが見事な翻訳でした、注釈等も分かりやすく非常に読みやすかったです。
さてどういう訳かこの本を読んでいてプライベートライアンの冒頭10数分間の戦闘シーンが思い出されたと言うか記憶が鮮明に蘇ってきました、まさしくあんな状況だったのだと思い知らされて、もしあの場に僕がいたら皆に迷惑かけずに任務遂行できたか自問してしまいました。はっきり言って自信ないですが本の中でアメリカ兵が’臆病者と呼ばれたくないから残った’と言う箇所があるのですが、それなら僕も同じ心境で耐えられるかなと思いました。でも双方とも余計な事を考えずにただ敵を倒すと言う一念で突っ込んで入ったような気がします。翻訳者の方のコメント中での海兵隊将校の日本軍に対する賛辞を我々日本人は忘れるべきで無いと思います。互角の武器を持たせたらアメリカ兵を蹴散らすほどの強力な軍隊があの地に存在したこと肝に銘じます、忘れたら申し訳ないです。ますます沖縄に行きずらくなりました。

★ タンク さん

コメント消失の件、本当に申し訳ありませんでした。

さて、コメントを拝読して思ったんですが 私は、逆にタンクさんの様な方こそ沖縄に行かれるべきと思います。

「おもろまち駅」の前や 豊見城の「海軍司令部壕跡」などを 是非、訪れてみる事をお薦めしますよ。^^

史実を知った上で その地を訪れると、文献や伝聞で得たり、想像した事に いろんな肉付けがされて また新たな思いが浮かびますからね。^^

タンクさん、稚拙な訳の本書を最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
読後に爽快感の得られるような書籍ではありませんので、私も訳しながら、なんども
重苦しい夢をみました。
ただ、沖縄という場所は、ぜひ訪問されることをお勧めします。私は沖縄は大好きです。
いつかは沖縄で暮らしたいと思っているほどです。だからこそ、その地の歴史や、文化に
興味を持ったわけでして、本書の翻訳のきっかけの一つだと思っています。
旅行は人生を豊かにしますし、歴史ある場所を訪問すると得ることは多いと思いますよ。

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。