● 華麗なる一族 第8~最終話
「華麗なる一族」の最終話の放送を見終えるにあたり、個人的感想の総論を述べてみたいと思う。
で、以下に述べるような内容の場合 最近では「原作派」「映像派」と分けられるのが流行の風潮があるので 先に断っておくと、私は随分昔に この原作を読んでいるのだが、その読み終えた時に「面白い本」だとは感じたが、絶賛するほどのモノでは無いと思うに至り、ゆえに「原作派」と思われるのは不本意だと言う事。
山崎豊子の著作には「白い巨塔」があり、それを私は傑作だと思っている。
だから、「山崎豊子」の力量は大いに認めるところでもあり、「華麗なる一族」も間違い無く面白い作品だと思っている。
けど、「原作」賛美をしようと思わないのは原作の記述の中で いくつか腑に落ちない設定や記述があったから。
で、原作のどの部分に引っ掛かったのか?と言うと その中でも最たるモノは鉄平が自殺を図り、その死体が安置された警察署に家族がつめかける場面で 警察官(捜査課長)が万俵大介に語る台詞に 以下の台詞がある。
「男らしい、勇気のある死に方でした、ジェームス・パーディという銃にたった一発だけ弾を籠め、一発で命を断っておられます」
この「男らしい、勇気のある死に方でした」という部分がね、私には妙に引っ掛かり やがてはそれが腑に落ちず、違和感となる。
と言うのは 万俵鉄平という長男のキャラクターが実はボヤけていて その終わりに「男らしい」という表現を身内である家族では無く、警察官にのべさせる記述に疑問を感じたのだ。
万俵鉄平は製鉄に夢や大志を抱き、熱い人物である。
財閥の長の長男として育ち、頭脳も明晰である。
が、経営者として有能だったのか?と言う部分に 原作では「有能」の様に描こうとしているけれども、読んでいて私には「有能」とは思えない。
特殊鋼に画期的な発明を行い、企業としての躍進に光りがさす…と言う部分には技術者としての「有能」という部分には納得が出来る。
でも、財務資料をおざなりにし「見せかけ融資」に気づかず、億を越える融資を取り付ける流れも 財閥の子として育った甘さが否めない。
結果的に、会社更生法への流れや 大介を告訴しようとしながら、それも出来ずに終わる様は やはり、「甘さ」を感じてならない。
最終的に 会社が倒産し、地位や仕事を無くし、信頼を寄せてくれた三雲頭取に多大な迷惑をかけるに至ったのが、全て父である大介の策謀だった…と気づき自殺に至る流れの中で 猟銃で自殺する様が「男らしい」という表現に至る事が どうも納得がいかない。
穿った見方で言えば 原作者である山崎豊子が「鉄平は最後は男らしく…」と読者に思わせたくて著述にしようとした結果、その記述に至ったのであろうけど、それは安易でお手軽な手法にしか感じられなかった…という思いが強いのだ。
他にも「気になる事」「腑に落ちない」という部分は多々あるが、細かい事を言ってもキリが無いし、意味も無い。
だから、一点に絞って申し上げると、「華麗なる一族」を映像化するにあたり、上述した警察官の台詞が どの様に扱われるかに注目していたのだが、TV版は なんの疑問も無く警察官(前田吟)に その台詞を言わせている。^^;
万俵鉄平役を「木村拓哉」というキャスティングは判らなくも無い。
TV版の序盤において「製鉄に夢や大志を抱き、熱い」という人物像を見事に好演したと感じているし、それを批判する気持ちなど毛頭無い。
だから、誤解されたくないのは「木村拓哉」を批判する気持ちは私は全く無い…という事、その前提を御理解願った上で TV版「華麗なる一族」を見終えた今、私の認識の上で申し上げたい事は、「木村拓哉」という俳優の固有のキャラクターに「万俵鉄平」という原作における人物像を わざわざ、ねじ曲げて摺り合わせようとした制作者の意図を大いに批判したいのである。
根本的な問題には「華麗なる一族」の原作における主人公って誰?って部分がある。
確かに、長男:鉄平が主人公…って見方も出来なくは無いが、それよりも「大介が主人公」って見方の方が普通であり、タイトルの「華麗なる一族」が表すように 万俵家の家族全てが主人公って見方も出来る。
要は「鉄平を主人公に」と言う風にTV版は原作をねじ曲げた…とも取れるわけで、鉄平を主人公に、かつ キャラクターを「木村拓哉」にマッチする様に摺り合わせて…という意図が良い方向にハマれば結果オーライなのだろうけど、私にはキムタク・ファンを喜ばせるだけの阿りで 一般の視聴者を無視した構成に強く感じた。
例えば、原作においては 鉄平は遺書を遺していないにも関わらず、TV版の最終話で万俵鉄平の遺書が 妻である早苗に届き、それが大介に渡され…というシーンの中で その遺書の文面がナレーションで流れる。
そのナレーションを聞きながら、自殺を図るキムタクや 本当は自分の子だった…と気づき 己の過ちに膝から崩れ落ちる大介…なんて映像を見ると「鉄平が可哀相」と涙が流れる。
でも、それは局所的な部分の話であり「鉄平が」というよりも「キムタク」が「可哀相」と お涙頂戴に嵌められた様な不快感にすら私には映るんだな。
よく考えて見て欲しいのは「何故、鉄平は自殺したの?」という部分。
「男らしく責任を取った」
そういう風に無理矢理、印象づけようとしている様だけど「誰に対してどんな責任を取ったの?」って部分を考えると違和感が生じないか?
「本来、僕は生まれてきてはならない人間だったんだ」
「僕の死をもって 万俵家の忌まわしい事すべてが終わりを告げると信じている」
遺書の文面に そういう台詞を盛り込む事で 自殺の動機を描こうとしているが、それは原作の鉄平では無い。
原作の鉄平が自殺に至る引き金は 三雲が失脚した有様を三雲の娘:志保からの手紙で知り、弟:銀平に電話をかけて 全てが父の策謀だった事を知った事。
つまりは自殺の動機のベクトルが違うのだ。
「鉄平は良い奴だったけど、不運で可哀相な奴だった」
と、TV版「華麗なる一族」では描き、それが いつの間にか、
「夢や大志を抱きながら 誤解が基で、自殺に追い込まれた不運な奴をキムタクが好演した」
という結論付けに嵌め込もうとするTV版の制作者に
「そんな小賢しい手に嵌められてたまるか」
そういう不快感に包まれた最終回の描き方だった…というのが 私の率直な感想だ。


