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2007年02月28日

● ゆれる(おもいっきりネタバレ版^^;)


実は 昨日掲示した『ゆれる』という記事は 当初、掲示しようと思って書き上げた文章を大幅に削除したものだ。^^;




その理由は satominさんが寄せられたコメントでも お尋ねになられている


>本当はどうだったのか


という部分に関して 実は持論を当初は記述していたのだが、掲示前に読み直していて「ネタバレだよなぁ…」と ちと迷い、その結果「とりあえず、ナシにしておこう」と自主規制(?)したからだ。^^;


でもねぇ… satominさんが寄せられたコメント以外にも いくつかお尋ねや御意見を複数の方からメールで頂いたりして 色々と考えているうちに 今回は「ま、いっか」という気に変わりましたので 


『 この記事は 長い事、このブログを楽しんで下さっている satominさんに捧ぐ… 』


って言い訳で^^; 削除した部分を加筆修正し 別記事として以下に述べてみようと思います。


だから、以下に記述する事は 完全にネタバレですから まだ映画「ゆれる」を未見の方は 出来れば先に「ゆれる」を見た後に 以下を読み進めて頂く事を懇願します。




<< 以下、本文 >>---------------------------


近年、邦画で描かれるこの手の作品の多くには「心神の喪失」が盛り込まれる事が多く、例えば、「精神異常者が犯した罪」とか「心神喪失を装って刑罰から逃れようとする」という風に それが話の根幹になっている場合すら多い。。


正直言って、この「ゆれる」を見ていて 私は当初、この作品も最終的には そういう流れなのかな?と穿った見方をしていたのだけど、この作品は そうじゃないと理解出来、違った意味で 久々に見応えのある心理描写の応酬だとも感じた。


で、全部を見終えた時


>本当はどうだったのか?


という部分に いくつか異なる推察を抱き、そこが意見の分かれるところだろうな…と感じ 実際に「ゆれる」について語られている いくつかのブログや映画サイトを見て回ると この部分は想像通り、意見が分かれるか さもなくば「判らない」とされているものまで少なく無かった。^^


なので、「私(ブタネコ)は こう思った」という持論を述べてみたいと思う次第。




まず、前提を整理し検証・考察してみたい。


この物語の前提として 智恵子(真木よう子)が吊り橋から転落し死亡する。


当初は 転落による事故死…という雰囲気なのだが、兄が「私が突き落とした」と自発的に自供した事から 殺人事件として逮捕され、起訴される。


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事件直後、吊り橋の上で 駆け寄る弟に兄は「俺はチエちゃんを…」と あたかも「自分が殺した」と受け取れる発言をしようとするが、弟は その言葉を遮り「滑って落ちたんだな?」と 事故として処理しようと宥め、実際に兄が自供しなければ「事故死」で処理されるかの如き流れだった。


で、ここまでの段階で考えれば 多くの視聴者には「兄が殺し、弟は兄を庇おうとした」と映る。


この香川照之が演じている兄は 小さな田舎町の名士の一族の跡継ぎとして 親の跡を継ぎ、「真面目で実直な良い人」として暮らしてきたわけだが、兄なりに そういう人物であろうとするあまり、色々と我慢してきた事のストレスが溜まりきってもいた。


その我慢のひとつが「智恵子」という女性に対しての気持ちであり、智恵子がかつて 自分の弟と恋仲だった事も知っている。


他人から見ればナンセンスと言われるかもしれないが、弟の彼女に対し たとえ本気で惚れたからと言って それを自分から口説こうとするには まず、プライドが許さない。


兄は 裁判において

「口説いて断られたら お互いに一緒に働きずらくなる…」

という風な台詞を述べるが、それは一理あるようで もっと、深いところには「このまま 一緒に働けるだけで満足すべき」という葛藤の裏返しでもあり、もっと言ってしまえばネガティブ思考で もし、告白してフラレた場合、「幼馴染みの女にフラれた」と街で笑いモノになる…という世間体やプライドもあったんじゃなかろうか?




さて、殺人罪で逮捕され 裁判が始まる直前、兄は面会に来た弟に


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「俺、自白して良かったって思ってる。

 あの狭い街の中で 幼馴染みの女を死なせたレッテル背負っていくって どういう事か判る?」


このシーンは「本当に 兄が智恵子を殺した」と裏付ける場面にも受け取れるのだが、オダギリと香川の演技の巧さが際立ち始めるおかげで どんどん本当の事が判らなくなっていく。^^


つまり、「兄が何故自白したのか?」という部分と「弟は 何故、兄の無実を主張するのか?」って部分が 視聴者の想像と、映像内のそれぞれの台詞が 時々、食い違いを感じさせて混乱してしまうからだ。


例えば、兄の心理を考えてみると…


弟が家を出たまま帰って来なければ そんな状態であと何年か、最高の幸せとは言えずとも、ほのかに平和で心地良い時間が過ぎるはずだった… が、弟が帰ってきた途端、智恵子の気持ちは自分(兄)に向いて無い事がハッキリし、弟への思いが再燃してしまった事に気づく。


特に、法事の日の夜 智恵子を送って行った弟の帰宅が遅くなり、兄は あえて「智恵子の酒癖が悪い」とカマをかけ 弟が嘘をついているのを誘導したのは 弟と智恵子の関係を確認しようとしたからで、3人で吊り橋に出かけようと兄が言ったのも 智恵子の気持ちを確かめたかっただけの様にも見えるし、最初から殺すつもりだったのか否かをハッキリさせるものでも無い。


でも、事件後に この時の状況を思い返すと 何か違った意味があったようにも映る。


では、弟はどうだったのだろう?…


最初から吊り橋までのシーン迄の間の 弟と智恵子の会話から類推出来るのは 弟が故郷を離れ東京へと出る時、智恵子は弟と一緒に行こうと思えば行ける状況(関係)だったが、彼女は残った…という事。


その後、弟とは遠距離恋愛として関係が続いたわけでは無く、むしろ音信不通だった。


が、彼女の部屋に弟の写真集が(数冊も)置かれている事を見ると 彼女は弟を嫌っていた訳では無い、むしろ好意をもっていたのでは?とさえ 思える。


ブタネコ的邪推から言えば 弟はついて来なかった智恵子に対して「裏切られた」に近い感情を抱いていた可能性すらあり、恋愛感情は冷めていたと考える。


だから、一時的に兄への嫉妬や智恵子への怨みみたいな気持ちで彼女と関係を持ったが、兄が智恵子に対して想いを抱いている事に気付き 彼女と間をおこうとするが、関係を持った途端、智恵子は弟への想いを再燃してしまっており、弟は それに戸惑っていた。


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ゆえに、「クソしてくる」と言い河原で智恵子と離れたのも 彼女との間を取ろうとした考えが強かったと思え、出来るだけ遠離ろうと吊り橋を渡って行ったのだが、智恵子は それを見て後を追う。




ここで兄の心理を想像し、ひとつの例えで言うならば「川のこちら」は「自分達が今暮らしている田舎町」であり、「川のあちら」は「弟の住む都会」を表していたのかもしれない…なんて思うのね。


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だから、吊り橋を渡り弟の方へ行こうとする智恵子を 引き留めようとする兄の仕草は 単に「吊り橋が危ないよ」というだけの意味では無く「弟の方に行かず、僕のそばにいてよ…」って言ってる風にも感じるんだな私には


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それだけに、吊り橋の上で 智恵子が目を剥いて「放してよ」と叫ぶ様は 兄にはいろんな意味での結論が出た瞬間であり、それによって、ともすれば殺意を抱いた瞬間でもあると思う。


でもね、ブタネコ的結論を言えば この映画を一度見終えた後に、もう一度2回目を自分なりの着眼点を持って見た結果、「兄は智恵子を殺していない」と判断した。


では何故、兄は「自分が智恵子を殺した」と強制されてもいないのに自供したのだろう?


それは、たとえ、一瞬とは言え 兄が「殺意を抱いた事」は紛れもない事実であり、その結果、智恵子を突き飛ばしており、それが故に智恵子の心は完全に離れたわけでもあるし、智恵子は兄に対して なんらかの恐怖感を覚え


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尻餅をついた格好で後ずさりし、転落に至る… つまり、転落のキッカケを作った事が 自分(兄)の一瞬の殺意が起因している事を後悔しているからじゃないか?


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それと、転げ落ちる彼女の手を 兄は助けようと一度は掴んだが、智恵子は その兄の手を掴み返すのでは無く、兄の腕に爪を立てて引き掻く つまりは、助けを拒絶した様に私には受け取れるんだな。


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智恵子に拒絶されたまま死なれた事へのショック… それが兄の心を縛ったから 兄は「私が智恵子を殺した」と警察で自白したんじゃないか? そう、私は考えたわけで、だとすれば「弟は 何故、兄の無実を主張するのか?」という疑問は 実際に「兄は殺そうとしていない」ので、弟は 遠くからではあるが、智恵子を兄が救おうとした様子は目撃しているのだから 当たり前の行動だったと言える。




ところが…


多額の現金を用意して 叔父に弁護を依頼し、兄を助けようとし、兄に面会に行き励まそうとしていた弟だが…


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吊り橋の上で 智恵子にしがみつこうとする兄の姿や 怯えた様に後ずさる智恵子の姿も目撃していたわけで、その様子に 一抹の疑問を感じてはいた。


で、裁判が進行していく中で 兄の証言を聞くうちに「もしかしたら、本当は殺そうとしていたんじゃないか?」と疑問が大きく膨らみ始めるのだが…


その中でも特に大きな部分が 最初の面会シーンで兄は弟に対して挑発的な言葉をぶつけた事。


おそらく、それは兄が「智恵子に対する後悔」と同時に「弟に対する嫉妬」という 二つの気持ちが心の中で葛藤し、表面化した結果と思われるのだが、弟は それが何を意味するのか理解出来ていない。


しかも、


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このシーンの会話で 実は智恵子は酒に弱い、つまり 法事の夜に遅く帰宅した弟に兄が「智恵子は酒癖が悪いから…」とカマをかけ 自分(弟)が まんまとそれにハマっていた事に気づく。


つまり、「弟が智恵子と関係をもった事を兄は気づいていた。」と。


その結果、吊り橋での兄と智恵子の不可解な動きは 弟と智恵子の関係に嫉妬した兄が智恵子を問い詰めて その結果、転落した…という風に考え始める。


それを決定づけたのが


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「あぁ… そうだったんですか、そんな人がいたなんて 僕は全く気づかず…


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 恋人がいましたのならば その人に対しても 取り返しのつかない事をしでかしてしまいました」


という裁判中での兄の発言と仕草で 兄は「関係を知っている」、にも関わらず それを今まで弟に言わず、責めようともしない…


そこを弟は 悪い方に作為的と考えてしまう。


その結果、二度目の面会における


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「ねぇ、教えて欲しいんだけどさ なんでニィちゃん あの吊り橋渡ったの?」


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( 間 しばしの沈黙 )


このシーンで 兄は一度は


「オマエが渡るの見て チエちゃんが行きたいっていうから 1人じゃ危ないよ…って」


と事実を語るが、懐疑的に見つめ続ける弟の姿に 弟が自分を信じていないと思った兄は、再び 挑発的な態度や発言に変わり、弟は兄との間に信頼関係が無くなったと考え、裁判での証言において「兄が突き落とした」と証言する。


でね、弟は その証言を述べるにあたり「僕の 元の兄貴を取り戻すために」と言うのだが、個人的には ここはもっと違う表現の台詞の方が良かったんじゃないのかなぁ…って思いが正直に言って強い。


例えば、「僕と兄貴との信頼関係を取り戻すために」って感じであれば…なんて思うのだ。


つまりは、このキーとも言える台詞が 判る部分もありながら、判り難い部分でもあるのは、弟がこの台詞を吐いて「兄が突き落とすのを見た」と証言した時に


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被告人席に座る兄:香川照之が笑っている様に見える。


この兄の笑みを どう解釈するか… そこが鍵なんだと思う。


「ホラ見ろ、オマエは そういう奴なんだ」という侮蔑的な笑みに多くの人は受け止めたのではなかろうか?


さもなくば、「何を言ってるの?」という感じの 驚きの混じった苦笑い…って解釈の人もいるだろう。


で、私は その二つの笑みの二者択一なのか?って事に なんか納得出来ず、なんとなく3番目の意味の「笑み」があるんじゃないか?と 引っ掛かっていたのだが、今回、記事をまとめるにあたって 数度、作品を見直しているうちに ふと、感じたままを述べると…


兄は 元々、智恵子の死にいろんな意味で責任を感じていた。


その最たる理由が


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智恵子の身を案じて掴んだのに 激しい嫌悪の混じった形相でふりほどかれ、一瞬とは言え、殺意を抱き それに恐れをなしたかのように後ずさりして落下させた事であり、助けようと掴んだ手ですら 拒絶された様に落ちていった事。


それが、密かに愛した相手であったにも関わらず、想いは伝わらなかったショック


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「僕が、あそこ(吊り橋)にいなきゃ あの人、今でも生きているんですよ」


と言った兄の言葉は けっして嘘では無く、裏返せば


「あそこに僕がいたから彼女は死んだ」=「僕が殺した」


と、思考が帰結しているのだ。


であるがゆえに、実際の事実とは違っても 弟が「兄が殺した」と言う事は 兄にとって自分の意見を弟が肯定した… その事に「そう、それで良い」という肯定と安堵の笑みなのかなぁ…って事。


しかしながら、最終的に、弟は 自分の証言が(というか、証言した時に自分が思い込んでいた事が)間違いだったと気づくのだが…


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子供の頃の8mmを見ていて 


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上の画が映ったシーン この画の中に大きなヒントがある。


ブタネコ的解釈で言えば 上の画が意味しているのは 弟の手を掴み、一緒に吊り橋を渡っている兄だが、その兄は さっさと歩いて行こうとする弟に対して 吊り橋のワイヤーをしっかり掴み、まるで 恐る恐る、ゆっくりと一歩ずつ歩いて行く…


つまり、兄は「高所恐怖症」なのだ。


だから、怖くて ついついワイヤーや弟の手を力強く握りしめてしまい 歩みも鈍いのだ。


要するに…


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智恵子に しがみつくように、しかも力強く握ってしまったのは 怖くてしがみついたからなのに、その理由を知らない智恵子には、自分が弟の方に行こうとするのを邪魔する引き留めとして鬱陶しく感じられたのであり、弟には 自分との関係を知った兄が智恵子を問い詰めている様に映ったのだ。


そう考えると、もうひとつ考察が頭に浮かぶ。


それは、兄が田舎町で今まで暮らしてきた人生において 兄はある種の仮面を被った様な生き方をしてきた事に疲れていたんじゃないか?という事。


「真面目で、優しく、正直な人間」であろうと心がけてきた為に 言いたい文句も言えず、夢やワガママも我慢してきた。


これは 言い方を変えるとカッコつけた人生を歩んできたばかりに、好きな女に格好悪くて「高所恐怖症」 つまり、吊り橋を渡るのが怖い…とは言えなかった。


その結果、揺れる吊り橋の恐怖感から智恵子は 兄に対して密かに感じていた嫌悪感を表面化させてしまい、それを知った兄も溜まりきったストレスが爆発してしまった…


それに気づいた時、弟は 自分の思い込みの間違いに気づいたのではなかろうか?


まぁ、以上の推察は 私(ブタネコ)自身、100%の自信を持って述べるのでは無い。


どこかが、何か違う様な気がする…って感が 読み直すたびに起きるしね^^;

だから、「いや、私は こう思う…」って全く違う感想があっても不思議じゃ無い。


この映画「ゆれる」に関して 実に巧く、かつ繊細に制作されていると感心する点は 心理だけじゃなく いろんな面での「多面性」の描き方なのだ。


たとえば、


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「僕が、あそこ(吊り橋)にいなきゃ あの人、今でも生きているんですよ」


という兄のシーンだが、これって弟にも置き換えて当て嵌められるんだよね^^


弟が そこにいなければ智恵子は吊り橋を渡らなかった…かもしれない。


弟が 街に帰って来なければ、智恵子は兄だけを想う様になった…かもしれない。


という風に、台詞の多面性だけじゃ無く


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この上の画を先入観次第で どう見える?…って事。


見る人によって「兄が智恵子を助けようとしている」風に見えたり、「兄が智恵子を問い詰めている」風に見えたり、「いまにも兄が智恵子を襲うとしている」風に見えるかもしれないし、もしかしたら「智恵子が兄を誘っている」風に見える人だっているかもしれない。


つまり、弟は 最初にこれを目撃した時は「兄が智恵子を助けようとしている」と感じたから「兄は殺していない」と考えたが、終盤では「兄は智恵子を問い詰めていた」と見方が変わったのかもしれない。


先入観や思い込みで 同じ画でも見え方が違ってしまう多面性を この映画の製作者は巧く演出していると思うんだな^^


従って、この映画を見て「感動は得られなかった」が、だからと言って この映画は駄作では無く、むしろ 大いに考えさせられ楽しめた一本だと 私は思う次第だ。




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コメント

わー私のHNがーありがとうございます。

川の「こちら」と「あちら」というブタネコさんの解釈に感服しました。
去っていく弟、追う女、すがりつく兄
川の上のシーンが全てを表しているんですね。

兄は直接殺したわけではないけど、本人は自分が殺したも同然だと思っていると
私も思います。
兄は、何もなかったかのように、いい人として、狭い街で今まで通り暮らす方が辛いことで
刑に服する方が楽になれるのかも。
何箇所かの兄がにやっと笑うシーンが(洗濯物を畳みつつカマかける、法廷で)
とても印象的でした。

★ satomin さん

この作品の「オダギリ・ジョー」と「香川照之」の演技は 本当に秀逸ですね。

特に 香川の笑みは効果的だったと思いました。^^

昨年の夏、話題になっていたときから早く観たいなと思っていました。
すごく胸にずっしりと来る映画でした。
ブタネコさんのおっしゃるとおり、サスペンスとしてのドキドキ感はないものの、
「このセリフ、どんな気持ちで言ってた?」「このシーン、実は他にも意味があるんじゃ?」
など、心理描写をめぐるはらはら感が素晴らしい映画だと思います。脚本も、映像も
すごい出来栄えで、カンヌとかに出したら結構面白い評価がされそうな感じです。

私は智恵子が「こわいの」「このままじゃいられない気がする」っていうセリフが印象的で、
たぶんあの時つり橋から落ちなかったとして生きていたとしても、稔・猛・智恵子三者の関係は
とことんまでもつれ絡まりあって、悲しいことになってたんだろうなと感じました。彼女の生い立ち、
猛への想い、稔との関係性の描き方から、あの状況で生きることを選択しないかもしれないと
思わされる伏線の張り巡らせ方は見事の一言。真木よう子さんの薄幸そうな女性の演技も
お見事でした。
オダギリジョー、香川照之も圧倒される素晴らしい演技でした。

この映画はラストのあたりでのオダギリジョーの独白で全てが総括されるつくりになっていて、
無駄に難解に製作してあるようななんちゃって芸術映画とそこが違うなと思い、製作者に脱帽です。
いいものみせてもらったなあ・・・。そうしみじみ思わせられる作品でした。

★ しき さん

この映画はシリアス調の中に込められた「考えさせられる」という部分において 最近の数多の作品の中では傑出していると私は感じております。

昔から邦画には「見る側がそれぞれで判断してくれ」ってな感じで 小賢しく難解にした様な、でも 言ってしまえば「手抜きじゃん」みたいな作品が多く、この映画の様に真摯に考えさせられる事は嬉しくもあり、心地良くもさえ感じるばかりです。^^

おはようございます. 久々の15夜更新で,緊張しつつこちらの記事も
紹介させていただきました. いくつかの見解の一致を勝手に感じながら,
総論はこちらにお任せしようと,これまた勝手に思いました.(笑)
いろいろと憶測は呼びますが,8m/mのシーンに制作者の良心を感じましたし,
「蛇イチゴ」同様,この監督は兄弟や身内に対する特化した感情があることを
想像しております.
また,最後の乗ったか,乗らなかったかについても,いろいろあると
思いますが,見た人間の側のその時の状態が解釈に出るであろうという
点に,この映画の価値を見ます.
個人的には,「脚本丸山昇一,撮影仙元誠三」のような空気を感じながら,
男の監督もっとガンバレと思いつつ見た次第です.(笑)

★ ゴーシュ さん

この「ゆれる」は 実に秀逸な映画だと思っているんです。

近年、大流行の原作モノでは無いオリジナル脚本で その脚本を充分に活かすための画であり編集である事も充分に判るし、実に効果的ですよね。

ゴーシュさんの御話を伺い 私はホッとしています。^^

 お兄さんが弟を法事に呼んだ。ガソリンスタンドに弟を連れて行って 智恵子と合わせたのも、渓谷に誘ったのもお兄さん、子どもの頃の映像では弟は怖がるお兄さんに比べて得意そうに吊り橋を渡っているように見える。二人を会わせればきっと智恵子の真意は はっきりとわかる、、、弟はあの渓谷に行けば、きっと吊り橋を渡る、、、
 お兄さんが全てを仕組んで 自分も弟のようにくだらない人生から逃げ出した、、、そうして、弟へ後味の悪さを残した、、、それが お兄さんの弟への復讐。
智恵子には受け入れられたかったのに最期まで拒絶されてしまい そこから 腹をくくって 自分の計画をやりとげたのでは?それまではお兄さんもゆれていたような、、、 
 香川さんの表情にいろいろ想像させられてしまいました。
いつもはブログを拝見しているだけなのですが、この映画を見たらいろいろ言いたくなって、思わず投稿してしまいました。人の感情を動かす映画ですね。

★ lily さん

コメントありがとうございます。

>お兄さんが全てを仕組んで 自分も弟のようにくだらない人生から逃げ出した

兄が仕組んだのは どこまでだったのか?…

そこの解釈が分岐点なんですよね

智恵子を殺す事が 最初から計画の範疇だったのか否か…

私は弟と会わせて吊り橋に行く所までは計画だったけど 殺す所までは最初は計画に入っていない…と解釈したので上記記事の内容になっておりますが、如何でしょう?^^

 時期外れのコメントなのに お返事ありがとうございます。なんだかとても嬉しいです
お兄さんと智恵子は 同じ毎日がただ続いて行くという地獄に気がついてしまった、、
智恵子と一緒なら この地獄を受け入れられる でも 智恵子の気持ちはどうなのか?
それを確かめる為に弟を呼んだら 智恵子は吊り橋の向こう側(地獄の外)に逃げ出そうとした
手を振り払われるまではもしかしたら?という希望があった
殺す事は計画にはなかった と思っています

 うすぼんやりとした地獄、先に逃げ出した弟、逃げようとした智恵子、弟にかばわれようとしている自分、自分のように家に縛られ老いて行く父、、、
コップの中に水がたまるように、それらの事が積み重なって行く、コップの縁に水がくるまでは何も感じないでいられた、でも スタンドで客に謝っている時、最期の一滴が注がれてあふれてしまった。
 はっきりとした意志を持ったのはここだと思っています。 

長々と書いてしまいすみません ブタネコさんのネタバレ版を読んでから観たのでいろいろなヒントに気がつけたような、、ありがとうございます。
あとひとつ訂正させてください、
>人の感情を動かす映画
言葉の使い方を間違えました。想像をかき立てる映画 かな?こちらの方がしっくりくる気がします。

刑を終えた7年後のお兄さんは、バスに乗ったのでしょうか? 題名の「ゆれる」に振り回されます

★ lily さん

このブログは 基本的に過去記事へのコメント歓迎ですから気にされないで下さい。^^

>バスに乗ったのでしょうか?

ええ、どうなんでしょうねぇ…^^

csでやってたのを観て、他の人の解釈調べてたら、ここにたどり着きました。
観たのは2回目ですが、自分の解釈は、これをきっかけに全く違う人生をやり直せると思った兄の狂言が物語のベースだと思ってます。
最後のバスに乗るシーンは、第二の人生のスタートを表してるのかなと。
そう思って観ないと、救いようのない映画になっちゃう気がして(笑)

★ だいすけ さん

>これをきっかけに全く違う人生をやり直せると思った兄の狂言が物語のベース

う~ん 私もそれを考えはしたんですけどねぇ…

もし、よろしければ参考までにお伺いしたいのですが、仮にそうだとして 兄が

「これをきっかけに全く違う人生をやり直す」

と、考え それを実行し始めたのは どの時点からだと思われますか?


最近DVD見たんですが、この記事を読んでスッキリしました!!
素晴らしい着眼点だと思いました。

★ kyoto さん

恐縮です。


ブタネコさん、こんにちは^^

映画を観た当時、何度もこの記事を読ませていただきました。
大筋でブタネコさんの書かれている事と似たようなことを感じていたので、うれしかったのを思い出します。
今日、また読む機会があり、皆さんのコメント含め読み返していて、ふと思ったことがあったので、コメントしたいと思います。

ラストシーン、あの兄弟は8mmフィルムの頃に近い信頼関係を取り戻せたんじゃないでしょうか。
なんとなく重要なのはそこな気がしました。
あの兄弟の間にわだかまっていたものがふわっと消えた瞬間といいますか・・・。
そう考えると、あの後、兄がどうなったのかということは大したことではないように思えます。

市川美和監督の作品は、いつもラストシーン後のブラックアウトで一瞬ショックを受けたような感じになります。
そして、エンドテロップが流れ始めると、だんだん落ち着いてきて良くわからない居心地の悪さと、奇妙な安堵感に包まれます。
この映画も、何度観てもそういう感覚になります。

久しぶりに観たくなりました^^

★ slan さん

去年の暮れだったか、今年の初頭だったかに この「ゆれる」のノベライズ本が発売されまして
それを早速読んだので その時に追記記事を書こうとして中断し忘れてました。^^;

6年も前のエントリに失礼します。
最近、huluでこの作品が登場しまして、今更見たものです。

こちらのエントリに書かれている考察に全て同意で
嬉しくなって投稿させて頂きました。

作品の構成的に、腕の傷は兄に殺意がなかったことを示唆
するものだと考えました。
突き落とすverの回想ではつき得ない傷なので。

そのうえで、事実として

- 法廷およびラストの笑顔から、兄は服役に後悔も恨みもない
- 弟と女性の関係を知りながら、責める気は見られなかった
- 弟は一切奪われるものはなかった

ということで、最初から最後まで兄は正直者で、弟を愛している
というのを前提に解釈したほうがしっくりくるなー、と。

すみません、興奮して語るに落ちましたが。。
お目汚し失礼しました!

★ yochin さん

このクソブログは古い記事でもコメント大歓迎です。^^

この映画って 何も考えずに見た1度目、あらためて見直した2度目、そして誰かの感想を聞いて
見直した3度目…と それぞれ微妙に違って見えたり、発見があったりで興味深いですよね


【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。