● ゆれる(おもいっきりネタバレ版^^;)
その理由は satominさんが寄せられたコメントでも お尋ねになられている
>本当はどうだったのか
という部分に関して 実は持論を当初は記述していたのだが、掲示前に読み直していて「ネタバレだよなぁ…」と ちと迷い、その結果「とりあえず、ナシにしておこう」と自主規制(?)したからだ。^^;
でもねぇ… satominさんが寄せられたコメント以外にも いくつかお尋ねや御意見を複数の方からメールで頂いたりして 色々と考えているうちに 今回は「ま、いっか」という気に変わりましたので
『 この記事は 長い事、このブログを楽しんで下さっている satominさんに捧ぐ… 』
って言い訳で^^; 削除した部分を加筆修正し 別記事として以下に述べてみようと思います。
だから、以下に記述する事は 完全にネタバレですから まだ映画「ゆれる」を未見の方は 出来れば先に「ゆれる」を見た後に 以下を読み進めて頂く事を懇願します。
<< 以下、本文 >>---------------------------
近年、邦画で描かれるこの手の作品の多くには「心神の喪失」が盛り込まれる事が多く、例えば、「精神異常者が犯した罪」とか「心神喪失を装って刑罰から逃れようとする」という風に それが話の根幹になっている場合すら多い。。
正直言って、この「ゆれる」を見ていて 私は当初、この作品も最終的には そういう流れなのかな?と穿った見方をしていたのだけど、この作品は そうじゃないと理解出来、違った意味で 久々に見応えのある心理描写の応酬だとも感じた。
で、全部を見終えた時
>本当はどうだったのか?
という部分に いくつか異なる推察を抱き、そこが意見の分かれるところだろうな…と感じ 実際に「ゆれる」について語られている いくつかのブログや映画サイトを見て回ると この部分は想像通り、意見が分かれるか さもなくば「判らない」とされているものまで少なく無かった。^^
なので、「私(ブタネコ)は こう思った」という持論を述べてみたいと思う次第。
まず、前提を整理し検証・考察してみたい。
この物語の前提として 智恵子(真木よう子)が吊り橋から転落し死亡する。
当初は 転落による事故死…という雰囲気なのだが、兄が「私が突き落とした」と自発的に自供した事から 殺人事件として逮捕され、起訴される。
事件直後、吊り橋の上で 駆け寄る弟に兄は「俺はチエちゃんを…」と あたかも「自分が殺した」と受け取れる発言をしようとするが、弟は その言葉を遮り「滑って落ちたんだな?」と 事故として処理しようと宥め、実際に兄が自供しなければ「事故死」で処理されるかの如き流れだった。
で、ここまでの段階で考えれば 多くの視聴者には「兄が殺し、弟は兄を庇おうとした」と映る。
この香川照之が演じている兄は 小さな田舎町の名士の一族の跡継ぎとして 親の跡を継ぎ、「真面目で実直な良い人」として暮らしてきたわけだが、兄なりに そういう人物であろうとするあまり、色々と我慢してきた事のストレスが溜まりきってもいた。
その我慢のひとつが「智恵子」という女性に対しての気持ちであり、智恵子がかつて 自分の弟と恋仲だった事も知っている。
他人から見ればナンセンスと言われるかもしれないが、弟の彼女に対し たとえ本気で惚れたからと言って それを自分から口説こうとするには まず、プライドが許さない。
兄は 裁判において
「口説いて断られたら お互いに一緒に働きずらくなる…」
という風な台詞を述べるが、それは一理あるようで もっと、深いところには「このまま 一緒に働けるだけで満足すべき」という葛藤の裏返しでもあり、もっと言ってしまえばネガティブ思考で もし、告白してフラレた場合、「幼馴染みの女にフラれた」と街で笑いモノになる…という世間体やプライドもあったんじゃなかろうか?
さて、殺人罪で逮捕され 裁判が始まる直前、兄は面会に来た弟に
「俺、自白して良かったって思ってる。
あの狭い街の中で 幼馴染みの女を死なせたレッテル背負っていくって どういう事か判る?」
このシーンは「本当に 兄が智恵子を殺した」と裏付ける場面にも受け取れるのだが、オダギリと香川の演技の巧さが際立ち始めるおかげで どんどん本当の事が判らなくなっていく。^^
つまり、「兄が何故自白したのか?」という部分と「弟は 何故、兄の無実を主張するのか?」って部分が 視聴者の想像と、映像内のそれぞれの台詞が 時々、食い違いを感じさせて混乱してしまうからだ。
例えば、兄の心理を考えてみると…
弟が家を出たまま帰って来なければ そんな状態であと何年か、最高の幸せとは言えずとも、ほのかに平和で心地良い時間が過ぎるはずだった… が、弟が帰ってきた途端、智恵子の気持ちは自分(兄)に向いて無い事がハッキリし、弟への思いが再燃してしまった事に気づく。
特に、法事の日の夜 智恵子を送って行った弟の帰宅が遅くなり、兄は あえて「智恵子の酒癖が悪い」とカマをかけ 弟が嘘をついているのを誘導したのは 弟と智恵子の関係を確認しようとしたからで、3人で吊り橋に出かけようと兄が言ったのも 智恵子の気持ちを確かめたかっただけの様にも見えるし、最初から殺すつもりだったのか否かをハッキリさせるものでも無い。
でも、事件後に この時の状況を思い返すと 何か違った意味があったようにも映る。
では、弟はどうだったのだろう?…
最初から吊り橋までのシーン迄の間の 弟と智恵子の会話から類推出来るのは 弟が故郷を離れ東京へと出る時、智恵子は弟と一緒に行こうと思えば行ける状況(関係)だったが、彼女は残った…という事。
その後、弟とは遠距離恋愛として関係が続いたわけでは無く、むしろ音信不通だった。
が、彼女の部屋に弟の写真集が(数冊も)置かれている事を見ると 彼女は弟を嫌っていた訳では無い、むしろ好意をもっていたのでは?とさえ 思える。
ブタネコ的邪推から言えば 弟はついて来なかった智恵子に対して「裏切られた」に近い感情を抱いていた可能性すらあり、恋愛感情は冷めていたと考える。
だから、一時的に兄への嫉妬や智恵子への怨みみたいな気持ちで彼女と関係を持ったが、兄が智恵子に対して想いを抱いている事に気付き 彼女と間をおこうとするが、関係を持った途端、智恵子は弟への想いを再燃してしまっており、弟は それに戸惑っていた。
ゆえに、「クソしてくる」と言い河原で智恵子と離れたのも 彼女との間を取ろうとした考えが強かったと思え、出来るだけ遠離ろうと吊り橋を渡って行ったのだが、智恵子は それを見て後を追う。
ここで兄の心理を想像し、ひとつの例えで言うならば「川のこちら」は「自分達が今暮らしている田舎町」であり、「川のあちら」は「弟の住む都会」を表していたのかもしれない…なんて思うのね。
だから、吊り橋を渡り弟の方へ行こうとする智恵子を 引き留めようとする兄の仕草は 単に「吊り橋が危ないよ」というだけの意味では無く「弟の方に行かず、僕のそばにいてよ…」って言ってる風にも感じるんだな私には
それだけに、吊り橋の上で 智恵子が目を剥いて「放してよ」と叫ぶ様は 兄にはいろんな意味での結論が出た瞬間であり、それによって、ともすれば殺意を抱いた瞬間でもあると思う。
でもね、ブタネコ的結論を言えば この映画を一度見終えた後に、もう一度2回目を自分なりの着眼点を持って見た結果、「兄は智恵子を殺していない」と判断した。
では何故、兄は「自分が智恵子を殺した」と強制されてもいないのに自供したのだろう?
それは、たとえ、一瞬とは言え 兄が「殺意を抱いた事」は紛れもない事実であり、その結果、智恵子を突き飛ばしており、それが故に智恵子の心は完全に離れたわけでもあるし、智恵子は兄に対して なんらかの恐怖感を覚え
尻餅をついた格好で後ずさりし、転落に至る… つまり、転落のキッカケを作った事が 自分(兄)の一瞬の殺意が起因している事を後悔しているからじゃないか?
それと、転げ落ちる彼女の手を 兄は助けようと一度は掴んだが、智恵子は その兄の手を掴み返すのでは無く、兄の腕に爪を立てて引き掻く つまりは、助けを拒絶した様に私には受け取れるんだな。
智恵子に拒絶されたまま死なれた事へのショック… それが兄の心を縛ったから 兄は「私が智恵子を殺した」と警察で自白したんじゃないか? そう、私は考えたわけで、だとすれば「弟は 何故、兄の無実を主張するのか?」という疑問は 実際に「兄は殺そうとしていない」ので、弟は 遠くからではあるが、智恵子を兄が救おうとした様子は目撃しているのだから 当たり前の行動だったと言える。
ところが…
多額の現金を用意して 叔父に弁護を依頼し、兄を助けようとし、兄に面会に行き励まそうとしていた弟だが…
吊り橋の上で 智恵子にしがみつこうとする兄の姿や 怯えた様に後ずさる智恵子の姿も目撃していたわけで、その様子に 一抹の疑問を感じてはいた。
で、裁判が進行していく中で 兄の証言を聞くうちに「もしかしたら、本当は殺そうとしていたんじゃないか?」と疑問が大きく膨らみ始めるのだが…
その中でも特に大きな部分が 最初の面会シーンで兄は弟に対して挑発的な言葉をぶつけた事。
おそらく、それは兄が「智恵子に対する後悔」と同時に「弟に対する嫉妬」という 二つの気持ちが心の中で葛藤し、表面化した結果と思われるのだが、弟は それが何を意味するのか理解出来ていない。
しかも、
このシーンの会話で 実は智恵子は酒に弱い、つまり 法事の夜に遅く帰宅した弟に兄が「智恵子は酒癖が悪いから…」とカマをかけ 自分(弟)が まんまとそれにハマっていた事に気づく。
つまり、「弟が智恵子と関係をもった事を兄は気づいていた。」と。
その結果、吊り橋での兄と智恵子の不可解な動きは 弟と智恵子の関係に嫉妬した兄が智恵子を問い詰めて その結果、転落した…という風に考え始める。
それを決定づけたのが
「あぁ… そうだったんですか、そんな人がいたなんて 僕は全く気づかず…
恋人がいましたのならば その人に対しても 取り返しのつかない事をしでかしてしまいました」
という裁判中での兄の発言と仕草で 兄は「関係を知っている」、にも関わらず それを今まで弟に言わず、責めようともしない…
そこを弟は 悪い方に作為的と考えてしまう。
その結果、二度目の面会における
「ねぇ、教えて欲しいんだけどさ なんでニィちゃん あの吊り橋渡ったの?」
( 間 しばしの沈黙 )
このシーンで 兄は一度は
「オマエが渡るの見て チエちゃんが行きたいっていうから 1人じゃ危ないよ…って」
と事実を語るが、懐疑的に見つめ続ける弟の姿に 弟が自分を信じていないと思った兄は、再び 挑発的な態度や発言に変わり、弟は兄との間に信頼関係が無くなったと考え、裁判での証言において「兄が突き落とした」と証言する。
でね、弟は その証言を述べるにあたり「僕の 元の兄貴を取り戻すために」と言うのだが、個人的には ここはもっと違う表現の台詞の方が良かったんじゃないのかなぁ…って思いが正直に言って強い。
例えば、「僕と兄貴との信頼関係を取り戻すために」って感じであれば…なんて思うのだ。
つまりは、このキーとも言える台詞が 判る部分もありながら、判り難い部分でもあるのは、弟がこの台詞を吐いて「兄が突き落とすのを見た」と証言した時に
被告人席に座る兄:香川照之が笑っている様に見える。
この兄の笑みを どう解釈するか… そこが鍵なんだと思う。
「ホラ見ろ、オマエは そういう奴なんだ」という侮蔑的な笑みに多くの人は受け止めたのではなかろうか?
さもなくば、「何を言ってるの?」という感じの 驚きの混じった苦笑い…って解釈の人もいるだろう。
で、私は その二つの笑みの二者択一なのか?って事に なんか納得出来ず、なんとなく3番目の意味の「笑み」があるんじゃないか?と 引っ掛かっていたのだが、今回、記事をまとめるにあたって 数度、作品を見直しているうちに ふと、感じたままを述べると…
兄は 元々、智恵子の死にいろんな意味で責任を感じていた。
その最たる理由が
智恵子の身を案じて掴んだのに 激しい嫌悪の混じった形相でふりほどかれ、一瞬とは言え、殺意を抱き それに恐れをなしたかのように後ずさりして落下させた事であり、助けようと掴んだ手ですら 拒絶された様に落ちていった事。
それが、密かに愛した相手であったにも関わらず、想いは伝わらなかったショック
「僕が、あそこ(吊り橋)にいなきゃ あの人、今でも生きているんですよ」
と言った兄の言葉は けっして嘘では無く、裏返せば
「あそこに僕がいたから彼女は死んだ」=「僕が殺した」
と、思考が帰結しているのだ。
であるがゆえに、実際の事実とは違っても 弟が「兄が殺した」と言う事は 兄にとって自分の意見を弟が肯定した… その事に「そう、それで良い」という肯定と安堵の笑みなのかなぁ…って事。
しかしながら、最終的に、弟は 自分の証言が(というか、証言した時に自分が思い込んでいた事が)間違いだったと気づくのだが…
子供の頃の8mmを見ていて
上の画が映ったシーン この画の中に大きなヒントがある。
ブタネコ的解釈で言えば 上の画が意味しているのは 弟の手を掴み、一緒に吊り橋を渡っている兄だが、その兄は さっさと歩いて行こうとする弟に対して 吊り橋のワイヤーをしっかり掴み、まるで 恐る恐る、ゆっくりと一歩ずつ歩いて行く…
つまり、兄は「高所恐怖症」なのだ。
だから、怖くて ついついワイヤーや弟の手を力強く握りしめてしまい 歩みも鈍いのだ。
要するに…
智恵子に しがみつくように、しかも力強く握ってしまったのは 怖くてしがみついたからなのに、その理由を知らない智恵子には、自分が弟の方に行こうとするのを邪魔する引き留めとして鬱陶しく感じられたのであり、弟には 自分との関係を知った兄が智恵子を問い詰めている様に映ったのだ。
そう考えると、もうひとつ考察が頭に浮かぶ。
それは、兄が田舎町で今まで暮らしてきた人生において 兄はある種の仮面を被った様な生き方をしてきた事に疲れていたんじゃないか?という事。
「真面目で、優しく、正直な人間」であろうと心がけてきた為に 言いたい文句も言えず、夢やワガママも我慢してきた。
これは 言い方を変えるとカッコつけた人生を歩んできたばかりに、好きな女に格好悪くて「高所恐怖症」 つまり、吊り橋を渡るのが怖い…とは言えなかった。
その結果、揺れる吊り橋の恐怖感から智恵子は 兄に対して密かに感じていた嫌悪感を表面化させてしまい、それを知った兄も溜まりきったストレスが爆発してしまった…
それに気づいた時、弟は 自分の思い込みの間違いに気づいたのではなかろうか?
まぁ、以上の推察は 私(ブタネコ)自身、100%の自信を持って述べるのでは無い。
どこかが、何か違う様な気がする…って感が 読み直すたびに起きるしね^^;
だから、「いや、私は こう思う…」って全く違う感想があっても不思議じゃ無い。
この映画「ゆれる」に関して 実に巧く、かつ繊細に制作されていると感心する点は 心理だけじゃなく いろんな面での「多面性」の描き方なのだ。
たとえば、
「僕が、あそこ(吊り橋)にいなきゃ あの人、今でも生きているんですよ」
という兄のシーンだが、これって弟にも置き換えて当て嵌められるんだよね^^
弟が そこにいなければ智恵子は吊り橋を渡らなかった…かもしれない。
弟が 街に帰って来なければ、智恵子は兄だけを想う様になった…かもしれない。
という風に、台詞の多面性だけじゃ無く
この上の画を先入観次第で どう見える?…って事。
見る人によって「兄が智恵子を助けようとしている」風に見えたり、「兄が智恵子を問い詰めている」風に見えたり、「いまにも兄が智恵子を襲うとしている」風に見えるかもしれないし、もしかしたら「智恵子が兄を誘っている」風に見える人だっているかもしれない。
つまり、弟は 最初にこれを目撃した時は「兄が智恵子を助けようとしている」と感じたから「兄は殺していない」と考えたが、終盤では「兄は智恵子を問い詰めていた」と見方が変わったのかもしれない。
先入観や思い込みで 同じ画でも見え方が違ってしまう多面性を この映画の製作者は巧く演出していると思うんだな^^
従って、この映画を見て「感動は得られなかった」が、だからと言って この映画は駄作では無く、むしろ 大いに考えさせられ楽しめた一本だと 私は思う次第だ。


