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2007年02月07日

● ソナチネ


1993年公開、「北野武」が監督・脚本 「久石譲」が音楽を担当した映画




私は北野映画と呼ばれる「北野武」の映画が好きだ。


でも、私が北野映画を好む理由は けっして、一般的では無いようだ。^^;


面白いもので いろんなブログや映画評サイトを巡り、北野映画の評を読むと 何故か、北野映画を語ろうとする時、「バイオレンスが強烈」とか「沈黙の間が絶妙」といった部分を取り上げ 小難しい言葉を並べて評されている事が多い。


私は それを批判する気は全く無いし、それはそれで良いと思う。


けど、私が北野映画に感じる魅力は そんなに小難しい事では無くて、


「脇役が活きている」


という、その一点。


しかも、その上で


「大杉漣」「寺島進」「津田寛治」


この3人の俳優達のポテンシャルを 世に知らしめた…という点。


それだけで 充分すぎるほど評価したい と、思っている。


他の記事で 何度も語ったことだけど、私は映画やTVドラマにおいて その作品のクォリテイを左右するのは 脇役がいかに活きているか?にあると思っている。


主役に どんな名優や、人気のあるタレントを起用したとしても 作品全体が良い物に仕上がるか否かは 脇役の醸し出す総合であり、脇役が活きる事で主役が輝いたり、際立ったりもするのだ。


で、北野映画を見ていると 概ね、主役は「ビートたけし」であるのだが、個々の作品を考える場合、主役の「ビートたけし」は 言い方は悪いが極論すれば 実は何の変哲も無くて 逆に先に挙げた「大杉漣」「寺島進」「津田寛治」の3人をはじめとして「矢島健一」「石橋凌」「渡辺哲」などが脇で 実に良い味を出していたり、輝いていたり、渋いのだ。


昔、「バトルロワイアル」という映画を見た時に 作品があまりにも面白く、そのメイキングDVDや 監督である「深作欣二」の本を読んだ時に 深作欣二が演出指導を行う場面において「リアクション」に拘り、それは ひとつの画面を構成する際、画面の中心に写される主役よりも 背後の脇役達の表情や仕草といった部分に拘ってこそ画面全体に迫力やリアリティが増す…と言い、だから拘っているんだと語ったのを耳目にした事がある。


それ以来、いろんな映画やTVドラマを見る時 ついつい、そういう部分に目がいくようになってしまったのだが、たしかに秀逸な作品は 深作欣二が拘った様な部分が実に丁寧に、かつ、繊細に描かれている事に気づかされたものだ。


北野映画は最近では海外での評価の高さにより、日本国内でも高い評価を得ているが 当初は映画製作関係者 特に東宝、松竹、東映といった大手の制作会社からは見下された様な感があり、マイナー扱いされたフシが強い。


けど、私に言わせれば 大手の映画会社が”名監督”と勝手に謳う人物を擁して 構想xx年 制作費xx億…なんて宣伝で制作される映画に つまらない駄作が多いのは、総じて主役ばかりに夢中になって 脇役を蔑ろにしているからだと言い切っても良いと思っている。


だから、「北野映画はマンネリ」とか「ストーリーが無い」等と批判の声があるのも知っているけれど そんなのは どうでもいい…と思うばかりだ。^^




さて…


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「ソナチネ」について語るとしよう。


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主人公はヤクザの幹部だが、組の中で浮いており、ある日、親分から 沖縄の抗争事件に助っ人として行けと命じられる。


この「ビートたけし」が演じる主人公の弟分に


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「大杉漣」


これが、実に渋い。^^


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最近は ちょっと頑固だが子供思いの親父…みたいな役をTVドラマで演じる事が多いけど、「大杉漣」は 少しクセのある怖いオッサンを演じさせると とてつもないポテンシャルを見せつける。


そして、運転手であり、子分の中でも筆頭格に

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「寺島進」


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言っちゃぁ悪いが、一見「シャ○中」ですか?と思わせる 痩せ形で細身の体形とギョロ目が 実に活きている。^^


しかも、場面が沖縄に移動した後、最初は判らなかったのだが、

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「勝村政信」とのコンビネーションは実に軽妙で良かった


で、もう1人 注目したいのが、


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「津田寛治」


先に挙げた「大杉漣」や「寺島進」に比べ この作品が1993年という事もあって軽い… というのも当たり前で 一説には この「ソナチネ」が映画デビュー作だという。


どおりで、若いよなぁ…^^;




で、ついでに触れておくと…


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「渡辺哲」も 見逃す事が出来ない怪優だが…


上述した3人の他に この「渡辺哲」も北野映画の他の作品のいくつかに出演している。


で、この記事の冒頭に記した事を思い出して頂けると幸いだ。


つまり、『私が北野映画に感じる魅力は「脇役が活きている」』という事。


私が知る限り、「渡辺哲」という俳優を いろんな姿に活かした演出家は二人しかいない。


それは「北野武」と「堤幸彦」だ。


この二人の最大の共通点が「脇役の活かし方」だと思う。




さて…


北野映画を指して「ストーリーが無い」とか「ストーリーが薄っぺら」とか、「見ていて意味が判らない」という感想を よく耳目にする。


なので、あえて申し上げてみたい事がある。


それは、例えば 映画なら 最初の15分間、連続ドラマであれば第1話において 登場人物がどんな人物で 物語の舞台がどういう場所や背景か それを視聴者や観客に判らせる技法が 大きく分けて3つある。


その中で 最近の映画やドラマで最も多く目にするのが 台詞に込める手法


例えば


A「おいおい あそこにいるのは Xさんじゃないか?」

B「凄いよなぁ あの歳で教授だってよ」

C「お父さんが この大学の理事長だもん 親の七光りだわ」

A「そんな事無いよ あの人は気さくだぜ」


って感じのシーンを入れると そこが大学で、Xという人物が教授で 親が偉い…という前提を判らせる事が出来る。


この手法は脚本と演出・構成が巧みであれば ごく自然に描けるのだが、拙いと台詞が冗長だったり、役者の演技が妙に思わせぶりだったりで興醒めする部分でもある。


で、2番目の方法は


「ここは とある大学、

 この人物は若干3x歳でこの大学の教授、

 父親は理事長で堅物だが、この人物は人あたりがよい」


と、人物の映像に被せてナレーションで示す手法だが、これは古典的な手法である。


さて、この二つの手法に対して 3番目の手法が ナレーションを入れたり、説明の台詞を入れず 映像のカットと流れで自然に視聴者や観客に判らせる方法であり、北野映画の多くが この手法。


で、この3番目の手法は見る側が想像を使って設定を思い浮かべなきゃいけないぶん 想像力の豊かな人には面白いのだが、「設定を教えてくれない」ぶん 理解出来ない人には下手すると最期まで判らず仕舞いとなる。^^;


最近の映画やTVドラマは 前述の二つ、つまり「冒頭で教えてくれる」パターンが多く それに慣れきってしまって 想像したり察したりする事が出来ない人には 3つ目の手法は「判り難い=ツマンネ」と 簡単に評されてしまう事が多い。


まぁ、例えは悪いけど


「言ってくれないと判らないじゃん」


と逆ギレみたいに怒る人には向いていない作品となる。^^;


だからと言って「北野映画にはカタルシスが…」とか、「カオスへの挑戦だね」みたいに 小難しい言葉を並べて小賢しげに誉めるのも どうかと思うけどね。^^


私に言わせれば台詞が多いわけでも無く、ストーリーが難解なわけでも無く、そんなに御託を並べる程 深い意味を込めているとも思えない。


「~と思ったから、~した」という主人公や周囲の人物像の羅列なのだ。


だから、ゴチャゴチャ言わずに「あ~、面白かった」か「ツマンネ」かの いずれかで良いのではないかと思うよ「北野映画」は。^^




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コメント

東京はすっかりみんな春気分で,子どもの「雪だるまを作りたい」という
願いは届くかどうか微妙です. 撮影明けの半休の折,ブタネコさんの記事を
読みつつ,北に思いを馳せております…厳しい冬以外のところで.(笑)

「ソナチネ」のお話,面白く拝読いたしました.

おっしゃる通り,北野監督の作品は面白いかつまんないか,言い方を変えれば
合うか合わないかでいいのだと思います.
でも小生の場合,こんな言い方が許されるかどうかわかりませんが,
「合わない」けど好きです.(笑)

仕事で映像に携わっておりますと,いかに動的媒体が,生理的なものかを
痛感します.どんなにロジカルに考えても,見てつまらなければ,それは
つまんないのですね. 制作の労苦や工程にかける時間など関係ありません.
その点,女性的ともいえる気がしますが,いずれにせよカウンターの向こうに
いったラーメンはお客さまのもので,とやかく言う資格は作り手にありませんし,
仮に塩を振って欲しくなければ,お客の顔を見て先に塩を振っとけというのが
小生の持論です.(笑)

北野監督というのは,その点を非常にご存知…というか,小生が言うのも
僭越なのですが,芸人としての人生の中ですでに体得されているので,
大衆がどういう存在かを,あるいは言葉の持つ不確かさを身を持って
わかってらっしゃるのですね.

「ストーリーが無い」のくだりも,まさにブタネコさんの見解が妥当ですよ.
今の柳沢発言の野党の攻撃みたいなもんです.(笑)
市川崑監督の映画でよくある独特の速いカットバックは,マスターショットの
編集理論から言うとアングルがメチャクチャです.(「映画の文法」参照,笑)
映画が映画たる,小生の線引きは「強い」か「弱い」かです.
手法やフレーム,シナリオの良し悪しなどを千切っていくような,
映像としての「強さ」があるかどうかに一番の魅力を感じます. その点がまさに
生理的,感覚的なと思う所以ですが,北野監督の映画にはそれを感じております.

それと「大きく分けて3つある」のお話も大変興味深く拝見しました.
基本的に,小生は映画や映像表現は3つめの手法であるべきと心得ます.

「2番目の方法」は,その昔に高畑監督が「~ハイジ」を作られた時に局の意向で
入れられたナレーションを「僕はそんな作りをしていない.映像だけで必ず伝わる」
と,途中の回から局の方を折れさせてナレーションを廃した話を思い出しました.

1番目の「台詞に込める手法」の話も御意ですね.
セリフで引っ張るのは西洋演劇の特長ですが,そのタイプの作品には当たり前の
話ですが,演出にしろ,芝居にしろ,西洋の手法がよく合います.
しかし,このスタニラフスキーに代表される手法は,原書でなく,翻訳で読まれて
いる例が多く,その解釈がまちまちで,実は日本の既存劇団ではきちんと理解されて
いないと断言できます. 余談ですが,日本にもそのロシア演劇の手法を,きちんと
した理解でやっているところがあって,そこへは某有名演劇集団からスパイが
送り込まれたりするのですよ…情けない.(笑)
ウッディ・アレンやケネス・ブラナーに代表される,セリフで引っ張る手法は
おっしゃる通り,その専門の技術がなければ,説明的になるし,リズムがもたりますね.

ゴチャゴチャ言ってしまいましたが(笑),北野武監督や塚本晋也監督の作品は
生理的に合わないんだけど,映画としての「強さ」がずば抜けていて,見ないわけには
いかないと,いつも思うのです.

★ ゴーシュ さん


>「合わない」けど好きです.(笑)


つい、吹き出してしまいました^^

なるほど、そういう御意見もアリですよね^^


そうですか、映像の仕事の御関係だったのですね…

だとすると、拙記事もしくは 拙ブログで私が好き勝手にほざいている事には片腹痛い内容が多々と思われますが、素人の言い草と どうか御寛容に…^^

(嫌味とか皮肉じゃ無いですよ 本音です^^;)


>基本的に,小生は映画や映像表現は3つめの手法であるべきと心得ます.


私も 実はそう思っています。

理由はゴーシュさんの御指摘然りで なんか台詞で説明するタイプの作品の多くが冗長で かつ、わざとらしく鼻につく事が多いからです。^^


今後も どうか御教示の程 宜しく御願い申し上げます。^^

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。