« 祝・2周年!! | TOPページへ | 祝!2周年 記念動画 »

2007年01月11日

● めとろんさんに 捧ぐ…


この記事は 私がいつも拝読させて頂いている『めとLOG ~ミステリー映画の世界』を主宰されておられる めとろんさんに捧げます。^^




さて、今回、何を申し上げたいかと言うと…


めとろんさんのブログにおける『気まぐれ日記  「犬神家の一族」、観ました。』という記事において…



佐兵衛翁の若き日のエピソードが全てカットされ、台詞で説明されるのみになったことにより、作品の構造が単純化され、ひじょうに鮮明になったと思いました。
そして、犬神製薬が軍部と手を結び、麻薬を精製して戦争に駆り出される兵士たちに提供、その度に財を蓄えていった…という、一見ストーリーとは関係のないエピソードが、尚残されているのを見て、ぼくはこの映画の”核”はここにある、との観を強くしたのです。



と、めとろんさんが述べられている部分に対して


私は



実は 私は別の所に”核”を感じてまして その着眼点の違いにより 微妙に、特に松子に対する感想が異なってしまうんだなぁ…と(これは めとろんさんへの批判では無く、あくまでも考察の違いに対する面白さ という意味です^^;)



と、小生意気な事を申し上げた部分について^^; 持論を勿体ぶって今まで述べずにおりました^^;

( めとろんさん ごめんなさい^^;)


で、その点について 本当は めとろんさんが「金田一です」を読了されるのを待ってから述べたいと思っていたのですが、あまり勿体ぶるのも失礼と思い 書き記す事にしたいと思うのです。


以下に述べる事は あくまでも私(ブタネコ)の個人感なので 軽く読み流して頂けると幸いなのですが…


「犬神家の一族」という作品は 当初、一般的には「面白い作品」ではあるけれど「獄門島」や「悪魔の手毬唄」に比べて1ランク下の様に評されており、一部の推理小説マニアには 1ランク下では無く、横並びの秀作と評されていた…


昔、「犬神家の一族」の前作が映画化された際に「幻影城」という推理小説専門の月刊誌があり、その中で 敬愛する中島河太郎氏が その様な内容のコラムを書かれていたのを読んだ記憶があります。


何故、それを覚えているかというと 私は その時点で「犬神家の一族」は横並びの秀作と感じるほど 読後、シビレていただけに「へぇ~ なんでなんだろう?」と疑問に感じたからだ。


その文献が 今、手許に無いので正確な文章を引用する事が出来ないのは申し訳無いけど、その中で中島河太郎氏が「犬神家の一族」のプロットの秀逸さを高く評価するに辺り、ただ流し読みする視点とは違う 氏独特の視点での捉え方を記していたのだけはハッキリ覚えている。


で、ちょっと視点を変えて「犬神家の一族」を見てみると…


「犬神家の一族」は「探偵小説」である。


「探偵小説」だから 事件が起こる。


では、何故「犬神家の一族」で事件が起きたのか?


それは「犬神佐兵衛」という爺さんが とんでもない遺言状を遺したから。


「犬神家の一族」の映画や原作を見たり読んだりした方なら ここまでは誰もが「そんなの子供でも知ってるよ」と言うだろう。^^;


では、何故「犬神佐兵衛」という爺さんは とんでもない遺言状を遺したの?


もっと、掘り下げれば 遺言状に記した内容の本当の意味って何?


めとろんさんに 申し上げた「私は別の所に”核”を感じてまして」の”核”が 私の場合は この


何故「犬神佐兵衛」という爺さんは とんでもない遺言状を遺し、それによって何をどうしたかったの?


って部分なんです。


で、ブタネコ流の解釈を申し上げると 本来、遺産は妻子が相続するのが順当。


しかし、犬神佐兵衛に正妻は現存せず、子供は 松子、竹子、梅子 それと青沼静馬の4人


で、犬神佐兵衛が 遺言状で書き示した内容の解釈の見方を変えると 松子、竹子、梅子の3人に直接 遺産が渡らないようにした…という見方が出来る。


その理由は その3人の娘が かつて青沼菊乃という佐兵衛の妾を追い出し、息子の静馬共々 酷い仕打ちを行ったから…というのが一般的な推測。


でも、遺言状の冒頭を読み返すと…



ひとつ…

犬神家の全財産、ならびに全事業の相続権を意味する、犬神家の三種の家宝、斧、琴、菊は つぎの条件のもとに野々宮珠世に譲られるものとす



これは まず、財産の相続に関する主導権を野々宮珠世に与え、その意志を尊重させる…という意味


何故、野々宮珠世なのか?


その背景を示すためには 「佐兵衛の若き日のエピソード」や「犬神製薬の発展史」は必須なんです。


次に、何故 松竹梅の三姉妹は 青沼親子を放逐したのか?


その理由には 三姉妹は自分達の母親を蔑ろにし青沼菊乃や静馬を寵愛したのに嫉妬して…というのが一般的な多くの見方だけど、それ以上に、妾腹とは言え静馬が男の子だったから… というのが当時の時代背景を考えると上げられるんじゃないか?と私は愚考します。


つまり、男子嫡流ですね


「このままでは 静馬が全財産を相続してしまう…」


そういう思いも 三姉妹には強かったんじゃないか?と。


目的は達せられ 青沼親子は姿を消した… それに対して佐兵衛は三姉妹に対し憤りを感じていた…


男子嫡流の本来から言えば「全財産を青沼静馬に譲る」で良かったんじゃ無いの?と思うのだが、そこをそうせず、まず「野々宮珠世」としたのは 佐兵衛の本当の考えには 男子嫡流よりも野々宮家に対する思いの方がはるかに強く、それは恩返しでもあり、珠世の背景を考えれば至極当然


けれども、その珠世の背景を三姉妹は知らない。


ここで、ひとつ「?」と思うのは 野々宮珠世の配偶相手の条件に 佐清、佐武、佐智の3人だけでは無く、静馬も入れても良かったのでは?という疑問なのだが、そこが「血の系譜」におけるミソなんだな^^

(ヒントは 静馬は 佐兵衛の息子、佐清、佐武、佐智の3人は孫…って部分)


要は3人の孫の それぞれの母親である3姉妹に財産争いをさせたかった…という事で全ては片付けられがちだが、もっと重要な事は


「何故、野々宮珠世が?」


「何故、青沼静馬が?」


遺言状を読んだ犬神家の一族が そう考え、調べたら…


犬神家の本当の系譜や家歴が判り、三姉妹が青沼親子を放逐した事の理由の愚がハッキリする…という点。


それが犬神佐兵衛の「遺志」だとすると それは「怨念」だろうか? 


リメイク版では「怨念」を「想念」に台詞を変えている。


何故、微妙とはいえ ここを変えたのか?


愚見を挙げれば「怨念」では「怨み」が強く感じてしまう。


佐兵衛が珠世を筆頭にあげたのは「恩返し」 つまり、野々宮家への「想い」が過分に含まれているからで、もちろん「想念」という言葉には「恨み」という気持ちも含まれるしね。


ところが、松子を演じた「富司純子」は その辺を判って演じたのだろうか?


私には そう思えない。


「富司純子」の松子には 良い意味でも悪い意味でも「怨み」しか理解していない様に思えてなら無い。


別の記事で述べた事だが、リメイク版の金田一は犯人の自殺に「気づいている」 


しかし、金田一は犯人に対して諸般の事由で「黙認する」


が、「富司純子」が演じた松子では「黙認する」諸般の事由に説得力を感じないのだ。


つまり、ブタネコの思い上がった^^;考察としては 物語の”核”である


何故「犬神佐兵衛」という爺さんは とんでもない遺言状を遺し、それによって何をどうしたかったの?


という部分を 殆ど理解出来ずに ただ「親子の情」だけしか演じておらず、「怨」と「想」の違いが判っていない…って風に映ったのです。


なので、めとろんさんの”核”と 私の”核”は そんなに違うモノでは無いと思います。


ただ、捉え方の違いにより めとろんさんは「富司純子さんの松子夫人には満足」という感想になり、私は「富司純子の松子は ミスキャスト」…と、違う結論に至るんでしょうね^^;


どっちが正しいとか、私(ブタネコ)の感想が絶対だ!!… なんて言う気は全く無いです。^^


横溝正史の深さ故により、捉え方の違い…ってだけの話ですから。^^


めとろんさん 御願いだから気を悪くしないで下さいね。^^;




お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

 この記事への御駄賃がわりに下のバナ-のいずれかを クリックして頂けると嬉しいです。^^
 (全部、クリックしてくれると もの凄く嬉しいのは事実です。^^)

ブログランキング・にほんブログ村へ Blog Ranking 人気映画・TVBLOG blogram投票ボタン BlogPeople「自分のこと」部門にクリック BlogPeople「テレビ」部門にクリック BlogPeople「映画」部門にクリック

『犬神家の一族』関連の記事

コメント

こんにちは!お邪魔させていただきます、めとろんです♪

あの・・・気を悪くするわけが無いじゃないですか(笑)記事のタイトルにまでしていただいて・・・吃驚です(笑)
本当に、ご丁寧にありがとうございます!

ブタネコ様の卓越した考察を拝読させていただくにつれ、「こういう見方があったのか!」という発見や驚きがありました。横溝作品には、未だ発見されていない"鉱脈"が残されている・・・と、常々思っておりますので、(多少、冒険的であっても=例えば拙ブログの「思いつき悪魔の手毬唄考」など、人によっては噴飯モノの妄想記事だと思うのですが)それをお互いに披露し合い、楽しむこと(現実には、意外に機会が少ない)で、お互いの見解なり考察も深まっていく・・・というプロセスが貴重だと思いますし、それだけの"豊穣さ"を内包した「横溝正史の世界」ならではの楽しみだと思っています。

"核"に関する部分→拙ブログ「めとLOG」の「気まぐれ日記 「犬神家の一族」、観ました。」という記事への、イエローストーン様のコメントに対するお返事として、以下の文章を書きました。

「"佐兵衛翁の許されない愛"⇒あらゆる欲へと転化…していく過程で、その欲望が"戦争犯罪"へと波及する。その"業"が犬神財閥の一族自身に襲いかかる…と、いうことになりましょうか。
戦争に荷担しながら、戦後ものうのうと生き延びた巨大財閥-その「"罪と罰"を描いた映画」という側面、監督が込めた"怒り"を感じました。
そして、その源が"憎しみ""怒り"などではなく"愛"であった-という部分に、人間という存在の不条理というか、哀しみといったものを覚えずにはいられないのです。」

今回のぼくの拙記事は、どちらかと言えば「横溝作品そのもの」というより、新作における「市川監督の横溝正史に対する批評性」を強く感じ、ある種"総論"として記したものでした。ですので、少々大雑把ではありますが、監督は"犬神家を襲う悲劇"の底に、"戦争責任"という、形而上ではなく"形而下"の因果関係を、さりげなく込めたかったのではないか・・・と愚考しました。言ってみれば"隠された主題"であり、作品世界すべてを支える"前提"とでもいうべき土台でしょうか。この部分に関して、監督自身は声高に主張する気はないと思うのですが、ぼくはそういった意味での"核"と捉えたわけです。
そのうえで、現れてくるすべての"形而上"の現象-に対する考察に関して、ぼくはブタネコ様の記事に大変共感し、同感です。

「怨念」から「想念」への変更→この点について、悲劇を生み出すものは何も「憎しみ、恨み」だけではなく、「愛」である場合もあるんだよ・・・でも、人は人を愛さずにはいられない・・・と、市川翁は哀しく醜くも美しいこの人間世界を、穏やかな警告と共にやさしく提示されている・・・と感じました。

富司純子さんの松子夫人→ブタネコ様の記事を読み、「なるほど!」といろいろ気付かされました。"旧版"の松子夫人には、佐兵衛翁の"あやつり"に対して、タメを張るほどの(一族の業を一身に体現したような)"威厳""自立した、確固たる意志"を感じましたが、今回の松子夫人は"操られる犠牲者・犠牲者"としての側面を強く感じ、どちらかと言えば「可愛そう」という"同情"を呼び起こすような存在になっていましたね。
ぼくは、彼女の演技に不覚にも涙してしまったのですが(単純・・・汗)、ブタネコ様の記事を読み、それが"同情の涙"であり、彼女の"母性の強調"から来るものだと気付きました。そこは、この作品世界を支える屋台骨の存在として、ぼくも「弱い」と感じました。

そして、それが今回の作品の特徴と感じる"母性の愛の強調・尊重"に通ずる演出とは言え、ぼくにはその部分が、作品世界の枠組みから"はみ出し"てしまっているという印象が拭えなかったのです。

非常に簡単で申し訳ないのですが、そう思いました。また、加えて思うところがございましたら改めてアップさせていただきますね。
こうやって、横溝正史について語り合える場があること自体が、ぼくにとっても非常に有意義で嬉しいのです。本当に、ありがとうございました!

★ めとろん さん


>気を悪くするわけが無い


あ… 良かった(安堵^^;)


>「思いつき悪魔の手毬唄考」など、人によっては噴飯モノの妄想記事だと思う


そうですか? 面白い考察だなぁ…と思いましたよ ホントに^^


確かに、「犬神家の一族」と”戦争”の関わりを どう捉えるか?って見方をすると めとろんさんの仰る事は よく判ります。


横溝正史は戦争により、疎開を余儀なくされ、探偵小説を書けず、捕物帖を書いて糧を得ており、戦争が終わり「これで探偵小説が書ける」と喜んだ様は 氏のエッセイを読むとよく判る。


だから、「戦争」に対して 横溝正史独特の考えやストレスがあったであろう事も容易に想像が出来るし、その辺を考慮すると めとろんさんの考察の拝啓ともなって頷ける部分が大いにありますからね^^


ただ…


>監督は"犬神家を襲う悲劇"の底に、"戦争責任"という、形而上ではなく"形而下"の因果関係を、さりげなく込めたかったのではないか・・・と愚考しました。


この部分の仰る意味は判りますが、ちと大仰な気もします。


これが「獄門島」であれば 大いに頷くところなんですけどね…^^;


例えば… なんですけど、私は 愛情とか感情とか「情」に絞って原作の物語を映画脚本に構成した様な気がしておりました。


変な言い方ですけど、佐武や佐智が 原作と殺される前後の描写が変わっていようと「情」を描く部分には変わりは無いんですよ 極論ですけどね。^^;


これが あくまでも「推理小説」に拘って考えると 実はトンでも無い話で、トリックやアリバイや 探偵が見破るキッカケ… その流れに「推理」の醍醐味があるわけですから


ところが、横溝は「探偵小説」を書いているわけで、しかも「トリック」の妙より、登場人物の「情」を描くのがすこぶる秀逸なんですね。


なので、以前 私は別記事で「横溝正史の書いた恋愛小説が読んでみたい」と述べた事があるのです。^^


だから、視野の狭い読者には トリック軽視がモノ足りず、それを積極的に解いてみせない探偵はヘボ…みたいな評価になるけど 実は 現在の推理小説の古典的トリックと言われているものの多くは 乱歩と横溝の二人で その殆どを描いており、トリック作家としての見識・実力ともに ずば抜けているんですけどね^^;


で、思うんですけど 市川版(前作、今作 双方含めて)が高く評価されるのは その”情”という部分の 市川流解釈が原作未読の観客だけでは無く、原作ファンをも納得させたからなんだと思うのです。


で、30年前に制作された市川版「犬神家の一族」の後、私の知る限り「古谷一行」「片岡鶴太郎」「中井貴一」「稲垣吾郎」が金田一耕助として「犬神家の一族」が全てTVドラマとして制作されましたが 「古谷版」も なかなか出が良かったけど、それでも市川版とは比肩せず、他の3作は… ま、置いておきます^^; (評価は私の個人感です^^;)


で、あまりしたくは無いのですが、市川版と古谷版を比較した場合に 何が違うか?と考える時、今回の めとろんさんや イエローストーンさんとの意見交換で私的には ハッキリ、考えが「犬神佐兵衛の思惑」という部分の描き方だったんだなぁ…と、まとめる事が出来ました。


そんな事を つらつら思うに、あぁ… また、横溝先生のおかげで 楽しい議論が出来たと とても楽しい今日この頃なんです。^^


こちらの記事もとても興味深く意見読ませていただきました。
お二方ともすごいです。
はずかしながら、私は今まで、この作品にそんなにも深い解釈をしたことがありませんでした。

あの遺言状についても、単純に、可愛がっている珠世さんが愛している人と何不自由なく結婚させてやりたい。という単純な翁の気持ちから出た遺言状だと思って読んでいたからです。
(ねたばれになってしまってすみません。)
映画音楽の愛のバラードの影響を受けすぎですね

私自身はこの小説を単純に戦争に引き裂かれた二人の恋愛物語を中心とした小説だと思って読んでいたので、そこまで深く背景を考えた事がありませんでした。
戦前・戦中・戦後を通して(今も残っている部分はありますが)結婚は本人だけの意思ではなかなかできない。
好きであっても家の格式や財産、周囲の状況によっては決して一緒になる事はできない。
だからこそ、1つの状況が変わってしまったことで、おこらなくてもよい惨劇が起こってしまったんだ、と思っていました。

ブタネコさんごめんなさい(^^;)
何度か読んだ犬神家の一族、ブタネコさん・めとろんさんの意見を思い出しながらもう一度読み直してみますね。

今日も面白い記事、読ませてくださってありがとうございます。

★ ちびた さん

横溝文学は 昭和の最高の文学だと私は思っています。^^


【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。