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2007年01月09日

● 石坂:金田一と市川版:横溝映画 考


「金田一です」という書を読み、リメイクされた「犬神家の一族」を観た感想を述べてみたい。




冒頭にてお断り申し上げますが、今回は「犬神家の一族」と「金田一です」という書の双方の内容に関してネタバレが含まれます。

私(ブタネコ)としては「犬神家の一族」の原作と「金田一です」を読まれた方のみ 以下を読み進めて下さり、まだ未読の方は 是非、そちらを読んでから 以下の文章を読み進めて下さる事を切望します。


さて、私の場合 大好きな作品だから、横溝正史が著した「犬神家の一族」は 初めて読んだ30数年前から今に至るまで 少なくても5回は原作を読み直した。


同様に映像も 30年前の「石坂:市川」版を始め 古谷一行をはじめとして、片岡鶴太郎、中井貴一、稲垣吾郎が金田一耕助を演じた それぞれの「犬神家の一族」も観たし、市川版に至っては 何度、見直したか判らないぐらいである。^^;


以前、30年前の「犬神家の一族」を語った時にも述べた事だが 市川・石坂版が出るまで 今では信じられない事だが 金田一耕助は洋装で


画像

「岡穣二」 『女王蜂(岡穣二版)』より


変装や拳銃の名人で、颯爽と 大きなビルに事務所を構え、部下を何人も使っちゃう様な姿が金田一耕助として映像化され続けてきたのだ。^^;


そんな弄くり回された金田一耕助を

市川崑と石坂浩二が 本来のあるべき姿に戻してくれたのだ。


厳密に言えば さすがの市川崑でも 原作そのままの物語を映像化したわけでは無い。


今まで いろんな記事で私は市川・石坂版:金田一の映画を絶賛してきた。


が、世の中には 私と違って「いや、古谷の方が」「いやいや、上川の方が」「鶴太郎の方が味があるぞ」等々 いろんな意見があるのも知っている。


いくら 私が「市川・石坂版:金田一の映画」を絶賛してるとはいえ 市川・石坂版が完璧なのでは無く、あくまでも原作ヲタ、横溝ヲタの視点に限って言えば 欠点というか問題視すべき点が多々あるとも思っている。


私は完璧主義者では無く、相対的に「良い」か「悪いか」の判断で「良し」と思い 「良し」の中でも及第点の「良し」より、絶賛すべき「良し」だと感じたから絶賛しているだけの事。^^


というわけで、今回は30年前に「市川・石坂版:金田一の映画」の初陣を飾った「犬神家の一族」について感じた疑問点・不満点を述べてみると…


「犬神家の一族」の原作を読み込むと 実は「市川・石坂版」における描写が原作と違う… そう感じる部分がいくつかあるが 例えば、


  ・佐智が殺され死体が発見されるまでの描写…


  ・青沼菊乃の描写…


等は ハッキリと目に付く大きな違う部分ではあるが これは尺の問題が大と やはり多くが納得もしている。


けどね、原作ヲタ視点で見ると 一般的には判り難いかもしれないが 冒頭において もっと大事なエッセンスが省かれている。


「犬神家の一族」の原作を最初から読み進めていくと まず、最初の事件は 若林毒殺では無く、「珠世のボートに穴を開けて 溺れさせようとしました」事件があり、もっと原作を読み込むと ボートよりも先に「蛇」の話もある。


つまり、金田一が那須に現れるよりも前に 珠世は数度、何者かに襲われているわけで、さらに読み進めると 冒頭、珠世が襲われたのは 珠世による自作自演だったのでは?と疑いが出る。


要するに、何を言いたいかと言うと 原作における珠世は少なくとも中盤過ぎまでは「重要参考人」であり、ともすれば終盤まで けっして「犯人では無い」と判断できる状況では無い。


つまり、「疑わしい女」状態だという事で それが更なる謎を呼んでいるのだが、「市川・石坂版」における描写では 珠世は幸薄げな儚い美女 プラス ちょいと健気な女…みたいな描写である。


これも尺の問題と考えれば判らないでも無いが、他のキャラクター達より はるかに原作のキャラクターとは変えられている事に気づくはず。


ゆえに、30年前の前作で珠世を演じた「島田陽子」は原作ヲタ達は認めたのだろうか? 否、である。^^


「なかなかいいセンとは思うけど なんか違うんだよなぁ…」


これは「島田陽子」が珠世像にハマっているか否かを考えて言ってるのでは無く、原作の珠世像と 前作映画で描かれた珠世のイメージの方に違和感を覚えるからそういう声になる。


映画だけを見る視点で言えば 私に言わせれば「島田陽子」で充分。


でも、原作の珠世を考えた視点であれば 全くミステリアスさが足りないのでダメ… というのが私の感想^^;


ここで混乱しやすいのは 「犬神家の一族」という作品を 初めて目にしたのは「原作」「映画」「TVドラマ」(先にも述べたが TVドラマの場合であれば 誰が金田一耕助を演じた作品なのか?によっても 個々に違う)のうちのどれからか?って部分で どうしても最初に目に触れた作品でのイメージが固定概念化しがちだという事に気付き、区別できるか否かがある。


よく、映像化された作品がヒットした時「原作派」「映画派」「テレビ派」というようなファンにも区分けが出来、論争が起きる事がしばしばある。


往々にして 原作派は「原作の素晴らしさ、面白さが活かし切れていない」と怒り、映画派やテレビ派は 作品の中身がどうこうというよりも主役を演じた役者のファンであるがゆえに原作がどうであろうとお構い無し…みたいな構図が根底にあったりする。^^;


これが、映画は映画、原作は原作と区別できて楽しめれば それぞれが楽しめるのであるが、残念ながら なかなかそうならないのは なんだかんだと綺麗事を並べても 映像の制作者達は 作品そのものを理解して映像化するのでは無く、原作がヒットした事におんぶだっこする様にぶら下がって「とりあえず、(興行収入が)損しなければ…」なんて打算だけで作ったとしか思えないモノが多すぎるからだ。^^;


他の記事で何度も述べた事ではあるが、「犬神家の一族」に限らず 横溝作品を映像化する事は とても容易とは思えない。


それは、横溝正史が それぞれの作品中で張り巡らした伏線の数、情の機微、時代背景、土地の因習、家独特の家風や血の系譜…


それらを たった2時間ちょっとの映画の尺に完全に納めるのは無理、数話に分けたTVドラマであれば まだ何とか…


そんな中で 私は市川・石坂版:金田一の映画を絶賛してきたのは これも何度も述べた事だが 市川・石坂 両氏が横溝作品を充分に読み込んで かつ、愛して描いたと思える部分が多々あるからだ。


言い換えれば、同じ横溝ヲタとして 不満な部分が少なからずあろうとも「仕方無いよな」と気持ちよく理解出来るから容認できた… とも言える。




さて、ちょっとネタバレ気味なのをお許し願って 申し上げてみたい。


正直な話をすれば… 「犬神家の一族」の物語の終盤


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金田一耕助が「あ、しまった!!」と叫んで駆け寄るシーンがある。

(上の画像は 前作より)


市川・石坂版「犬神家の一族」の前作映画における このシーンに 私は実は正直に言えば ちょっと違和感を覚えていた。


それは 金田一が犯人が自殺をするのを気づいていなかった…という演出の「あ、しまった!!」にしか受け取れなかったからだ。


私は それは違う 金田一は気づいていたけど、あえて気づかぬフリをしているのだ… そう思っていたから「あれ?」と 違和感を抱いたのだ。


で、今回のリメイク版を観たところ、ここが変わっている


金田一は あきらかに気づいている。


でも、それを止めようとせず、直後に


「あ、しまった!!」


と、ともすれば 白々しく(芝居がかった所作で)叫んでいる。


それを見て「あぁ、さすがにリメイクだけあって 直してきたんだなぁ…」そう思った。


この辺は 石坂浩二:著「金田一です」で 石坂は変更を率直に述べており、何故、どのように変更したかを細かく記している。


それを読んだ時 私は「あぁ、やっぱり 石坂も市川も 読み込んだ上で描いている」と確認出来、納得もした。


けどね、実は この部分、冷静に分析すると もっと深いのだ。^^


それは あらためて「犬神家の一族」の原作を読むと判る。


なぜならば「犬神家の一族」の原作の記述の表面だけを見れば



  もし、このとき金田一耕助が、もっとよく注意していたら…


  原作 文庫本p409より引用


という風に さも金田一耕助は「気づいていない」と記述している。


つまり、前作映画の描き方が正解…となる。


けどね、けっして言い訳をするつもりは無いが、では、何故 私は「気づいていたはず」だと思い込んでいたのか?


おそらく、金田一シリーズの原作を愛する方々なら少なからず御賛同を頂けると思うが…


「犬神家の一族」の原作だけを読んだのでは無く、一連の金田一シリーズを読み込んだ上で描いた金田一耕助のトータル・イメージから言えば 金田一耕助は この場合、「気づいていても気づかぬフリをする漢(おとこ)」なのである。


よく、最近のドラマでは犯人に対し


「自殺する事で罪を購えるなんてのは甘えだ、アナタ(犯人)は大人しく刑に服して反省をする事が重要なんだ」


みたいな台詞で 犯人が自殺しようとするのを諫めるシーンが多いけど 金田一シリーズにおける金田一耕助は 時に「知らない方が幸せ」と考えれば 事件の謎解きを半端に終わらせるし、警察に完全な真相を語らなかったりする男なのだ。


だから、これはブタネコ的勝手な決めつけで申し上げるけど…^^;


前作映画では「気づかなかった」と 原作通りに描いた市川・石坂だったけど、それを「気づいていた」にリメイクしたのは 充分にそれぞれが他の金田一作品も読み込んだ上での修正だった…と。


であるがゆえに、(それだけじゃないけど^^;)「市川・石坂版:金田一の映画」は クォリティが他作とは比較しようも無いのだと私は絶賛したいのだ。


でね… 今回、「金田一です」を読んで 私が唸らされたのは 石坂浩二、市川崑 双方とも実に良く金田一シリーズ全般を読み込んでいるなぁ…と確認出来た事。


中でも圧巻は 石坂浩二曰く、「金田一はかなり”いいところの出”」


「金田一です」の中で 石坂浩二は金田一耕助の人物像について 上の様な考察を述べている。


私としては その記述を大きく引用したいところだが、興味のある人は是非「金田一です」を買って読め…と申し上げたいので引用しない。^^;


しかし、この石坂浩二の考察を目にして ガツンと殴られた思いがしたのは事実。^^


どうでも良いと言ってしまえばそれまでなんだけどね^^;


この考察を読んでいて 石坂浩二はハッキリ「金田一です」の中で記述していないけど、記述するためにクリアしたであろうと判ったことが二つ。


一つは、


「金田一耕助は戦前にアメリカに渡り、麻薬常習者だった時期がある。」


金田一シリーズの原作群において この記述は「犬神家の一族」には無い。


細々と断片的に書かれた書はいくつかあるが 最も有名なのは「本陣殺人事件」である。


で、「あれ?」と気づくのは 石坂浩二は「本陣殺人事件」は演じていない。


つまり、個人的に好きで読んだのか 金田一耕助の役作りのために読んだのかは定かでは無いが、出演作では無い原作を ちゃんと読み込んでいる…という点。


二つめは


一流の役者の役作りとは こうしたものか…と石坂浩二に教えて貰った点。


私は 自分なりに横溝ヲタを自認し、いろんな妄想を描いたり、これまでに述べた推論も語ってきたけれど、「金田一はかなり”いいところの出”」とは考えた事も無かった、^^;


でも、そう言われてみれば「成る程なぁ…」と頷ける事が多い。


例えば、戦前に渡米するのは 普通の家の子弟には そうそう簡単な事では無い。


「悪魔が来たりて笛を吹く」では 元・貴族相手に物怖じせず、「獄門島」や「八つ墓村」や「本陣殺人事件」では 旧家の名家の家柄・習慣などを基礎知識として踏まえている点… そんなのを考えれば”いいところの出”と考えてれば 自然と身に付けている素養がたしかに窺える。


成る程なぁ… 役作りにおけるキャラを見極める視点とは こういうものなのか… それを痛切に感じた次第で さすが名優と呼ばれる由縁は こういうモノなんだな…と感心するばかり。


で、「リメイク」版を見終え、「金田一です」も読んだ今 つくづく思うのは 古谷一行のTVシリーズを筆頭に 他の役者達が金田一耕助を演じた作品にも なかなか良いモノはいくつかあった。


だけど、しつこいようだが 市川・石坂版:金田一の映画には遠く及ばない… そう感じる根源は 市川崑と石坂浩二の「深さ」なんだなぁ…と。


そう感じればこそ つい、最近の稲垣版「悪魔が来たりて笛を吹く」なんぞは 事件が起きるのを面白がってる金田一耕助…なんて姿を垣間見て


「スタッフ一同、滝に打たれて出直せ」


と、本当は怒るべきだったのかもしれないが…


泉下の横溝先生は かつて、徹子の部屋で「悪魔の手毬唄」の大ネタバレをしでかしたK・Kなる馬鹿女優を 氏のエッセィの中で苦笑いで済まされた故事がある。


ゆえに 横溝先生を敬愛する身として 優しく書いたつもりなのだが…


ま、私も まだまだだな… って事で。^^;




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コメント

祝!1000ポスト~

記事内容と無関係でごめんなさいm(_ _)m
おまけに記事数はとっくに1000超えてるし・・・・(この記事含め現在1,084)
でも、post_1000.html、を見ちゃったものですから^^;;

ブタネコさん、こんばんは。

記事、大変興味深く拝読いたしました。

「金田一です。」は私も読み終えて、感動と衝撃をうけました。
市川監督についてもですが、石坂浩二という役者についても。インテリであることはわかったましたが、あれほどまでに自分で深く考え、思い、演じていたとは。そしてそれも監督の希望の範囲(小さな抵抗はしたようですが、基本的に市川金田一を演じてますよね。映画ではこれが私は重要だと思います。つまり映画とは監督のものだからです。)の中で。これには驚きました。まさしく一流の役作りだと思います。
そしてその考察も。イイとこの出というのは私も考えもしませんでした。
でも頷けますよね。

あと、オリジナルの「しまった」は私も疑問に思ってました。そして記事にしました。
原作を読み込んでおらず、忘れている私に言う資格がないかもしれませんが、私はこの点に関しましては自分のブログに記事にしたように、この“場所では”との迷いが金田一にあったのではないかと思います。
原作に、

>もし、このとき金田一耕助が、もっとよく注意していたら…

とあるということですが(前後の流れが不明ですが)、それも彼の迷いが不注意をまねいたのではと思います。理由は以前、記事に記述した通りです。
でもたしかに今回、ほんとには驚いていないですよね、明らかに。やはりおっしゃる通り、故意に変えてますよね。やはり天使としてなんですかね。私は前のが好きなんですが、人間的な感じがして・・・。

その点はブタネコさんと意見が違うかもしれませんが、原作を読み込むほど、その独自のヒューニズムを感じるはずである旨の点は、まさしくおっしゃる通りだと思います。
ここが私が一番、金田一耕助という男に惹かれるところです。

それを“犯人をつかまえられないことで有名な探偵”や“なんでタバコに気がつかないんだろう”などの記述をみると・・・・・、あ~、耐えられません。


とにかく、おっしゃる通り、市川+石坂版は「深い」ですね。

★ nov さん

あけましておめでとうございます

今年も よろしく御願い申し上げます。^^

post_1000なんて 随分、渋いところに気づきましたね^^

管理人としては 結構、嬉しいコメントです ありがとうございました^^


★ イエローストーン さん


>基本的に市川金田一を演じてますよね。映画ではこれが私は重要だと思います。つまり映画とは監督のものだからです。


その通りですね^^

で、それが観客に受け入れられるか否かであり 私は絶賛したいと思ったわけです。


>あと、オリジナルの「しまった」は私も疑問に思ってました。そして記事にしました。

ええ、記事を拝読しました。^^

(というか、イエローストーンさんの記事は 全部、拝読しており…)

その時にコメントしようかどうしようか実は迷い、結果的に 今回の様に自分の記事の中で語るべきかなぁ…と判断して この記事に至ります。^^;

記事にも書いたんですけど オリジナルの「しまった」が 「犬神家の一族」に限って言えば 実は原作通りなんです。^^

だから、何と申し上げて良いか イエローストーンさんの記事を拝読した時に 私自身の考えがまとまらなくて…^^;

>もし、このとき金田一耕助が、もっとよく注意していたら…

原作を確認されると その前後の記述だけは もっとハッキリと「気づいていなかった」という事が判りますよ^^

でも、全体における金田一像や ラストの描写を考えると 読者は「気づいていた」とも考える 実に巧妙な横溝流の描写なんです。

で、他の金田一作品を読み重ねると「あ~ 金田一は気づいていたな」になる。

ところが、同じ「気づいていた」でも 読み重ねているかいないかで 微妙に「気づいていたのに何故?」って部分の考察が変わるんです。^^;

市川監督は「天使」というイメージを用いて石坂に金田一を表現してますが そこは 私は納得出来る部分と ちと違う様な気がする部分と 自分の中でも意見が分かれます。^^;

問題は 犯人が明るみになった後、どういう末路を辿るべきか… 合法・非合法は別にして 心情的な部分が大での黙認、その唯一の黙認できた人物が金田一であるが故に 神の代理人=天使 なんてイメージなのかな?と

だから、心情的な部分が大であるが故に「気づいていた」を 私は金田一耕助らしくて「是」と思いました。


>それを“犯人をつかまえられないことで有名な探偵”や“なんでタバコに気がつかないんだろう”などの記述をみると・・・・・、あ~、耐えられません。


「犯人を捕まえる」ってのは 警察の仕事で探偵の仕事とは違います。

探偵の仕事は あくまでも依頼人の欲する調査を行う事。

しかも、金田一によって暴かれる犯人には 倫理的に殺人は絶対に認められないけど、犯罪を犯す…という部分に 同情もしくは憐憫の情を抱く背景がある。

そんな犯人が 時には罪を自裁する事を認めるところに 金田一のヒューマニズムがあり、それが魅力なんだと私は思うわけで「捕まえられない~」と評すアホは モノの本質が判らない輩でしか無いと思います。

ブタネコさん、こんばんは。

まず、記事を全部よんでいただいてるとのこと、ありがとうございます。とても嬉しいです!

この、「しまった。」ですが、以前「手毬唄」のときも記述しましたが、やはり私はあくまで市川版での検証なんですね。原作をおぼえているのとは、また違う思いがすることと思います。
ただ、この場合、自分の好みというか、金田一はこうあってほしいとの思いこみの強さから原作を読んでも無理にではないにしろ、このようにとらえるかもしれません。いや、そうであってほしい、そう思い続けたい!
リメイクでは石坂氏は「暗黙の了解さえあった」ということを書いてますが、それでも違うんです、というかイヤなんですね。葛藤があってほしい。もはや感想ではないですね(笑)。
ただ、市川版では、私は正直に自分の記事のように思うんです。初めてみたときから、わざと逝かせたとおもいました。本気で驚いているという表情はあとで気がついたんです。あの松子婦人を一度みて、すぐに目線をはずして正面の下にやり、目を閉じる。あのシーンがどうしても・・・・。

>原作を確認されると その前後の記述だけは もっとハッキリと「気づいていなかった」という事が判りますよ

やはり原作を読んで・・・、おっと、まだ「手毬唄」も読み終えていないんだっけ、イヤー困った。
早くよまなくちゃ!

あと、
>市川監督は「天使」というイメージを用いて石坂に金田一を表現してますが そこは 私は納得出来る部分と ちと違う様な気がする部分と 自分の中でも意見が分かれます。

全く同感です。
“市川崑の金田一耕助”としては天使が正解なのでしょうが、私も全面的にはちょっと・・・。
違和感というか、抵抗があります。
私は、“金田一=風来坊”が一番強く感じるんですよね。
ですから、今回の「犬神」のコピー『金田一さん、事件ですよ』これに非常に違和感を感じました。そのう・・・、あってるんですよ、結局、依頼されるんですから、呼ばれていくんですけど、何ていったらいいのか・・、うまく説明できないのですが、『事件ですよ~』なんての問いかけに安易に答えて行く奴じゃない・・・。でも非常に好奇心旺盛なんですよね、それも分かっている、事件ときくとじっとしていられない、それも分かっているんですけど、私の中でどうしてあの問いかけはなんか違うという思いが・・・

これは自分でもうまく説明できないんですけど。風来坊のイメージからであることだけはハッキリいえるんですが・・・。

やはり何十回とみているうちに自分でつくりあげたイメージがあり、たとえ創作者が違うといってもなかなかもう変えられないのかもしれません。映画はやはり人、さまざまなことを感じますね。

でも、やはり様々な人の感想をきくことは楽しいですね。とくに思いこみの強い自分としては。中には先述のとおり、許せない意見もありますけど。

>~そんな犯人が 時には罪を自裁する事を認めるところに 金田一のヒューマニズムがあり、それが魅力なんだと私は思うわけで「捕まえられない~」と評すアホは モノの本質が判らない輩でしか無いと思います

これもまた全く同感です! 

ブタネコさん、たびたびすみません。
もうひとつ、申し上げたくて。

珠世についてです。原作ではそうでしったけ。完全にわすれていました。「手毬唄」の大空ゆかりの時と同じで。
この点を読ませていただき、以前自分で記事にした点(ブタネコさんにもコメントいただきました)が頭に浮かびました。あの時は、一応自分なりの考察でまとめましたが、この点については今でも疑問です。

全ての場合において、完全に一致はしないものの、その華であったり、毒であったりの部分がない、清純っぽい、素朴感のある女性にするんですかね。配役はきまっていてもキャラクターはかえられるはずなんですけど。

「犬神」においても、その全体をかんがえたんでしょうかね。

やはり、「犬神」も読み直さなくては!

こんばんは. 先日はごあいさつをいただき,ありがとうございました.
その直後サイトを拝見しましたら,稲垣さんの「~笛~」についての
記事を拝見しまして,そうかと久々に埃の下から引っ張りだし,今
10年ぶりくらいに読んでいます.

さて,たまたま本日も仕事あがりに寄らせていただいたら,大変興味
深い考察を目にし,熟読させていただきました. 実は以前から感じている
ことなのですが,タカの目でらしても,こと金田一のお話に関しては
言葉に丸みを帯びてらっしゃいますね…ちょうど孫を見る祖父のような
目で書いてらっしゃるのでは.(笑)

大学2年の時に,探偵小説に関する論文を書きました.
内容は,今となっては披露するに耐えないので割愛しますが(汗),
その中で横溝先生の金田一作品は探偵小説であることを放棄した,
そこに美意識を感じると書いた覚えがあります.
「蝶々殺人事件」を読めば,横溝先生が技術的にも高度な探偵小説を
普通に書ける人だとわかりますものね.先生は「このミス」ファンを捨てた.(笑)
乱歩の明智やドイルのホームズのように,事件を未然に防ぐことの無い
金田一の話を何のために書くのか.
おそらく市川監督や石坂さんは,そこを解釈されたのだと思います.

以前,15夜で小林秀雄さんのことを引き合いに出したことがありますが,
言葉の不確実性を承知で,小生が原作を読んで感じる金田一幸助の
解釈を言葉にすると「水」です.
行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず…の水です.
市川監督が「天使」と言ったのも,今日聞いたら違うことを言うかもしれない.(笑)

海外の生活経験もあり,お金に執着のない金田一.
いつも市川作品を見ていて,だから石坂さんの金田一が一番しっくりくると
思える場面があります. それは「あの時僕がもっと早く気づいていれば…」
というシーンです. ここでこの言葉にも金田一は執着を持っていないと
小生は思っています. だから,こんな稼業をできるのではないでしょうか.
でなければ辛すぎますものね. 決して後悔してないわけではないんだけど,
それはそれ,これはこれという都会的な雰囲気が,石坂さんの金田一には
実に感じます.おそらく素の部分で持ってらっしゃるのでしょうね.
だから,他の方の演じる金田一がこの言葉を発した時に眉間にしわを寄せて
いるのを見るとどうしても違和感を覚えます. その解釈は違うと….
極端に言うと,「ご臨終です」と言った後にも「次の方どうぞ」と言える,
しかしそれは決して冷たいわけではない…そんな人物だと
小生は解釈しています.

高峰よきアタックのある「犬神~」の「しまった」のシーンですが,
確かあの時,煙草に手を伸ばした松子に目配せする金田一のカットが
インサートされていたと記憶しています. あれを気づいていたのだと
解釈するか否かを議論した時点で,気持ちよく市川演出の術中に
ハマッタ証拠です…小生もそのひとり.(笑)
どちらともとれる中途半端な芝居を中途半端な尺でつないでますから,
当然ハッキリしない中途半端なシーンに.(笑)
それが意識的だったかは今となっては何を言っても後付けですし,
いずれにせよ,あの一連の市川作品には映画の神様がいろんな風を
送ってますから,「作品が全て」の映画監督はやはり作品を見て感じて
もらうしかありませんね. 原作を膨らませて,金田一の人物解釈に
使ったということに結果的になるでしょう.

「金田一です。」読んでしまいました…誘惑に勝てなかった.(笑)
映画に携わる当事者が言葉で説明してしまうのを,小生夫婦は
「 ひよった 」 とあまり重きを置かないようにしておりますが,
生まれた時の干支が2度回った方々に関しては許そうと思います.(笑)

得手不得手という面で,活字の領域と活動写真の領域は明らかに違う
わけですが,こと横溝作品に関してその両方を愛してしまったブタネコさん
の心の葛藤を拝見し,
「ブタネコさん,あなた両方の金田一を愛してらっしゃったんですね…」
と問えば,おそらく
「そうじゃったかな…」 と山岡久乃さんばりに惚けることを予想しつつ.

> 「スタッフ一同、滝に打たれて出直せ」
の言葉を胸に,今日もこれから寝る前に「~笛~」を読もうと思います.

★ イエローストーン さん


>ただ、この場合、自分の好みというか、金田一はこうあってほしいとの思いこみの強さから原作を読んでも無理にではないにしろ、このようにとらえるかもしれません。いや、そうであってほしい、そう思い続けたい!


それで宜しいのではないでしょうか?^^

だって、私も「そうであるはず」と思ってますもん


>「暗黙の了解さえあった」


「了解」というのは違うと思うけど、それは表現の問題ですね^^;

「黙認」と 私は解釈してます。


>葛藤があってほしい。


私は 葛藤しないと思いますよ^^


>“金田一=風来坊”


シリーズ初期の作品だけを考えれば「風来坊」だと思います。

でも、中期以降、特に短編では ちょっと違うと思います。

風間俊六の妾宅に居候を決め込んでる場合が多いですから。^^


>『金田一さん、事件ですよ』


このコピーは 記憶に間違いが無ければ、「犬神家の一族」では無く、「悪魔の手毬唄」か「獄門島」の時に つけたコピーで それをまた使っただけの話じゃないかと。^^;


>やはり何十回とみているうちに自分でつくりあげたイメージがあり、たとえ創作者が違うといってもなかなかもう変えられないのかもしれません。映画はやはり人、さまざまなことを感じますね。


コメントを拝読しておりますと たしかにそう感じます。^^

でも、それは仕方無い、というか 当たり前なんじゃないでしょうか?

私も そうですもん。^^


>全ての場合において、完全に一致はしないものの、その華であったり、毒であったりの部分がない、清純っぽい、素朴感のある女性にするんですかね。配役はきまっていてもキャラクターはかえられるはずなんですけど。


おそらく、珠世の細々を映像化していたら時間が足りないんでしょうね^^;


★ ゴーシュ さん


御丁寧にお気遣いありがとうございます^^


>ちょうど孫を見る祖父のような目で書いてらっしゃるのでは.(笑)


え? そうですか? いつも慈愛の目で… (嘘です(ToT))


>その中で横溝先生の金田一作品は探偵小説であることを放棄した,
>そこに美意識を感じると書いた覚えがあります.


へぇ… 興味を惹かれる論文ですね^^


>「蝶々殺人事件」を読めば,横溝先生が技術的にも高度な探偵小説を
>普通に書ける人だとわかりますものね.先生は「このミス」ファンを捨てた.(笑)


う~ん どうなんでしょう^^;

私は 探偵小説の王道をいかれた様に思えるんですが…^^


>乱歩の明智やドイルのホームズのように,事件を未然に防ぐことの無い
>金田一の話を何のために書くのか.
>おそらく市川監督や石坂さんは,そこを解釈されたのだと思います.


私は 一番、人間臭い金田一耕助が好きです。^^


>水


面白いなぁ… 言い得て妙かもしれません^^


>「あの時僕がもっと早く気づいていれば…」


たしかに…

この台詞を眉間に皺をで言われるのは違いますね 同感です。^^


>確かあの時,煙草に手を伸ばした松子に目配せする金田一のカットが
>インサートされていたと記憶しています. あれを気づいていたのだと
>解釈するか否かを議論した時点で,気持ちよく市川演出の術中に
>ハマッタ証拠です…小生もそのひとり.(笑)


私もです^^


>それが意識的だったかは今となっては何を言っても後付けですし,


リメイク版を見て 監督自身もそこの描き方に問題があったんだな…と 私は感じ、だから 今回の変更なんだろう…とも思いました。^^ たしかに^^;


>「金田一です。」読んでしまいました…誘惑に勝てなかった.(笑)
>映画に携わる当事者が言葉で説明してしまうのを,小生夫婦は
>「 ひよった 」 とあまり重きを置かないようにしておりますが,
>生まれた時の干支が2度回った方々に関しては許そうと思います.(笑)


この記述を拝読し、つい笑ってしまいました。^^

「金田一です」は 役者や演出家にタネ明かしであると同時に 若手俳優の参考書という趣なんですよね^^


>「ブタネコさん,あなた両方の金田一を愛してらっしゃったんですね…」


そうです^^

でも、それ以上に 横溝正史が大好きなんです。^^

ブタネコさん、こんにちは。
この間からしつこく、すみません。

あと2点ほど。私が文章がヘタなもんですから(本をよまないからですね!)、その気持ちがちゃんと伝わっていないんじゃないかと心配で・・・。

ひとつ、先のコメントで「しまった」の場面で、私が葛藤があってほしいと書いたのは、言葉を間違えました。松子婦人を逝かせることへのものではなく、それに対しては金田一は当然、逝かせてやったでしょう。つまり、この場ではやならいのではないか、との思いの中での迷いという意味です。金田一はけっして止めることはしないと思います。ただ、当然気持ちよくというわけではなく、心になんていうんでしょう、彼なりの苦悩がそこにはあって、その上で決断し、逝かせてやると思うんです。

また、風来坊についてですが、私も何度もこのブログで東京で事務所を開いているときの中短編がすきだと記述しています。
それでも長続きしませんよね。その探偵事務所、そしてどかへ間借りするなど居候している。そして経済的にも無頓着な部分がある。さらにはきちんと所帯ももたない。その辺りを含めて、“風来坊”だと思っているんです。

今回はなんか、しつこくてすみません。あの決して意見をおしつけようとしているのではなく、そこだけ誤解しないで下さい。先の通り、うまくつたわっていないんじゃないかとの思いからです。

では、また。

★ イエローストーン さん

大丈夫ですよ、仰りたい事は 当初から 私なりに理解しているつもりです。^^

ただ、「しまった」について、そして「風来坊」についても イエローストーンさんが最初に仰った意味と コメントが重なるにつれて なんとなく、少しづつズレてきている様に思えてなりません。^^

私は 最初にイエローストーンさんが記事で述べられた考察に 不満も不快もありませんから、どうか御安心を…

ブタネコさん、こんにちは。

>大丈夫ですよ、仰りたい事は 当初から 私なりに理解しているつもりです。^^

ありがとうございます。

あと意味のズレ、私はけっこうガンコなので人にいわれてもその思いをなかなかかえたりはしないのですが、つまり、コメントも私の中ではズレているつもりはないんですけど・・・。
ただ、当然、以前の記事からさらに映像をみたり、や新しい書籍などを目にして、または他の方のコメントで、自分の中での新しい出会いなどにより思いがわっている場合はあると思います。

あと基本的には文章表現力がないので、その伝えたいことを全て記述できていない、つまり言葉たらずの部分があるかもしれません。それが最初と後での違いになっているのではないかと。
えっ、けっこう自分の中でかわってるのかな・・・?

自分で確認の意味でも記事をさらに書いてみました。そしてすこし追記もくわえました。よろしかったらお読みいただければ幸いです。結局、前と同じ感想なんですけど。(笑)

http://toridestory.at.webry.info/200701/article_9.html
http://toridestory.at.webry.info/200701/article_10.html

★ イエローストーン さん

>意味のズレ

言葉が足りなかったかもしれませんね^^;

でも、言葉が多すぎれば 本来、言いたい事とは違う部分に話がズレてしまう…

まさに、そういう意味です。 どうか、お気になさらず。^^;

記事は 後ほど 拝読させて頂きます。^^

新春のお慶びを申し上げます。
そして2周年、おめでとうございます(^^)

奥深い意見交換がされていてたじろぎました。

ラストの、金田一が気づいていたかどうかという点についてのブタネコさんのご考察、大変興味深かったです。

私も金田一は気づいていた、と思います。
ただ、横溝は、犯人への思いやりから、金田一がもっと注意していたら、という書き方をしたのだと私は解釈しています。
つまり、金田一が不注意だったおかげで犯人を死なせることができたのです。

今回の映画の石坂 金田一は気づいていましたね。私の目にも、「あ、しまった!」は白々しく映りました。
早く『金田一です』を読みたいなあと思いました。

(拙ブログに映画の感想をアップしましたので、おひまなときにでも読み流していただければ幸いです)

★ HAZUKI さん

こちらこそ 今年もよろしく御願い申し上げます。^^

>金田一が不注意だったおかげで犯人を死なせることができたのです。

成る程、言い得て妙ですね^^

早速、記事を拝読させて頂きました。

で、せかす気はありませんが HAZUKIさんの「金田一です」評を楽しみにしております。^^

【※注意!!】

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