● 石坂:金田一と市川版:横溝映画 考
「金田一です」という書を読み、リメイクされた「犬神家の一族」を観た感想を述べてみたい。
冒頭にてお断り申し上げますが、今回は「犬神家の一族」と「金田一です」という書の双方の内容に関してネタバレが含まれます。
私(ブタネコ)としては「犬神家の一族」の原作と「金田一です」を読まれた方のみ 以下を読み進めて下さり、まだ未読の方は 是非、そちらを読んでから 以下の文章を読み進めて下さる事を切望します。
さて、私の場合 大好きな作品だから、横溝正史が著した「犬神家の一族」は 初めて読んだ30数年前から今に至るまで 少なくても5回は原作を読み直した。
同様に映像も 30年前の「石坂:市川」版を始め 古谷一行をはじめとして、片岡鶴太郎、中井貴一、稲垣吾郎が金田一耕助を演じた それぞれの「犬神家の一族」も観たし、市川版に至っては 何度、見直したか判らないぐらいである。^^;
以前、30年前の「犬神家の一族」を語った時にも述べた事だが 市川・石坂版が出るまで 今では信じられない事だが 金田一耕助は洋装で
「岡穣二」 『女王蜂(岡穣二版)』より
変装や拳銃の名人で、颯爽と 大きなビルに事務所を構え、部下を何人も使っちゃう様な姿が金田一耕助として映像化され続けてきたのだ。^^;
そんな弄くり回された金田一耕助を

市川崑と石坂浩二が 本来のあるべき姿に戻してくれたのだ。
厳密に言えば さすがの市川崑でも 原作そのままの物語を映像化したわけでは無い。
今まで いろんな記事で私は市川・石坂版:金田一の映画を絶賛してきた。
が、世の中には 私と違って「いや、古谷の方が」「いやいや、上川の方が」「鶴太郎の方が味があるぞ」等々 いろんな意見があるのも知っている。
いくら 私が「市川・石坂版:金田一の映画」を絶賛してるとはいえ 市川・石坂版が完璧なのでは無く、あくまでも原作ヲタ、横溝ヲタの視点に限って言えば 欠点というか問題視すべき点が多々あるとも思っている。
私は完璧主義者では無く、相対的に「良い」か「悪いか」の判断で「良し」と思い 「良し」の中でも及第点の「良し」より、絶賛すべき「良し」だと感じたから絶賛しているだけの事。^^
というわけで、今回は30年前に「市川・石坂版:金田一の映画」の初陣を飾った「犬神家の一族」について感じた疑問点・不満点を述べてみると…
「犬神家の一族」の原作を読み込むと 実は「市川・石坂版」における描写が原作と違う… そう感じる部分がいくつかあるが 例えば、
・佐智が殺され死体が発見されるまでの描写…
・青沼菊乃の描写…
等は ハッキリと目に付く大きな違う部分ではあるが これは尺の問題が大と やはり多くが納得もしている。
けどね、原作ヲタ視点で見ると 一般的には判り難いかもしれないが 冒頭において もっと大事なエッセンスが省かれている。
「犬神家の一族」の原作を最初から読み進めていくと まず、最初の事件は 若林毒殺では無く、「珠世のボートに穴を開けて 溺れさせようとしました」事件があり、もっと原作を読み込むと ボートよりも先に「蛇」の話もある。
つまり、金田一が那須に現れるよりも前に 珠世は数度、何者かに襲われているわけで、さらに読み進めると 冒頭、珠世が襲われたのは 珠世による自作自演だったのでは?と疑いが出る。
要するに、何を言いたいかと言うと 原作における珠世は少なくとも中盤過ぎまでは「重要参考人」であり、ともすれば終盤まで けっして「犯人では無い」と判断できる状況では無い。
つまり、「疑わしい女」状態だという事で それが更なる謎を呼んでいるのだが、「市川・石坂版」における描写では 珠世は幸薄げな儚い美女 プラス ちょいと健気な女…みたいな描写である。
これも尺の問題と考えれば判らないでも無いが、他のキャラクター達より はるかに原作のキャラクターとは変えられている事に気づくはず。
ゆえに、30年前の前作で珠世を演じた「島田陽子」は原作ヲタ達は認めたのだろうか? 否、である。^^
「なかなかいいセンとは思うけど なんか違うんだよなぁ…」
これは「島田陽子」が珠世像にハマっているか否かを考えて言ってるのでは無く、原作の珠世像と 前作映画で描かれた珠世のイメージの方に違和感を覚えるからそういう声になる。
映画だけを見る視点で言えば 私に言わせれば「島田陽子」で充分。
でも、原作の珠世を考えた視点であれば 全くミステリアスさが足りないのでダメ… というのが私の感想^^;
ここで混乱しやすいのは 「犬神家の一族」という作品を 初めて目にしたのは「原作」「映画」「TVドラマ」(先にも述べたが TVドラマの場合であれば 誰が金田一耕助を演じた作品なのか?によっても 個々に違う)のうちのどれからか?って部分で どうしても最初に目に触れた作品でのイメージが固定概念化しがちだという事に気付き、区別できるか否かがある。
よく、映像化された作品がヒットした時「原作派」「映画派」「テレビ派」というようなファンにも区分けが出来、論争が起きる事がしばしばある。
往々にして 原作派は「原作の素晴らしさ、面白さが活かし切れていない」と怒り、映画派やテレビ派は 作品の中身がどうこうというよりも主役を演じた役者のファンであるがゆえに原作がどうであろうとお構い無し…みたいな構図が根底にあったりする。^^;
これが、映画は映画、原作は原作と区別できて楽しめれば それぞれが楽しめるのであるが、残念ながら なかなかそうならないのは なんだかんだと綺麗事を並べても 映像の制作者達は 作品そのものを理解して映像化するのでは無く、原作がヒットした事におんぶだっこする様にぶら下がって「とりあえず、(興行収入が)損しなければ…」なんて打算だけで作ったとしか思えないモノが多すぎるからだ。^^;
他の記事で何度も述べた事ではあるが、「犬神家の一族」に限らず 横溝作品を映像化する事は とても容易とは思えない。
それは、横溝正史が それぞれの作品中で張り巡らした伏線の数、情の機微、時代背景、土地の因習、家独特の家風や血の系譜…
それらを たった2時間ちょっとの映画の尺に完全に納めるのは無理、数話に分けたTVドラマであれば まだ何とか…
そんな中で 私は市川・石坂版:金田一の映画を絶賛してきたのは これも何度も述べた事だが 市川・石坂 両氏が横溝作品を充分に読み込んで かつ、愛して描いたと思える部分が多々あるからだ。
言い換えれば、同じ横溝ヲタとして 不満な部分が少なからずあろうとも「仕方無いよな」と気持ちよく理解出来るから容認できた… とも言える。
さて、ちょっとネタバレ気味なのをお許し願って 申し上げてみたい。
正直な話をすれば… 「犬神家の一族」の物語の終盤
金田一耕助が「あ、しまった!!」と叫んで駆け寄るシーンがある。
(上の画像は 前作より)
市川・石坂版「犬神家の一族」の前作映画における このシーンに 私は実は正直に言えば ちょっと違和感を覚えていた。
それは 金田一が犯人が自殺をするのを気づいていなかった…という演出の「あ、しまった!!」にしか受け取れなかったからだ。
私は それは違う 金田一は気づいていたけど、あえて気づかぬフリをしているのだ… そう思っていたから「あれ?」と 違和感を抱いたのだ。
で、今回のリメイク版を観たところ、ここが変わっている
金田一は あきらかに気づいている。
でも、それを止めようとせず、直後に
「あ、しまった!!」
と、ともすれば 白々しく(芝居がかった所作で)叫んでいる。
それを見て「あぁ、さすがにリメイクだけあって 直してきたんだなぁ…」そう思った。
この辺は 石坂浩二:著「金田一です」で 石坂は変更を率直に述べており、何故、どのように変更したかを細かく記している。
それを読んだ時 私は「あぁ、やっぱり 石坂も市川も 読み込んだ上で描いている」と確認出来、納得もした。
けどね、実は この部分、冷静に分析すると もっと深いのだ。^^
それは あらためて「犬神家の一族」の原作を読むと判る。
なぜならば「犬神家の一族」の原作の記述の表面だけを見れば
もし、このとき金田一耕助が、もっとよく注意していたら…
原作 文庫本p409より引用
という風に さも金田一耕助は「気づいていない」と記述している。
つまり、前作映画の描き方が正解…となる。
けどね、けっして言い訳をするつもりは無いが、では、何故 私は「気づいていたはず」だと思い込んでいたのか?
おそらく、金田一シリーズの原作を愛する方々なら少なからず御賛同を頂けると思うが…
「犬神家の一族」の原作だけを読んだのでは無く、一連の金田一シリーズを読み込んだ上で描いた金田一耕助のトータル・イメージから言えば 金田一耕助は この場合、「気づいていても気づかぬフリをする漢(おとこ)」なのである。
よく、最近のドラマでは犯人に対し
「自殺する事で罪を購えるなんてのは甘えだ、アナタ(犯人)は大人しく刑に服して反省をする事が重要なんだ」
みたいな台詞で 犯人が自殺しようとするのを諫めるシーンが多いけど 金田一シリーズにおける金田一耕助は 時に「知らない方が幸せ」と考えれば 事件の謎解きを半端に終わらせるし、警察に完全な真相を語らなかったりする男なのだ。
だから、これはブタネコ的勝手な決めつけで申し上げるけど…^^;
前作映画では「気づかなかった」と 原作通りに描いた市川・石坂だったけど、それを「気づいていた」にリメイクしたのは 充分にそれぞれが他の金田一作品も読み込んだ上での修正だった…と。
であるがゆえに、(それだけじゃないけど^^;)「市川・石坂版:金田一の映画」は クォリティが他作とは比較しようも無いのだと私は絶賛したいのだ。
でね… 今回、「金田一です」を読んで 私が唸らされたのは 石坂浩二、市川崑 双方とも実に良く金田一シリーズ全般を読み込んでいるなぁ…と確認出来た事。
中でも圧巻は 石坂浩二曰く、「金田一はかなり”いいところの出”」
「金田一です」の中で 石坂浩二は金田一耕助の人物像について 上の様な考察を述べている。
私としては その記述を大きく引用したいところだが、興味のある人は是非「金田一です」を買って読め…と申し上げたいので引用しない。^^;
しかし、この石坂浩二の考察を目にして ガツンと殴られた思いがしたのは事実。^^
どうでも良いと言ってしまえばそれまでなんだけどね^^;
この考察を読んでいて 石坂浩二はハッキリ「金田一です」の中で記述していないけど、記述するためにクリアしたであろうと判ったことが二つ。
一つは、
「金田一耕助は戦前にアメリカに渡り、麻薬常習者だった時期がある。」
金田一シリーズの原作群において この記述は「犬神家の一族」には無い。
細々と断片的に書かれた書はいくつかあるが 最も有名なのは「本陣殺人事件」である。
で、「あれ?」と気づくのは 石坂浩二は「本陣殺人事件」は演じていない。
つまり、個人的に好きで読んだのか 金田一耕助の役作りのために読んだのかは定かでは無いが、出演作では無い原作を ちゃんと読み込んでいる…という点。
二つめは
一流の役者の役作りとは こうしたものか…と石坂浩二に教えて貰った点。
私は 自分なりに横溝ヲタを自認し、いろんな妄想を描いたり、これまでに述べた推論も語ってきたけれど、「金田一はかなり”いいところの出”」とは考えた事も無かった、^^;
でも、そう言われてみれば「成る程なぁ…」と頷ける事が多い。
例えば、戦前に渡米するのは 普通の家の子弟には そうそう簡単な事では無い。
「悪魔が来たりて笛を吹く」では 元・貴族相手に物怖じせず、「獄門島」や「八つ墓村」や「本陣殺人事件」では 旧家の名家の家柄・習慣などを基礎知識として踏まえている点… そんなのを考えれば”いいところの出”と考えてれば 自然と身に付けている素養がたしかに窺える。
成る程なぁ… 役作りにおけるキャラを見極める視点とは こういうものなのか… それを痛切に感じた次第で さすが名優と呼ばれる由縁は こういうモノなんだな…と感心するばかり。
で、「リメイク」版を見終え、「金田一です」も読んだ今 つくづく思うのは 古谷一行のTVシリーズを筆頭に 他の役者達が金田一耕助を演じた作品にも なかなか良いモノはいくつかあった。
だけど、しつこいようだが 市川・石坂版:金田一の映画には遠く及ばない… そう感じる根源は 市川崑と石坂浩二の「深さ」なんだなぁ…と。
そう感じればこそ つい、最近の稲垣版「悪魔が来たりて笛を吹く」なんぞは 事件が起きるのを面白がってる金田一耕助…なんて姿を垣間見て
「スタッフ一同、滝に打たれて出直せ」
と、本当は怒るべきだったのかもしれないが…
泉下の横溝先生は かつて、徹子の部屋で「悪魔の手毬唄」の大ネタバレをしでかしたK・Kなる馬鹿女優を 氏のエッセィの中で苦笑いで済まされた故事がある。
ゆえに 横溝先生を敬愛する身として 優しく書いたつもりなのだが…
ま、私も まだまだだな… って事で。^^;
