● 壬生義士伝
ちょいと趣向があり、今回は まず「壬生義士伝」を語ってみようと思う。
2002年公開の映画で 原作は「浅田次郎」
主役は
新選組隊士 吉村貫一郎(中井貴一)
と、対照的な存在として
斉藤一(佐藤浩市)
さて、「新選組」という存在は その名は多くの日本人に知られてはいるけれど、どういうメンバーで どういう行動をした集団なのか?については あまり知られてなく、「正義」の集団という見方と、「公儀の名の下に 勝手な行動を行った暗殺集団」という見方など 解釈も大きく分かれている。
徳川幕府が崩壊し、明治維新の中で 新政府へと体制が変わる中、様々な人物や集団が行動を起こしたわけだが、その中で 新選組の存在や関わったとされる事柄は 江戸から明治への時代の変遷を語る上で欠かす事は出来ないのに なんで、新選組がどういう存在だったのか 多くの日本人は知らないのだろうね?
私は こういう部分に 物凄く疑問を抱く。
比較するつもりは無いけれど、例えば「日本史」と並んで「世界史」という科目があるが…
「ゲルマン民族の大移動は いつ、どういう理由で起きたか?」
「100年戦争について簡単に述べよ」
「インカ帝国は…」
まぁ、一部の方々から非難を浴びるのを覚悟で言えば そんなの日本人が知ってなくたって良いのだ。
その代わり、「坂本竜馬が…」とか「新選組は…」とか「西郷隆盛は…」って辺りをもう少し知ってるべきなんじゃないの?… と、思うわけだけど、これが 日本人らしい いい加減さで ほんの約150年前の事なのに「謎」とされた事が多すぎるから、どこまでが正確な事実かを決められず、うやむやなまま放置されている^^;
だから、歴史作家なる人々が 勝手に脚色してキャラクターを創り上げ「近藤勇って こうだったらしいよ」と描いた物が ヒットすると いつのまにか「近藤勇みは こうだった」と歴史上の事実と化したかのごとく語り継がれていたりする。
私が 司馬遼太郎の著作を「面白い」と評しながらも「司馬遼太郎」自身を大嫌いなのは 明治維新時であれば「竜馬がいく」 日清日露の頃なら「坂の上の雲」という著作で 司馬流の解釈を あたかも事実の如く誤認させた事にある。
まぁ、そんな司馬論はおいといて…
新選組と聞くと 「近藤勇」「土方歳三」「沖田総司」という名前は多くの人ならスッと出る。
もうちょっと、マニアなら「永倉新八」「斎藤一」「芹沢鴨」あたりの名前が出てくる。
で、新選組に関する本を何冊か読んだ人じゃないと「新見錦」「山南敬助」の名前はなかなか出てこない。
ゆえに、浅田次郎が吉村貫一郎というマイナーな隊士を主人公に描いた「壬生義士伝」は かつて「司馬遼太郎」や「子母澤寛」が創り上げた虚像に対して 実にユニークなものと私には映ったものだった。
で、映画について触れると…
新選組の隊士の中で異色な人物だったとされる「吉村貫一郎」と その幼馴染みであり、南部藩の家老「大野次郎右衛門」(三宅裕二)をメインに 吉村の生涯を描きつつ、新選組の推移をも描く構成は とかく、近藤勇や沖田総司にばかり目が向きがちな中にあって とても新鮮かつ斬新だと思う。
また、吉村と対極的な人物として
「佐藤浩市」が「斉藤一」を演じているが、この「壬生義士伝」という映画の中だけで見るなら「斉藤一」を「佐藤浩市」が演じるのも我慢が出来るが、この「斉藤一」という人物が 実際には明治維新の後も生き続け、いろんな職(特に 今で言う”警察官”)に就く事を考えれば キャスティング的な部分や、この映画の中での「斉藤一」像には何かが違う感が強い。^^;
「沖田総司」については よく純朴な美青年…という姿で描かれる事が多いけど、実際は違う…という異論も多く この「壬生義士伝」では
「堺雅人」が 茶目っ気と意地悪さをミックスした 一風変わった「沖田総司」を見事に描いていると感じた。
この「斉藤一」と「沖田総司」 原作で浅田が描いた浅田流の解釈が「沖田」には活きているのに「斉藤」には活かしきれていない… その点を浅田ファンの1人として不満に思うのだが… 別な意味でキャスティング的に 実に秀逸だと感じたのは…
大野次郎右衛門の家人「山田辰夫」の存在
多くの人は 上の握り飯のシーンでの印象が強いのかもしれないけど…
吉村の遺品を家族に届ける このシーンも印象深いけど…
この 大野千秋が引っ越す時に「お守り」を届ける このシーンこそ、山田辰夫の真骨頂なんだな(ToT)
で、ひとつだけ個人的視点から述べておきたいのは
ちょっと軽めの「大久保利通」を「津田寛治」が巧く演じていた事。
