● 硫黄島からの手紙
ホントは「犬神家の一族」とハシゴで観てこようと思っていた。
けど、いろんな方々から「良い映画だよ」と噂が流れてきてウズウズしていたところに 私の主治医である「二代目開業医」から
「おい、暇なら映画にでも行かないか?」
と、電話が来て
「行く、行く行く…」
と、なった次第。
で、念願の「硫黄島からの手紙」を観た。
さて、何から言おうかなぁ…
実は、私は この映画を見てから 腹が立って仕方が無いのだ。
映画がクソ映画だった…と 腹を立てているのでは無い。
むしろ、映画は素晴らしい出来で、一度見た後の 次の上映も「全席入れ替え制」だったから お金を払って もう一度見たぐらい良かった。
(「犬神家の一族」とハシゴにしなくて良かったよ^^;)
で、二回目を見終えて 二代目に車で送って貰って帰宅したわけだが 映画のパンフレットを見ながら この記事を書くために余韻に浸っていたら ますます腹が立ってきた。^^;
批判的な視点で この作品の最初から最後までを眺めた場合、ツッコミたくなる部分は いくつもある。
しかし、それを補って余りがありすぎるほど 良い部分が多すぎる。
ある友人に言わせると この作品は素晴らしい反戦映画だと言う。
けど、私は その「反戦映画」という安易な括り方には納得がいかない。
と言うのは これまで「反戦映画」と評された多くの作品は「戦争はダメだ」「戦争は悲惨だ」「戦争のおかげで こんな無惨な…」って事を前面に押し出し、ともすればヒステリックに「ダメ・ダメ・ダメ…」と連呼する様な物が多かった。
つまり、理論的ではなく 単なる感情的にうったえる物が多かったのだ。
冷静な気持ちで この「硫黄島からの手紙」は 単に言葉で括るだけなら「反戦映画」だとは私も思うけど、画面から伝わってくるのはヒステリックな叫びでは無い。
「戦争ってのは こういう事を覚悟の上で始めなきゃダメだよ
戦争をするって事は こういう状況が起き得るんだよ…」
とでも言う様な 耳にキンキン伝わるのではなく、心にズシンと突き刺さるメッセージがある。
だから、もし この映画を評して「素晴らしい反戦映画」とだけ薄っぺらに語るアホが現れたならば 私はきっと鼻で笑う事だろう。
現在 劇場公開中なので あえて内容のネタバレは避けたいと思うのだが、ひとつだけ軽くお許しを乞い批判を先に先に申し上げておきたい。
それは…
準主役の元パン屋は けっして悪くは無かったが、もっとポテンシャルの高い役者を使って欲しかった…という事。
外人プロデューサーからすれば 日本人の若手は どれも似たりよったりに見えるのかもしれないけど 今回起用された元パン屋では年齢的に若すぎる感、というか幼い感じがして台詞や雰囲気にズレを感じたのだ。
私としては「安藤政信」あたりでキャスティングされていれば もっと、シックリいったと思った…と 正直に申し上げたい。
まぁ、そんな個人感はともかく、一般的に批判されそうな点を言うと…
栗林中将の自決シーンに違和感がある…という意見が少なく無いと思う。
史実における私の認識では 栗林中将が どのタイミングでどういう没し方をしたのか その正確なところは判っていない。
だから、その部分には創作的な描写が盛り込まれるのは理解出来るので この作品の描写が正しいか否か?で 違和感云々という異議は あまり説得力を感じなかった。
で、想像を語れば 欧米人あたりには 多分、日本兵=サムライというイメージが強いのだろうから この作品の様な自決シーンが 作品の評価を上げる大きな要素になるんじゃないか?とさえ勘繰る。
でもね、それならそれで良いじゃないか…と、私は思っている。(その理由は後述する)
「硫黄島からの手紙」は戦争映画ではあるが 派手な戦闘シーンは少ない。
「戦争映画なんだから もっとド派手なシーンが見たかった」
なんて感想を述べる人も少なく無いのであろうけど、そんな意見にも 私は賛同しない。
ただ、ひとつ挙げるならば…
姉妹作である「父親達の硫黄島」 その原作となった「硫黄島の星条旗」において その原作を読んだ方の多くは 日本兵が米兵に無惨なリンチを加えた…という部分が 物凄く原作者が批判的に記述しているのを知っており、だからこそ「父親達の硫黄島」として映像化される際に そこをどう描くのかが心配だった。
が、「父親達の硫黄島」では その部分についてあっさりとした描写になっており、逆に「あれれ?」と 私などは思ってはいたのだが、「硫黄島からの手紙」を見て 私なりに納得したのは 「硫黄島からの手紙」の中で 日本兵が捕虜を撃つシーンがあるのだが、もし 今後、映画を見るのであれば 是非、注意して見ていて欲しいのは 捕虜になった米兵は「火炎放射器」を背中に背負っている…という点。
これは あくまでも個人的意見なのだが、原作となった「硫黄島の星条旗」で何度も非難される日本兵による米兵捕虜の虐待に対して 私は ひとつの反論というか、弁論を抱いていた。
それは まず、硫黄島の日本兵には「逃げ場」が無かったという事を留意すべき…という事。
「投降すればいい」
というのは あくまでも米兵の考えであって、その考えを戦後の日本人も理解したから、今の日本人は 当時の事など考えずに、当時の米兵同様「ナンセンス」と判断する。
しかし、当時の世相では 硫黄島の兵士達にとって逃げ場は全く無くて、その追い詰められた状況で 最も残虐な(腹立たしい)米兵の戦法は 火炎放射器による焼殺なのだ。
生きたまま業火で焼かれて死ぬ。
仲間の多くが 目の前でそんな死に様を見せられた時、「火炎放射器を持った敵」は ただの敵以上に憎悪の対象とならないか?
良い悪いの是否を問いたいのでは無い。
島そのものが地獄だったのだ。
だから、もし日本の映画会社であれば 派手に燃えてのたうち回る兵士や 虐殺される捕虜…というシーンをふんだんに しかも派手に盛り込んだのであろうけど、今回の「硫黄島2部作」は どちらもアッサリと しかし、押さえるべきポイントはちゃんと押さえて描いているのに 私は唸る他無かった。
つまり、派手に人が死んで「お母さん」とか「天皇陛下バンザイ」とか 台詞でメッセージを観客の耳目に表現しようとするのでは無く、心に対して「こういう状況だったのだよ」と 諭す描き方なんだと感じたから 私は唸る他無かったのだ。
単に少ない戦闘シーンとはいえ その中で最も感じた事は 米軍の艦載戦闘機「コルセア」が 不意に日本軍陣地を襲撃するシーンを観て
「実に 戦闘機の描写が巧いなぁ…」
と、感じた。
ここ数年の間に見た戦争物の その殆どはスピルバーグが関係している物なのだが、「プライベート・ライアン」「バンド・オブ・ブラザース」「太陽の帝国」 いずれも第二次大戦時のレシプロ機の描写が秀逸で スピルバーグが関係していない作品でも たとえば、ブルース・ウィリスが主演した「ジャスティス (2002年公開)」のP-51は素晴らしかったなぁ…
それに対して 邦画での戦闘機は どれもこれもマンガみたいなものばかりで「大金かけてCG作りました」なんて よく恥ずかしくも無く自慢できるな…って感じのものばかり。
昨年来より、戦後60年という事で 各映画会社が「予算をかけて」と称して 戦争映画をこぞって制作したが、どれもこれもクソ映画ばかり
で、そんな作品を見る度に 私は「慰霊の気持ちを何故込めない?」と怒り続けてきた。
それが「硫黄島からの手紙」という作品を見て もうね、爆泣きだよ(ToT)
その私の涙の殆どは「嬉しい」とか「感動した」とか「可哀相」って涙じゃない。
「なんで、こういう映画を日本人が撮ってやらないんだ!!!」
と言う意味での「悔し泣き」だ。
なんで、日本人の末裔である我々が 米国制作の映画で 栗林中将や市丸少将やバロン西を偲ぶんだ?
なんで、日本人が知ろうともしなかった硫黄島の闘いを アメリカ人から教わらなきゃならんのだ?
それを思うと 悔しくて堪らない。
と、同時に 硫黄島で屍と化した約2万2千人の日本人戦没者の方々に対して申し訳なく恥ずかしい。
この作品はね ヘラヘラしながら、「いやぁ~ なかなか良い映画だったね」なんて 日本人が気軽に言っちゃいけない作品だと 心底、私は感じたね。(ToT)
映画の冒頭、司令部跡の地下壕の地面から発送出来ぬままの多くの封筒が詰められた郵便袋が掘り起こされる
だから、そこだけを見て「あぁ、だから”硫黄島からの手紙”ってタイトルなのか…」と もし、この映画を見た人が言ったなら 私はアホかと叱りつけたい。
この映画の根底に流れているのは 硫黄島という隔絶した孤島で 約2万2千人の日本人が どういう思いで死んでいったか、その死んでいった方々が 後世の日本人達に どういう思いを伝えたかったのか… つまり映画自体が”手紙”なのだ…という事に気づけ そう言いたい。
つまり、本土に届けられなかった最後の郵便袋…は 硫黄島で戦死した人々の想いを表しているのに過ぎない。
最後の最後に 届けたかった想いが、本国に届かぬまま、そのまま硫黄島の土中に数多の屍と共に埋まったまま60年放ったらかしになっていた… そういう意味なのだ と。
だからこそ、もっと早くに この作品を見ずとも 後世の日本人である我々が とっくの昔に察してあげていなくちゃいけない”想い”を この映画でクリント・イーストウッドやスピルバーグという外国人から わざわざ教えられたのだ。
ね? そう思ったら 悔しいやら恥ずかしいやらで 泣けてこないかい?
「男たちの大和」とか「出口のない海」とか 諸々のTVでのスペシャルドラマとか… それらと比較する事じたいおこがましいぐらいの 魂を感じたよ。
「1日でも長く戦い続ける事が 本土への攻撃を それだけ遅らせられる」
その為に、最後は5日間 飲まず食わずで戦い続けて もう体力も弾も尽き果てました…と死んでいかれたのだ。
それが60年後の今日、毎日 膨大な売れ残りのコンビニ弁当が廃棄され、若者や子供達は好き嫌いの激しいガキばかりで…
役人は責任回避ばかりに夢中になり、マスコミや政治屋は言葉遊びに終始して…
ホントに 情けない。(ToT)
日本人である私としては 「父親達の硫黄島」よりも この「硫黄島からの手紙」こそ「硫黄島」の作品だと感じている。
それだけ、素晴らしい映画だと思ったのだ。
聞けば、アカデミー賞の候補作になりそうだと アメリカでも評価が高いのだという。
であれば、いっその事 受賞して欲しいとすら切望するわけで…
映画という製品に対して その出来に感謝の意を捧げるのならば 劇場で金を払って見て、DVDをレンタルでは無く、ちゃんと購入して「興行成績」を上げさせてあげる事と 賞という名誉を与えられるか否かに 出来る協力をしてあげる事。
その為ならば 自決シーンがアメリカ人好みの「サムライ」でも良いよ^^;
だから、私は そんなところにケチをつける気は毛頭無い。


