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2006年11月30日

● 悪魔の手毬唄 再考


「悪魔の手毬唄」の原作を再読し、市川・石坂版の映像を再見してみた。




【注意!!】

この記事には横溝正史:著「悪魔の手毬唄」に関するネタバレが多く含まれています。
願わくば、原作を未読の方は 御一読の後に読まれる事を強くお薦め申し上げます。


キッカケは「イエローストーン」さんが 御自身のブログに書かれた


  『「悪魔の手毬唄」 本筋と側面~磯川警部、20年来の想い


という記事であり、その文中で イエローストーンさんが


「その深い考察に感動とショックを受けた」


と評された「めとろん」さんの


  『思いつき「悪魔の手毬唄」考


という記事。


実は その「めとろん」さんの記事を拝読した直後にコメントさせても頂いたのだけど、私も 色々と、その記事によって考えさせられる事があり、しかも それが大好きな横溝正史とあって じっくりと時間をかけて再考してみよう… そう考えていたのだが、なかなか時間が取れずに今日に至ったのは 甚だ面目無い次第^^;


で、めとろんさんの記事を読んで 何を考えさせられたか…というと、興味深い事にイエローストーンさんと おそらくは同じ様な部分とも思えるのだが、私の場合は 「悪魔の手毬唄」という原作のタイトルそのものにであった。


横溝正史の 特に金田一耕助シリーズは 短編系の著作は「~殺人事件」というタイトルのものが少なく無いが、長編で しかも傑作と呼ばれているモノでは「本陣殺人事件」ぐらいのもので 他は「獄門島」「犬神家の一族」「八つ墓村」「女王蜂」…など 著作の内容から事件の起きた場所や関係者から連想、もしくは ひとひねりされたタイトルが付いている。


そして、最も有名な「悪魔が来たりて笛を吹く」をはじめとして「悪魔の寵児」「悪魔の百唇譜」「悪魔の降誕祭」という風に 横溝正史の著作のタイトルに「悪魔」という単語が入るのは珍しい事では無いから つい、最近まで何も感じず、考えないでいたのだが、「めとろん」さんの記事を拝読して ハタと些細な事なんだとは思うけど、ついつい気になってしまったのだ。^^;


それは「悪魔の手毬唄」 この「悪魔」って「誰」? もしくは「何」? と。


学生時代に戻って現国の試験問題を解くつもりは無いが ひとつの言葉として「悪魔の手毬唄」を考える場合、「手毬唄」の「持ち主」もしくは「作者」が「悪魔」と考えるのが自然じゃないか?… そういう推論が浮かんだのだ。


横溝正史は原作中で 鬼首村の手毬唄は旧幕時代に悪政を行った陣屋の殿様を皮肉って唄ったもの…と 多々良放庵の考察を挙げ、それが由来だと冒頭で述べている。


それに関し めとろんさんが



「鬼首村手毬唄」そのものが(ある程度)放庵氏の創作であり、尚且つそれが"昔ながらの内容"だと(いささか耄碌した老婆へ)暗示をかけたフシがあると思われるのです。



という考察を述べておられるのを拝読して「う~む」と 私は唸ったのだ。


そうすると「悪魔の手毬唄」の「手毬唄」の作者が「多々良放庵」だとすると「悪魔」=「放庵」かぁ… と。


イエローストーンさんが帰結した考察で述べられている事のひとつも まさに、それなんですよねぇ…^^;


「犬神家の一族」では犬神佐兵衛が、「獄門島」では鬼頭嘉右衛門が いまわの際に事件のベースとなる怨念を遺す。


ほんのちょっと意味合いは違うかもしれないけど、「悪魔の手毬唄」では多々良放庵が その種を蒔いた「悪魔」なんだよなぁ… っていう事か?と。


そう思うと、私の「悪魔の手毬唄」に抱いていたイメージが少しばかり違ったモノになる様な気さえした。^^;


だから、原作と映像を再見し 腰を据えて再考してみよう… そう思ったのだ。


で、原作「悪魔の手毬唄」を読み進めていくと 今まで気づかなかったが、今回の事で はじめて気づいた布石がある。


それは まず、この事件(手毬唄連続殺人事件)の起きた時期は 昭和30年の7月下旬から8月初旬だという事。


それを念頭において まず、放庵の身になって時系列を考えた場合…


昭和7年の事件において たとえば、亀の湯の次男が枡屋や秤屋の娘たちとねんごろになり、子を孕せたのは 倫理上はともかく おちぶれた元庄屋の邪な気持ちを慰める痛快事だったのかもしれない。


だから、亀の湯の次男もさることながら 犯人をも庇うのは 生来のお人好しともとれるけど、自分を楽しませてくれた人に対する ささやかな礼…という意味での協力とも考えられる気がする。


ゆえに、枡屋、秤屋、錠前屋 3人の娘の出生の秘密を知る限られた一人という事実は 枡屋や秤屋に対して心の中で「ざまぁみろ」とでもいうような思いのまま 心の慰め話として心中密かに その後に至るのだろうけど、昭和28年に至り それはつまり、青池里子や大空ゆかりら4人の娘の生年は昭和8年と文中にある事から 4人の娘たちが20歳となり、成人を迎えた時期…という意味にもなる。


となれば、やがては それぞれの縁談に人々の興味が沸くのも仕方が無い。


枡屋、秤屋、錠前屋 3人の娘は器量良しに成長し 特に枡屋と秤屋の娘は いずれを歌名雄の嫁に…という話で諍いになりそうな予感。


出生の事実を知っている放庵にしてみれば 枡屋、秤屋 いずれも歌名雄から「返される」のは明白


しかも、「錠前屋の娘」は 今やグラマーガールと騒がれてトップスタ-に登りつめているけれど、これも歌名雄からは「返される」


そこで、元々の手毬唄が どんな歌詞だったのかは不明だが、語呂合わせ的に ピタリとはめ込まれた様な歌詞となって思い浮かんだ時、放庵はひとり喝采を上げたのではなかろうか…


本来であれば その語呂合わせ的手毬唄も 出生の秘密同様、心中密かにしておければ良かったのだが、邪な気持ちなのか 無邪気さからなのか それは判らないけど、放庵は「鬼首村手毬唄考」として投稿、それが雑誌に載ると自慢げに仁礼家や由良家などを初めとして 知人に見せ回る結果となったのが、投稿された雑誌が「昭和28年9月号」というところから その時期も類推される。


さて、以上の様な放庵の行動は 一般的には「犬神家の一族」の犬神佐兵衛や、「獄門島」の鬼頭嘉右衛門とは異質に映る。


けど、犯人には どう映ったのか? 今度は そこから犯人の身になって考えてみると…


娘達が年頃となり、特に枡屋と秤屋の娘は、「歌名雄の嫁に…」と認める事の出来ない縁談話に発展する程の器量良し、それに対して 里子の不憫な状況は 心中を乱れるばかり、しかも錠前屋の娘である大空ゆかりは 去年(29年)祖父母のために鬼首村に御殿のような家を建てた 当時の建築情勢を考えると 前年の28年頃には御殿を建てる作業に取りかかっていたであろうから その器量も見過ごせない。


そんな時に 放庵が投稿した「鬼首村手毬唄考」は 3人の娘達の「返された」という歌詞ではあるけれど 犯人には、放庵と自分しか知ってはいけない秘密を 放庵が口外しようとする様に映り、しかも この手毬唄には「3羽のすずめ」以外に「お庄屋」も


「あっちこっちでおしゃべり過ぎて お庄屋ごろしで寝かされたァ 寝かされたァ」


という歌詞があるのを知り、秘密がバレる前に 放庵の口を塞ごうと考えはじめた…という推測が成り立つわけで それらは昭和28年までの話。


その後、昭和29年に おりんは復縁を求める手紙を放庵に出し、大空ゆかりの御殿が建つ


犯人が「おりん」からの手紙を 放庵が見る前に奪ったのは もしかすると、「おりん」が昭和7年の事件の時に放庵の妻として存在し、恩田の存在を知る者であり、「おりん」が身を寄せた神戸は 青池源治郎が弁士として活躍していた地… そんな事柄から、もしかしたら「秘密」を知っているのではないか?と疑ってもおかしくなく、その「おりん」と放庵が接触するのを警戒したから…と私には思える。(推測です^^;)


そして昭和30年になり、おりんは 春に病没する。


ここで、ふと浮かび上がる疑問は


「何故? 手毬唄に準じた”見立て”を犯人が行ったのか?」


それに対する答えは


「放庵を犯人に仕立て上げるため」


という事で大方の了解するところなのだが… では、


「何故、放庵を犯人に仕立てる必要があったのか?」


については、昭和7年の事件を犯人が起こすキッカケを与えたのが放庵だったから… という事になっている。


本当に それだけなのだろうか?


たしかに放庵が密告をしなければ 昭和7年の事件で殺人までは起きなかったのかもしれない だからこそ、犯人が それを逆恨みして放庵に濡れ衣を着せようと考えるのも 充分に説得力はある。


だが、「もしかしたら、恩田が3人の女を孕ます手助けを放庵がしていたのでは?…」 犯人が放庵に対して そんな邪推を抱く事だって自然だとも思うし、放庵が 実際にそんな真似をしていたのかもしれない…と 原作を読んで私も思った。


そう考えると、そんな放庵が「鬼首村手毬唄考」を自慢げに見せびらかす姿に 殺人を起こすほど自分が苦しんだ件を呑気に扱う放庵に対する殺意… という意味合いの方が強く私には感じてならなくなった。


では、この手毬唄連続殺人事件のキッカケとなった事って 何だろう?


犯人が犯行を起こす決意に至ったキッカケとは?



   「リカがいつごろ決意をかためたかは、それは知る由もありませんが、

    ゆかりちゃんがこの村にああいう立派なうちを建てる。

    いっぽう仁礼、由良の両家から縁談を持ち込まれる…

    それらが同時になったところに、リカの堅い決意が生まれたんじゃないでしょうか」


原作p458より引用



原作文中で 金田一耕助は上記の様に語っている。


私は この台詞の前後に流れる 金田一耕助の磯川警部に対する情の深さを垣間見る。


今回、あらためて気づいた最大の事は 犯人が手毬唄連続殺人事件を起こす本当のキッカケは


「金田一耕助が鬼首村にやってきた」


という事であり、それは


「金田一を鬼首村に行かせ、20年前の事件を解決させようとした」


という磯川警部の行動こそが そもそもの発端なのだ…という事。


磯川警部と旧知の犯人ならば 金田一耕助の評を磯川警部から少しぐらいは聞いているであろう… であれば、そんな凄腕の探偵が20年前の… と、考えた時、犯人自身はともかく 放庵が金田一に隠し通せるものだろうか? そう考えれば、放庵の口を塞ぐしか無いわけで、塞ぐとならば いずれは…と考えていた連続殺人を行動するしか無い。


なのに、金田一はそれを磯川警部には言わない。


もちろん、磯川警部も自分の行動が発端だと気づいている。


それは歌名雄を引き取る…という行為こそ 犯人に対する、いや、事件全てへの磯川なりの責任の取り方のひとつに思えるからだ。




さて… ここまで記してきて あらためて めとろんさんとイエローストーンさんのブログを拝読したところ 御二方とも実に深い再考を述べておられる。


本当に 横溝正史は深いなぁ…^^


そして、実に凄い作家だなぁ… と、つくづく思う。


私は 今考えると、今回の御二方の記事を拝読するまで「悪魔手毬唄」では無く、「悪魔手毬唄」という捉え方を 誤ってしていた事に気づかされた。^^;


「な」と「の」


たったひと文字違うだけで 意味合いはガラリと変わる。


まさに「季違いじゃが仕方が無い」の世界である。


昔、御飯を食べる時 親父から「茶碗の米粒は 一粒残らず、ありがたく食え」と言われたものだが、横溝正史の著作は ひと文字たりともおろそかにしてはいけない… それが、つくづく身に染みた。^^;



お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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『悪魔の手毬唄』関連の記事

コメント

こんばんは。

記事、非常に興味深く拝読させていただきました。
また、私の記事にふれていただき、恐縮です。

めとろんさん同様にブタネコさんの深い考察に驚くばかりです。

放庵の身になっての時系列での考察、大変感動いたしました。
そして、おりんについての記述、私の気のつかない点でしたが、おっしゃる通りに私も感じます。

ブタネコさんにおかれても、めとろんさんにおかれても、その深い考察に頭の下がる思いです。私なぞはまだまだ甘く、解読力のなさを痛感いたします。

ただ、私の記事 『「悪魔の手毬唄」 本筋と側面~磯川警部、20年来の想い』は原作をわすれてしまっている私が、めとろんさんの記事を参考に市川版で考察したものです。今、私は原作を読み返している途中、まだ3分の1程度です。図書館で借りたのですが、なかなか読む時間がなく、期限切れで一度返却しているのです。
しかるに原作を全て読み終えている方とは若干違う思いをもっていると思います。

私は今の段階では、色と欲にまみれた悪魔=放庵がその怨念と欲の為に、創作か既存は不明ですが、手毬唄の存在を犯人に知らせたという思いがつよいです。そして犯人は手毬唄に衝撃をうけ、犯行をおもいたった。手毬唄自体が動機そのもの。そして当然その衝撃の歌詞の通りに実行した。実行するからには真実を知る放庵もなきものにし、同時に犯行を放庵の仕業と思わせようとしたと。

しかし犯人が犯行の実行を決行を決意したのは、おはん(映画版)への手紙の消印日付の影響もあるだろうが、たしかに金田一が村に来た点も考えられると思います(ちょっと詳細な思いはちがいますが)。放庵が右手がきかなく、村人に手紙の返事の代筆を頼まないであろうことは犯人も予測できたでしょう。そして、峠をこえる金田一におはんの姿をみせた。

その辺の考察の深さには感服いたします。この点も私が全然、気にとめなかった部分です。これには衝撃を感じました。

今後、より注意深く、原作を再度借り直し読みすすめたいと思います。
原作を読み終えた段階で、市川版とは違う私なりの思うところが生じると思います。その段階で再度記事にてご披露申し上げたいと思います。

大変素晴らしい記事を拝読させたいただきました。勉強になりました。
ではまた。

★ イエローストーン さん


コメントありがとうございます。^^

私は イエローストーンさんの記事を拝読して「あっ!」と思い この記事に至ったので 御礼を申し上げねばならないのは 私の方です ありがとうございました。^^


>ただ、私の記事 『「悪魔の手毬唄」 本筋と側面~磯川警部、20年来の想い』は原作をわすれてしまっている私が、めとろんさんの記事を参考に市川版で考察したものです


ええ、そこなんです^^

実は 私は原作の記憶の方が強くて 今回の事がキッカケで映像を視点を変えて再見し、特に放庵が色欲…と描かれてた事を 気づき直したのです。

だから、その部分は 映像と原作では微妙にニュアンスが違っているのですが、そこを記事を拝読するまで すっかり忘れてました。^^;


だから、映像を中心に考察されたイエローストーンさんの記事を拝読して、映像を見直すと「あぁ…」と 私は映像を少し おろそかに見ていた事に気づいたんです。


で、今回 再考した結果を 有る程度は記述できたとは思いつつ、完全に記事で言い表せたとは 実は自分でも納得がいっていません。^^;


>色と欲にまみれた悪魔=放庵がその怨念と欲の為に、創作か既存は不明ですが、手毬唄の存在を犯人に知らせたという思いがつよいです

この部分、本当に面白い解釈だなぁ…と思いました。

たしかに、そう言われれば そういう解釈もアリなんですよね

だからこそ、別の形で存在した手毬唄の原形をもじって替え歌を創作した…っていうのは大いに考えられる、いや その方が説得力があるなぁ…と思いました。


私も もう一度、再考してみたいと思います。


余談ですが…


以前、「葉月亭」のHAZUKIさんと 横溝話をさせて頂いた時に、そして今回 横溝正史は ただ原作で楽しませてくれるだけじゃなく、読後に このように意見交換が出来て楽しめる… 本当に深い作家先生だと感謝するばかりです。^^

ブタネコさん

横溝は本当に奥が深いですよね。

このような皆さんの考察の拝見、意見交換など非常に楽しく、そして嬉しく思います。

では、また。

★ イエロ-スト-ン さん

レスが遅れて大変申し訳ありませんでした。

「悪魔の手毬唄(古谷版) 再見」(2012年07月18日)をきっかけに「悪魔の手毬唄」関連記事をひととおり拝読しました。図書館からの借り出しというかたちですが、さっそく『悪魔の手毬唄』の原作を入手し、一気に読了しました。
僕にとって初めての横溝作品鑑賞でした。
文庫本で480ページの本作に熱中し、時間が過ぎるのを忘れてしまいました。
ただ、せっかくの横溝作品鑑賞を「本陣殺人事件」→「獄門島」→「悪魔の手毬唄」というブタネコさんのお薦めの順番で始めることをせず、すみません。


本作を読み終えて、「里子」という人物が一番印象に残りました。
金田一の、いかに現実の観察に根拠をおいた緻密なものであるとはいえ、やはり推測にすぎない次の発言のうちにえがかれた里子の心の動き。

「(略)つまり自分が醜く生まれつき、しかもそれを気にしすぎる。その結果母がうつくしい泰子にたいして憎悪をもつにいたったのではないか。それだったらじぶんはもう醜さを気にしないことにしよう。じぶんは醜くとも幸福であるから、お母さんも不心得を起こさないでください。……と、いうのが哀れな里子のせめてもの抵抗だったんじゃないでしょうか」(角川文庫(1996年改版初版)、p.434)

さらに、《身代わりになる》という行為にいたる里子の心の動き。
すさまじい心情の持ち主を作品に登場させるものだと感服しました。


作品の末尾の「失礼しました。警部さん、あなたはリカを愛していらしたんですね」(同上、p.480)には、おもわず、ハッとさせられました。ここにくるまで、警部のこの恋情には僕はまったく思いをはせることができなかったからです。が、この金田一のセリフをみたあとに、すこしページを繰り直してみたら、作品の最初のほうにつぎの一節がありました。

「なんだか面白そうな話ですね」
 (略)
「ええ、はあ、ちょっとな」
と、磯川警部はなぜかはにかみを感じるらしく、子供がものねだりをするような眼つきになって、
「聞いてくれますか」(同上、p.18-19)

さらに、ゆかり御殿の焼け跡での警部と金田一の会話(同上、pp.416-417)、リカが沼から引き上げられ、リカの顔の泥が拭き取られた場面を夢にみてうなされる警部の描写(同上、p.428)など、彼の思いをうかがわせるものがあちこちにあることに気付きました。
こうした箇所には磯川警部の思いにくわえて、金田一と磯川警部のあいだの「情」というものも丁寧に描き出されてて、本作は殺人事件とその犯人の推理をえがくだけの作品ではないことを感じました。


>犯人が犯行を起こす決意に至ったキッカケとは?
(略)
>原作文中で 金田一耕助は上記の様に語っている。
>私は この台詞の前後に流れる 金田一耕助の磯川警部に対する情の深さを垣間見る。

ブタネコさんのこの記述に、あらためて二人のあいだの「情」といったものを思い直させられました。


が、ブタネコさんのつぎの記述には原作の描写から離れすぎたものを感じました。

>放庵は「鬼首村手毬唄考」として投稿、それが雑誌に載ると自慢げに仁礼家や由良家などを初めとして 知人に見せ回る結果となったのが、
>そう考えると、そんな放庵が「鬼首村手毬唄考」を自慢げに見せびらかす姿に 殺人を起こすほど自分が苦しんだ件を呑気に扱う放庵

本作の第三部「民間承伝」(同上、pp.317-333)にえがかれた、五百子による手毬唄の披露の場面での、いあわせた人々の反応からすると、放庵は《知人に見せ回る》という行為にまではいたっておらず、「鬼の首でもとったように」喜んでその本を自慢げに見せびらかした相手は「五百子」だけだと解釈するのが妥当だと思いました。

かりに五百子以外にも放庵みずからこの本を見せた相手がいたのだとしても、その範囲は極々小さいものだったのではないでしょうか。放庵が知人に見せ回っていたのが事実だとしたら、手毬唄のとおりに構成された殺人事件が二件おこったのちにも、村のなかから手毬唄との関連を言い出す人がひとりも出てこない、というのは不自然です。

・・・という感想もいだきました。
(原作ではなく、映像化されたもののなかに《知人に見せ回る》というシーンがあるのでしたら、すみません。)


総じて、僕にとってはじめての横溝作品鑑賞は充実した時間でした。
横溝作品に触れるきっかけをあたえてくださり、ありがとうございます。

★ はぎわら さん

おっと、久しぶりに語り合えそうな予感^^

ちと、このところバタバタしてますんで ちゃんとしたレスを記すのに少し時間を下さい

はぎわらさんへのレスを 先程、別記事として掲示しました。


【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。