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2006年11月13日

● 雑感(11月13日)


昨日、とうとう札幌にも初雪が降った。

とはいえ、あっという間に融けてしまい積もったり、銀世界に景色が変わったわけでも無い。




雪が降るぐらいだから、外気温はさすがに真冬並では無いけれども寒い。^^


でもね… 寒いのは気温なんかよりも 日々、伝わってくるニュースの内容のほうがもっと寒い。


と言う訳で、今回は久しぶりに時事ネタについて 個人的所感を語ってみようと思うのだが…


冒頭にてお断り申し上げておくけど、今回 以下に述べる事はブタネコの個人的考えであり、一部 読む方の中には暴論に感じる方も少なくないと自覚する。


しかしながら、奇麗事やタテマエが大嫌いな私としては 思ったままを述べようと思うのであって、侮蔑的記述の様に受け取られる記述があったとしても 特定の方に対しての誹謗中傷や差別等の気持ちは一切無く あくまでも表現方法の稚拙と受け止めて頂ければ幸いです。




さて…


年末が近くなると増えるもののひとつに「自殺」がある。


「生活を苦にしての自殺」


それが年の瀬近くの「自殺」の動機として最も多かった。


しかし、最近 ニュースを耳目にしていると「いじめによる自殺」「問題が生じた学校の校長の自殺」「役人の自殺」 この3つの動機ばかりが多い。


自殺が良いか悪いか… そもそも固定的倫理観に縛られた考え方の人にとっては「死=悪」という図式があり、他人を殺す事はもちろん 自分を殺す事も許される事では無い…となるわけで 「死刑廃止論」というのも その延長線上の考え方と言って良いと思う。


で、「死刑廃止」を唱える人権論者は口を揃えて「他人の命を奪う死刑は 殺人と同等」と言う。


それに対して 被害者遺族の多くは「殺人犯を裁くのに 死刑だって軽すぎる」言う声もある。


この対立する意見に対して 識者と呼ばれる連中や、特にマスコミに寄生する「評論家」とか「コメンティター」なんて連中は「難しい問題ですよね」と言うだけで 持論すら明示しようとせず、いつまで経っても結論どころか方向性すら示されようとしない。


自慢するわけじゃ無いけど、私は 40数年の人生の中で「こりゃ死んでても不思議じゃないな」と後から思った経験が「交通事故」を含めて数度あり、実際に心臓が数分停まった経験もある。^^;


高校生の時、中学から同級だった友人が長い事、闘病の末に白血病で他界した様を知っている。


その一部始終に際し、「亡き友」から 私はいろんな事を教わったわけで


「人間ってのは いつ死ぬか判らない」


というのも その教わったひとつ。


病の恐ろしさは ある日、突然発症し 気づかずに、もしくは我慢しているうちに あっという間に「手遅れ」になるものもあれば 発症と同時に「手の施しようがありません」とか「現在の医学では どうしようもありません」という理由で 死へのカウントダウンが始まる事もある。


今から20数年前 「亡き友」が発症した病は白血病で もしかしたら今なら死なずに済んだのかもしれないが、当時の医学水準では「現在の医学では どうしようもありません」と呆気なくカウントダウンの開始を宣告されたのものだった。


ゆえに、病名告知=死へのカウントダウン その、いつ「0」になるか判らない死の瞬間まで「亡き友」は過ごし、そして亡くなった。


「亡き友」は自ら望んで白血病になったのでは無い。


運命というルーレットが たまたま「白血病発症」というマスに玉を転がしただけの様なもので「亡き友」は死にたくて死んだわけでは無いのだ。


そんな「亡き友」の記憶を持つ私としては いかなる理由であろうとも「自殺」をする人の殆どを限られた例外を除いて認める事が出来ない。


生きたくても生きられない人にとって 自ら死ぬ…という事が どれほど贅沢な事と映る事だろう… と、思うばかりなのだ。


私は「亡き友」から「人間ってのは いつ死ぬか判らない」という事を教わり、カウントダウンを終えて旅立つ直前の「亡き友」が「思い残す事は無い」と語った姿から 常に「悔いを残さない事」を心がけて生活しようと今日に至り それは「いつ死んでもいいや」という 自暴自棄とは違う意味での覚悟を持っているつもりでもある。


だから、「こりゃ死んでても不思議じゃないな」という経験をするたびに「お? 俺の寿命はまだあるみたいだから 今のうちに もう少し楽しんでおこう…」と なんか得をした気分で過ごしたものだ。^^;


実際、私の心臓は壊れており 将来的に壊れ方がひどくなれば 移植しか対処方法は無い。


でもね、私は 他の人から心臓を頂いて生きようとは思っておらず、今 愛用している心臓が完全に壊れきるまで使い、壊れた時は潔くくたばろうと思っている。


「尊厳死」という言葉がある。


たとえば、末期ガンの患者の場合だと


「もう、治療の余地が無くなったのならば その段階で一切の治療行為を止め 無駄に延命措置を取らないでください」


と 診療を拒否する事であり、書類にして書き残す事により、遺言書と同等の効力を持つ。


これって 実はとても大事な事なんだよね


ガンに限らず、何かの事故で脳死…なんて事も 絶対にありえない事では無い。


そんな時、家族たちは延命措置を取るか否か…


愛する家族には生きていて欲しい、でも 経済的に それを許せる範疇に無い…


いっそ、苦しまぬうちに見送った方が本人の為…


生きてさえいれば、治療法が見つかるかもしれない…


いろんな葛藤が渦巻き 大いに悩み、猫の首に鈴をつけるのは誰か?みたいな事になり、誰かの決断で生命維持装置を停止させる事だってある。


その時に 一枚の紙切れで「もう、治療の余地が無くなったのならば その段階で一切の治療行為を止め 無駄に延命措置を取らないでください」と書いておいてやれば


「患者本人の意思」


として、誰も その責任を感じなくて済む… そう考えると 実は健康なうちにやっておくべき事なんじゃないか? 私は そう考え、友人である弁護士や医師と相談して その書類を作成したのだが… その時に「二代目開業医」と呼んでいる私の友人であり主治医は


「ブタネコは心臓が壊れてるから 認められるかどうか難しいんだけど、

 どうせなら使える臓器は 皆、使ってください…って文章を入れて、

 その上でいろんなドナー登録もしておけ

 あ、それと医大に献体するって一筆もな^^」


と言い、その言に従って 出来る登録は全て行った。


先にも述べたが、この先 私の心臓の壊れ具合が悪化したら 残された方法は移植しか無く、その選択肢を私は取ろうとは思っていない。


けど、そんな身であるから 腎臓や肝臓が壊れて移植待ちの患者の気持ちは 健康な人よりも判るつもりではある。


しかしねぇ… 日本の病院、そして厚生労働省 それに医療制度… それらは臓器移植に関して真剣に考えてるようで 実際には何もしていないの同じ。


だから、国外での治療を望む患者は後を絶たず、ドナーを募る事にも積極さを見せない。


それは いろんな問題が絡んでいる事は事実だけど、最大の原因は 日本人ってのは「なかなか議論の結論を出そうとしない」連中であり、「責任を追及されるのを酷く怖れる」連中でもある…って事だと思うのね。


議論を進展させるために 踏み込んだ意見を言う事は 時に、「言い出しっぺ」という責任を背負わされるのも 日本の悪い意味での風習でもあるし、踏み込んだ意見の殆どは 全員を納得させられる事は少ないから 反対者には暴論として批判され続ける事にもなる。


だから、日本人的感覚だと そんな目には遭いたくないと持論を述べようとせず、誰かが決めてくれるのを待つ… それを「大人の振る舞い」なんて言う風潮すらあるから嫌になる。^^;


最近、臓器移植手術の事で 倫理的に問題となっている医師の報道がある。


実際に その医師個人の事を私は知らないし、報道自体も鵜呑みにするわけにはいかないので その問題に直接触れる発言は控えるが…


腎臓や肝臓が既に機能を停止してしまって「あとは早くドナーが現れるのを待つしかない」という患者の場合、言い方は悪いけど 脳死では無く 病死で亡くなった方の臓器でも 貰えるものなら何でも良い… そう考える患者は 率直に言って少なくないと私は思うよ。^^;


仮に 肺がんで亡くなった方の腎臓や肝臓で、将来的に転移の可能性が否定できないとしても 自分のカウントダウンを止めるためには そんな選択肢でも充分に受け入れる患者はいると思う。


ゆえに、ある種の『カルネアデスの板』思考の一環みたいなもので許されても良いのでは…とは思う。


けどね、私は これらを思う時、昔のひとつの事件を思い出す。


世界初の心臓移植が行なわれた翌年の1968年に、日本でも初の心臓移植が行なわれたのだが、その後 この時の手術が問題となり、執刀医であり総責任者であった教授が「殺人罪、業務上過失致死罪、死体損壊罪」で刑事告発されるに至る。


刑事告発は全て嫌疑不十分で不起訴となったが、この時の騒ぎが基で その後、日本国内での臓器移植(特に心臓移植)手術は見送られ続ける事になった…という見方が強い。


  参考記事:『和田寿郎 - Wikipedia


要するに私が申し上げたいのは 今、問題になっている「病気腎移植」や「臓器売買疑惑」に関して これを執刀した医師は 同じ轍を二度踏もうとしてるのではないか?という事。


患者にとっては ひとつの道が開けるのかもしれない可能性の目を この医師は摘んでしまう可能性が日増しに高くなっている感がする。


行いは画期的でも 結果的に道を狭めてしまう… それが良い事なのか?と問わざるを得ない。




さて、今回 何故、こんな事を語ったかと言うと…


つい、数ヶ月前の事だ。


「二代目開業医」同様 私の悪友である「気の弱い弁護士」が ある問題で悩み、そして怒っていた。


それは、とある刑事裁判で強盗殺人罪により死刑判決を受けた受刑者から「気の弱い弁護士」の友人である弁護士が相談を受けた事に関してである。


相談内容は 元々、この受刑者は起訴事実をそのまま認め、自分の犯した罪を償うには死刑でも軽いと罪を悔い反省の日々を過ごしていたところ 何がキッカケになったのかは判らないが、自分の臓器をドナー提供し 一人でも病気でも苦しんでいる人の役に立ちたい… そう考え、弁護士に相談してきたのだ。


ところがね、この願いは現時点では簡単には聞き届けて貰えない。


何故か?と言うと…


まず、「死刑」という刑罰が人道に合わない…とする人権活動家の主張がある。


「死刑」が実施されないと 受刑者は献体できないのだ。


それに問題は もうひとつある。


「犯罪者の臓器を貰うのは 患者にとって良い事なのか?」


そういう声が医師会や学会の中にある…のだそうで 中には露骨な


「罪人のなんか嫌だ」


って意見が多いのだそうだ。^^;




で、私は思うのだが…


「殺人罪を犯した者は 刑法××条により、臓器提供する刑に処す」


という条文を立法するのは 酷く、原始的な野蛮さを感じるのは否めないが、被害者の命を奪った殺人犯が その罪や奪った命の重さを反省し、自らドナーを志願する…という気持ちは 一考の余地は無いのかな?と。


これは例えば「強制」という意味では無く ドナー提供した者は「情状酌量」とか「減刑」を考慮してあげる…って意味とかね。


基本的に ドナー登録というのは「善意」で成り立っている。


しかしながら実状を考えると 人の「善意」って そうそう無いモノなんだな…って解釈にも感じてしまう。


「臓器売買」は 基本的に倫理観に反する行為だと思うが、「金」で「健康」や「寿命」を買えるなら…という考えは ともすれば、偏食者がサプリメントを買って飲むのと 金額の差は大きいけれど、もしかしたら考え的には似てる様な気もする。


で、今回 結局、何を言いたいかと言うと…


もし、自殺をしようと思っているのなら 人知れず、こっそりと自殺なんかしないで あらかじめドナー登録した上で 人目につくところで提供臓器を痛めない死に方で死なれては如何?って事。


先にも申し上げたように 私は自殺肯定論者ではなく、むしろ腹が立つほどの否定論者である。


だからこそ、死にたくなるほどの理由に関しては同情もするし、心中も察するが 死ねば済む、死んで楽になる…という考えは 病と闘って旅立った者に対する冒涜だと腹が立つ。


であるがゆえに、自殺しようとする者に対し、


「自分の死と引き替えに 誰かを助けたらどうだ?」


と、極論だし、暴論と罵られるのを覚悟で そう言ってみたくなったのだ。




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 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

ブタネコさんへ
確かに暴論ですが、一理ありますね。それにしても民間の会社だと客先からのクレームや上司からの叱責等日常茶飯事とは行かないまでも、この手のトラブル処理は結構有った様な気がします、ただ大きな相違点はマスコミが関与していないということです、詳しくは分かりませんがマスコミが鬼の首を取ったかのごとく、1対Nでつるし上げのように虐めたのでしょう。マスコミも代表を選んで1対1か1対2位で取材すべきです。’自殺をしてはいけない’と言う立場の人間が自殺をしてしまうなんて子供になんて説明するのでしょうか。彼にしてみたらこれしか責任のとり方がわからなかったのでしょう。死者を冒涜する気はさらさら有りませんが何か敵前逃亡の気配がしてならないのですが、こう感じるのは余りにも非情でしょうかね。
追伸;これからますます寒さ厳しくなってきます、お体(心臓)を大切に。

★ タンク さん

>自殺をしてはいけない’と言う立場の人間が自殺をしてしまうなんて子供になんて説明するのでしょうか

そう、そこがねぇ…

範を示す職にあるから「師範」なんですけどね^^;

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