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2006年10月23日

● 獄門島(上川版)


2003年10月にBSジャパン(テレビ東京)系で放映された 金田一耕助=上川隆也の第2弾




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主な配役は


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金田一耕助:「上川隆也」


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何故か磯川警部は登場せず、等々力警部として「中村梅雀」


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鬼頭早苗:「高島礼子」


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和尚:「神山繁」


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幸庵(医者):「寺田農」と村長:「鶴田忍」


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雪枝、月代、花子を「三倉茉奈」「三倉佳奈」の双子が 二人三役^^;


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で、特筆すべきは 分鬼頭の女将に「原田貴和子」


「上川隆也版」の「獄門島」は 前回の「迷路荘の惨劇」もそうだったが、


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映像は原作を大事に映像化したと思える部分が多く 私は好感を抱いている。


が、前回にも述べたけど 上川金田一には 私の想い描く金田一像に やはり、何かが足りない。^^;


で、この「獄門島」を見て思った事は「人間特有の業の深さ」に対する 金田一のやりきれなさと諦め…みたいなもの それが台詞や仕草に欠けているんだな…と。


ある横溝ファンに言わせると 金田一シリーズは「獄門島」に始まって「獄門島」で終わる…なんて事を言う輩がいるが、私に言わせると「獄門島」は横溝作品の中でも際立った傑作のひとつではあるけど、それだけで終わる…と言えるほど 横溝作品は底が浅いモノでは無い。^^


この作品の原作が読者に 特にファンには評価の高い理由となる部分とは、横溝特有の「おどろおどろしい」雰囲気を全編に漂わせ 系図、見立て、大団円における説得力をすべて兼ね備え 読後に至っては「成る程なぁ…」と唸らされるところにある…と 私は思っている。


金田一耕助という探偵は 探偵であって警察では無い。


だから、「犯人を絶対に捕まえる」という事に拘るのでは無く、ともすれば ラストに犯人が自殺するのを見逃したりもする。


それは 罪を憎む…という正義感よりも、罪を犯してしまった理由に寄せる同情…の様な感情が優先する結果だと思うわけで 金田一がもし憎んでいるモノがあるとすれば それは犯人とか罪では無く、犯罪に至る動機の中に やりきれない事情が含まれ、そのやりきれない事情が生じてしまう世の中や 人間の業や 時の流れ…の方なんだろうなぁ…と思うわけで…


--- 【注意!! これより以下の記事はネタバレ満載です。^^;】 -----


数日前に「迷路荘の惨劇(上川版)」という記事を掲示したところ その記事にコメントを頂戴した めとろんさんのブログに

 「思いつき「犬神家の一族」考


という、大変興味深い記事を発見し拝読させて頂いた。^^


この記事の中で めとろんさんは二つの点に関して考察されておられるのだが、そのひとつとして「犬神家の一族」を映像化する際の 第二の事件の描写について触れておられる。


実は 金田一シリーズとして他に映像化された作品においても同じ様な事が 実はいくつもあり、特に 個々の原作においては奇妙に同じ様な部分が該当する。^^


例えば、この「獄門島」では「謎の復員兵」という存在だ。


「獄門島」を映像化した映画やドラマを見比べると判るのだが、それぞれにおいて「謎の復員兵」の絡むエピソードの扱いが全く違い、復員兵じたいが登場しない作品まである。^^;


原作を読んだ方ならお判りの事だが「謎の復員兵」の存在により、壊れた与三松や早苗や 間も無く復員してくるはずの一(ひとし)等が 事件全体になんらかの関わりを疑われ、謎が謎を呼ぶという ともすれば柱的エピソードのひとつなのだ。


つまり、極論的に言えば 「謎の復員兵」というエピソードを どう扱うかによって その作品における原作への忠実度や 制作者達の理解度が推し量れると私は思っている。


当然、映像には時間的な尺の問題がある。


ゆえに、原作まるごと映像化するのは とても困難であろうと理解も出来る。


だからこそ「謎の復員兵」というエピソードをカットするのは そのぶん、大幅に尺を縮める結果を得られるのだが、では そのぶん失われる全体的雰囲気を どう補っているのか? それが私にとって「獄門島」という映像への評価の決め手とも言えるのだ。




さて、以下は 先に挙げた「めとろんさんの記事」と その記事に触発されたと思われる^^

市川崑の金田一耕助  「獄門島」、雨宮の存在・・・


というイエローストーンさんの記事を拝読して ブタネコ的に ふと思った事を述べてみたいと思います。


で、本来は 上記の二つの記事の本旨は


「市川版金田一では 原作で金田一耕助がニューギニア戦線に従軍していたと明記してある部分を変えている。

 その理由は、市川流の反戦メッセージという意味も込められているのでは?」


という事だと思う。


これについては 私は異議を唱える気になれず、むしろ そういうメッセージはアリだと思う。


で、二つの記事を拝読して 個人的に「アッ!!」と私が思ったのは


金田一耕助が この世に初登場した「本陣殺人事件」は 昭和21年4月~12月までの期間「宝石」という雑誌に連載されたモノ


「獄門島」は 昭和22年1月~23年10月まで 同じ「宝石」に連載されたのが最初


で、「犬神家の一族」は 昭和25年1月~26年5月まで 雑誌「キング」に連載されたとされている。


つまり、「獄門島」の方が「犬神家の一族」より前に書かれ発表されている…と言う点


それと同時に 原作中の記述などから「獄門島」の事件は昭和21年に そして「犬神家の一族」の事件は昭和24年に起きたモノと類推される事。


で、「獄門島」と「犬神家の一族」 その両方に共通のキーワードには「見立て殺人」だけでは無く、「復員兵」というのもある…という点。


で、私が何を言いたいかというと…


まだ、金田一シリーズを1作も読んでいない人がおり、その人の目の前に「獄門島」と「犬神家の一族」という二つの本があったとする。


どちらから先に読もうと その人の自由であり、事情である。^^


両方の作品を読まれた方であれば 御自分がどちらを先に読んだか、ちょっと思い出して頂けると嬉しい。


仮に「獄門島」を先に 「犬神家の一族」を その後に読んだとしよう。


すると、犬神家…に登場する「謎の復員兵」のイメージには 獄門島での「謎の復員兵」のイメージがオーバーラップしませんか?


これって 逆も同じで「犬神家の一族」を先に読み その後、「獄門島」を読むと 


「もしかして、復員兵は一なのか?」


そんな疑惑が原作の記述以上に深まりませんか?


つまり、その本単独の仕掛け…というのでは無く シリーズ全般の流れの中にも横溝流の「仕掛け」が それが意識的になのか無意識になのかは判らないし、作為的か否かも どうでも良い。


でも、シリーズを読み続けている上での特殊効果として大きく作用したと 私は気づいたのだ。


だから、単に「獄門島は面白い」と言ってる人と 他の金田一シリーズを読んだ上で「獄門島は面白い」と言う人では 言葉・表現は同じでも 意味が異なるよね?


で、これは金田一シリーズを映像化する制作者側に 実は大きく欠けている点だと思う


「等々力警部」と「磯川警部」は 完全に別個の それぞれ魅力有るキャラクターなのに、何故か多くの映像シリーズでは その辺の区別をいい加減に設定する。


風間俊六や久保銀造といった 金田一耕助の知人の扱いもぞんざいとなる。


これらは 制作者がシリーズを把握しておらず、作品単体しか見ていない証なんだな^^;


ゆえに、私の様に作品単体もさることながら シリーズ全体を愛読している者には そんな制作者の作品では片腹痛い結果にしかならないわけで 市川版を高く評価する理由にも 実は 市川監督が単に作品単体を映像化しようとしたのでは無く、横溝作品の おそらくはファンの一人として描こうとした結果だからなのじゃないか?と。



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コメント

こんばんは。
非常に興味深く、拝読させていただきました。

上川の「獄門島」、そこそこいい線はいっているとおもいますが、やっぱり何か、何かがたりないんですよね。
ひとつ感じるのは、了然和尚の迷いがドラマの場合、作品を弱めているのでは。
上川金田一が「屏風を置いておいたことは、実は私に止めてほしかったのでは」との旨を発言しますよね。原作は忘れてしまっているのですが、このドラマの場合(尺の関係で全て表現できない場合)、鬼頭嘉右衛門の執念に迷わず突き動かされたほうが、人間のあさましさや、惨めさ、そして人間の業が強く表現されるのではと私は思いました。
原作がどうだかはともかく、市川版では和尚は迷わず行動します。実は嘉右衛門の意志だけではないのではと思わせます。石坂金田一が「和尚さんも所詮島の人間だったような気がします。」と発言します。
そう、獄門島自体の背景の描写も弱いと思います。市川版ではさらに加藤武が「狂っとる、この島の人間は狂っとる」と発言します。
このあたりがブタネコさんのおっしゃる製作側の甘さ、つまり横溝ファンである市川監督との差、そしてその作品の把握の薄さが台詞や仕草の不足につながる気がします。

あと、磯川警部、等々力警部の件これもおっしゃるとおり、作品によって、この事件は等々力じゃないだろうとハラがたつときがあります。またパトロンの件も元来の風来坊で生活力がない金田一を表現するのに重要なのですが、単体の映像作品では描ききれないのでしょうね。

また、映像化にはやはりおどろおどろした雰囲気の、見立て連続殺人を好ますよね。横溝自身、作品名はわすれましたが、原作でも編集社の担当から、獄門島のような、おどろおどろした見立て連続殺人をと希望されて書いたと後書きにかかれていたのを記憶しています。
私は、東京で探偵事務所をひらき事件をとく中短編がけっこう好きです。この辺りをもっと映像化してほしいんですが。そのほうがより本来の金田一を表現できるような気がするんですが、視聴率など一般的には無理なんでしょうかね。

しかし、ブタネコさんといい、めとろんさんといい考察が深いですね。勉強になります。
ではまた。


追伸です。

私が書いた上川版「獄門島」の記事のURLです。

http://toridestory.at.webry.info/200609/article_28.html


★ イエローストーン さん

獄門島の事件って いくつかの条件が揃わなければ 事件自体が起き得なかったんですよね

だからこそ、「実は一(ひとし)は…」という話が伝わった時、和尚は…って部分が とても重要なんだと思います。

結局、その部分が「おどろおどろしい」のメインになるわけで、そこを ちゃんと描いた映像って 私には市川版しか無いと思うが故に 市川版が大好きなんです。


>私は、東京で探偵事務所をひらき事件をとく中短編がけっこう好きです。この辺りをもっと映像化してほしいんですが。そのほうがより本来の金田一を表現できるような気がするんですが、視聴率など一般的には無理なんでしょうかね。


そう、中短編にも面白いモノが沢山あるんですよね^^

その辺を用いてTVシリーズ化してくれると嬉しいですねぇ^^

こんにちは、めとろんです。拙文を引用していただき、誠に恐縮です。ありがとうございます!

ブタネコ様の考察を拝読し、成る程・・・!と膝を打った次第です。
昔、「横溝正史読本」(角川文庫 緑三○四)を読んだとき、同書の「自作を語る」の項で、僕の大好きな箇所があったのを思い出しました。以下、抜粋ー
「小林 (前略)それで、あれ、本当は犯人は一人なわけですよね。(横溝、笑う)それがぼくは、非常にうまくできてると思います。それで、最後に、詐欺の男が来てて、犯罪そのものの動機が崩壊しちゃうでしょう。あそこがやっぱりおそろしいですね。復員詐欺で・・・。
横溝 復員詐欺、あの時分盛んにあったらしいですよ。
小林 それで動機が全部崩れちゃうというところが、やっぱりミステリーのだいご味だと思うんです。」
ーこの、"(横溝、笑う)"に眠れなくなってしまいまして(笑)。つまり、「獄門島」の犯人は"彼"なのですね!
そして、"この点"を押さえていさえすれば、実は"市川版・獄門島"も"原作・獄門島"も犯人は同じなのです。
市川監督は、マスコミに向かって「今回は原作と犯人を変えます!」と発表しながら、ほくそ笑んでいたことでしょう。その確信犯的態度は、映画の冒頭に、しっかりその"復員兵"が(コメディ的演出で)金田一耕助と出会うシーンを挿入していることでわかります。(原作では"話"のみ。)
有名なロナルド・ノックスの「探偵小説十戒」の第一に曰く、ー"犯人は物語の初めから登場していなくてはならない。"探偵小説マニヤである市川監督は、この戒め通り、しっかりと"犯人"を冒頭に登場させたのでした。これは、ブタネコ様の言われる"市川監督が単に作品単体を映像化しようとしたのでは無く、横溝作品のおそらくはファンの一人として描こうとした結果"だと思うのです。
だからこそ、市川=横溝の黄金タッグ復活に、期待せずにはおれないのです。

長々と、勝手な文章すみません。また、伺います!

★ めとろん さん

めとろんさんのブログの記事は 大変、面白かったです。^^

なので、ついつい触発されてしまいました。^^

本当に ありがとうございました。^^

どうも初めてコメントさせていただきます。
恐らく多くの方と同様に“横溝正史”で検索していたらこの有意義なサイトに着いたので色々と楽しませていただきました。
「獄門島」に関しては二十数年前の「ゴールデン洋画劇場」かなんかで観たのが最初だと記憶しています。因みに石坂版です、ハイ。当時の私はまだようやく二桁の年齢になったくらいのお子様で「獄門島」にしたって「月風魔伝」というファミコンゲームに同名のステージ(さらに“三つ首島”というステージもあります)があって「ゲームの元ネタになった映画かな?」なんて気持ちで観たという次第です。最も開始まもなくして金田一耕助シリーズとわかりましたが。感想としては真犯人の設定変更(これはあまり意味無いと思います)やオリジナル演出(当作品屈指の恐怖場面っス!)等が散見しますが、いくつかある「獄門島」の映像化作品の中では最も原作に忠実だったと思います。
それでこのスレッドで取り上げられている上川版については未見ですが、キャプションを見ているだけで物足りなさが伝わってきます。早苗役はオバサン化し過ぎで月雪花は逆に幼過ぎ。「この美しい、しかしどっか尋常で無い」の片鱗も感じられない気がします。他の配役も何か微妙っていうか何というか・・・。
まぁ、時代の流れで現代の放送コードに引っ掛かりまくる設定・描写・用語が多すぎるんでこういった内容もいささか仕方無いんでしょうねぇ。
今後の金田一モノは原作の重要人物の回想での語りでしか出て来ない場面を如何に脚色してドラマティックに出来るかが製作側の腕の見せ所になってくるのかも知れないですねぇ。

★ サマーヴァケーション さん

こちらこそはじめまして コメントありがとうございます。^^

あくまでも個人感なんですが 私は市川崑が映像化したものが最後で 後はどんなに頑張っても無理だと思っております。

なので、映像化には期待しないし 言い訳しながら映像化するぐらいなら むしろ映像化してくれるなとさえ思っております。^^;


【※注意!!】

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