● 私は貝になりたい
最初は1958年にフランキー堺が主演で、そして1994年に所ジョージが主演でリメイク版が どちらもTBSによって制作された。
【以下の画像は 左は1958年版 右 及び 大きい画像はは1994年版】
このドラマのストーリーは 基本的にはフィクションではあるけれど、ストーリーのベースとなった部分や ラスト、そしてタイトルにもなった「私は貝になりたい」という一文は 原題:『狂える戦犯死刑囚』 現在は『私は貝になりたい』と改題された書の中に ある戦犯受刑者の遺書の一文をベースにアレンジしたもの
あらすじは
高知の とある町で理髪店主だった清水豊松は
陸軍兵として招集され その軍務の中で
撃墜され、脱出した米兵の捜索を命じられた部隊の一員として発見した捕虜に 上官の命令で怪我をさせる。
戦後、その件が問題となり 戦犯として逮捕され…
「上官の命令は天皇陛下の命令と同然で絶対だった」と主張するも、「拒否しなかったことは殺す意思があったという証拠だ」と裁定され、絞首刑と判決が下り、
巣鴨プリズンに収監され しばしの時を過ごした後…
刑死する。
その際に、
「せめて生まれ代わる事が出来るのなら…いや、お父さんは生れ代わっても、もう人間になんかなりたくありません。
人間なんて厭だ。牛か馬の方がいい。
いや、いや牛や馬ならまた人間に酷い目にあわされる。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら…
いっそ深い海の底の貝にでも…、そうだ、貝がいい
貝だったら、深い海の底の岩にへばりついているから、何の心配もありません。
兵隊にとられることもない。戦争もない。
房江(嫁)や、健一(子供)の事を心配する事もない。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい。」
という内容の遺書を書き遺す。
このドラマは 「ドラマのTBS」と後の呼ばれた TBSドラマの礎とも言われている作品。
戦後、戦勝国である連合軍側主導で行われた極東軍事裁判には 裁判とは名ばかりで、キチンとした審理を行わず、刑を下し、それにより不当な服役や処刑にあった者は少なく無い。
最近では 首相の「靖国参拝」が問題となり、その問題の根底には いつも「戦犯合祀」が取り沙汰され、中国や韓国のバカタレ共が調子に乗った物言いをする。
が、中国や韓国の言い分は乞食の物乞いよりも醜悪で「ダメ元で文句を言えば 日本政府は 見返りに何かをしてくれる…」的な「外交カード」として利用しているのがミエミエだから、そんなものは ほっておけば良い。
しかし、見過ごせないのは 日本の小賢しい自称知識人や、賢しらぶった「町の人」とやらが
「戦犯を祀れば 被害者である中国や韓国が怒るのは当たり前ですよね」
と、テレビ番組でのコメントや街頭インタビューで述べる様だ。
極東軍事裁判が 実際に どの様に行われ、どんな内容だったかを断片的でも知れば、そんな小賢しいコメントを安易に言えないのは自明の理なのだが、どうも日本人てのは 聞きかじりだけで物事を知った気になる傾向が強い。
しかも、その諸悪の根元が 朝日・毎日なんてクソ新聞と 特にTBSの報道にある。
そこで問うてみたいのは「ドラマのTBSの礎」と言われる この「私は貝になりたい」を TBSの報道に携わる連中は どの様に受け止めているのか?って事。
軍事裁判がデタラメだった… この「私は貝になりたい」における物語の骨子のひとつには それがある。
にも関わらず、その裁判自体を検証しようともせずに「戦犯合祀」を問題視して「靖国参拝」に間接的に批判を繰り返すのは何故か? そこに「報道の正義」はあるのか? それを私は問いたい。
この作品じたいは とても意義深く名作だと私は思うが、現在のTBSごときが「ドラマのTBSの礎」と述べるのは 片腹痛いとしか言いようが無い。
