● 見事な軍人魂です…
先日、『最期のナイチンゲール』という記事の中で
こんな言い方をすると 多くの沖縄県人が怒るかもしれないが、あえて言わせて頂くと 私は一時期、沖縄で過ごした時期があり、その時に よく、それらの郷土史を購入して読んだのだが 正直言って、その多くは被害者意識が強く前面に出過ぎている感がどうしても拭えない内容のものが多く、全ての記述を そのまま鵜呑みに出来無さそうなものも多く感じた。
けどね、内容の程度や表現はともかく 沖縄戦の最中に、本土から送り込まれた日本軍兵士から 沢山の悲しい思いや、腹立たしい思いをしたのは事実なんだろうと推察するし、戦後から今日までを省みても けっして報われたとは思えない状況を考えると それを全面否定するつもりは全く無い。
と、記述したわけだが…
「全面否定は出来ないが、鵜呑みにも出来ない」
としたのは理由がある。
で、
『「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん』
という記事を御参照願いたい。
戦後、長い事 沖縄戦の最中に日本軍兵士が 沖縄の住民に非道な事を数々起こした…という事が、旧軍に対する大きな問題として語り継がれてきた。
しかしながら、その住民虐待と呼ばれている事件の中には 首を傾げたくなる話も多いのだ。
幻想的な平和を唱える団体や、反軍思想団体など 左寄りの連中は「全てが事実 全てが軍の醜態だ」として 事ある毎に叫んできた。
その中で「渡嘉敷島集団自決」に関しては 特に声高に指摘されてきた事件なのだ。
平和団体は言う
「厚生省が認め、命令を下したと部隊長自身(赤松元大尉)が認めている。
だから、軍の命令は実際に発せられ、その命令により島人が集団自決した」
と。
その為に 教科書にまで「軍の命令により集団自決」と記述され、やはり真っ赤な日教組の偏向教育により、「旧軍は酷い連中だ」教育の材料となり…
やはり、幻想平和主義の権化の一人「大江健三郎」などは ロクに調べもせずに自著の「沖縄ノート」で誹謗まで行っている。
どこまでが真実で どこまでが噂や歪曲なのか? ちゃんと調べず、「事実」として報道したり、記述する事の怖さがこれなのだ。
これは、以前 吉田満:著「戦艦大和の最期」の中で
「沈没した「大和」の乗員を救助していた駆逐艦の救命艇の指揮官が
救助を求めて船縁につかまった溺者達の手首を軍刀で切り落とした…」
という記事が 実はデタラメだった… というのと全く同様の話。
この渡嘉敷島の話以外にも 軍が、もしくは日本兵が起こしたと言われている非道の中には「そりゃ違う」と反論の上がっている話は数多ある。
しかしながら、残念ではあるけど実際に事実の話も少なく無い。
だから、私は
「全面否定は出来ないが、鵜呑みにも出来ない」
としか、申し上げる事が出来ないのだ。
けどね、今回、「渡嘉敷島」に関して 信用できる証言が出された結果を 今まで、散々に自分達の言動の糧としてきた幻想平和主義者共は なんとするのか興味深い。
ただ、私が危惧するのは この「渡嘉敷島」の件だけが事実か否か?とか この証言により、住民達が騙し取った年金や弔慰金をどうするのか?なんて事ばかりに議論が集中する事である。
落ち着いて よく考えてみて頂きたい。
赤松元大尉の書類により、渡嘉敷島の遺族や負傷者に「援護法」が適用されたのは昭和32年なのだという事を。
つまり、戦後10年以上過ぎても 渡嘉敷島の人々には ろくな補助が国から与えられて無かった… そっちの方が重要な事実なんだって事。
戦中に苦衷を舐め 戦後に困窮を窮めた住民達を助けられたのは 赤松元大尉の紙切れだったのだ。
県民に対し、後世 特別のご高配を賜わらんことを
故・太田海軍司令官が発し遺した この願いを誰も受け止めてくれてなかったのだ。
国も厚生省も そして幻想平和主義のバカタレ共も、そして沖縄県外で ぬくぬくと育った我々も 皆、猛省すべきとは思わないかい?
公文書偽造とか、金はどうする?とか、名誉回復が…なんて事よりも なんで、そんな事になっちゃったのか? その事によって いろんなバカタレが 何をどう歪めてしまったのか? そこをきちんと把握しようよ
「残虐な指揮官」として誹謗され続けてきた 故・赤松元大尉におかれては
「貴方こそ 英霊として 胸を張って靖国神社に祀られてください」
私は そう念ずるばかりだ。
戦後の住民を守った 立派な軍人だったのだ。
いち納税者として願うのは 渡嘉敷島で年金や弔慰金を受け取った方々は それらの金員を返還する必要なんか無い。
島の人々を 我々は責める事なんか出来ないし、それどころか 逆に深く詫びるべきなのは こちらの方だ。
だから、返還なんかせぬ変わりに、島の片隅に 故・赤松元大尉の慰霊碑でも建ててあげて欲しい。
故・赤松元大尉に対して 立派な軍人だったと名誉を回復してあげて頂きたい。
その際には 僅かながらも寄付する気持ちを添えて 私はそう願うばかりです。


