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2006年07月13日

● 大和ミュージアム(広島県呉市)


旅を終えた今、今回の旅の中で最も思い出深いのは 広島県呉市にある『大和ミュージアム』を訪ねた事と言える。



広島県呉市宝町 (Sorry, this address cannot be resolved.)

ここを知ったのは「男たちの大和」という映画が制作された時に その番宣番組の中で見た時。


その時、私が思ったのは ただ「大和」という 太平洋戦争時に建造された「世界最大最強の不沈艦」と呼ばれた「大和」という戦艦の1/10の模型をメインにした 単なる博物館かな?と。


その後、いろんな方から情報を頂き、機会を見つけて 一度は行ってみたい… そう思っていた。


戦争について ろくな教育を受けていない 現代の日本人の中にあって、たまたま興味があっただけでは無く、身内にも戦没者がおり、御世話になった多くの知人が従軍経験者で その経験談を聞いて育った私としては 「大和」という軍艦が ただ飾られているだけの施設であれば 本当は見るつもりは無かったのだが…


ちょっとだけ結論を先に言えば『良かったよ、素晴らしかった大和ミュージアム』だった。


さて、以下は 日頃から「右寄り」思想の持ち主と自認する私の私見である。


ゆえに、「左寄り」の方々には 不愉快千万の感想が多いと思う。


で、先に そんな不愉快に思われた方々に言っておく。


「不愉快に思われたのなら 二度と このブログを読みに来るな」


と。^^;




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今にも雨が降りそうな どんよりとした空だった。


平日の午前中ともあって、個人の観覧客は少なく 老人の団体客か 修学旅行の学生が ほとんどの中にあって 40過ぎのオッサン3人組の我々は ちょっと場違いの感じもしたが そんなものはどうでも良い。


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館内に入って まず、目に飛び込んでくるのが このミュージアムのメインである1/10の「大和」の模型である。


これが 実に迫力がある。


先に補足しておくが 館内は ちゃんと断っておけば、写真撮影してもいいモノ(場所)が沢山ある。


ゆえに、「フラッシュを使用しなければ」という制約付で許可を貰って 記事中の画像は 私が使い捨てカメラで撮影したモノである。


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模型の周りの観客と比較すれば 模型の大きさが判っていただけようか?

(画像だと なんか小さく見えるんだなぁ^^;)


で、この横に資料展示室がある。


順路に沿って 建造された時から沈没に至るまでの経緯を示す書類や写真や 貴重な動画が展示されているのを見ていくと 自然、目頭が熱くなる。


そんな時、修学旅行の女学生の 脳天気な声が聞こえた


「大きいフネだねぇ…

 こんなフネ、本当に昔 あったのかなぁ?」


実在したからこそ、歴史となって ここに展示してるんだよ オネェチャン


妙に寂しい気持ちに包まれた。


日教組共の国賊が 自分達の歪んだ思想に気づけず、学生の歴史観をねじ曲げた結果が これなのだ。


でね、資料室を見終えて 再び、大和の模型の前に立って見渡した私が感じたのは…


日本という国が 太平洋戦争に突入に至った経緯は、「ABCD包囲網」とか「ハルノート」とか「ルーズベルトの陰謀」とか とかく色々と言われているが、そんなものは とりあえず、どうでもいい。


世界地図で見れば ちっぽけな島国の日本が、しかも江戸時代の長い期間の鎖国により 世界情勢に 必死で、物凄い勢いで追いつこうとした先人達が この「大和」を造り上げるに至るまでの気持ちって 何だったろう?… 私は そこに思いが馳せる。


戦後、


「大和(同型の”武蔵”も含めて)を建造する予算や資材があれば 零戦が@@機は作れたはず…」


とか、


「時代遅れの 大艦巨砲主義のなれの果て」


等と 無駄の極みのように言う人々がいる。


たしかに、結果論で言えば それはそうかもしれない…と 私も思う。


しかし、それは やっぱり「結果論」なんだよな


重要な点は


「日本が諸外国に対等以上に渡り合うには どうすればいいか」


を 多くの その当時の人々が真剣に考えた結果でもあるのだ。


60年以上過ぎた 今の時代感そのままで、当時を結論づけちゃイケナイのだ。


当時、「大和」が世界最大で最強だったのは 理論上、間違い無い。


そんな艦を造り上げるだけの技術が日本にあった… そこに、私は まず魂を揺さぶられる。


それは「他国の言いなりなんかにはならないぞ」という 当時の日本人の気概というか気合いというか そんな強い気持ちを感じるのだ。


最近の 中国や韓国に対する腰抜け外交を考えてみて頂きたい。


なにも、私は軍備を増強して「なんだったら戦争するぞ」みたいな姿勢を求めるつもりは無い。


ただ、日本という国の主張を きちんと出来ていない腰抜けさに腹が立つのだ。


60年以上前の日本という国は「軍備」により 主張を通そうとし、であるがゆえに「大和」の様な艦を造り上げたとも言えるんじゃないか? そう思ったら、今の物差しで「無駄の長物」なんて言っちゃいけない。


むしろ、60年以上前の日本人のプライドであり、信念であり、気合いの象徴なのだ。


そう思い直して 見上げた「大和」の模型は 実に雄々しく堂々とすらある。


そして、資料室の一角に


沖縄沖へ海上特攻に進む大和の艦内で 迫り来る自分達の死の意義とは何ぞや?と交わされた乗り組み員達の議論が、やがて殴り合いの喧嘩にまで発展した時、哨戒長であった臼淵大尉が



    「進歩のない者は決して勝たない。

     負けて目覚めることが最上の道だ。

     日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。

     私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。

     敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。

     今目覚めずして いつ救われるのか 

     俺たちはその先導になるのだ。

     日本の新生に先駆け敗れる まさに本望じゃないか」


と、その喧嘩を諫めたと言う。


こういう話を耳目にした時、私は「国を思い、国に命を捧げた」と捉えて ともすれば讃美したくなる。


すると、「左寄り」の連中は「乗組員達は 単なる犠牲者だよ 美化しちゃいけない」と言う。


つまり、靖国問題の根底の一つでもあるのだが、戦没者を「英雄」と とらえるか「犠牲者」ととらえるか、という二者択一な対極的なモノの見方だ。


で、私が常々 申し上げたいのは 戦没者は「英雄」かも、もしくは「犠牲者」なのかもしれないが いずれにしろ、「殉職者」だ…という点。


国の為に殉じた方々に対して どう解釈するか?なんて部分で議論している時点で 既に大人の話では無い。


いわば、恩人に対して感謝を捧げるのは 道徳の基本だろ?と。


まずは、国民が 皆で きちんと慰霊する為に、ちゃんとした場所と ちゃんとした歴史教育と ちゃんとした認識を得なければ 殉じて下さった方々に申し訳がたたないだろ? そう問いたいのだ。


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上の画像は この「大和ミュージアム」の展示物のひとつで ストロボを使用しなかったから、かなり見づらいのは どうかお許し頂きたい。


これは、太平洋戦争中を撃沈されずに生き延びたが、戦後 中国に対して賠償艦とした引き渡された駆逐艦「雪風」の乗組員達が 引き渡しの時に下ろした軍艦旗に寄せ書きをしたものだ。


特攻隊などの寄せ書きと違い、ここに書き込んだ人々は戦後も生き抜いた方々なので 言葉にも悲壮感は薄い。


しかし、特攻隊の寄せ書きや遺書もそうなのだが もし、アナタが こういう展示物を目にする機会に恵まれたなら 是非、注意して見ていただきたい部分がある。


それは、書かれた文字が 皆、物凄く達筆だという事。


しかも、文章自体の格調が すこぶる高い。


人の書く文字は それぞれ、人によって癖がある。


どんなに 綺麗に書こうとしても なかなか達筆とは言われない人も確かにいる。


しかし、走り書きと違って こういう寄せ書きや手紙では 相手に対する礼儀や、文章に込める思いを表すためにも その人なりに丁寧に気遣って書くから、通常よりは綺麗な文字になるのは当たり前なのだが…


現代人の書く文字を思い起こして頂きたい。


文字の流麗さどころか 読む人への礼儀や思いを込めて書いてますか?

(書けてますか?)


そんな思いのこもった寄せ書きを見て、乗組員達の遺影や碑銘を見ると ホント泣けてくる。




先日、北朝鮮とかいう集団が ミサイルを7発発射した…として とかく報道や論議がなされている。


「ふざけるな」と真剣に怒る人もいるだろうが 私は1発や2発 今のこの日本という国は撃ち込まれた方が良いとすら思う事がある。


出来れば、永田町や霞ヶ関の「役人」とか「政治家」と呼ばれる国賊共をフッ飛ばしてくれるとありがたいが そうじゃなければ この発言の責任を取る意味で 札幌の私の家をフッ飛ばしてくれても構わない。


「敵基地攻撃能力は必要」


みたいな事を たまたま防衛庁長官という職に就いただけの額賀とかいうアホが言い


麻生太郎外相も同日のNHK番組で

「(核爆弾が)ミサイルにくっついて

 日本に向けられているのであれば、

 被害を受けるまで何もしないわけにいかない」と述べたそうな


今まで何もせずにいて、いきなり今になって そんな攻撃(反撃)能力を持とうとすれば 防衛予算はどれだけ追加され、それを国会が テキパキと論議できるのか?


きちんとした「論議」そのものが出来ていない馬鹿共が 思いつきで好き勝手を言ってるんじゃ無い… と、私は思う。


先に記した 臼淵大尉が「大和」の艦内で述べた言葉が本当だったのか否か?について 論議があるそうだから、その事を いちおう先に申し上げておくけれど…


太平洋戦争で殉じた方々のお陰で 日本(国民)は本当に目が醒めたのだろうか?


殉じた方々は 今の日本(国民)の姿を見て


「ウンウン、良くやった」


そう誉めてくれるのだろうか?


私は まず、そこを検証すべきなんじゃないか?と思うんだ




【追記:7月14日】


大和ミュージアムには 下の写真のように「零戦」の実物や 松本零士の「宇宙戦艦ヤマト」の展示室もあります。


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コメント

現在の30代はかなり幼少の頃「宇宙戦艦ヤマト」に
夢中になった。もちろんオレもその一人。
しかしオレの通った小学校は平和教育を怠るような事はしなかった。
アニメではカッコイイと思っていた戦艦や戦争のイメージは皆無。
幼きながらも自分の浅はかさを思い知る。

思えば戦争を経験した事がある身内を持つ世代はオレの世代位が最後かな?
まぁ結局両じーさん達に戦時中の詳細を尋ねた事はなかったけれど…。


個人的には戦後。焼け野原の中で技術達が有る物を上手く加工して
「ものづくり」に明け暮れた結果、今の日本があるのだと思っています。

だから三菱・松下・トヨタの騒動は寂しいです。

いや~久々にブタネコさんらしい、スウィート・ビターな意見を
拝見させていただきましたw

実は私も、周りから右翼と言われるオッサンなんです・・・
ただ私自身は、右でも左でもなく、中立のつもりなんですが。

もっとも公正中立と自称する某朝O新聞なんて、
どう読んでも真っ赤かの左よりだし、
何を基準にするかで右か左かに分かれるんでしょうけど。

子供の頃、雑誌「少年」の付録で大和を見たとき、
「なんて美しい戦艦だろう」と思いました。
今でも世界の歴代戦艦の中で、
一番美しい戦艦だと思います。

死ぬと分かっていながら、愛する日本国と日本人の為に
沖縄へ向かった乗員の気持ちを考えると、
今の日本人(私も含めて)は、これでいいのかなと思ってしまう。

今の若者は、太平洋戦争さえ知らないというし、
知っていても、侵略の犯罪者という偏向教育しか受けていないという。

そして、自国を愛すると言うと、まるで悪人のような扱いをする狂ったマスコミ。
そのマスコミが持ち上げる、私の嫌いな東大教授の姜に至っては、
傲岸な物言いで、今の日本のナショナリズムを批判する始末。
 この男から日本のナショナリズムを批判されると、
何だか、万引き犯が強盗犯から説教されてる気分になるから不思議w

あっ、何だかとりとめのない事を愚痴ってしまいました (^^;)

「大和ミュージアム」、絶対行きます。

・・・もっとも当分、無理ですけど (T_T)

こんばんは。
呉の大和ミュージアム、大変うらやましいです。私は個人的には鹿児島県の知覧にもいずれ足を運びたいと思っている人間ですので、こちらに掲載された資料(特に日の丸の寄せ書き)はいつか、是非とも見てみたいと思っています。

・・・とまあ、ここまで読んでいただければなんとなく察していただけるのかと思うのですが、私はおそらく、部分的にはブタネコさんを上回る“右寄り”人間です。

江戸時代、世界で最も安全で文化度の高い国のひとつだった日本が、開国後に世界情勢の激流に飲み込まれる形での戦争、そして敗戦。その後の日本は、まさに自虐的歴史観に苛まれる60年間であったと思います。
折に触れ、戦没者の方々の言葉などを目にするとき、「この方たちは、こんな日本の姿を見る為に、亡くなったはずじゃないのに・・・」と感じることが多々あります。
私たちは、少なくとも次の世代が日本人である自分をなんら恥ずかしく思うところなく生きていけるように、今から変えるところは変えなければならないと思います。
それが、実質孫・曾孫の代に当たる私たちからの、戦没者の方たちに対するせめてもの餞です。

>きちんとした「論議」そのものが出来ていない馬鹿共が 思いつきで好き勝手を言ってるんじゃ無い… と、私は思う。

私は、このお言葉には、賛同出来る部分と出来ない部分と、両方感じます。
敗戦後60年間、日本はまさしく自虐的歴史観の中にいました。他国の傍若無人にも、ただ頭を下げてればいいというような。けれど、ようやく、それらの国の暴言や無礼に対して批判や無視を出来る政治家が、地方自治体レベルでも出てきています。10年前なら、確実に更迭されていました。
「正しいことをするには“ちから”が必要」という言葉どおり、そういう人たちがただ土下座してるような政治家を差し置いて、力を持てる時代になってきたのだと、私は思っています。
あまりにも能天気すぎますかね?

なんだか、生意気なことを言っているようで申し訳ありません。

ブタネコさんへ

早速の更新、拝読しました。僕もあの兵学校の教育参考館での特攻隊員の遺書や辞世の句を読んで、皆20歳前後であの内容、達筆さ本当に心打たれたのと同時に大いに恥じ入った事を思い出しました。小さい時からの漢文や古文の素読の必要性を痛感しました。今の教育でこれらを求めるのは無理のようで、次世代は我々以上に日本の良さと言うものが失われていくのだろうと思います。身を挺して後世の日本のために戦い殉死された人たちに申し訳ない気持ちになります。

私の亡き祖父は東南アジア戦線から奇跡的に生還できたのですが、無口な人だったのと当時は私が幼かった為、戦争という物に関しては殆ど聞かされなかったのが、今となっては悔やまれます。
数少ない記憶では、戦争ごっこを無邪気に遊んでいた頃に『戦争をかっこいい』みたいな発言をして、ぶっ飛ばされた覚えがあります(´Д`;)
呉は、少々遠いので靖国資料館を訪ねてみようと思いました。

★ トラックマン さん

>だから三菱・松下・トヨタの騒動は寂しいです。

私は それにSONYを加えたいです^^


★ goboten さん

>私の嫌いな東大教授の姜に至っては、
傲岸な物言いで、今の日本のナショナリズムを批判する始末。
 この男から日本のナショナリズムを批判されると、
何だか、万引き犯が強盗犯から説教されてる気分になるから不思議w


お気持ち よく判りますし、同感です^^


★ しき さん


>「この方たちは、こんな日本の姿を見る為に、亡くなったはずじゃないのに・・・」と感じることが多々あります。


そう、そこなんです


>私は、このお言葉には、賛同出来る部分と出来ない部分と、両方感じます。

けっして脳天気ではないと思います

私が額賀や麻生に疑問を感じるのは「こいつら 本当に日本のことを考えて言ってるのか?」という思いがつきまとうからです。

このジジィ共は つい最近、政治屋になったのではなく かなり前から政治屋だったわけで そんな彼らの以前の意見と 今の意見では 中味がずいぶんと違ってる。

昔は言えなかったけど、今なら言える…

たしかに それも理解出来るんですけど、「昔から言い続けて今に至る」では無い部分に 政治屋特有の嫌らしさを感じる次第なんです。^^


★ タンク さん


>身を挺して後世の日本のために戦い殉死された人たちに申し訳ない気持ちになります。

まったく、その通りですね


★ 龍之介 さん


>靖国資料館を訪ねてみようと思いました

行ってらっしゃい

大和ミュージアムの近くに住んでいるのでいつでもいけるしといってませんでした。
ブタネコさんに会えるかも…が9割、せっかくだから見学しようが1割の不純な動機で入館しました。うろうろきょろきょろするおばさん一人、かなり浮いていました。

大和の模型があることは知っていましたが、呉の歴史とともに当時に起きたことをまとめた10分ほどの映像や、たぶん戻ってこない事や残される家族を気遣う言葉が達筆な文字で書かれている手紙、胸がつまり涙がにじみ参りました。

呉市内にある海軍墓地は今も掃除をされる方や花を供える方が絶えません。その方々の気持ちに少しでも触れられた気がしました。

★ satomin さん

>ブタネコさんに会えるかも…が9割、せっかくだから見学しようが1割

光栄です^^

大和は1/10ですが 私は等身大を御覧になれたのに^^;


>達筆な文字で書かれている手紙、胸がつまり涙がにじみ参りました。

ですよねぇ…

言葉が無くなりましたね 私も


>少しでも触れられた気がしました。

同感です。

もうすぐ 8月15日

また、いろんな番組が流れるのでしょうけど…

私は 慰霊を取り上げる番組の少なさに メディアの見識を疑うばかりです

当たり前の発言をしただけで、今の世論では右と言われてしまう・・・・・
とても嘆かわしいことだと感じます。

私の母方の祖父(昭和30年頃他界)も、戦中は帝国海軍の一員として呉にて勤務しておったようです。
原子爆弾投下後の直ぐに廣島市街に行ったそうで、多分そこで多量の放射能を浴びた為、晩年は大量の吐血後亡くなったそうです。
数十年前に、今は亡き母より伝え聞いた祖父の話はこれだけです。

それだけでも、呉にはなんでか非常に郷愁を覚える次第です。

大和ミュージアム・・・是非足を運びたいと思います。

現在の近代歴史教育は、東京裁判史観の影響が甚大ですね。
いつまで勝者によって歪められた罪悪感(歴史)を背負って、卑屈・退廃的な道を進むのか日本という国は・・・・

大戦中に國に殉じられた方々しかり、大戦後も戦犯という汚名をきせられ、一方的に処刑された多くの日本人に、今の我々は胸を張って堂々と会えるのだろうか?
当然否だと思っております。

気骨著しく欠ける今の日本・・・こんなんでいいんですか?
國レベルから、国民一人一人の思考レベルまで、もう一度見直さなければと思います。
自分も含めて・・・・・

東京裁判という勝者の勝者の為だけの裁判
そして、印度代表判事のパール氏についての正しい報道番組がないものかと、つくづく思います。

かの國のやり口は、半世紀以上経過した今でも、なんら変わる事がありませんね。
それに追随する今の日本・・・・・○| ̄|_
ごめんなさい、長くなりました。

最後にいくつかのコメントに「知覧」という地名が散見されました。

当時鹿児島県は御存知の通り、沖縄方面への航空特攻の最前線基地が多数ありました。

知覧方面へお越しの際は、加世田の加世田市平和祈念館へも是非足をお運びになって下さい。
(知覧から車で30分~60分ですからw)

なんなら不肖私が御案内仕りますが、如何?

ブタネコさんお元気そうで何よりです。
「ぜひ注意してみていただきたい部分・・」
まったく同感です。
ご指摘のとおり、寄せ書きに見られる文字・文章の、達筆さ・かかれる内容の深みは、
まさに国民の知力、民力を如実に示していると思います。
(画像でははっきりしませんが^^、いろいろな本で戦地から家族にあてた手紙などを
読むたびに、そう思ってきました)

現代教育のまさしく危機を実感すべきだと思います。
肝心の息子の書いた文字やら文学書の読書量をみて、
子の教育ぬかったなと反省してます。

いまだに、広島を訪れたことなく、今秋には修学旅行で
息子に先を越される予定で、旅行前にしっかり教育施さねば、と考えさせられました。

★ Wen さん


>東京裁判という勝者の勝者の為だけの裁判
そして、印度代表判事のパール氏についての正しい報道番組がないものかと、つくづく思います。


パール判事の件は 私も ちゃんと取り上げる番組はないものか?と かねがね思っております。

ま、

「今更 そんな事を蒸し返してどうする?」

なんて 知識人とか文化人とかだと思ってる輩から言われそうですけど^^;


★ おじさん さん


>ご指摘のとおり、寄せ書きに見られる文字・文章の、達筆さ・かかれる内容の深みは、
まさに国民の知力、民力を如実に示していると思います。


ほんと、凄いなぁ…と ただただ頭が下がります。


>現代教育のまさしく危機を実感すべきだと思います。


同感です。

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。