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2006年05月28日

● 瑠璃の島 第7話 再考


「瑠璃の島」 第7話を見直した




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2005年5月29日に オンタイムで第7話を見た後に『瑠璃の島 第7話』という記事を書いたわけだが…


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いっちゃんから手紙が届き、「豊年祭」を見に島に来ると書いてある。


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それが照明には嬉しくて堪らない。


しかし、そんな矢先に…


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呆気なく照明は死ぬ。


この辺の話の流れは ややもするとベタである。


でも、それがベタか否かなんてのは どうでも良い。


この第7話で描かれている重要な点は 瑠璃の心の成長の過程であって 照明の死は その肥やしにすぎない…という見方も出来るからだ。


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照明の亡骸を前に 在りし日の照明を島人達が語り


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それを聞いている瑠璃


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でも、瑠璃は照明の死を納得出来ない。


それは 瑠璃と川島だけが いっちゃんが島に来る…と 無邪気に喜んでいた照明を知っていたからだ。




昔、私が ある人に聞いた話だが…


「人は…

 知識が増えると 脳のしわが増える

 歳が増えると 顔のしわが増える

 想い出が増えると 心のしわが増える

 そうやって、しわが増えれば増えるほど 良い大人になるもんだ」と


それを聞いた頃の私は小僧だったから


「じゃ、口説いた女の数が増えれば

 キャンタマ袋のしわが 増えるのか?」


そう言って その方から殴られそうになったのだが…^^;


今は その言葉の含蓄の深さが よく判るような気がする。


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照明の念願が叶ったかの様に島に いっちゃんが来る


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けど、当の照明は亡骸


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その無条理に言葉も出ない瑠璃。


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独り桟橋の先端で 照明が荼毘にふされ骨になって戻ってくるのを出迎える瑠璃


その時のナレーションが

『神様は、何が大切かわからせるために

 人から大切なものを取り上げると言う…

 でも、神様は、私がしがみついているものまで取り上げてしまう。

 ある日突然、すごく簡単に…』


オンタイムで放送を見ていた時は このナレーションと 直後の


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というシーンでブワッと泣けて仕方が無かった。


で、ほぼ1年経って あらためて再見してみると この瑠璃のナレーションの深さに気づく 特に「私がしがみついているもの」という部分にだ。


「何かを得るためには 何かを失ったり、我慢しなければならない…」


「何か失う事は 何かを得ることだと思わない?」


再び、この言葉が 私の脳裏を過ぎる。


「実の親」を失う事で 「親の愛」や「人の心」を知る。


「かけがえのない人」を失う事で 不条理を知る。


決して、瑠璃が その事を知るためだけに照明が死んだ訳では無いけれど、悲しい思いをしてまで、照明を失ってまでして 知らなければいけない事なのか?と 無意識に自問自答する瑠璃だが 簡単に答など見つからない。


「いつまでも あると思うな 親と金」


失って初めて判るありがたさ…を表した言葉だが、こういう経験を重ねて 心のしわが増えていくんだ人間は(ToT)


ラストに見せた


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この瑠璃の表情は そんな心のしわの増えた表情を よく表している。


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この「さくら」共々 ますます目がはなせなくなっていく…



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