● 砂の器
1974年に公開上映された映画「砂の器」について語ってみる。
私は 何度か、このブログ内で松本清張を批判もしくは卑下する事を述べた事がある。
それは 松本清張を主とした「社会派推理小説」と呼ばれるジャンルに異議、もしくは疑義を挟む場合に代表格として 松本清張や彼の作品を挙げたに過ぎないのだが、世の中には「松本清張ファン」なる方々がおり、それらの方々には 私の能書きが快くなく響いてしまうわけで、先日 ある方より、「批判するなら きちんと作品を見てからにしろ」と言われたものだが…^^;
私は 何も読まずに批判するほど無礼な真似をしたつもりは無い。
「砂の器」や「点と線」など ちゃんとそれなりに評価もし、このブログ内で そう述べた事もある。
さて、松本清張と同じ様に 映画監督:野村芳太郎についても 私は批判した事がある。
それは 私の敬愛する横溝正史の「八つ墓村」を 彼の独自の解釈とやらでクダラン映像にしてくれたから批判したまでの事。
で、奇しくも その松本清張の原作を 野村芳太郎が独自の解釈で映像化したのが この「砂の器」である。
率直に言って、私にとって この「砂の器」という作品は 私なりの理由で心に残る映画だとは思っている。
しかし、「良い作品」「素晴らしい作品か?」と問われれば 一般の感想とは微妙に違う。
さて、近年 SMAPの中居が主演で この原作はTVドラマ化された。
それを私は見てないので そのドラマの内容については言及しないが、その流れと もうひとつの理由により この「砂の器」が 静かなリバイバル・ムードになっているのだそうだ。
確かに、一見する価値のある作品だとは思う。
けどね、正しい認識の上で観る事… それを私は危惧し、警鐘したい。
と言う事で、以下に述べる事は ブタネコの私見であるから その辺を踏まえて御一読願いたい。
物語は ある殺人事件に端を発し、
ベテランの鬼刑事(丹波哲朗)と 若手のハリキリ刑事(森田健作)がコンビを組んで事件を追う。
ヒントは東北弁の「カメダ」
この二人の刑事が旅して歩く背景の映像は まさに1970年代の日本の景色で とても綺麗に撮影されており、旅情や郷愁を掻き立てられる。
このように、「背景」という部分での映像は さすが「野村芳太郎」と思う。
JRではなく、「国鉄」の食堂車のウェイトレスのこの制服を見ただけで とても懐かしさで一杯になる… そんな世代なのだ私は^^
さて、ここで最初の問題を提起しておくと…
原作では 重要容疑者に二人の刑事が辿り着くまでのプロセスがいくつかある。
しかし、映像には そのプロセスの多くが削られ、ともすれば 最初から犯人ありき…みたいな脚色となっているのが 落ち着いて見直すとイタダケナイ。
面白い原作を映像化する際、その原作の どの部分が面白いと感じるかは人それぞれではあるから、その面白さを根本に余計な部分を削って 約2時間という尺の中に納めようとする。
重要な事は その時間内への「取捨選択」による作業を行う時に 映像制作者は本当に その原作を味わい、「何が」面白い部分なのか ちゃんと踏まえているのかな? 客が そう思ってしまう時点で 制作者の「負け」とは言えないか?…って事を考えてみて欲しい。
というのは 作品の本当の評価を決めるのは 制作者でも評論家でも、上映する映画館の小屋主でも無く、観客なのだ。
そして、話題になった原作であればあるほど 原作のファンが その観客の中に多く含まれているのだ。
だから、原作をいじって脚色した結果は 原作ファンの許容範囲で「面白かった」という評価に過ぎず、「凄ぇ面白かった」と言わせるには 原作ファンを唸らせるぐらいのいじり方をしてくれないと そんな評価はしてもらえない。
それは新進気鋭の若手監督であろうと 評論家達に評価の高い大監督であろうと同じ事。
で、私が思うに…
この「砂の器」という映画を「傑作だ」と評価している人の多くの理由を注目してみると その多くが高く評価しているのは 劇中で用いられた
「芥川也寸志」の「宿命」という交響曲の素晴らしさと 物語の盛り上がりと共にアップダウンがキッチリとハマった見事さを挙げる。
これは本当に素晴らしい 私も、そう思う。^^
特に、
劇中に重要なファクターとして登場する親子が
いろんな地を旅して歩く姿と 捜査会議の席上で丹波哲朗が 訥々と語る捜査結果のシーンと もうひとつの 3つのシーンが交互に切り替わりながら描くバックに流れる音楽が とてもハマって泣けてくる。
この親子の部分をメインのファクターに突出させたのは脚色上の成功だと言えるから、そこに感動した人の多くが「砂の器は傑作だ」と評する。
でもね、ここで重要な事の扱い方…
そこを制作者も そして観客もおざなりにしてしまっている。
それは「ライ病」とか「ハンセン病」という病気と その患者や家族が受けた悲劇という部分。
1943年に 最初の治療薬が発見されるまで この病気は「遺伝病」とか「感染病」として患者は ただ隔離されるにとどまらず、忌み嫌われ 差別の対象とすらなった事は 医学の進歩と偏見による 重要な事例として大いに反省し、踏まえるべき問題なのだ。
平成8年に「らい予防法の廃止に関する法律」によってようやく 国が患者を差別の対象とするかの如き悪法が廃止され、平成13年に 厚生省、国会の責任を認める有罪判決が下った事は記憶に新しい。
で、この「砂の器」の場合 公開年度が1974年という事もあり、当時の風潮の中で この病に関して正しい認識がなされたわけでは無く、まだまだ偏見意識や間違った認識が蔓延っている時期 その時に、「この病を物語の”お涙頂戴に利用した”」という見方をする人も 実は少なく無い。
そう、昔は「ライ病患者」として忌み嫌われたばかりに 定住できず、国内を放浪していた患者が少なくなかったのだ。
公開された1974年の頃は そういった放浪患者はかなり減ってはいたけれど、その記憶を宿した人は多かった時代で この映画で そんな偏見が増えたり減ったりしたわけでは無いだろうけど それらを除こうとする描き方では無く、「この病を物語の”お涙頂戴に利用した”」という見方を 私も否定する事が出来ないんだなぁ…。
だからね、犯人が犯行をおかした理由・動機を考えた場合に その重要な部分を踏まえずに「同情して泣きました」という感想を簡単に述べる人も多いけど
単純な「物乞い親子」としてしか見ずに同情したのでは意味が無い。
このシーンに秘められた重要な意味を理解せずに「感動して泣きました」なんて安易に言ってのけるるアホは 上辺でしか物を語らないと同様なんだと思うべき…って事。
つまり、ライ病とかハンセン病という病気に対して偏見が蔓延っていた1974年という時代に 親子が物乞いして放浪して歩かねばならなかった理由、離ればなれに引き離される理由… それが、側面的に見れば「ごく当たり前の理由」として描かれた様に見える この「砂の器」という映画に対して腹立たしく感じた人も少なく無かった…という事を知っておくべきだと申し上げたいのと、そういう腹立たしさを感じる人がいる事を充分に承知しながら、その重要な点を 松本清張も野村芳太郎も きちんと描かず、ともすれば蔑ろにしている点は やはり、この両者に対して私は好意的な事を言う気になれない理由ともなるのだ。
で、「砂の器」という言葉をキーワードにして検索してヒットしたHPやブログを拝読していると、思いの外「竜飛岬」という地名が登場する。
そう、この「砂の器」という映画は 青森県の竜飛でクランクインしたのだそうだ。
以前、別の記事で述べたが 私は この竜飛という土地に縁がある。
撮影した時期は知らないけれど 映像を見ると「あぁ…」と懐かしい場所が目に映る。
例えば、このシーンの場所は間違いなく
「青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩梹榔」という場所で
「梹榔」と書いて「ひょうろ」と読む
今では もっと立派な道でトンネルになってるらしいが、私の知ってる竜飛の冬の景色がまさにこれで^^
これは梹榔の近くの 鎧島やミサゴ島と呼ばれた場所の辺り
ここは 記憶がおぼろ気なんだけど 竜飛の帯島の裏の龍神を祀った祠だったと思うし…
これは竜飛小学校のグランドの横にあった墓地だと思う。
私としては 上記のような昔の竜飛がみれるだけで 充分に「砂の器」は記憶に残る映画なんだけどね、これは 本筋の理由とは違うので置いておく^^;
いずれにせよ、この「砂の器」という作品が名作だったと評価するとしたならば、それは松本清張や野村芳太郎に対する賛辞では無い。
私に言わせれば 芥川也寸志の音楽と、
加藤嘉の演技と
緒形拳の 特に上の場面の演技が 実に素晴らしかったから。
そこを強調したいと思うばかりだ。
