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2006年05月17日

● 瑠璃の島 第2話 再考


「瑠璃の島」 第2話を見直した。




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2005年4月24日に オンタイムで第2話を見た後に瑠璃の島 第2話』という記事を書き、その中で



瑠璃の島 第2話を見た。


なんか 良いよ このドラマ

(巧く言えず スイマセン^^;)


瑠璃や川島に対して 不審の発言や行動を取る治衛(平泉成)にも感情移入できるし、勇造(緒形拳)や恵(倍賞美津子)の台詞や仕草には深みがある。


そして なによりも瑠璃(成海璃子)が良い。


ひねくれた時には 大人っぽく、でも 本来の子供の顔 その双方が実に巧く引き出されている。


ひねくれたガキが多く登場する 今ク-ルのドラマ(「あいくるしい」や「エンジン」)の中で この成海璃子は傑出してる…と感じた。


郵便船で島を離れる勇造を瑠璃が見送るシ-ンでは 何故か、ジ-ンとくるものがあり、ヘリの中で 瑠璃に話す恵には 懐の深い女性が感じられ また、ジ-ンとくる。


今回の第2話を観て 正体不明の男・川島の真の姿が明らかになった時と 何故、勇造が瑠璃を里子にしようと拘るのか… その2点に 説得力を感じさせる物語が展開してさえくれれば 予想以上に 良いドラマと記憶に残りそうな予感が、増々 高まった。


と、述べたわけだが…


この「瑠璃の島」の第1話から おそらく第3話までの話のベースのひとつには「子供の居場所」というテーマが秘められている。


「自分が 本当に必要とされている子供なのか?」


子供の心の中に こんな葛藤が生じる事は 大人の責任だと考えるべきなんだな。


第1話の冒頭で まだ東京にいる頃の瑠璃が夜の街を彷徨い、援交詐欺みたいな真似をはたらいたりするのは何故か? それが楽しいとか、お金が欲しいから…と解釈するのは局所的な狭い視野 


「居場所が無い」-「何処かに居なければならない」-「何処かに居るには金がかかる」


今の子供は(大人も含めて) ただ、時を過ごすためにだけでも金を必要とする。


「暇潰し」には「金がかかる」


と言うわけだ。^^;


例えば、TVゲームをして過ごすにしても ソフト代やゲーム機本体を買う金がいる。


ゲーセンで遊んだり、ファミレスやマンガ喫茶で過ごすにも金がいる。


そういう部分の「金」に対する感覚により、本来のもっと大事な部分が見えなくなってしまってる。


例えば、両親が共働きで 母親が忙しいから…と言って 子供の弁当を作らず、相応の金を与えて「お弁当かパンでも買って食べなさい」と渡す。


逆に「お金が勿体無いから…」という理由で弁当を作る母親もいる。


子供が可愛いくて その子供の事を思って弁当を作る… 実は それが根本なのに、いつの間にか その根本が見えなくなって カネ・かね・金…


親が 子供の昼ご飯を気にするのは 子供を飢えさせない、子供にだけは ひもじい思いをさせたくない… それが根本。


確かに昼飯の1回や2回 食べなくたって、簡単に餓死するほど人間は弱くは無い。


けど、毎回 金を与えて「好きな 食べたいモノを食べればいいのよ」というのが はたして本当に子供の事を考えたやり方なのか よく考えてみるべきなんじゃなかろうか?


で、瑠璃に話を戻す。


瑠璃の母親は 私に言わせれば破綻者である。


自分の都合の良い時に 都合の良いように付き合ってくれる… まるでペットと子供を混同した考え方だ。


このドラマを見て 瑠璃の母親(西田尚美)の言動を目の当たりにして不快に思う人は多いだろう… でも、その姿を反面教師にして 己の現状を省みた母親は どれだけいるのだろう? と言うと私が親父の一方的な立場で母親である嫁への批判…と、受け止められると心外だ。


父親である事の反面教師としての存在は 実は勇造(緒形拳)の言動にあり、それがビシビシと私の胸に刺ささるのを自覚しながら申し上げているつもりだからだ。


だから、一方的に「母親」を非難するつもりは毛頭無い。


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瑠璃に「欲しいモノ」を聞く大人


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「バカみたい…」と素っ気ない瑠璃


このやりとりを見ていると 過疎化対策として、子供を育てやすい環境を作る…と称して自治体が出産扶助を見直したり、保育所や子供の遊戯施設を作る事に熱心な姿…が、この大人達に映る。


ところが、そんな大人達が設けようとする施設や制度は 「子供のため」と言いながら 実は大人にとって「楽(ラク)」になるためのものばかりで 子供にとっては「どうでもいいモノ」ばかりだったりする。


私はね 重要な点が踏まえていれば…という前提でだが、仮に動機が過疎化対策だとしても、他の土地の養護施設から子供を里子で招く…という試みは もしかしたら素晴らしい可能性を秘めた事だと思う。


その重要な点とは「里子となる子供達の幸せ」である。


子供が喜びそうな遊び場等の施設を作ったりする事では無く、子供自身が自分の居場所として安心できる場の提供 まずは、そこが重要なのだ。


これらの事について 以降の回にもっと深く語るべき回があるので、今回はこの辺にしておくが…


話の流れの中でボケてしまいがちなので あらためて示しておきたいのは


東京での瑠璃は 自分の居場所が無くて彷徨っていた。


この「居場所」とは「母と共に住む家」とか「自分の部屋」とか「施設」と勘違いしてしまっているのが 多くの大人達。


「何故、自分は産まれてきたのか?(産まれなきゃならなかったのか?)」


「何故、自分は ここいるのか?(居なくちゃいけないのか?)」


それに関して 瑠璃は第1話の中で ひとつの結論を出す。


それが、

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「私がお母さんを捨てたんだよ」と宣言する瑠璃


自分から母親を捨てて 島での生活こそが「自分の居場所」と思う決意。


ところが、第2話の冒頭で…


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連絡船に乗って石垣へと向かう勇造の姿を見送る瑠璃


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大人達の会話を つい聞いてしまい…


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勇造が石垣に行くのは 瑠璃を石垣に移す、もしくは 石垣の子供を連れてくる…


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という風に解釈してしまう瑠璃


瑠璃の決意が確固とならない反面、島の大人達の言動も 瑠璃の決意を鈍らそうとするものばかり


しかし、そんな中にあって


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この勇造の言動は 終始一貫しており


使い古された言い方だが、


「犬や猫の子供を貰ってくるのと訳が違う」


つまり、「子供を育てる」という部分の本質を踏まえた腹の括り方がある。


で、「島の為に里子を連れてくる」という部分が 少しばかり強く感じてしまっていると


「何故、勇造は こんなに熱心なのか?」


という部分に違和感が生じる人もおり、その辺を指して「ドラマだからね」と簡単に掃き捨ててしまうらしいのだけど それは、モノの本質が見えていない… というか、そんな粗探しで掃き捨ててしまうのは 重要な事に気づけない証のような気もする。


「親になる」


その事の責任が どういうものなのか? それを考えもせずに子供を作る。


順序が後先になり、子供が出来て その責任を考え始める…のが もしかしたら普通なのかもしれないが、少子化が問題視され、とかく色々と騒がれている今日、別の側面では 施設に保護される子供の数が増加しているのも問題視されており、その両方を合わせて問題視する意見や報道が少ないのが 物凄く疑問に私は感じている。


ゆえに、安易に子供を作りながら その子供の幸せを考えてやろうとしないバカタレを 私は激しく軽蔑するし、その辺の所をまったく考えもせずに「福祉」だの「教育」だのを語るクソ政党や評論家も軽蔑する。


で、第2話のエピソードの中で


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瑠璃がチョコを万引きし


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店に詫びに連れて行かれ


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勇造に押し込められてしまう瑠璃


このシーンを見て「児童虐待」と思う人と「当たり前の躾」と思う人の割合って どうなんだろうね? 私は これを「当たり前の躾」と解釈するのだが、こういう行為と「児童虐待」の境界線って「難しい問題ですね」って 小賢しい事を言う人は多いけど 明確に「こうだ」と述べる人は少ないよね? 私は そこが問題だと思うのだ。


子供を叱るのに 親がただ「腹が立った」という理由だけで叱るのは「否」


しかし、「何がダメな事か?」を教えるのに 子供を理解させる為の手法なら「是」


ただし、親の言う「何がダメな事か?」という事には ちゃんと理由が無いと「否」


子供が成長過程においてしでかした不始末に関し、親が親として責任を取る…という事は 子供の養育費を負担する…等と言うだけのものでは無い。


「あぁ、産まれてきて良かった」


と、子供に思わせてやる事も責任だし「正しい躾を身につけさせる」というのも責任であり、それは日々の生活の中で 共に過ごし、成長を見守る中で育むモノ


残念ながら、瑠璃は そういう環境に無かったから「親の愛」を知らず「自分の居場所」を見出せていない。


それが、


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腹痛を 大騒ぎして心配する恵(倍賞美津子)に仮病がバレても 叱られるのではなく


「誰でも良かったんじゃない、瑠璃だから勇造は連れてきたんだ」


と、諭され…


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瑠璃が壊してしまったボートの弁償をするために 石垣で働く勇造の姿で「親の愛」を知り


石垣の宿に泊まる時に 勇造が記入した宿泊台帳に

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「娘 ルリ」という記載を見つけ


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「川」の字に3人で並んで寝る中央(子供の位置)が「自分の居場所」と気づく瑠璃


もうね、このシーンで爆泣きな私(ToT)


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勇造が瑠璃に見せる笑顔 それが、この「瑠璃の島」には 沢山あるが、実に慈愛に満ちた笑顔で素晴らしい。


さすが、緒形拳… そう、思うばかりだ。


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(西山繭子も凄いけど…^^;)



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コメント

>西山繭子も凄いけど…^^;

なんだよ・・・今回感動のレビューだったのに
最後の最後で Cに走るのかよ・・・(ToT)

★ taku

凄いモノを凄いと言って 何が悪いんだ?

「あいくるしい」でも見直して「感動しました」レビューでも書いてれば?

こんにちは!エントリーがすごい勢いで増えてますね。こんなところに今コメントしても、気づいていただけないかもしれませんが・・・
レビュー、ありがとうございました。
「瑠璃の島」のお父さん、ちょっとうちの父に似てました。
私の実家って、すごく田舎なんですよ。岡山県の北の方にある、まさに農村という感じで・・・ブタネコさんのレビューを読みながら、うちのお父ちゃんも、娘をかわいがってくれる優しい人だったなあ、と懐かしく思い出しました。平凡な田舎の人として人生の幕を閉じた父の生き方をブタネコさんにほめてもらったような気持ちになって、レビューを読みながらおんおん泣いてしまいました。
このドラマ、いつ放送されたんでしょうか?DVDか何か出ていますか? (バカな質問ですみません。日本にすんでいないので、感覚がぼけてます。)

たびたびすみません。今、ブタネコさんのエントリーを見返してみると、2005年4月と書いてありました。私って、やっぱりバカだったんですね。先ほどの質問、忘れてください~~~~

★ カンザスのオズさん

DVDは発売されています。

私は買う価値大いに有りだと思っております。^^

>岡山県の北の方

そうですか^^

北になるのか判りませんが、備中高梁や津山は 訪ねてみて良い街だなぁ…と思っております。

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