● 鷲羽山(岡山県)
ちょっと面白そうなブログの機能を導入したので 試すついでに この記事をリメイクする事にした。^^
今まで、日本国内の いろんな所を旅してまわったが、そんな中で大好きな場所のひとつとして挙げたい場所が岡山県の鷲羽山である。
ここを訪ねたキッカケも 他の場所と同様 横溝正史の金田一耕助シリ-ズで何度も舞台となり、実際に映画の撮影地になった場所…というのが 最大の理由である。
だから、岡山という地は 個人的に 生まれて初めて遠方に旅した場所でもあり、その道中に出会った人や 巡った場所での想い出は 大げさに言えば その後の私の人生を大きく左右したと言っても過言では無い。
横溝正史の金田一耕助シリ-ズには いくつか瀬戸内の島が舞台となったものがある。
その中でも特筆すべきは 初期の最高傑作である「獄門島」と 最後の長編となった「悪霊島」であろう。
私が 初めて鷲羽山に行った時、まだ本州四国連絡橋は工事も始まっておらず、下津井電鉄や宇高連絡船も健在だった。
瀬戸内に張り出した鷲羽山の頂上で ポカポカ陽気の下で 行き交う小舟や瀬戸内の小島を眺めていた時、それまでの疲れがフッ飛ぶような爽快感と安堵感があった。
瀬戸内の景色と気候は 北海道では絶対に味わえない景色と気候である。
小学校高学年から中学、高校は札幌で過ごしたが、それまでは 父親の仕事の関係で 本州を転々としていた。
だから南は佐世保、呉、舞鶴、横須賀… そういった場所で暮らしたが、正直に言って物覚えのつく前の話だから さすがに私の記憶には殆ど無い。
ただ、私の母は そういった転勤暮らしの中で 広島県の江田島と神奈川県の横須賀 その二つの場所での生活が 相当気に入っていたらしく 何かの折に「また行ってみたい…」と よく言っていたものだ。
だから、もしかしたら 瀬戸内に対する憧れ…というか 親しみみたいな感情が 私の幼児体験の中にあるのかもしれない^^;
私が どうしても鷲羽山に行きたかったのは その前に備中高梁に旅した時に(『備中高梁(岡山県)』参照)鷲羽山に行く事を 全く計画しておらず、それが旅の終わりの帰り道に とても悔いになったので、新たな旅する機会には「絶対、鷲羽山に行くぞ」と目標になったせいでもある。
その後、仕事の関係で 日本国内いろんな所へと出張ったが、何故か岡山周辺の仕事は無く、そうこうしているウチに 本来、頑固で偏屈な私は 納得のいかない上司の下で働く事が嫌になり、今 思えば とても生意気な話なのだが、
「どんな会社に勤めても クダラナイ上司がいると思えば、いっそ 自分が社長になってしまえばいい」
なんて考えに至り、他の理由もあり独立への道を歩む。
そんな紆余曲折を経て 会社を離れ、独立するにあたって余暇を利用して旅に出た先が この鷲羽山だったのだ。
映画「獄門島(1977年)」のラストで 石坂浩二が漁船の舳先に立って島を離れて行くシ-ンがある。
鷲羽山から 下津井の港を見下ろすと、そんな感じの漁船が のどかに行き交う。
そんな景色の中で 半日ポケ-ッとしていたら それまでの独立への人間関係のゴタゴタや煩わしさが すっかり馬鹿々々しい話になり、スッキリとした気分になれた。
ちなみに、この時の鷲羽山への旅は 嫁と結婚後、新婚旅行を除いて初めて二人で旅した最初でもある。
この当時は 現在のような鬼ではなくシッカリ者ではなく、初々しい奥様で 私とペア・ルックなんかしちゃうようなバカップルだった。^^;
二人で 鷲羽山の展望台のベンチに座り、
「将来は 子供が二人は欲しいねぇ…」
とか、
「マンションよりも一軒家を持ちたいねぇ…」
なんて会話を交わしていたものだ。
その後、私は 機会を見つけては岡山に立ち寄り、鷲羽山に行く。
鷲羽山から 最初の時と同じ様に瀬戸内を見下ろしていれば 何故か初心に戻った様な気持ちになれるからだ。
しかし、その最初の時以外、鷲羽山に嫁と行った事は無い。
「え? 今度は どこ行くの? 鷲羽山? なら、アナタだけで行けば良いっしょ」
ある意味、私にとっては ありがたい話なのだが、何故か一抹の寂しさを禁じ得ない。
鷲羽山も 行くたびに景色が変わり、巨大な本四連絡橋が出現し、宇高連絡船は無くなり、下津井電鉄は無くなり 下津井の駅舎は廃墟と化した。
そんな景色と同じ様に 私の生活環境も少しづつ変わり現在に至る。
願わくば いつか娘と一緒に 鷲羽山に生きたいものだ…と 思うのだが、言い出すキッカケや口実が なかなか見つからない。
鷲羽山から南東の方向に 天気が良いとポッカリと正三角形に浮かぶ島が見える。
大槌島と言うそうだが 何故か いつ見ても見飽きない 私にとっては不思議な島である。
大槌島について 何か知ってる事がある方は 気軽にコメントいただけるとありがたい。^^
