● 白夜行 最終回(悪魔編)
「悪魔のブタネコ」編 今更、なんで?と言われるかもしれないが…
「山田君に実は子供がいましたよ」報道について ブタネコとしては初めて、そして今回限りとお断りした上で 最初で最後に申し上げたい事がある。
以下の文章には 途中、人によっては非常に不愉快な表現が混じると思うけど、どうか最後まで冷静に御一読頂ければ幸いである。^^;
さて、「山田君に実は子供がいましたよ」報道以降 このブログに限らず、日頃 私が遊びに伺っている他のブログのコメントにも 私は意識して この報道に関わる様な内容のコメントを一言も申し上げた事が無い。
その間、頂戴したメールや あえて非公開にさせて頂いたブログのコメントには
「ブタネコとしての その件(報道に関する)の意見が聞きたい」
という内容の物が多く、普段の私だったら 何も考えずに「私は~思う」と記事にしたであろう思うけど、それをあえてしなかったのは「意見を聞きたい」という方々には なんか、「山田のバカヤロー」的記事を述べるのを期待した様な雰囲気がミエミエだった物が多かったのと、「山田ファン」と名乗る方々のコメントは なんでもかんでも「山田君だから許しちゃう」みたいなノリのコメントが多く、その脳天気さに 正直言ってウンザリしたからでもある。
誤解の無い様に申し添えるが 全部の山田ファンに対してウンザリするのでは無い。
報道直後に「貴方は誰?」みたいに 今まで、一度も見た事無い様な人がこぞって現れ、「実は山田君のファンでした…」という書き出しで始まり、「これからも温かく見守っていきたい」で終わるタイプのコメントにである。
へそ曲がりな私としては
「今まで黙ってたのなら こんな時ばかり出てこないで一生黙ってろ!!」
一瞬だけではあるけれど、正直言えばそんな事すら感じた始末^^;
当時の私の感想が どうだったか… それはtakuさんが述べた
『徒然に・・・』
という記事の内容と 概ね同じ。
後付で卑怯と思われるかもしれないが、takuさんが記事を掲示する前に、彼と個人的に交わした会話で述べているから、takuさんが裏切らなければ^^;証人になってくれるはずなんだが…
ま、takuさんと違いがあるとすれば 私は「山田ヒャッホイでは無い」…と言う部分による見解の温度の差とでも言おうか^^;
勘違いしないで頂きたいのは「山田ヒャッホイでは無い」と言っても「山田が嫌い」と言う意味では無い。
以前、『ブタネコ的 『山田孝之』考』と述べた事は 上記報道に触れた今でも なんら変わってはいないのだ。
ただね、私は偏屈なオッサンとして男の子相手にヒャッホイする趣味は無く、そんなエネルギーは 若手女優に全てを向けてヒャッホイするのが 私なのだ。
だから、いちいち このブログに「山田君が…」と悲壮感たっぷりな記事なんか最初から書く気など無く、若手俳優の一人として その実力に対する私の評価を変えるのに上記報道の様なプライベート的な事は どうでもいい… そう判断し、わざわざ記事文中でも触れなかったのだ。
だが、盲目的な山田ファンが
「山田君は山田君なりに責任を取ったと思います。
だから、今後も温かく見守ってあげたいと思います」
なんてコメントしてるのを見てしまうと 正直言って「アホか」と思うのね。^^;
そんなオバカな自称:ファンが 間抜けなコメントを語れば語るほど、問題に無関心な人々には山田本人では無く、ファンの間抜けさに呆れて それが山田の足を引っ張る事になる… 真の意味でのファンなら 何故、そこに気づかないのかね?
(だからアホなんだ…という ツッコミは抜きで^^;)
「責任を取ったか否か」なんて事は 当事者同士が判断することで 私を含めて、たかがファンごときがマスコミの嘘か本当か判らない様な記事の おいしいとこだけを汲み取って決めつけた様に言って良い事では無い。
当事者間で結論が出るまでは 放っといてやるべきで、結論を出すために意見が必要とされるとすれば それは彼らの親や、事務所や弁護士など 周りの大人達が出ればいい事。
マスコミが報道する必要もなければ それに踊らされて自称:ファンごときが騒ぐ必要も無い。
もしも、(あくまでも、”もしも”だよ)当事者間で話し合いが揉めていたならば
「山田君なりに責任を取ったと思います。」
なんて言葉を 山田の相手が見て「何言ってんのよ」って感じで尚更、意固地になっていったらどうするの?
山田本人を励ますつもりでも 何が事を悪化させるかは判らないし、真剣に山田を応援してるつもりでも やってる事が本人の足を引っ張ってるんじゃないのか?を考慮しない様な行動・発言では 何の応援にもなってないし、有り難迷惑な話。^^;
であるが故にスタンスや表現は違うけど、上述したtakuさんの見解(『徒然に・・・』)とは大差無い考えで、あえて違いを明確にすれば
takuは 今後も迷い無く 俳優“山田孝之” を 応援していきます
と、takuさんは述べられてるが、私は
ブタネコ的には 俳優“山田孝之”が もっと成長するのを期待してます。
って感じで
「期待はするが、余計な応援はしない」
「見放しはしないが、声援もしない」
もし、今後 新たなドラマで見かけた時は また、良い仕事して見せてくれよ… そんな気分だった。
さて、今回 なんで私が上記報道の話を持ち出したか…と言うと
白夜行の最終回を観て つくづく、山田孝之が可哀相に感じたからだ。
正直言うと、「なんで避妊しなかったんだ?」という意味で「馬鹿な奴だなぁ…」とは思った。
だから、俳優としてでは無く 個人:山田孝之という一人の男に対して その一点のみに関して「馬鹿な奴」とは思ったよ(これ本音^^;)
けどね、中味が馬鹿か否かという事と、俳優としての良し悪し云々は別…
そう私は考えるから その後も白夜行を見続けて来たし、そんなプライベートな事で感想を左右されたりはしなかったつもりだが…
4話及び5話のあたりで「成る程なぁ…」と唸らされた森下脚本だったけど 6・7・8と回が進み、原作とは違うオリジナルなストーリー展開の中に「あれれ?」と思う違和感が少しづつだが増えたのは事実で それについてはそれぞれの回の感想で述べた。
こう言うと、単純思考の方には
「あぁ、ブタネコは原作派なんだな? だから気に入らないんだな?」と
安易に決めつけられそうだが、私の気持ちは そんなんじゃ無い。
物語の弄り方の意味に違和感が膨らんだのだ。
それを語るには 最終回まで見終えてからじゃ無いと「何が」を明確に出来ないと思ったから これまでは触れるのが嫌だったのだ。
つまり、弄り方の真意には 白夜行を題材に少年犯罪や その原因のひとつとして今、問題視されている親子の絆や関わりの希薄さに 何らかのテーゼとして…という意味なんだろう…と私なりに思っていたのだが、どうもそれだけじゃない「何か」があるな…と。
そういう意味で最終回を見終えた今、「あ~そうだったのか」と痛感する部分。
それは以下のシーンの台詞である。
【笹垣の台詞抜粋】
「2005年 栗原典子に一子誕生… オマエには 子供がおる」
「その子供に ちゃんと13階段登る背中、見せぇ」
「オマエ、自分と同じ子 作る気か?」
「親、信じられへん子 作る気か?」
「間違いだらけやったけど、オマエが精一杯やったんは 俺が知ってる」
「一人の人間幸せにするために オマエは精一杯やった…
オマエの子に 俺が ちゃんと言うたる。」
「オマエに流れとぅ血は ホンマは そういう血や」
「俺が ちゃんと子供に言うたる」
この一連のシーンって 何の為にあるのだろう?
原作に無いからダメ…って意味で簡単に文句を言うつもりは全く無いのね。^^;
わざわざ、このシーンを盛り込んで 石○や森下は 何を視聴者に伝えたかったのだろう?
この台詞の意味は 何なのだろう?
元々、深読みしがちな私だからかもしれないが、このシーンを すんなりと受け入れる事が出来ないのだ。
「歩道橋の笹垣と亮司の対決場面で涙がとまりませんでした」
そういう感想を述べる方が多いけど
「へぇ~ 単純でいいねぇ」もしくは「脳天気な奴だなぁ^^;」と
ついつい、思ってしまう私だったのだ。
ぶっちゃけた話しをしてしまうと 私は、この場面を観ていて 心の底から
山田、よく頑張った!!!
そう言って、思わず、スタンディング・オベィションを山田孝之に贈りたくなったのだ。
だってさぁ、この一連の笹垣の台詞って 山田本人には物凄い意味深な言葉なんだよなぁ…
まるで、石○や森下に ドラマの上で…という名目で いいように弄られて罵られている山田本人… そういう構図に見えたのだ。^^;
先にも言った様に ドラマの中に役者のプライベートを重ねて見るなんて野暮な真似をするつもりは無いが、どうしても この場面は TV版制作者に何らかの本筋とは違う意図で特別に作られたシーンという構図が透けて見えてしまって だから、私には「涙がとまりませんでした」なんて呑気な感想にはならず、むしろ 報道以後、はじめて山田が可哀相に思えた瞬間に映ったのだ。
「山田君本人が あまりにも可哀相で泣けました」
そういう感想なら 私には理解出来る。
山田ヒャッホイなら それぐらいの事を言うべきなんじゃ無いか?なんてね。
これがね、原作通りの筋立てで 元々、典子と亮司の間に子供が出来て…っていう物語なら 山田のプライベートなんか投影したとは思わないし、言わないよ。
しかし、
「わざわざ筋を変えて その締めがこれか?」
そう思うと、泣けないね私は。
で、もう一回聞くけど、この台詞の意味は 何なのだろう?
思うに 亮司や雪穂が白夜の道を歩む原因を作ったのは 亮司や雪穂の親にかなりのパーセンテージがあると言える。
だから、子供が親の背中を見て育つと思えば 子供の手本となるような生き方、子供がねじ曲がるような背中を親として見せるな… 笹垣はそう言いたいのだろう?
それは判らなくも無いが、では「白夜行」のメインのテーマは何かと 最終回も終わった事だし… と、「白夜行」の公式ページをのぞきに行ったところ
そこにあった「企画意図」は…
父を殺した少年と母を殺した少女。太陽を奪われた2人は、
ただ、お互いの太陽であろうとした
「純愛とは何ですか?」と聞かれたら、皆さんはどう答えますか?
きっと答えは人の数だけあるのでしょう。
そのどれもが正解だと思います。55万部発売を誇る東野圭吾氏の記念碑的名作『白夜行』は、あまりにも残酷な運命を与えられた少年と少女の物語です。幼い頃、初恋の少女を助けるために父を殺した少年と、少年をかばうために母を手にかけた少女が、その後14年間、手に手をとって生きていく―そんな物語です。
人生のすべてを捧げ続けた少年と、すべてをかけて答え続けた少女。
その姿を「愛」と呼ばずして、一体何を「愛」と呼ぶのか―。
あまりにも「残酷で、孤独で、純粋な」2人の魂を、14年の愛の奇跡を、山田孝之・綾瀬はるかのゴールデンコンビで丁寧に描いていきます。
2人はただ太陽の下で手をつないで歩きたかっただけなんです…
この企画意図に端を発して このTV版「白夜行」の物語になったのだとしたら…
やっぱ、何かが違うな。
「少年犯罪」なんて言葉も「親子の関わり」なんて言葉も無い。
企画意図にあるのは「愛」だけだよ。^^;
「14年の愛の奇跡」
ナメてんのか? 石○
4・5話目で 私が感じた「森下、そう来たかぁ…」という思いは 単に「松浦」という存在を原作以上に 亮司にとって大きな存在にクローズアップし、本来は ただの邪魔者でしか無かった男を 亮司の兄、もしくは父親的存在として重くしたところだった。
つまり、当初の1話から3話目までの グズグズした亮司像というのがどうにも納得行かなかったのだが、「そうか松浦をキッカケに 亮司は大きく変わるのか?」と 私が勝手に想像しただけの話だった。^^;
ところが、結果的に言えば 最後まで亮司はグズグズのままだった。
信じちゃいないし、文面を丸呑みする気もない、おそらくは所属事務所の小賢しいアホが書いたのであろう 山田の釈明文によると「子供の親になるより 役者の道を選んだ」という言葉があった。
その選択の結果が ドラマの中で
「オマエには 子供がおる」
「オマエ、自分と同じ子 作る気か?」
「親、信じられへん子 作る気か?」
こう罵られる役を演じる… 実に皮肉な話である。
しかもだ、この台詞もシーンも原作には無いのだ。
と言う事は、「あまりにも皮肉な内容なんで…」と書き換える事も可能だったはずだ。
にも関わらず、これだ。
物語全体に絶対に必要な場面とは思えない場面で 辛辣に罵られる山田…
その構図に「山田、オマエよく頑張ったな」 私は心底そう言ってやりたいね。
そして、その上で そんなシーンをそのまま放映した制作サイドに対し、けっして山田を庇うのでは無く、そこまでするんだったら「何を」オマエらは言いたかったの? それが充分に伝わる構成になったのか? ひとりの役者個人に対して 個を罵る様な真似をさせてオマエ達の伝えたい事って何だ? 私はそこを問い詰めたくなってしまうのだ。
同時に、件の報道の直後に「私は山田君が大好きです」とか言ってた自称ファン共がだ、最終回が終わった途端に「もう、笹垣の台詞で感動して涙が止まりませんでした~」って感想を述べてるのは どういう事かね?
泣くトコじゃなくて 怒るトコなんじゃないの?
だから、それを私は「この脳天気」と言いたいのだ。^^;
なんかね、全部が全部ではもちろん無いけれど「山田ヒャッホイ」と名乗る人には「変な人」が多いね。
そんなのに誉め殺されているのも含めて
「山田、可哀相に… でも、オマエよく頑張ったよ」
そう言ってやりたいんだな… 俺は。
