● 白夜行 第10話
白夜行 第10話を観た。
今夜の第10話を見終わって まず、感じた事は後悔だ。
この番組は 最終回が終わるまで録画を貯めといて一気に観るべき作品だったかもしれないなぁ…
そんな気がして ちょっとだけ、後悔した。
でも、毎週 1話ずつ観ながら あぁでもない、こうでもない…と楽しむのも それはそれで楽しいわけで 言わば痛し痒しな事でもある。^^;
この後悔は けっして「つまらない」という意味では無い。
森下脚本は1話完結型では無く、全11話なら 放送時間にして11時間という枠の中で前半部、中盤、後半部といった具合に 少なくとも3つのパートに分けた場合 それぞれにリンクする伏線が埋めてあり、それをバラバラに しかも1週間おきに観ると、いつの間にか伏線のキーを忘れてしまっている時がある。
それが実に「もったいない」と感じるわけで 1時間刻みの全11話という見方では無く、11時間ものの全1話的見方の方が 違うハマり方が出来るからだ。
さて、この第10話は 次週の最終回に向けて最後の整理という意味合いが強いのか
笹垣が谷口(図書館司書:余貴美子)に 亮司と雪穂の これまでの経緯への推理を話すシーンは これまでの1~9話までの中で 色々と混乱している試聴者の認識を整理させる意味に多くの使用者は受け止め そうすると、この場面は ただのダイジェストにしか見えないのかもしれない。
けど、このシーンをよく眺めていると、なんとなくなんだが このドラマ全般には 近頃増加傾向にある少年犯罪への警鐘や 犯罪へと子供が走る原因のひとつである 親と子の関わり方等に関して 制作者は問題提起を含めていたんだよ…という事を 強調したそうな雰囲気を感じる。
つまり、谷口真文という図書館司書の女性のキャラクター設定を 原作以上に肉付けし、毎回の様に登場させたのは 亮司の父母、雪穂の母という いろんな形で壊れた親という悪い親達と、雪穂の養母:礼子の様に正しい親との対比を明確にする為に 第三者的存在で審判を下す為の存在として この笹垣との会話の中で谷口に喋らせる台詞には 正しい親とは?への誘導が伺える…という意味でだ。
しかしながら、あくまでも偏屈な私の個人的感想としては このシーンの流れには「正しさ」は感じつつも、その辺は お為ごかしの得意なT○Sという局の 特に報道系の連中が口先だけで語る言葉に あまりにも似ていて いかにもT○Sという匂いが鼻につく。
筑紫あたりが 少年事件の報道の後に「したり顔」で語りそうな台詞に感じるからであり、「あいくるしい」というクソ番組で あの野島とコンビを組んだ石○が やはり、野島に毒された大馬鹿野郎だったなぁ…とも伺えてゲンナリするのだ。
「社会問題をベースに 本当のあるべき姿を物語の中で問いたい」
なんて、タテマエは 野島のアホが最も好んで使用する謳い文句であり あたかも、制作姿勢は御立派なんだと誇らしげぶる。
まぁ、少年犯罪への警鐘…というのが このドラマの根底にあったのか否かは定かでは無く、あくまでも 私の想像の域の話だが、本気でその部分に触れようとするのなら 確かに「白夜行」の原作は興味深いものだと思う。
でもね、TV版「白夜行」の放映開始前の番宣は「あのセカチュー・コンビが再び」であり「純愛」だったわけで 今更、「実は根底には…」なんて語られるのもどうかと思うし、子育てに関して無責任、無関心な親への警鐘を説くのであれば 実に皮肉なキャスティングになってしまったなぁ…と思うところも若干あり、肝心な部分が余計な雑音で濁ってしまいがちで、その上、ストーリー上は必要な性描写だったのかもしれないが、もしこのドラマが 先に述べた少年問題を含めて語りたかったのであれば 問題点への視点が あっちこっちに分散されすぎてしまったんじゃないか?とすら感じるわけで あっちこっちに分散されすぎて結局、何が言いたいの?ってオチも あの野島の得意なパターンである事を思えば 石○は野島の悪い部分だけを受け継いで 何も反省できて無いのかと思う。
まさに
「哀れやなぁ…」って気分である。^^;
と言うのは、残念ながら 何回も このドラマを繰り返して観るのは私の様な深読み大好きなマニアか、出演者の誰かにヒャッホイな視聴者が多く、このブログにでさえ
「雪穂の実家の庭、サボテンの下には何が埋まってるんですか?」
なんてコメントが数えられないぐらい寄せられた程(すいません、殆どをスルーして削除しました) そんな部分ですら多くの視聴者には理解出来なかった現実の前で 少年犯罪が…とか 親子の関わりが…と 暗に含められた部分を どれだけ汲み取って貰えたのかは 推して知るべしだと思う。^^;
挙げ句の果てには
「礼子が庭に穴を掘ったのは何故ですか?」
「その穴を覗き込んで 驚いたのは何故ですか?」
という御質問を寄せられた方までおられたが…^^;
よっぽど、
「礼子が穴を掘ったのは…
その穴に”王様の耳はロバの耳!!!”って叫びたかったから」
そして、
「礼子が驚いたのは 先に、そこを雪穂が掘っていて
既に”王様の耳はロバの耳!!!”って叫んで埋めておいたのを
礼子が誤って掘り返してしまい、それを聞いてしまったから」
って返答しようかと思ったが… やめた。^^;
( と、ここで述べてりゃ世話無いな…^^; > 俺 )
逆に、何回も このドラマを繰り返して観ている私の様な深読み大好きなマニアであれば、上述した社会問題への提言という意図を このシーンに盛り込んだのだと察するかもしれないが、それが効果的に映るには これまた個人的感想として申し上げるが 余貴美子の演技が 武田鉄矢とは違った意味でオーバー気味で説得力が薄い様に思う。
「オーバー」と ひと口で言っても武田の「オーバー」は「力」というか「気合いの入り過ぎ」という意味での「オーバー」で 第1話の時の「なぁ」とか「おぞましい話やろ」の部分に感じた違和感は 結局、この10話まで 私の場合、尾を引いてしまっている。
で、余の場合の「オーバー」とは 余本人の人柄なのかもしれないが「脱力感」が「オーバー」で 緊張感というか真剣みが その「脱力感」の様なもので薄まってしまう様に感じ それが私には違和感となる時があったから。^^;
要するに、純粋にドラマを楽しみたいと思っている視聴者に対して 余計な好奇心ばかりを煽って、結果 ドラマ本来の出来を自ら駄目にしてしまいかねないよ…と言いたいわけだ。
まぁ、もっと根本的な事に触れれば このTV版「白夜行」において 図書館絡みのシーンを原作以上に肉付けした部分が 先に述べた様な理由を考えれば理解も出来るんだけど、なんか私には 10話までの現状では無理矢理膨らました感じがしてならない。
特に 図書館BBSに「レッドバトラーの幽霊」や「スカーレットの末裔」と名乗る おそらくは雪穂と亮司が書き込みをする…という点が「なんだかなぁ…」と余計に感じてしまうのだ。
それは 犯罪者心理というか、この場合 亮司や雪穂の心理を考えた場合、「誰かに本音を話したい」という気持ちになる…という部分は 物凄くよく判る。
ただし、では その先として大江図書館が妥当か?と考えた場合 私は それは違うし、この様な手法は 亮司や雪穂のキャラ設定では けっして取らないだろうとさえ思うのだ。
このブログで私が好き勝手に語っている事において 記事が変われば矛盾した事を私は平気で沢山語っている。
同じ様に亮司や雪穂に「矛盾」があったって それは構わない。
しかし、根幹に関わる秘密に触れる本音の部分を 同じ様に根幹に関わる大江図書館に書き込むか? それは無いだろぉ… 私は そう感じるのだ。
この「図書館」に関するTV版の肉付けと同じ様に 「風と共に去りぬ」に関する肉付けの膨らまし方も興味深いと ずっと注目してきたのだが、今のところ成功している感じがしない。
雪穂を「スカーレット」になぞらえて描いている部分は多々あるが、だからと言って肝心な部分でスカーレットの様に行動しているか?と言えば否である。
なんか「うどん」食べるんだから「唐辛子」入れなきゃ…って言いつつ、実は「一味」を振りかけている。
「おいおい、うどんには七味 一味は温物の蕎麦の時でしょ」
そんな感じとでも言うのかなぁ…^^;
今回も
なんて場面があったが、「風と共に去りぬ」を読んだ人にしか判らない話しで恐縮だが、これって実はレットバトラーの台詞なのだ
「俺達は似た者同士。 二人とも狡くて自分勝手なところがさ」
と、こんな感じの台詞をレット・バトラーがスカーレット・オハラに語る場面が「風と共に去りぬ」にあったはずで…
『白夜行 第8話』
という記事の中で 私はTV版「白夜行」における「風と共に去りぬ」に関して 少しだけ触れているので御参照頂ければありがたいが…
やはり、篠塚は「アシュレー」ではなく、「バトラー」なんだな…
では、「バトラー船長になりたい」と亮司に決意させた流れは なんだったのか?
そう考えるとTV版「白夜行」における「風と共に去りぬ」の肉付けが いささか、曖昧模糊になってくる。^^;
で、実は「風と共に去りぬ」が TV版「白夜行」の中で大きく絡むのは 図書館絡みのシーンと、亮司が語るモノローグなのである。
だから、両者の違和感が複合してしまうんだろなぁ… 私には^^;
しかしながら、この辺に言及するのは最終回を観てからにすべきなんだろうなぁ…とも自覚しているわけで どう、森下脚本がおとすのか楽しみなのだ。
実際、上記の様な小言めいた事を申し上げた私ではあるけれど このTV版「白夜行」は大変 面白い作品だと感じている。
放映開始の前や直後の頃の 私がこのブログで書いた記事を御覧になった方々なら判っていただけると思うが、原作で東野圭吾が あえて書かなかった亮司と雪穂の直接の関わりや会話や考え方という部分を 森下流の解釈で どう描くのか?… その部分について非常に楽しみに、期待もして見続けてきたが、今のところ 個人的に「う~ん」と受け入れがたい部分もいくつかあるが、概ねは 成る程なぁ…と納得出来るし、原作とは設定描写を変えた部分の殆ども 今夜の10話までを観る限り、あくまでも個人的な意見だが 原作よりも遥かに説得力のある改善だったとすら感じている。
例えば、今夜の10話の中での描写で言えば
亮司の母親を自殺させ(原作では自殺するようなタマでは無い^^;)、
その骨と遺影を笹垣の事務所に置き、忍び込んだ亮司が それを見て絶句する…という流れは「成る程なぁ…」と素直に唸った。
また、先週からの流れだが 雪穂の養母が原作とは違って もっと早いこの時期に死亡するのも、そして庭を掘って「何か」を見てしまうのも 原作よりも遥かに説得力があると感じた。
ただし、亮司の母親が書き遺した
「あの子は まだダクトの中にいる
押し込めたのは私
そんな人生しかあげられなくて ごめ」
というメモは 如何なものかな…と思った。
それは 確かにストーリー上では事実ではあり、母親として息子に対する心情として断末魔の言葉…としては判らなくもないが 問題なのは 亮司の親父殺しの時のダクトから逃走を 何故、もしくは何時、さもなくば どうして亮司の母は知ってるの? という疑問が浮かぶ。
これは以前、第7話のラスト間際の笹垣に
「亭主と愛人(松浦)息子に殺されてもうたら さすがに、そうなるやろなぁ…」
という台詞を喋らせたのと同じで 落ち着いて考えると「あれ?」と思うぶん ちと、イタダケナイ。
で、思うに 尺の問題で 随分とシーンをカットしてるんだろうなぁ…という事を ついつい思ってしまう。
実際がどうかは不明で あくまでも期待を込めた想像で言えば、上の第7話のシーンにしても そして今夜の「書き遺し」にしても その前に亮司の母が 笹垣との会話で聞かされているようなシーンが 放映ではカットされたシーンとして あったんじゃないか?なんて思うのだ。
だから、この記事の冒頭で述べたように 1話から最終話まで 出来ればDVDでカットシーンの追加された形で見た方が 細々した疑問を抱かずに気持ちよく見れる様な気がするのだ。
と言うわけで、私はDVDを買います。^^
このTV版は おそらくDVDで観るのが一番楽しめると思うし 今までの放映シーンだけでも充分に楽しめているから損はしないと思うので…。
で、いよいよ次週の最終回に向けて 個人的に どういう風にオチをつけてくれるのか楽しみにしている点を いくつか挙げておく。
「この指輪の意味は?」
「この財布の意味は?」
「風と共に去りぬ…が 最終的に どう帰結するのか?」
「このグラサン いつ割れたの?」
たぶん、亮司がサングラスをかけたり外したりしていたシーンの後に 床か壁にサングラスを叩きつけるようなシーンがあったんだろうと推察するけどね。^^;
意味ありげにアップにしたのと 原作を読んじゃった人にだけ知る事として、10話までの話の流れで このサングラスのアップの意味が どうつながるのかが個人的に興味大なのだ。
(この点に関して 原作のオチに私は納得がいってないからです。^^;)
ってなわけで いよいよ来週は最終回。
非常に楽しみである。^^
【管理人追記 3月18日】
そうそう、もうひとつ忘れるところだった。^^;
亮司としては死んでも肌身離さず持っていたいシザース・ケースなんだろうけど、「R&Y」の刺繍はマズイよね^^ どうするんだろう…^^;
