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2006年03月02日

● 白夜行 第1話の再考


雪穂の「笑み」について 気になったので第1話を再見してみた。




今回、Kさんから頂戴したコメントでの問いかけに対して 今の時点で考察するのは少し早い気もするのだけど、このところ いろんな人の「白夜行」評を伺って どうにも納得のいかない事が多く 良い機会かと思って先走って述べてみようと思う。


なので、最終回が放映された後 全く、見当違いな事を語っていたと判明した時には 大いに嘲笑して下さって構わない。^^


さて、Kさんの問いかけは…


ところで、病室での笑みで、思ったんですが、笹垣はどの時点で二人はつながっているとおもったんでしょうか?亮と雪穂のそれぞれの笑みをみたからなんでしょうか?だとすれば笹垣は二人の笑みをどう受け取ったんでしょう?笹垣の表情を見る限り病室での笑みを見て確証に近い疑惑を持ったように思うのですが・・・


まずは、私が第1話の放送を見終えた後に どう思っていたかを『白夜行 第1話』を御一読頂けるとありがたい。^^;


その中で私は


原作の雪穂は 母の死体の発見者(の一人)であって、心中では無い。

でも、私にはドラマ版の この描写の方が原作よりも説得力を感じたと正直に告白する。

では 何故、この部分を変えたのか?

それは今後の展開の大きな鍵のひとつなんだろうと推察するので ここで安易に批判したりは出来ないとも思っている。


と、述べたわけだが 原作では母親殺しを「自殺に見せかけた他殺」であり、TVでは登場しない営業マンという存在もあって、捜査が攪乱されてしまう部分がある。


しかしながら、TV版で「無理心中」という設定に変えたのは どういう理由なのだろう?と考えると 第1話のラスト近くで雪穂が亮司に宛てて書いた手紙の朗読の中に



  後悔なんて全然してないけど…、

  本当は、私自身も一緒にいなくなるつもりだった…

  私と亮くんを繋ぐ物は とにかく全部消えてしまった方がいいと思ったから…


  だけど…、肝心の私だけは残ってしまった…

  ごめん…

  どうも、私は神様に嫌われてるみたいで…

  死んだら全部終わるんだっていう 

  心のどこかにあったズルを見逃してもらえなかったみたい…



という一文があり、そこから


『雪穂は 本当は自分も死のうと思ってた。』


という森下解釈を知り「へぇ… そうきたか」と思ったわけで…


だから、第1話の問題のシーンでは


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「目、醒めたか?」


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「病院?」


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(笹垣、黙って頷く)


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「あの…」


「寝とった方がええねん、寝とった方が… うん」


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「先生、先生 すいません 御願いします。 先生?」


「お母さんはね 君と無理心中しようとしてたんだ ガスでね

 だけど、君は命を取り留めたんだ」


「あの? お母さんは?」


「辛いと思うけど…」


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(雪穂 笑う)


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(笹垣の目が険しく光る)


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「そうですか…」


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「私だけ 生き残ってる」


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さて、ここで 笹垣の目が険しくなったのは 雪穂が笑ったから…と考えるのは誰もが感じる事なのだが、では、何故 雪穂は笑ったのか? その笑いには どういう意味があったのか?と考える時、一般的には 古賀の「辛いと思うけど…」という台詞と仕草で 母の死を知った雪穂が「私だけが生き残ってしまったのか…」という苦笑めいた笑み(自嘲)を浮かべ、この場面で笑みを浮かべる事に 一瞬、奇異に感じた笹垣は「おや?」と注目したが 続く雪穂の「私だけ 生き残ってる」という自嘲気味の台詞で納得した… という風に解釈してるのだと思う。



  どうも、私は神様に嫌われてるみたいで…

  死んだら全部終わるんだっていう 

  心のどこかにあったズルを見逃してもらえなかったみたい…


その台詞の通りの「自嘲」と思えば スンナリと解釈出来る様な気もする。^^


しかも、

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第3話の教会で雪穂が暴れるシーンで


「生かしてくれって頼んだ?

 なんで、あの時終わりにしてくれなかったのよ」


と泣きながら雪穂が叫び、直後に


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第1話の「心中」から独り生き残った後の雪穂のシーンが挿入されたのを見せられては この笑いは「自嘲」だったと思う他無くなるのだ。


ところがね…


一応、念のために確認しようと思って そのシーンを見直した途端から「う~ん」と ドツボに嵌った様に 今日まで私は悩む事になる。


だから、第一話の録画を持ってる人は 騙されたと思って、このシーンをもう一度 見直してみると良い。


ちなみに、このシーンの部分を いつも私が個人的に御世話になっている


・『どらま・のーと』さん


・『どらまにあ』さん


双方の「白夜行第1話の」レビューを拝読しても、その他に とある南東北の御方に以前に聞いた時も(注:この人、酔っぱらってました(ToT))


「私だけ 生き残ってる」


って台詞に聞こえた事になってるんだけど、なんか、このシーンの録画を見直せば見直すほど


「私、だって… 生き残ってる」


っていう風に「だけ」ではなく「だって」と 私には聞こえてくるのだが 如何だろう?


で、もし、この台詞が「だって」だとしたら…


つまり、古賀の「辛いと思うけど…」という台詞で 雪穂は母親は死んだのだと理解すると同時、思わず「(母親に対して)ザマァミロ」って感じの反射的な笑い(嘲笑)を漏らしたのか、さもなくば 古賀は「(母親が死んだのを知るのは)辛いと思うけど…」とタテマエ的な台詞を言うのに対して「いやいや死んでくれて むしろ嬉しい」ぐらいの滑稽さを感じて笑った(嘲笑)のを、それに気付いた様に笹垣の表情が険しくなったのを見て 古賀の「辛いと思うけど…」という言葉に対して


「(辛い?)そうですか? (でも、)私、だって、生き残ってるよ?

 (生きてるだけ幸せなんじゃないの?)」


と、「嘲笑」を「自嘲」に誤魔化そうとした… なんて風にまで思えてしまうのだ。^^;


だからねぇ… 考え過ぎなんだろうなぁと自分でも思うのだが、私には この「笑い」が自嘲なのか嘲笑なのかを決めきれずにいたのだ。


そこへ、第7話の取調室のシーンで雪穂が見せた

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この笑みと 第1話の

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この笑みを オーバラップされてしまうと 第1話の笑みが一般的解釈である「自嘲」だったとするならば 第7話の笑みも「自嘲」なの? という事になり、私は疑問に思うのだ。


だって、第7話の笑みは「自嘲」では無いよね?


「桐原亮司を逮捕して下さい」


って言った後に「自嘲」? そういう解釈には 私は説得力を感じる事が出来ない。


むしろ、この第7話の笑みは 笹垣にのみ見せた雪穂の「本心で言ってるわけ無ぇだろ」ぐらいの意味を込めた「嘲笑」の方が スンナリと私には受け止められる…




で、ここからは 私の推測的考察である。^^;


もしかしたら、笹垣も私の様に 誤解した(雪穂に騙された)んじゃないかな?


つまり、第1話の時は 本当は古賀のタテマエ発言に滑稽さを感じた「嘲笑」だったのに 母を亡くした可哀相な少女の「自嘲」だと 好意的に誤解釈した。


けど、第7話の明かな「嘲笑」を見て 第1話の時の笑みが「自嘲」では無く、実は「嘲笑」だった(騙された)事に気付き、


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だから雪穂を殴った…と。


じゃぁ、何故 笹垣は殴るほど激怒したのか?


私は 第1話を見た後に いろんなブログにコメントを寄せてる人々が TV版「白夜行」について「感動した」「泣きました」と沢山の人が述べてる中で その流れに 今ひとつ馴染めずにいた原因でもあるのだが 第1話の中に妙に納得しきれない…というか 理解出来ずに棚に上げていた事柄がある。


それは 病室での雪穂の笑みのシーンの直後に 亮司の父親の事件現場で 古賀と笹垣が話すシーンがある。


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「(ダクトを示し)あそこからは西本文代は逃げられへんのん違うか?」


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「ワシはな… 犯人は子供違うか?と思ったんや

 被害者の子供か加害者の子供か どっちかや」


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「そんな…」


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「おぞましい、話やろ」


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「せやけど、肝心の動機が見つからん

 息子(亮司)やったとして

 西本文代との密会現場を見た事が原因やったとする。

 そうなると、西本文代が自殺まで追い詰められる理由が無うなる

 凶器(が、西本文代の部屋から出てきたハサミ)の説明もつかんようになる。


 娘(雪穂)やった場合 相手の男を殺すほど守りたかった母親を

 庇わん理由も 犯人に仕立て上げる理由も判らへん」


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「だって、あの娘は 母親と一緒にガス吸ってたんですよ」


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「なぁ」


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「せやから、ドアは そこそこに開いたんや」


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「本当に納得してるんですか?」


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「納得するも せぇへんも ワシゃ転勤じゃ、するしかないやろ」


というシーンである。


批判を受ける事を覚悟の上で 持論を率直に言わせて貰えば、このシーンの武田鉄矢の演技がクサ過ぎて鼻につくおかげで 肝心な事が読み取れずにいる人が多いんじゃないか?と思うのだ。


つまり、少なくてもTV版の笹垣は かなりの可能性として犯人は子供だと確信に近い考えを この時点で持っている事が この台詞から汲み取れる。


犯行現場から犯人が立ち去るには ダクトから出る他に方法は無い


それを大人の母親が行うのは無理だから犯人は子供だ… 実に論理的な推理である。^^


では子供だとすると どっち?…


そこで単独犯だと思ってるから推理が混乱するのだが… 台詞を よく見直してみると良い。



「せやけど、肝心の動機が見つからん

 息子(亮司)やったとして

 西本文代との密会現場を見た事が原因やったとする。

 そうなると、西本文代が自殺まで追い詰められる理由が無うなる

 凶器(が、西本文代の部屋から出てきたハサミ)の説明もつかんようになる。


 娘(雪穂)やった場合 相手の男を殺すほど守りたかった母親を

 庇わん理由も 犯人に仕立て上げる理由も判らへん」


要は もう「犯人は子供のどちらか(本当は共犯)と判っているが、動機だけが判らない」と言ってるだけなんだよね。


この台詞を 上から順番に聞いていくから視聴者も笹垣同様、混乱するのであって、むしろ、下の台詞から逆に考えれば良い。


・犯人ではあり得ない(ダクトを通れないから)母親のところに
   凶器のハサミがあるのは何故?


・そのハサミが母親の物だと言ったのは誰?


と考えれば キーパーソンが雪穂である事は自明の理であり、笹垣が昔ながらの「勘」に頼る刑事の様に見せながらも 実は論理的な思考の持ち主である事を このTV版では第1話のこの時点で既に描いてしまっている以上、もう この時点で雪穂に対して かなりの疑いを抱いていなくちゃ変な話になってしまう。


思うに、

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このハサミを「母親の物」と雪穂が話した事で 少なくとも


・相手の男を殺すほど母親を守りたかったのでは無く…


むしろ、


庇うどころか、犯人に仕立て上げようとすら憎んでいた。


だから、


「もしかしたら、心中を企図したのは母親では無く、娘の方か?」


と、笹垣は気付いていてもおかしくない。


となると、


「西本文代は追い詰められて自殺した訳では無い」となり、

「西本文代との密会現場を見た事が原因」でも無いという事を

笹垣は理解してたとすら思えるのだが、では、何故 笹垣はそれ以上、雪穂を追求しようとしなかったのか?


その理由と思えるシーンのひとつには


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 笹やんは昔、誤認逮捕でエライ目にあってな、

 動機、目撃者、凶器…。

 全て揃った容疑者を、笹やんは自信を持って引っ張った。

 そしたらその容疑者には一人娘がいてな、

 親父が捕まってから その子な…

 ”犯罪者の子供”ってイジメにあって…

 自殺しちゃったんだわ。

 そのあとにそいつの無実が証明されてな…

 俺たちの仕事はな、

 生まれなかったはずの悲劇を生んでしまうことがある。

 笹やんもそれが怖いんだろう。」



と、笹垣の背景を古賀が上司から聞くシーンがあるのだが、ここは非常に話が難解で この部分を考察に引用すると どうしてもこじつけっぽい話になってしまうのだが、誤認逮捕の結果 死なせなくても良かった筈の少女を殺してしまう…


それとは対照的に、母親ですらも憎み 自分もろとも心中に巻き込んで殺してしまうぐらいの動機を持った少女がいる…


もしかしたら…


雪穂を調べ抜いて その動機の全てを暴く事が良い結果になるのか、さもなくば もっと不幸(少女が再び自殺するような)を呼ぶのか?… そこに笹垣は迷い、迷った結果、被疑者(西本文代)死亡による捜査本部解散…という流れを容認し 生き残った雪穂に罪を問う事より、独りで生きていく辛さへの選択を与えたのかなぁ…なんて思うのだ。


つまり、そのキッカケというか根拠は 病室での雪穂の「笑い」が「嘲笑」では無く、「自嘲」と誤解釈したから… ってのは深読みのし過ぎかな…とは思いつつ なんだけどね。^^;


そんな感じで解釈しない事には いくら捜査本部が解散したからと言って

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凶器と目されるハサミを雪穂に渡す事が 私には、まず理解出来ない。


それと…、

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「何、読んでる?」

「風と共に去りぬ…です」

「どない思う? スカーレット

 オジサンなんかは、そういう女の人は ちぃと苦手やな…」


何故、笹垣がスカーレットという女性を「ちぃと苦手やな…」と言うのかは「風と共に去りぬ」のネタバレになるから述べないが、重要な点は雪穂が 

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「(スカーレットを)憧れます。

 強くて、逞しくて、どんな状況でも絶対に諦めない。」


と スカーレットを評して 言い切った事と


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「スカーレットって、天国行けたんですかね?

 家を襲おうとした兵士、殺すじゃないですか…

 生きるためなら、そこまでしても、許されるのかな。」


「どうだろうね…

 でも、もし、この子が殺されちゃうって思ったら、

 私もやっちゃうかな…」


という会話により スカーレットの生き方が必ずしも批判される生き方じゃ無いと思った雪穂…


私には そういう「スカーレット」が大きなヒントと感じるのだが…


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「なぁ? 君やったら なれると思うで スカーレット」


というシーンの この笹垣の台詞に至るのだと思うと、しつこいようだが やはり、この時点では雪穂の「笑い」を騙されて 自嘲と受け止めたがゆえに スカーレットは犯罪者ではあるが 彼女の犯罪は彼女の信念に基づいて行われた犯罪、ゆえに、雪穂にも「オマエは犯罪者だけど、オマエなりの信念があっての事だと信じてるぞ」と暗に示して 笹垣が雪穂を一度は見逃そうとしたのだ…と、考える事も出来るかな?と思えるのだ。


で、さらに この考察を難解なものにするのは…


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ハサミを渡した後に 去りゆく雪穂の後ろ姿を見ながら 笹垣が呟く言葉は 仏教において 親鸞上人が語った言葉を仏弟子がまとめた書物とされている「歎異抄」の中の一文であり、「歎異抄」とは キリスト教で言えば「マタイ伝」等の様に キリストが弟子に事例を用いて「例え話」として教義を説いたのと同じ様に 歎異抄は親鸞上人が語った話を例えに教義を説いたもの…という位置づけも出来る書なので いろんな解釈や含蓄が込められた文でもある。


ちなみに、第1話の このシーンで語られている

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『我が心の善くて、人殺さぬにあらず。

 また害せじと思うとも、百人千人を殺すこともあるべし』


この言葉は 歎異抄第13章にある一文で 端的に一文だけを訳せば


「自分の心が善いから、殺さないのではない。

 また、害せずにおこうと思っても、百人千人を殺してしまうことのもあるのだ。」


つまり、


「人を殺そうとは思わない事が善い事とは限らない、殺そうと思っていなくても 結果的に百人、千人と殺してしまう事だってある」


これだけだと 意味が理解出来難いかもしれないので 第十三章の中の一部分をブタネコ流解釈で簡単に述べれば


 ある時、親鸞上人は弟子に「私の言う事を信じるか?」と聞いたところ、

 弟子は「もちろんですとも」と即答した。

 親鸞上人は そこで

 「では、人を千人殺してみなさい、そうすれば必ず極楽浄土に往生できる」

 と、弟子に言ったところ 弟子は

 「それは、いくら仰せとあっても私には人を殺す事は出来ません」と答えた。

 それに対して親鸞上人は「前もって”私を信ずるか?”と確認したら、オマエは

 ”もちろんです”とキッパリ言ったじゃないか?

 なのに、オマエは殺せないと言う…

 要するに、親鸞上人という人物が 如何に徳の高い僧であって

 その教えは絶対に正しいから…と従うと言っても、

 その僧が”必ず極楽浄土に行ける”として人を殺せと言ったとしても、

 殺す理由として正しいとは思えず、一人だって殺せないと言う事になる。

 けれども、理由などに気付かぬうちに 誰かを殺してしまっている時もある。

 つまり、自分が善い心の持ち主だから人を殺さないのでは無いし、

 殺そうと思っていなくても 結果的に百人、千人と殺してしまう事だってある」


という様な宗教的に矛盾を説く内容の中の一文であり、言い換えれば


「善い心の持ち主でも 人を殺す時があれば、

 人を殺したからと言って 必ずしも その人が悪人とは言い切れない」

という意味にもとれる… という様な禅問答の様なもの。


完全に犯人だと確信して逮捕したのにも関わらず、それが誤認で その誤認逮捕が原因で笹垣は一人の少女を殺したが、それは 最初から笹垣が その少女を殺そうと思って、もしくは死ぬと判っていて行動した結果では無い。


図書館のオバサンは 子供を守るためなら 人を殺すかもしれない…と語る。


雪穂の母親は 亮司の父親を「そりゃ、殺したくもなるよ あんなオヤジ」と言った…


この「歎異抄」第十三章の「本願誇り(ぼこり)」の一文は いろんな意味、矛盾について親鸞が語った深い文なので 物語のいろんな所に絡みそうで難しい言葉なのだが…^^;


この 笹垣がハサミを渡して 雪穂に「スカーレットになれる」と言う… この流れに、上の歎異抄を重ねるのは 単純に、母の形見を返します、スカーレットの様に強く生きて下さいね…という 簡単な描写とは思えない。




さて、以上の様な事で 私は もしかしたら笹垣は第一話で 雪穂を理解し切れぬまま(雪穂に欺かれたおかげで)雪穂を見逃したのかもしれない… という解釈が 私の頭から離れずにいる。


しかしながら、その解釈が ほぼ間違いないと私は自信を持って言える訳では無く、むしろ正解である可能性は 限りなく乏しいとさえ思っている。^^;


これは けっして責任転嫁をするつもりは無いが、先に原作を読んでしまっていたために 私が自分自身で 私をミスリードしてしまったせいである事が 最大の原因ではあるが、どうにもこうにも 武田鉄矢の演技がクサ過ぎて鼻につくおかげでもあると強調しておきたい。


不気味…という点では適役かもしれないが、ストーリーを難解にさせる…という意味で 非常に目障りな男に感じ、邪魔で仕方が無い。^^;


と言うわけで、第7話の 取り調べの際の雪穂の笑顔に 第1話のオーバーラップが無ければ 先に述べた「自嘲」のままで解釈しきれたのに… 今はグチャグチャなのである。^^;


何が正解なのかは この先で解答を得るしか無いのだ。^^;



お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

ブタネコさん 先日は大変失礼しました。 消えたコメントの中に この「微笑み」について書き込んだものもありましたので もう一度。 まず1話の病室。 いくら憎いといっても、母殺しは本意ではなかったはず。そして取り調べ部屋。 「それだけはいや!」だった「桐原亮司を捕まえて下さい。」 ・・・。 もちろん 笹垣への挑発の意味もあると思いますが ふたつの微笑みは「これでいいんだよね、亮?」という 自責の念と亮への思いが入り交じったものではないでしょうか?・・・。 しかし 御曹司のパスひとつで秋吉主任になれるんでしょうか? 蛇の道はヘビ 喫茶店に集まる方で秋吉主任な人 いませんでしたか?^^;

はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいております。

今回の「雪穂の笑みの解釈」について、思う所を少しだけ。

私は、1話目の「笑み」については、「安堵」の笑みだった、と解釈しています。
「母親が無事死んだ」と知り、これで成功した、亮君は疑われずに済む、という「ホッとした」感情が湧き上がったのだと思いました。
「生き残ってしまった」「母親を殺した殺人犯になっしまった」という悔恨は、この後、一人になってから湧き上がってきた想いだと思うのです。
ここでの「笑み」は「無意識」です。
それよって笹垣は「この娘は何かを知っているのではないか。何かを隠している」と、疑うようになったのですよね。

7話での「笑み」は「煽り」です。雪穂は笹垣に疑われている、と自覚しながらも、「被害者である」と芝居を打ち、「これで騙されてみなさいよ」と「挑発」してみせた。ここでの「笑み」は意識されている。

ここで笹垣にすれば、悲惨な状況下で不似合いな「笑み」を浮かべた11歳の雪穂をオーバーラップさせ、「やはりこいつは何かを隠している」という確信を得たのだと思います。

だからこそ、「転勤」という不測の事態があったにせよ、過去に「誤認捜査」という過去があったにせよ、雪穂を見逃すべきではなかったとの想いが、笹垣を執念の捜査に駆りだしているようにみえるのです。
あの時「自殺を図った少女」を守るべきだった、と。
そうすれば「悪の連鎖」は防がれたのだ、と。

私はそう解釈しています。
一緒に観ている同居人も、同じような感想でしたので、今までてっきりそう思ってたのですが・・・。
うーむ真実はどうなのでしょうか。
様々な思いを含む「笑み」。最終回が楽しみです。

ちなみに私は、今まで武田さんの演技を、大袈裟だとか、過剰だと感じたことはありません。
逆に、雪穂や亮司へ過剰に感情移入をしてしまいそうになる気持ちを、こちら側に引き戻してくれる、「現実」を突きつけさせてくれる、良い意味でのスパイスになっている、と感じています。

だらだらと駄文・長文失礼致しました。
上手く伝えられなくてすみません。


★ 虎馬 さん


>いくら憎いといっても、母殺しは本意ではなかったはず。

そうですね、そう思いたいです。^^


>笹垣への挑発の意味もあると思いますが ふたつの微笑みは「これでいいんだよね、亮?」という 自責の念と亮への思いが入り交じったものではないでしょうか?


「自責の念」ですか… 新説ですね^^ 研究します。


>御曹司のパスひとつで秋吉主任になれるんでしょうか?


御曹司と言う事で人格・能力に欠けていながら 主任どころか役員になった方を何人も存じ上げております。^^;

しかしながら、パスで主任になった方は知りません^^;

お役に立てず残念です^^


★ ざーこ さん


はじめまして、コメントありがとうございました^^


>「安堵」の笑み

ほう、これまた新説ですね^^;


>亮君は疑われずに済む、という「ホッとした」感情が湧き上がったのだと思いました。

う~ん 判らなくもないんですが、どことなく私には「笑み」に「嫌らしさ」を感じたんです。^^; なので「安堵」というのは いまいち納得出来にくいなぁ…

ま、ざーこさんは「素直に」 私は「ひねくれて」見た結果の違いなのかもしれませんね^^


>ここでの「笑み」は「無意識」です。

ええ、きっとそうなんでしょうね そこは同感です。

だからこそ、「だって」と取り繕うとした…という考えが捨てきれずにおります。^^;


>ちなみに私は、今まで武田さんの演技を、大袈裟だとか、過剰だと感じたことはありません。

たぶん、多くの視聴者は そう言われるのだと思います。^^

ですから、この部分には触れたくありませんでしたが、私としては山田、綾瀬、渡部といった方々が役の設定に「合わせて」キャラクターを演じているのに対し、武田は武田本人が時々顔を出し「合わせきれてない」微妙なズレを感じ それがウザったく思う時があります。^^;

ブタネコさん、こんにちは。
ブタネコさんの解釈と、他の方々のコメントにある解釈を読んで
「本当に100人いれば100通りの解釈があるなー」って感じました。
私の場合はまだそこまで深読みできないでいる状態です。
何回かドラマをじっくり見てから、解釈していこうかなって思ってます。
原作はわざと読んでません。
山田君と同じで、先入観が邪魔するんじゃないかって思ったので…。
このドラマは1回見ただけじゃ足りないですね。
1回目はストーリー重視でさらりと見て、次からいろんな角度で見る。
そんな感じが一番いいのかもしれません。もちろん私の場合ですけど。
脚本、演出ともに一筋縄ではいかないなーって思ってます。

★ Mint さん

>このドラマは1回見ただけじゃ足りないですね。

そうだと思います。^^

5話まで見て あらためて1話から見直し時に あらためて「へぇ」と思った場面がいくつもありましたから^^;

それだけに ちゃんとした感想なんて 最終回を見終えるまでは 言えないな…とも思いました。^^;

(既に いろんな事言っちゃってますが > 俺^^;)

ブタネコさん、こんばんわ  何か論を急かしてしまったようで、それにしても嘲笑というのは考えのまったく範囲外で大変興味深く読ましていただきました、確かに「だって」といっていますね、話の流れで「だけ」といっていると思い込んでいました。ブタネコさんは自信がないようなことをいわれていますが、私の中ではかなり説得力のあるように思います(確かにまだ釈然としないところはありますが、、)     「世界の」のときみたいに笹垣視点の特別編とかあったりしないかな?

★ K さん

>何か論を急かしてしまったようで

いえいえ、後になってから「ほらね、そうだと思ったんだ」という真似が大嫌いな私としては 仮に間違ってて後で大笑いされても構わないので そろそろ記事にまとめようかとも思っていた部分なんで ちょうど良い機会を得たと思っています^^


メールで何人かの方から「納得出来ない」という御意見を頂戴したりもしましたが、誰も「だけ」か「だって」かを聞き直した上で語ってくれないのを残念に思っておりました^^;

Kさんは その点、ちゃんと聞いてみて下さったようで 深く、感謝申し上げます。^^

御確認の時に感じられたと思いますが「だって」というのも非常に微妙で だから、私は自信を持って言い切る事が出来ません^^;

でも、「?」と感じる事には御理解を頂けたようで 共に、今後 どうなるか楽しみに眺めましょう。^^

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。