● 悪魔の手毬唄(古谷版)
77年に放映された 古谷一行:金田一版「悪魔の手毬唄」全6話を見た。
やっぱり、この
「悪魔の手毬唄」の原作は大傑作だと思った。
この原作本を初めて読んだ時の事が昨日の事の様に思い出した。
それまで、私は小学校や中学校の図書室で コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズや ルブランの「怪盗ルパン」シリーズを好んで読んだ時期があり、当然 江戸川乱歩の「明智小五郎」シリーズの少年探偵団に どうやったら入れるかと真剣に考えた時期もある。^^;
どちらかと言うと 横溝の小説はエログロと評す人もおり、今 思えば、子供向きでは無かったのは確かで だから、ポワロやミス・マープル 名だたる名探偵達よりも 金田一耕助に私が出会ったのは遅い時期だったとも言える。
しかし… 金田一耕助と出会って以来、たとえ それが小説の中の世界の空想上の人物と言えども、金田一を超える名探偵と出会った事は無い。
俗な読者に言わせれば 金田一が有能だったら、連続殺人も途中で解決出来た筈…とか、事件の大勢が終わった後で偉そうに解決してみせる嫌味な男…等と評す輩もいるが、そんな御方は 二度とこのブログに訪れなくて結構。^^
仮に、我が人生で袖擦り合う事はあっても ブッ飛ばしこそすれども、友達になる事は絶対に無いからだ。^^;
さて、この「悪魔の手毬唄」の原作を初めて読んだ時の事…
ぐいぐいとストーリーに引っ張り込まれ 時間も食事も忘れ…、怖かった… 峠の「おりん」が金田一とすれ違うシーンは その場で そのシーンを木陰から覗いてるぐらいに情景が目の前に描かれた思いがし、その後の「おりん」の行動にビビリながら 頁を一枚、一枚とめくったものだ。
そして、事件が解決した後 横溝は「ちょっと一貫貸しました」と題して 数頁のエピローグで後日談、特に磯川警部との別れを描いているが…
なんて言うか… もう、探偵小説じゃなくて とても切ない物語を読んだ余韻に包まれ言葉を失うんだなぁ。
犯人に対する哀惜の情もある。
けど、私は 登場するキャラの一人である青池里子を想い 哀しくて仕方が無かった。
ネタバレしたくないので細かい部分は述べないが…
例えば、俗に「推理小説」というジャンルにカテゴライズされる作品があったとする。
当たり前の話だが、「推理小説」では 登場人物の誰かが犯人で 別の誰かが一人 もしくは複数殺される。
本来の道徳的観念から言えば 人を殺す…という事は許されないし、殺人犯に対して ほんの欠片でも憐憫の情を抱くのは不謹慎なのだろう。
しかし、秀逸な作品では 時に憐憫の情にかられ非常に切なく感じる事がある。
それが犯人に対してなのか 被害者に対してなのか、さもなくば探偵に対してなのか…
それは作品毎に違う事ではあるが 大抵は犯人に憐憫の情を抱けば 被害者は「殺されて当然」みたいな人物像に描かれるし、犯人が極悪人に描かれれば 当然、そのぶん被害者に対して同情の気持ちが深まるような描写…というのが 本屋の軒先で売られている「推理小説」の ひと山いくらの作品群であるが、横溝は違う。
この「悪魔の手毬唄」は 犯人も切ないが、被害者も切ない そして、金田一や磯川警部までもが切ないし、遺された別の二人も切ないのである。
読み始めから終盤までは「怖い」んですよ、なのに読み終わってみると「切ない」んです。
判るかなぁ… この違いを描き分けられる横溝正史という作者の文章描写の巧みさが。
だからこそ、横溝作品を映像化するには その描写をないがしろにされると 原作のティストが破壊され、作品自体が崩壊する。
ゆえに、金田一がジーンズ履いたり、サマー・ジャケットに麦藁帽なんか被られると
「フザケンナ」
と、腹が立つ。^^;
さて、77年版「悪魔の手毬唄」について…
原作における「あらすじ」を述べれば、時代設定は昭和30年 金田一は静養を目的に岡山までやって来たついでに 旧知の磯川警部のもとを挨拶を兼ねて訪ねたところ
鬼首村の旅館を推薦されるのだが…
その旅館は青池リカなる女性が営んでおり、20数年前にリカの亭主が殺される事件を磯川が担当していたのだが、遂に迷宮入りしてしまった経緯があり、磯川は金田一に 静養を兼ねて、その昔の事件に関して意見を聞きたいと考えたのが金田一が 後に遭遇する連続殺人事件に関わるキッカケとなる。
この77年版「悪魔の手毬唄」では
「青池歌名雄」
「青池リカ」
「青池里子」
「大空ゆかり」こと「別所千恵子」
「庄屋 多々良放庵」
「仁礼文子」
「由良泰子」
今回の金田一耕助は 人力車で登場し
風体は まるで時代劇の用心棒の先生って感じで…^^;
懐かしかったのは 途中、警官と自転車を二人乗りして登場するシーンがあるのだが…
この警官、往年のファンなら知る人ぞ知る「あばれはっちゃく」の親父役、もしくは中学生日記の「東先生」を演じた 東野英心で 5年前の2000年に 若くして病没された俳優である。
また、この作品は タイトルの通り「手毬唄」が重要なファクターとなっており
という映像が CMの度に挿入されている。^^
また、
と、「峠のおりん」シーンもしっかり撮られており、おりんは その後にも
という風に 効果的にあらわれる。
総合的には 全6話x1時間枠の284分構成のため 原作に忠実に丁寧に作られているのは 非常に好感が持てる。
しかし、
長門勇を「磯川警部」では無く、あいかわらず「日和警部」として登場させた事で 個人的には甚だ、不愉快を隠せない。
全部を確認していないので 何とも言えないのだが、どうもTV版は 全部、「日和警部」なのかもしれない^^; なんで、こんな些細だけど重要な事を弄るのか? 他は概ね良好なのに何故? これだけは全く信じられない制作者達の愚行である。
しかしながら、この作品に関してのみ 個人的見解で申し上げれば 大空ゆかり(別所千恵子)役に 夏目雅子を起用している事だけは「よくやった」と誉め上げたい。
映画版の仁科明子も捨て難いのだが、この夏目雅子だけは別格である。
