● 時刻表2万キロ
高校生の時、私は 国内を旅して歩いてみたくて仕方が無かった。
本を読んだり、映画を見ては その舞台となった地に行ってみたくて仕方が無かった。
最近じゃ 死語に近い言葉らしいが
「センチメンタル・ジャーニー」
という言葉も 昔、よく使われたものだった。
日本語で書けば「感傷旅行」 つまり、失恋した心を癒す旅… とでも言うのだろう。
それを地でいったのが「男はつらいよ」シリーズの初期の頃の寅さんなわけだが…
当時の恋愛小説に出てくるヒロインは 失恋すると何処かの地に旅に出かけ、旅先で心を癒し 戻ってきた時にバッサリと それまで長く伸ばしていた黒髪を切り、終わった恋に踏ん切りをつけて 新しい生活をスタートする…のが ひとつのパターンだった。
もっとも そんなロマンチックな趣も 松本伊代が「伊代はまだ16だから~♪」と鼻声で歌ってくれたおかげでブッ飛ばされたが…^^;
私としては そんなセンチメンタル・ジャーニーがしたかったわけでは無く、バッグを背負って ぶらりと独り旅にふける若者像というものに憧れていた部分はある。
けっして、温泉旅館に泊まって 温泉芸者を呼んでドンチャン騒ぎ…みたいな フランキー堺や森繁久弥の「駅前」シリーズをしたかったわけでは無い。
寺の軒先や、終電が行った後の駅舎の片隅でゴロ寝しながら未見の地を徘徊する事に 何故か、興味が沸き そんな旅を味わってみたかったのだ。
そんな私の心に さらに油を注いでくれたのが

宮脇俊三:著『時刻表2万キロ』(1978年:河出書房)
という一冊の本と 同じ年の11月頃から始まった「いい日旅立ち・キャンペーン」だった。
山口百恵の歌う「いい日旅立ち」をテーマに「みんなで旅に出よう」と 連日、CMで囁かれた私は ついに、旅へと出始めたわけだ。^^;
この宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』は 当時、国鉄の全線 ほぼ2万キロ全て乗ったという旅行記である。
当時の国鉄は 組合問題や巨額の赤字などによる断末魔に喘いでおり、この数年前に始めた「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンが僅かに成功しはしたものの そのキャンペーンにも翳りを見せ始めていた矢先だったから、この宮脇氏の本に便乗するかの如く「いい旅チャレンジ20000km」キャンペーンを始めた。
これは 私のおぼろげな記憶だが、国鉄と富士フィルムがタイアップで始めた企画で 国鉄全線の路線図や白地図がセットになったスタンプ・ブック(手帳)をキヨスクで買い、国鉄の各駅に設置されている旅行スタンプを その本に押したり、乗車券を証明代わりに貼れるようになっており、駅名の入ったモノを背景に記念兼証拠写真を撮って その公式グッズに貼る事により、国鉄が完全踏破した者を認定する…みたいなノリだったのだが、僅か2・3年ほどで そのキャンペーンは破綻した。
原因は 赤字解消のために国内で大規模な路線廃止が行われたからである。
(やはり、おぼろげな記憶だが 約3000キロが廃線になったはず^^;)
まぁ、私としては 別に国鉄に認めて貰いたい…なんて気は無かったから 完全踏破なんて考えは サラサラ無く、それが目的になる事は無かったけど、この時に 対象となり、やがて廃線となった路線の多くこそが、私にとっては 最も旅情を楽しめると期待した路線の多くであり行ってみたい場所が多く含まれていたので、それらの路線が姿を消した後は 大動脈同然の交通・輸送機関の廃止により 沿線市町村の成長も止まったと言わざるを得ない。
今、あらためて宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』のページをめくると その本を初めて読んだ頃を思い出す。
本を汚す事は、良い事では無いと思っているので、滅多な事ではしない私だが、この本は 至る所に赤ペンの書き込みがある。
例えば、岡山の伯備線の辺りには「悪魔の手毬唄 ロケ地」とか「八つ墓村 ロケ地」とか…
そう、地図の上を大判の時刻表片手に旅をする夢想にかられていた私には この『時刻表2万キロ』における宮脇氏は 私の夢想を実現した人物として憧れの対象と化していた。
正直言って、当時、北海道に居住する私には 現実的な問題として金銭的に国内を旅してまわる事は困難な話だったのだ。
やがて、大学進学と共に東京に出た私は バイトで稼いだ金を軍資金に 念願だった旅を楽しみ、自分の目で 日本の地理や歴史や風土を学んだつもりであり、その後、社会人となり 勤務した会社での私の担当業務は銀行や証券など金融や保険会社関連のオンライン化やネットワーク化の携わるもので、特に 地方支店や地方信組・信金等での作業には 一時的に10日間前後は その地に出張して留まらなければならず、妻帯者や親元から通勤する同僚達が嫌がった その「地方巡業」を その時の私の様に地方出身者で独身で 割り増し手当と温泉旅館滞在という付加が魅力の業務は渡りに船の仕事として、喜んで 出来るだけ地方の辺鄙な場所をまわしてもらっては 嬉々として出張したものである。
そんな日々から20年以上過ぎた今、当時、雑記帳の様に使用していた業務日誌に書き記してある 出張の際に宿泊した旅館の多くの殆どが 鉄道廃止による過疎化や バブル期を契機に観光の形態が高級化した余波を受け 姿を消している。
番頭さんが直々に「これ、今朝 獲ってきたばかりのタコ、今晩の料理にこれ食わせるから楽しみにしてて…」 朝、仕事に出る私に ニコニコと気さくに話しかけてくれた旅館や 私の休日に 半日、ドライブに連れて行ってくれた板前さんのいた旅館 それらは建物ごと姿を消し、今 それらの地に行くと ちょっと離れた高台に自然とは不釣り合いな瀟洒な建物のリゾート・ホテルが建っており、そんなホテルのレストランに行くと「~牛のステーキでございます」と 判で押した様に”御当地牛”が出されたり、「苦労して取り寄せた近海モノのマグロの刺身でございます」なんてモノばかり。
只々、「なんだかなぁ…」と思うばかりだ。
中・高生の頃、机上で地図と時刻表を使って 旅する事を夢想していた私が 初めて、その夢想を実現して行った先が岡山だった事は 以前、別の記事で述べた事がある。
その時に、生まれて初めて(物覚えがついて初めて)関西風のうどん(岡山なんだけど”讃岐うどん”って銘打った店だった^^;)を食べた。
その時に、根本的に北海道では見た事の無い、別の種類の醤油が この世の中にある事を 私は初めて知ったのだ。
「淡口(うすくち)醤油」とか「白醤油」等と、東日本で言うところの醤油より 色が薄く 東日本で当たり前に「醤油」と呼んでいるのがコ-ヒ-やコ-ラの色だとすれば、紅茶色の醤油があるという事を初めて知った。
【筆者注記2月23日】
「淡口醤油」と「白醤油」は別物です。
詳細はコメント欄を参照して下さい。
はちはちまるさんの 御指摘に深く感謝申し上げます。^^
しかも、「関西は味が薄い」と俗に言われるが 私に言わせれば その醤油は 関東のモノより色は薄いけど塩味は濃い。
蕎麦のツユには弱いけど、うどんには 絶妙にマッチする。
それ以来、濃い色をした出汁のうどんは二度と食べたいとは思わなくなったし
「うどんは関西に行った時に食べる楽しみに とっておき、
蕎麦は関東、札幌にいる時はラーメンを食べればいいのだ。」
と、思う様にもなった。
たしかに、家庭の事情等で あちこちと行く事の出来ない人は多い。
仮に 札幌から、滅多な事では余所に行く事の出来ない人も大勢いる。
そういう人が 濃い色の醤油で うどんを食べるのも それはそれで仕方の無い事ではあるし、それに対してケチをつけたり、馬鹿にする気持ちは毛頭無い。
ただね、一般的に「関西は薄口だから…」と よく言われる台詞は ともすれば、道産子に対して「北海道? 寒いんでしょう」と言うのと同じで、一度も北海道に来た事も無い本州人に「寒いんでしょ」と軽く言われた時に、大概の道産子が「イラッ」と来る様に 関西圏で食事した事の無い奴が 無造作に「味が薄いんでしょ?」なんて言っちゃイケナイのだと言える…と言う事である。
旅の醍醐味とは 実際に その地に行って目で景色を眺め、空気を吸い、味わってこそ初めて それでも完全にでは無いけれど知る事が出来るとこにある。
ところがね、ある程度 人口の密集している都市部では 都会化されているぶん風土色が薄く、町村部にこそ風土があるにも関わらず、旅行者も結局は近代化された温泉街や観光施設にばかり足が向く。
どうも 昔ながらの「旅」というものが廃れてきてる様な気がするのだ。
久しぶりに開いた 宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』の中に 自分が書き込んだ赤ペンの記述を見ていて まだ、その地を未見だった時に
「この土地に行ったら この場所を絶対に見に行き、この場所を歩くんだ…
ここは きっと映画「@@@」で見たあのシーンみたいに
柿の古木がぽつんとあって 木の根本にお地蔵さんがあるはずだ…」
なんて夢想していた自分の姿、そして 後に実際に その地に行った時の感動や、夢想との違いに 喜んだり、ガッカリしたりした自分の姿を思い出した。
今となっては 日本中 いろんなところに行ったから、その少年の時の様に夢想して想い描く…という事は出来なくなってしまったが、今の若者は 情報が豊富で、しかも容易に手に入るが故に”夢想”するという感覚が無い。
しかも、”夢想”と”妄想”の違いすら判らない者が多すぎる。^^;
そう思うと なんだか哀れにさえ思う時がある。


