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2006年01月31日

● ブタネコの「後遺症的妄想」特別篇


本編にも特別編がある以上、私も特別編を述べねばなるまい…




とは言え、別段 深い思惑があるわけでは無く、キャプを用意しながらも今までに使用していない 二つのシーンについて、せっかくだから使用しておこうと思っただけなのだが。^^;





【筆者注】


以下の文章は、北国で暇を持て余してるアホなオッサンの脳内妄想であり、
実在するTVドラマや そのファンを刺激する目的は全くありません。

ゆえに、読後 不快感に襲われたとしても それはアナタの気のせいです。

間違って、筆者宛に抗議のメールやコメントを寄越さないように御注意願います。


<< 以下、本文 >>-------------------




後遺症的妄想

後遺症的妄想

「結婚写真ですか? お嬢さんとウチのの?」


後遺症的妄想

「もちろん、カタチだけです。」


後遺症的妄想

「あのう?…」

「物凄く、身勝手な御願いだという事は判ってます。」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「ウチの娘は もう長くはないかもしれません」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「もしも、私が朔太郎君の親だったら 

 そんな写真は撮るなと言います。」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「遺された時に、辛くなる事の方が多い気がします。」


後遺症的妄想

「そうですかねぇ?」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「きっと…、こんな風に幸せになりたいって思うんじゃないですかね」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「人間は欲の深い生き物ですから」

後遺症的妄想

「撮ってやりましょう 結婚写真」


後遺症的妄想

後遺症的妄想





ドラマでは以上の様なシーンなのだが… 




【筆者注】

以下の文章に登場する「教授」とは 私の友人である二代目開業医と同様 このブログの他の記事で「アキバ系研究員を束ねる某国立大学教授」と呼ばれている人物です。



後遺症的妄想

後遺症的妄想

教授「オマエ、俺達に内緒でブログなんか書いてるんだって?」


後遺症的妄想

私「うん、カタチだけね。」


後遺症的妄想

教授「俺達友人の話をブログでネタにしてるんだって?」

私「う~ん そういう解釈も出来るかなぁ…」


後遺症的妄想

教授「そのブログの存在知ってるの 俺と二代目開業医の二人だけ?」


後遺症的妄想

私「そうだよ」


後遺症的妄想

教授「オマエの嫁は?」


後遺症的妄想

私「その質問には ノー・コメント」


後遺症的妄想

教授「そっか…」


後遺症的妄想

教授「聞いた俺が悪かった。」


後遺症的妄想

教授「ところでさぁ、二代目が自慢してたぜ…」


後遺症的妄想

私「何を?」


後遺症的妄想

教授「ブタネコに ブログに書かれちゃった…って」


後遺症的妄想

私「あの野郎、絶対 本名や病院名は書くなよ…って

              俺には 文句言ってきやがったのに…」


後遺症的妄想

教授「いや、俺には自慢してた。

   たぶん、あいつの事だから いろんなところで言いふらしてるハズ

   特に、愛人1号や2号には…」


後遺症的妄想

教授「いいよなぁ… 今度は俺もブログで使ってくれよぉ…」


後遺症的妄想

教授「ちょっとでいいからさ」


後遺症的妄想

私「すまん、あのシリーズ終わったんだ…」






さて、特別編の最後として 今まで、散々茶化してしまったTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」に対し、言い訳を込めて 個人的に最も胸に響くシーンと その意味について触れて今回の「後遺症的妄想」の幕を締めたいと思う。^^






後遺症的妄想

後遺症的妄想

「持って行こうとも思ったんだが、顔一つ見せない人間に

 わざわざ、お受け取り頂く義理も無いかなと思ってね…」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「まだ、独りらしいなぁ?」


後遺症的妄想

「はい」


後遺症的妄想

「お父さん、お母さんが心配してらしたぞ」


後遺症的妄想

「そろそろとは思ってます」


後遺症的妄想

「そうか…」


後遺症的妄想

「はい」


後遺症的妄想

「もう忘れたか、亜紀の事は…」

「どうなんでしょう…」


後遺症的妄想

「失礼だぞ、相手の女性に…」


後遺症的妄想

「…」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「きっと、これから だんだん忘れていくんでしょうね…」


後遺症的妄想

「…」


後遺症的妄想

「すいません」


後遺症的妄想

「寂しいんだろ」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「俺も、そうだ」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「見たく無い事まで 夢で見ていたのに、見なくなってねぇ…

 そのうち、思い出すのに時間がかかる様になって…

 あの時は、どうだったか?って 女房に確かめる様になって…」


後遺症的妄想

「でも、忘れたいのでも、忘れないのでもなくてねぇ…

 人間は忘れていくんだよ」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「生きていくために」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「まぁ、そんな事は お医者様に説教してもなぁ…」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「よく、頑張ったなぁ… サク」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

「生死を扱う仕事は、辛かっただろ?…」


後遺症的妄想

「…」


後遺症的妄想

「もう、じゅうぶんだ」


後遺症的妄想

「…」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

後遺症的妄想

「ありがとう」


後遺症的妄想






ドラマでは以上の様なシーンなのだが… 



【筆者注】

以下の文章に登場する「親父さん」とは このブログの他の記事を読んでおられる方々は御存じと思いますが、私や嫁と同級生で 若くして白血病で亡くなった”亡き友”の親父さんの事です。





後遺症的妄想

親父さん「どうだ? 嫁さんや娘さんと息災かい?」


後遺症的妄想

私「ええ、なんとか…」


後遺症的妄想

親父さん「そうか… そりゃ良かった。」


後遺症的妄想

私「いえ…」


後遺症的妄想

親父さん「君のとこの夫婦を見てると やっぱり、ウチの娘が生きてたら

     こんな風なんだろうなぁ…って ついつい思うねぇ…」


後遺症的妄想

私「いや、”亡き友”と ウチの嫁は性格が全然、違うから…^^;」


後遺症的妄想

親父さん「君達のおかげで、長生き出来た様なもんだ 私は」


後遺症的妄想

私「どういう意味ですか?」


後遺症的妄想

親父さん「俺はね、俺の娘が死んだ時

     ”この先、何を楽しみに生きてけば良いのかなぁ?”

     そう思ってねぇ… 何もする気が失せちゃって…

     ウチの女房は私以上に そう思っちゃったから、

     結局、”違う世界”に逃避しちゃったしね」


後遺症的妄想

親父さん「でもな、君や君の奥さん見てて ふと、思ったんだ」


後遺症的妄想

私「?」


後遺症的妄想

親父さん「もし、”あの世”ってのがあって、私が死んだ時に

     そこで、また娘に再会出来るのだとしたら、その時に

    ”オマエ(亡き友)が死んだ後、こんな事や、あんな事があったんだ…”

     って、沢山、話をして過ごしたいなぁ…って。


後遺症的妄想

私「…」


後遺症的妄想

親父さん「その為には、少しでも長生きして

     お土産話を増やさなきゃ… そう思ったんだ」


後遺症的妄想

私「面白い考え方ですね」


後遺症的妄想

親父さん「そうかい?」


後遺症的妄想

私「はい。

  だって、僕や嫁や”亡き友”を知る仲間達は 神や宗教なんて

  ”クソ喰らえ”だと思ってますから…」


後遺症的妄想

親父さん「俺だって、そうだ^^」


後遺症的妄想

私「…」


後遺症的妄想

親父さん「でもな、”また逢える…”

     そうでも思ってないと生きる意味が無かったんだよな…」


後遺症的妄想

親父さん「そうじゃ無きゃ、とっくにクタバった方が良いとさえ思ったさ」


後遺症的妄想

私「…」


後遺症的妄想

親父さん「でも、”また逢えるかもしれない”そう思ったらさ

     再会の時に 娘に対して恥ずかしい思いをしたくないからね」


後遺症的妄想

私「…」


後遺症的妄想

親父さん「で、今日まで生きてきたわけだが…」


後遺症的妄想

私「…」


後遺症的妄想

親父さん「どうも、このところ身体にガタが出始めてね」


後遺症的妄想

私「大丈夫ですか?」


後遺症的妄想

親父さん「いや、もう そろそろ本当に娘に逢いたくなったしな…

     だから、潮時としては調度良いとさえ思ってる」


後遺症的妄想

私「…」


後遺症的妄想

親父さん「ありがとうな」


後遺症的妄想

私「?」


後遺症的妄想

後遺症的妄想

後遺症的妄想

親父さん「ホントに ありがとう

     いつ、最後になるか判らんから 今のウチに言っておく^^」


後遺症的妄想




一昨年の初夏、こんな感じで”亡き友”の親父さんと話したのが、私が親父さんと会った最後の会話です。


親父さんは その数ヶ月後にポックリと旅立ちましたから。


だから、最後の最後で このシーン見るのが辛いんです。^^;

お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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『後遺症的妄想』関連の記事

コメント

ブタネコさんへ
最後の親父さんのエピソードは今までとは大違いでしんみりとさせていただきました。僕も昨年人生の大先輩を失ったのですが、今考えると何かしら考えさせられることを沢山教えられたことを思い出します。僕もその立場になれるかなと少し不安になっています。

★ タンク さん

御愛読並びにコメントありがとうございます。^^

ま、そんなわけでTV版「世界の…」に関しては個人的事情をたっぷり含んだ上で 私にとっては特別のモノとなってしまったわけです。^^

今回、シリーズの様にオチャラケ続けてきましたが、最後の場面だけは 冗談でもオチャラケさせられず、シリアスで失礼した次第です。

どうか、お許しを^^;

特別編ありがとうございました。
ブタネコさんにとってドラマが思い入れの強いものだというのを
再認識させていただきました。

★ うんぼぼ さん

へへへ^^;

うかうかと特別編まで見てしまいました。(^^;
笑わすだけ笑わして最後に泣かすとは御大もなかなかの策士。

なにはともあれ祝・完結!おつかれさまでした。

先日は、「綾瀬はるかは、ミスキャストだ」と過激な発言を致しまして、はるかファンの皆様を
不快にさせて申し訳ありません。m(_ _)m

その際、ブタネコさんには、ご丁寧なフォローをして頂き、ありがたく思っております。
ただ第3話までを観た、素直な感想ですので
どうかお許し下さい。
(って、反省してないだろ・・・との突っ込みは無しで(^^;))

それにしても、私が一番驚いたのは、あの(?)ブタネコさんでも、喉まで出て飲み込む意見があるということを知ったことですw

ところで、「後遺症的妄想」終了ですか、そうですか。
全て読ませて頂きましたが、感想は控えさせて頂きますw

あえて言わせてもらえば、泣き笑いしながら読みました。

セカチューのキャプ画とセリフを観て泣き、その後のブタネコさんの自虐ネタを観て笑い(正確に言うと苦笑いw)しておりました。

でっ、疑問がわいたので質問させて頂きます。

私は、ブタネコさんの作ったセカチューのキャプ画とセリフを読んだだけで、涙が溢れてくるバカオッサンなのですが、ブタネコさんはそれを作っているとき、泣かないのですか?

セカチューで壊れたと公言してきたブタネコさんなら、絶対泣きながら作っていると思うのですが、そうすると、泣きながら、その後の自虐お笑いネタを考え作っているということですか?

そうであれば、ブタネコさんの性格って・・・
(この後の言葉は、あえて自己規制させて頂きます(^_^;)

★ 松本ガム太郎 さん

御粗末様でした^^


★ goboten さん

別に自己規制などせずともよろしいのに^^

>喉まで出て飲み込む意見があるということを知ったことですw

上手く適切に 自分の気持ちを文章表現する自信が無かったので飲み込んだまでです^^;

で、お尋ねの

>作っているとき、泣かないのですか?

という件ですが…

「泣く」とかいう単純な状態じゃ無いですね^^;

タバコ吸いながら しばし、遠い目… それの繰り返しです。

信じて貰わなくとも結構なんですが^^;

私が「妄想」として記した部分は 実際に記した様な会話があり、その時に「これって セカチューの~の場面みたいだ…」と感じたのを思い出しながら、ある程度 場面の台詞にゴロ合わせなどをしただけに過ぎません。

昨年の今頃は特に ブッ壊れてましたから なんでもかんでも「セカチュー」に結びつけて物事を考えている時期があったのも事実ですし、程度の差こそあれ、それは今でも変わりません。

入院中、嫁から「まぁ、気長に治そうよ」と言われただけで 百瀬駅のシーンを思い出し涙ぐんだぐらいですから^^;

本音を言えば、3話の「菩薩抱っこ」のシーンや 4話の「緒形vs松下」の会話、7話の入水シーン等にも 当て嵌める事の出来る会話はありますが、さすがに そういったシーンはオチャラケにもしたくないので あえて使用しなかっただけです。

「何故、それらのシーンを使用しないのか?」

わざわざメールで問い合わせてきたアホが3匹おり、返信する気もありませんが…^^;

今回、あえて記事を書き連ねてみたのは 悲劇と喜劇は表裏一体だと言う事を示してみたかっただけなのです。

一歩間違えば喜劇は悲劇になる反面、ある人には悲劇でも他人には喜劇に映る事もある。

ゆえに、悲劇ばかりを嘆くのではなく、喜劇的な受け止め方をするのも ある意味、如何なものでしょう?なんて意味…と言えば大げさですが^^

まぁ、頑固で偏屈と前フッてますが 相当、ねじくれた性格である事は私自身 認めるところでもありますので、どうか御注意願います。^^

俺が悪かった ブタネコさん。 あんたはもしかしていいやつなんだろうな。喜劇的な受け止め方は大事だよ。ご友人とお父様はきっと喜んでくれてるよ。ほんとにそうだとは言えるわけないけど、もし自分が死んで、生きてる家族や友人が俺のこと一生懸命ブログで書いたりしてくれていたら、こんなにうれしいことはないよ。わかるすべもないけどさ。わかったらうれしいんだよ。しかも一生懸命に笑わしてくれてたら、うれしいはずだろ。理屈じゃないんだよ。

★ レッツ さん

>あんたはもしかしていいやつなんだろうな

私には よく判りません。

御想像にお任せします^^;

ブタネコ様こんばんは(^^)

>ブタネコの「後遺症的妄想」・・・を拝読してみて、まず感じた事は、
ブタネコ様が壊れてしまう理由が・・・明確にあったのだと。。。

その理由は・・・正直、前々から気がついていたのですが・・・
この特別編を拝読して、それが自分にとって十分納得出来ました。

しかしながら・・・
私自身、身近に「世界の中心で・・・」と同様の過去が無いので、
同じ心境の境地にはを感じきれていない(達して)と思います。

でも・・・でも。。。
>ブタネコの「後遺症的妄想」を拝読して
そのお気持ちが、なんとなく分かるような気がしました。

それは・・・
私が大学に入学して初めての授業を受ける時の事でした。

私は、早く学校の友人が欲しいと思いながら・・・
隣の席に座った女の子に声を掛けました。

好意を引こうと・・・それはナンパ的な感じだったかも知れませんが。。。
その日が初見だったので、初めは人見知りな関係ではあったけれど・・・
その日の学校帰りまでには、普通に会話が出来るまでになっていました。

でも、翌朝から・・・
その女の子とは、話をする事も、会う事さえも許されませんでした。

何故なら・・・
同日の夜行われた歓迎コンパの帰り道に、先輩の運転するバイクに同乗して、
帰宅途中の事故により・・・

帰らぬ人となってしまったからです。

当時の私は・・・何もかもが訳が分からなくなっていました。
たとえ1日であっても、親しくなった仲。。。。

とても耐えるには・・・
言葉では、言い表したくない位の辛さがありました。

この一件の日から・・・社会に出てからも、酒が飲めなくて、
飲み会に付き合っても、単に場が好きなだけだから等と「嘘」をついたり、
列車内で、バカ盛り上がっていると、感情が激高してしまったり、

・・・してしまう自分がいます。

そして・・・今、思ふこと。。。

ブタネコ様のブログの中で・・・
>「世界の中心で愛をさけぶ」の特別編は 総集編の趣が濃い。
・・・の一文を見つけました。
(内容を穿り返す様で、申し訳ございません。((^^;)

本当に、そうなのだろうか・・・って。。。
・・・思うのです。。。

確かに、特別編は、最後のまとめとして・・・
TVドラマ終了後に放送されましたが・・・

私自身の考えは・・・

「特別編として名前はついているけれど、特別編じゃなく・・・」
「これはこれで1つの作品なんじゃないかと。。。」

その理由は・・・(あくまで私見です)

当初、この特別編を作る計画は無く・・・
作品を作っていく中で・・・作ろうと計画されたものだ思われる点

TV放送後、DVD化され販売される予定があったという点

良作であっても、本編526分の作品は気軽に見れないという点

ドラマの製作者自身が本作品をもっと気軽に拝見出来ないかと考えたと思う点

ドラマの製作者自身が映画版を製作したとしたら・・・・映画版への挑戦状

この作品の演出家は、堤幸彦・・・

死生観を身近に感じる事が、良い事か悪い事なのかは分かりませんが、
私が大学時代に出会った彼女と出会えて分かった事・・・

「我が未来を知る者などいないと」いう事。。。

今日生きれたとしても、明日は分からない・・・
それならば、今という時間を実のある時間にしたい。

自分が存在した事実をを残せる様に。。。

真っ暗闇のトンネルの中にいた私が言うのもなんですが。。。
(こんな気持ちと現実社会とのズレの葛藤から・・・正直壊れてました。)

今現在は、ポイント・オブ・ノーリターンの気持ちで・・・
「陸自のレンジャー部隊の様な心身になろうと・・・」(爆死)
頑張って、這い上がってます。((^^;)

長文とすみませんでした。(でも、いつもですね・・・((^^;)

★ ごんた さん


>「特別編として名前はついているけれど、特別編じゃなく・・・」
>「これはこれで1つの作品なんじゃないかと。。。」


その御意見は傾聴に値すると思います^^

以前、何かの記事で述べましたが 私の「世界の…」との触れあいは まず、何かの映画を見に行った際に そこで、映画版「世界の…」の宣伝を見て、その帰りに原作を買ってきた。

で、読んだ原作に腹を立て TV版も映画版もオンタイムでは見なかった。

その後、年末近くになってTV版の「特別編」のビデオを見て「あれ?」と思い、映画版のDVDを買って見て感動し、TV版のDVD-BOXを買って見て壊れた…という経緯ですから「特別編」がひとつの作品…という解釈も充分に頷けます。


「総集編の趣が濃い」と述べたのは TV版を全て何周も見直して後の感想なんですが、その書き出しで始まる


●「世界の中心で愛をさけぶ」特別編
http://buta-neko.com/blog/archives/2006/01/post_634.html


という記事を読んでいただけば判るとおり、総集編の趣が強い…とは思うけど それだけじゃないよね…として記述したつもりなので ちと、頂戴したコメントの論点がズレてしまっている様な気がします。^^;


>その理由は・・・(あくまで私見です)

>当初、この特別編を作る計画は無く・・・
>作品を作っていく中で・・・作ろうと計画されたものだ思われる点


その点については「想像の域」なので なんとも申し上げられません。


>TV放送後、DVD化され販売される予定があったという点


それは判ります。


>良作であっても、本編526分の作品は気軽に見れないという点

>ドラマの製作者自身が本作品をもっと気軽に拝見出来ないかと考えたと思う点

>ドラマの製作者自身が映画版を製作したとしたら・・・・映画版への挑戦状


「気軽に観れるか観れないか」という部分は 気軽に見る事が出来なかった私や ごんたさんの主観であって 制作者側の考えとは必ずしも思いにくいです。^^;

少なくとも私は「特別編」の映像が単体で ひとつの作品として見たとするならば「良い作品だな」とは思うけど、「素晴らしい」とか、その結果「壊れた」に至るか?と言われれば疑問を感じます。

あくまでも本編を見た後に、見てこそ楽しめる要素が強いと感じるからです。

それは 卒業式のシーンであり、サクは一人で旅立つシーンもそうだし、現在のサクがグランドに骨を撒いた後の姿…というのもそう。

これらの特別編ならではのシーンは 本編の中にあっても不思議では無いけど、もし本編の中にあったら全体の放送時間等の枠や構成を考えると無理が生じたりするでしょうし、あえて「特別編」として作品全体の中の最後と言う風に分けてる事の方が完成度を高めたんじゃないか?とすら私は思うのです。


映画版は映画版として成立しているものでもあるし、あえて挑戦する必要も感じません。


>この作品の演出家は、堤幸彦・・・


そう、「堤幸彦」という部分には 堤氏ならではの制作意図を感じます。

それは氏の作品の多くはDVD化された時に DVDならではの楽しみ方を与えてくれる事が多く、それは やむを得ずカットした場面をDVDには付加してくれて 元々の本編を肉付けしてくれる…という手法。

「世界の…」でも それは為されており、オンタイムの放送のビデオや 再放送の映像よりもDVDの方が遙かに感動が深いですよね。

で、「特別編」という制作が どの時点で(例えば、製作開始の時点だったのか? それとも放映途中の段階だったのか?等々…)それは判りかねるので なんとも言えませんが、総集編+αという結果は悪く無かったと思います。(特に谷田部先生の視点構成という部分がです。)

ゆえに、全部を見た後に 特別編で総集編的ポイントをおさらいしつつ、その後のラストで もう一度感動する… そういう構成が全体像なんだと思うのです。

如何でしょうか?

ブタネコさん

早々のレス、有難うございました。(^0^)
朝起きて、レスを拝読し、自分の心のフィルターを通して考えてみました。
仕事は、きちんとしましたので、ご安心を((^^;)

>「特別編として名前はついているけれど、特別編じゃなく・・・」
>「これはこれで1つの作品なんじゃないかと。。。」

そう思った理由・・・それは。。。
前回のレスで書いた事柄が、そういう気持ちにさせているのでは?と・・・
・・・思います。

私とって、「世界の中心で・・・」の本編のドラマは・・・
正直、見るのが恐いのです。
(本編は、何度も何周も拝見しました。)

先が見えているのに・・・恐い。 内容も知っているのに・・・恐い。
辛いのではなく、恐いのです。

以前、初見の時の涙は、朔への病名の告知の時だと書いたと思います。
でも、本当は・・・それより前から涙が流れてました。
拭く事もせず、ただただ流れるばかり・・・の涙。

1話毎の最後のテロップ等で病名は、途中から分かってきていましたが、壊れる事が恐くて、じっと耐えてました。

でも・・・次第に
事が明確になってきて・・・涙腺のダムが決壊し、私は崩落してしまいました。

あの日、初めて出会った女性が・・・
当日の夜には、この世から消えてしまった事実。

「人は何故? こんな簡単に消えてしまうものなのか・・・」
・・・と何度も何度も思いました。

あの日、僕と話さなかったら・・・
今日この日を生きていたかもしれない・・・とさえ思う。

だから・・・辛いより恐いのです。

けれど、見たい自分がいるのも事実なんです。
理由は、全く分からないけれど。。。

最近は、見たくなった時に特別編を見る事が多く・・・
>「特別編として名前はついているけれど、特別編じゃなく・・・」
>「これはこれで1つの作品なんじゃないかと。。。」
・・・そう、思うようになりました。

でも・・・・。
>(特別編は)あくまでも本編を見た後に、見てこそ楽しめる要素が強いと感じる
からです。・・・のブタネコさんの言葉

本編を見た後の・・・特別編。
全く、気が付きませんでした。納得です。(^^)v

>総集編の趣が強い…とは思うけど それだけじゃないよね…として記述
>したつもりなので ちと、頂戴したコメントの論点がズレてしまっている
>様な気がします。^^;

読み直してみると、そうですね((^^;)
早とちりを、してしまったようです。

昨日は、思いつきに似た感じで書き込んでしまったので、((^^;)
今後は、もっと考えてから(よく読んでから)書き込むようにします。

最後に、ドラマで流れていた音楽も、自分が壊れてしまった理由の1つです。
「涙腺のツボを、沢山押してくれました」・・・から

★ ごんた さん


私はカウンセラーじゃないので、専門的なレスを出来る自信がありません。

ゆえに、気に障るかも知れないと思いつつ、あえて思った事を述べさせて頂きます。^^;


で、今回のコメントを拝読して「?」と思った部分は


>あの日、初めて出会った女性が・・・
>当日の夜には、この世から消えてしまった事実。

>「人は何故? こんな簡単に消えてしまうものなのか・・・」
>・・・と何度も何度も思いました。

>あの日、僕と話さなかったら・・・
>今日この日を生きていたかもしれない・・・とさえ思う。

>だから・・・辛いより恐いのです。


実際の状況の細部までは判りませんし、文章からの想像だけで申し上げるしか術は無いのですけれど…

私が思うに ごんたさんが直接、その女性を絞め殺したとか、車で跳ね飛ばした…というのなら ごんたさんが思い悩む理由も想像できるのですが、文意からそうじゃ無いと判るだけに ごんたさんが感受性の豊かな人で であるがゆえに思い悩まれたのかな?と推察する以外にありません。

で、その事と 例えば、私が学生時代に経験した”亡き友”の事を記した記事の中で 私が”亡き友”や”世界の…”を見て思い壊れた様と もし、同じ様に重ねて私に問いかけられてるのだとすれば それは大きな間違いだと思います。^^

私は”亡き友”と出会った事を 今では誇りに思っているし、”亡き友”から いろんな事を教わり、感謝すると同時に尊敬もしてる。

けれども、例えば「彼女が私と会ったばかりに白血病になった」なんて間違っても思わないし、仮に”亡き友”の死因が事故だったとしても その死を自分のせいだと思い続ける事なんかしません。

”亡き友”の死を無駄にしない為には 自分が前向きに行動しなくては駄目だと私は思っています。

いつまでもメソメソした考えでは いつまで立っても その死から学んだとは言えないからです。

自分さえいなければ 彼女は生きてたかもしれない…

であれば、彼女の分も生きるしか無いでしょ^^

そんな事言ったって…とか グズグズ反論したくなるやもしれませんが、そんな事を思ったり考えてる間は 少なくともそこで何も生まれないし、物事は何も変わらない…って事に気づくべきだと思います。

彼女の刻が止まると同時に ごんたさんの刻も止まったまま動かせないのであれば どうぞそのまま固まっておられれば宜しい。

私には そんな方を動かす義理も義務も無いですからね^^

少なくとも 私の知る”亡き友”だったら きっとそう言うと思います。

「世界の…」の本編を見るのが怖いのなら 見なけりゃ良いのです。^^

それを私如きに いちいちお知らせ下さらなくても結構です。

このコメントの様に冷たいレスしか出来ませんから^^;


私は「世界の…」のTV版を見た時に壊れました。

何故、どのように壊れたか?と言うと 少なくとも ここ数年、昔ほど”亡き友”を思い出す事も少なく、尚かつ ”亡き友”から最も重要な事として教わった”人生を楽しむ”という事を忘れて過ごしてきた事に気づかされたからです。

”亡き友”を思い出さなかった…なんてのは どうでも良い事、最も重要な”教えを活かす”という事を忘れていた事が ”亡き友”に対して 申し訳無く、かつ、恥ずかしく 深く反省する日々でした。

だから、何度も”世界の…”を見て”亡き友”を思い出し、二度と教えを忘れないように強く思うばかりでした。

ですから、”怖くて見れない”と言う ごんたさんの状況とは全然違うと思うので 私には応える事も、アドバイスをおくる事も出来ないと思われます。

どうか、その辺の所を斟酌願うばかりです。

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。