● 亡国のイージス(再考)
映画「亡国のイージス」について DVDを購入したので 以前の記事の修正も含めてあらためて語る事にした。
この記事は
8月1日付:『映画版「亡国のイ-ジス」』
として掲示した文章を基に
8月7日に 一度掲示したモノを あらためてリメイクしたものだと冒頭においてお断りしておきたい。
< 以下 本文 >--------------
映画版では表されなかった 原作の記述、その中でも 一番、気になったのが
原作では「北朝鮮の工作員」とされていたのが 映画では「某国工作員」となっていた事なのだが、にも関わらず、その工作員のリ-ダ-の名が
「ホ・ヨンファ」
普通に 誰が聞いても その名前は韓国系 もしかしたら、中国系かな?とも思えるが やっぱ韓国だよね。^^;
問題は 韓国でも北か南か?って事なんだけど 工作員で日本相手に…って部分を考えると ここは素直に北朝鮮でしょ?って 誰でも思うわけだし、いずれにしても日頃から些細な事柄でもネタさえあればブツブツ言ってくる様な国ばかりなんだから、「某国」なんて小細工しないで「北朝鮮」と ストレートにズドンと言えばいい。
(バレバレなんだから^^;)
もうね、その辺に 日本人の嫌らしい姑息さが窺えて吐き気がする。
外務省や防衛庁あたりから「教育的指導」を頂戴したのかい?
映画版の制作者達は この映画を どんな目的で作ったのだろう?
アクション系の娯楽作品なのだろうか?
それとも、シリアスなヒューマン・ドラマなのか?
まさか、戦闘スペクタクルじゃないよね?
想像で語って申し訳無いが、
「売れてる小説を映像にすれば とりあえず儲かる…」
まさか、そんな安易な発想じゃないよね?
よく、封切られる時の監督のコメントに
「この映画は 原作を読んで どうしても映画にしたくなった… それほど魅力ある原作だったんです」
なんてのを見かけるが、原作は 戦争小説なのに出来上がった映画は どこにでもあるような恋愛ドラマでした…。
なんて話がゴロゴロしてるのが 日本映画だからだ。
ゆえに、「北朝鮮」が「某国」となっている時点で この映画は駄目、気合いが全然入ってない事の表れなのである。
化学兵器によるテロ、しかも それを材料に政府に脅迫を仕掛ける…という時点で 誰もが ニコラス・ケイジとショーン・コネリーが出演した「ザ・ロック」を想起する。
しかも、軍艦の中で テロリストと古参乗組員の戦い…と言えばスティ-ブン・セガール主演の「沈黙の戦艦」を思い出す。
これは 映画製作者の責任…というより、原作自体が その色合いなのだから仕方が無いとして では、アクション映画なの?と思った時、仮にアクション映画として見るならば迫力は全く無い。
では、シリアスなヒューマン・ドラマなのか?
だとしたら、
「亡国の盾」という そもそもの発端となった論文を明確にせず、宮津副長(原作では艦長)の息子で論文の作者である防大生が 何故、どのように死んだのかが きちんと描かれていないのだろう?
ゆえに、宮津艦長がヨンファと手を組む動機付けが不明だし、
宮津学校と呼ばれ、そこの仲間である船務長(吉田栄作:原作では副長)以下、幹部達の存在も よく判らない。
しかも、
某国工作員の中に 一人、女性兵士が含まれている。
しかも、その女兵士は ちと特別扱いなんだけど…
意味ありげに首の傷のアップ画面を入れても…
その女兵士は 如月に何故、格闘中にキスをするのか?… も
このシーンの意味を原作やパンフレットを読まずに 映画だけで理解するのは絶対に無理^^;
「この女は ホ・ヨンファの妹なんです。 首の傷は~が原因で そのせいで喋る事が出来ません…」
残念ながら、この女兵士を理解するには 相当量の情報がいる。
原作における面白さの一つを構成していると言っても良く、この女兵士の必要性は 映画では一切描かれていない旅客機爆破のエピソードがあるからだ。
ゆえに、その旅客機爆破のエピソードが無い以上、この女兵士を中途半端に映画に登場させる意味が私には判らない。
女兵士と同じ様な役どころで
「安藤政信」が扮している工作員
足を負傷し、
任務を全うできないと悟った瞬間に自決する。
殆ど台詞無しでありながら それをきちんと表現しているところは 久しぶりに観た安藤政信だったが、成長の姿が判り、この映画を観て良かったと思える 数少ない理由となる。
それだけに女兵士などバッサリとカットして 安藤政信が演じた兵士をもっと肉付けする… それで充分なんじゃないのかな?
では、この映画は戦闘スペクタクルだったのか?
そうなのだとすれば
「うらかぜ」が攻撃により沈められる様や
対艦ミサイルを迎撃する様子は もっと、克明に描写すべきだよね。
その部分は 原作の描写は なかなか良かっただけに
余計、映像は半端に見える。
昔、まだ自衛隊が閉鎖的で 映画の協力なんか考えられなかった時代…
たとえば、角川映画で「戦国自衛隊」(1979年制作)を映画化する際に 戦車の映像が欲しくても 自衛隊の協力が得られなかったので 角川春樹はトラクタ-を改造して 61式戦車を作った事がある。
映画の出来はともかくとして マニア達は その熱意に打たれ、「戦国自衛隊」は名作だった…と語り継ぐ。
また、そんな時代であったなら おそらく この「亡国のイージス」作成にあたって防衛庁に協力を申し出ても
「自衛隊がテロリストと協力してクーデタ-なんて とんでもない」
けんもほろろに門前払いを食わされたはずである。
それだけに 今の時代の変化に 良い時代になったなぁ…と思うのだが、いくら 自衛隊が開かれても 映画の製作者達は旧態依然、いや、時代について来てないぶん まさに悪化している現状が まざまざと見える。
もしも、今の様な協力があれば たとえば
・動乱(1980年)
・零戦燃ゆ (1984)
・皇帝のいない八月 (1978)
等は もっと面白く リアルな映画になったと思うのだが 如何であろう?
そんな恵まれた状況で これか?… そう思うと悲しくなるのだ。
こんな良い絵を撮らせてくれる時代になったのにも関わらず、それが何も活かされていない。
この一連の沈没シーンを見ていて「なんだかなぁ…」と 私は思う。^^
気づかない人には どうでも良い事とは思いつつ、あえて指摘しておきたいのは
「この場所の水深は何mですか?」
という事。
映画の中でも 実際に水深の事が会話の台詞に出てくるにも関わらずである。
たとえば、これは あくまでも個人的意見として たとえば… なんだけど、
アクション系の娯楽作品でも、シリアスなヒューマン・ドラマでも、戦闘スペクタクルでもない もっと、別のジャンルなんですよ… という意義のある映画にする事が ひとつの可能性としてあったと思う。
それは、「某国工作員」なんて姑息な描き方をせず、腹を括って腰を据え、「北朝鮮の工作員」と堂々と銘打ち アクションも もっと漏れ伝わる北朝鮮の工作員の姿に合わせて 頭で板に 頭突きでクギを打ち付けたり、火の中を裸足で走ったり、釘バットを腹で受け止めたりさせるシーンを ふんだんに取り入れ、故国の独裁政権転覆を図る…と言う部分を もっとリアルに描き、その上で 工作員達は呆気なく無惨に敗れていく…でも良いし 故国の独裁政権がグラグラ揺らぐようなスト-リ-展開の物にする。
(原作は 実際、そうなんだから 文句無いはずだ^^;)
その上で 出来上がった映画に「謹呈」と熨斗をつけて 映画好きと言われている金正日にプレゼントしてやればいいのだ。
従って、映画の冒頭にも
「この作品は 敬愛する首領様へ捧げる」
とテロップが流れれば
「中途半端な映画だったなぁ…」
なんて感想には至らずに済んだのに…
そう、私は愚想する。
数年前、なにげに見た韓国映画「幽霊」で 私は肝を冷やされ
【参考記事】
『幽霊(ユリョン)』
「う~む まだ、こんな考えもってやがるのか?」
と思った事がある。
だから、そういう考えに至るのだ。^^
