● 1リットルの涙 最終回
1リットルの涙 最終回を観た。
前回、第10話を見た後、感溢れて…というか 感極まって
「悪いけど、もう感想書けないや」
と、1行だけ書いたところ、
「書けないとは どういうことですか?」
と、1行だけのコメントが寄せられた。
サイトを始めて数年、ブログを始めて 約1年弱の間、いろんなコメントを頂戴したが このコメントほど脱力感をもたらされた事は無い。^^;
最終回の放送を観て、おそらく、いろんなブログやサイトで「感動しました~」「泣きました~」と、ごく当たり前の感想やコメントが溢れるのであろうから、へそ曲がりな私としては それらと同じ様な内容は書きたくない。^^;
なので、思った事を思ったまま書きたいと思うのだが、そうすると内容が内容だけに誤解を招くかもしれないと 我ながら、自覚もしている^^;
特に 上記のようなコメントを寄せられたら… そう思うと情けないが、それでも やはり思った事を述べてみたいと思う。
さて、ドラマ内に登場する麻生君は ドキュメンタリ-な原作を基に、ドラマ化に際して持ち込まれた架空の人物設定であり、極論すれば「作り物」である。
こういう真似は 一歩間違えると いくら原作がノンフィクションであっても、ごちゃ混ぜになった結果、物語全てが架空の話となるわけで、往々にして そういうケースの場合の原因は、持ち込まれる架空話は陳腐な「お涙頂戴」感を増すだけで そこにあざとさが露呈して真実みが薄くなるだけに終わる事が多い。
であるがゆえに、一部の評論などを見ると
「お涙頂戴が鼻につく、その最たる部分が麻生君の存在だ…」
等という記述を やはり、実際に目にする事がある。
たしかに、麻生君の台詞や行動は感動を呼ぶ反面、その存在が架空だと判ると それは「作り物」という意味で、素直に受け止められないモノになってしまうのかもしれない。
いつもの私であれば 同じ様に「お涙頂戴」と判断したらボロクソに批判していたと思う。
悲しい事だが、多くの視聴者には 実は、原作などロクに読まず、
「まぁ、なんて可哀相…」と
ただ、泣きたいだけのために見ているような輩もおり、クールが変わって新しいドラマが始まれば このドラマの事など、すっかり忘れてしまったりする。
だから、どの部分がフィクションで どの部分がノン・フィクションなのか? なんて事は そんな人達にとっては実はどうでもいい事で いつの間にか、ゴッチャになった事すら気づかず、制作者の思惑にハマって
「原作者が可哀相…」
とか、
「素敵な恋人がいて幸せだったと思います…」
なんて感想が寄せらりたりするものだ。
私は、こういうドラマの場合 どうしても実話の部分と、付加された創作の部分を分けて考えてしまうわけで、ゴッチャにしてる人とは あまり話したいとは思わないし、率直に言えば 私は ゴッチャの見方の感想には 不愉快感が増し、ただ辟易する そんな偏屈なヘソ曲がり野郎だからだ。^^;
だから、本当は ドキュメンタリーな原作には あまり、創作を持ち込んで欲しくない… と言うのが 私の個人的願望なのだけど、「1リットルの涙」を見ていて このドラマに関しては 勝手ながら、麻生君の存在を ドラマに加味して その行動や台詞で表現した事には 意味があると感じられたから許せる…、いや、良くやった…とすら思える。
その意味とは
『病気に対する偏見や、差別的な目や考えの前に 辛い思いを感じたであろう原作者の心の代弁であり、そんな中にあってさえ、亡くなるまで ずっと、頑張り続けた事に対する原作者への御褒美であり、”こうだったら良かったのにね”という祈念の意が込められているんじゃないか?』
つまり、麻生君のような男の子の存在があれば心安まったかもしれない…、誰かが たった一言、言ってくれさえすれば わだかまる思いを抱かずに済んだかもしれない…、~な事は 出来れば止めて欲しかった…
そんな意味が込められているんじゃないか? と感じたのだ。
そう思うとね、許せるんだな… 麻生君を持ち込んだ意味がね。
だからこそ、ドラマから何も得ない様な ただ「感動しましたぁ~」だけの感想には
「原作者が浮かばれないだろ…」
「何かを感じ、心に刻んでやらなきゃ駄目だろ…」
そういう想いが より一層、強く感じてしまうのだ。
とかく、この「1リットルの涙」と「世界の中心で愛をさけぶ」を比較して語りたがる人にも 同様に、私は個人的に不愉快感を抱く事が多い。
私に言わせれば 病に倒れて亡くなってしまう主人公の姿や想いから 観てる者達は何かを得ろよ…という部分では 「1リットルの涙」とTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の間では その「何か」が えてして多くの共通点があるとは思うけど、だからと言って「~の台詞の部分は…」とか「~のシーンが…」と 見える部分だけを挙げて あぁでもない、こうでもない…と述べるのは 正直言ってウンザリだ。
これが、以前、個人的に腹立たしさの塊みたいになったクソ番組であれば 笑いのネタとして私も指摘するだろうし、実際に弄りも行った。
けれども、この「1リットルの涙」は 制作姿勢に真摯さを感じ、そんな真似をする必要は無いし、無礼だとすら感じている。
だから、真剣に上辺の比較をして語っている人に出会うと 単純明快に「アホか?」と思う。
これは矛盾と思われるかもしれないが、私は自分では矛盾だとは思っていない。
要するに「1リットルの涙」というドラマで 新たに気づかされた事や、忘れていた大事な事を思い出させて貰ったり、自分に限らず 身の回りの人々に考えなきゃいけないよとテーゼを与えて貰ったと感じており、それに対しては こちらも謙虚に礼を持って応えるべきだと思うからだ。
ゆえに、最終回を見終わって、深く感謝申し上げると同時に あらためて原作者の御冥福を心よりお祈り申し上げる次第です。
