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2005年12月14日

● 忠臣蔵


もし、御用と お急ぎでなかったら、私の妄想に ちょいとお付き合い願えないだろうか?




12月14日である。


今日が何の日か? いきなり、そう聞かれて応える事の出来る人は何人いるのだろう?


12月8日が 真珠湾攻撃の日であり、太平洋戦争が始まった日だと言う事も知らない若者が多い今の世で 今日が「忠臣蔵」であり「赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日」だなんて事は 言われても気づかない人が多いのだろう。


一般的に赤穂浪士とは 城代家老大石内蔵助をリーダーとして47人の元・赤穂藩家臣が主君と仰いでいた故・浅野内匠守の仇を討つため 吉良上野介を襲った…というのが簡単なあらましである。


実際の話がどうだったか?については いろんな研究家の間で、様々に細かい部分で意見が分かれ、私は そのどれが本当かを決められる立場には無いから、いろんな作家が書いた討ち入りの話を いいトコ取りして自分なりのストーリーを描き理解しているが、それが本当なのかどうかも判らない。^^;


ただ、共通の認識として 東京の泉岳寺には47士を祀った墓があり、討ち入りがあった事だけは歴史上の事実となっている。


さて、嘘か本当か判らないが 江戸時代では「仇討ち御免」なる制度の様なモノがあり、正当なる理由無くして殺された者の家族が 殺害者に対して「仇討ち」として斬りかかり、殺しても構わない…というものがあったと言う。


現に、47士の中の一人 堀部安兵衛は 元は中山安兵衛と言う名だったが、やはり47士の一人である堀部弥兵衛が 吉良邸討ち入りの遥か前に 個人的な理由で生じた「仇討ち」行い、その助太刀をしてくれた安兵衛を見込んで自分の娘と結婚させて養子にした…という(高田馬場の決闘)と呼ばれる逸話も残っている。


ただ、書物によると その当時、「仇討ち」の正当な理由の多くは 酔っぱらって喧嘩となり…みたいな事が原因で斬り殺された者の家族が その加害者に…というものだったそうだが、当時 江戸幕府の将軍、徳川綱吉と言えば絶対君主である。


その絶対君主の名で 浅野内匠は切腹、吉良上野介はお咎め無しと裁かれた事に対して それを承服せずに 家臣が「仇討ち」を行う事が是か否か? と言うのは 武士と言う者の生き方、考え方を思う時 非常に難しい判断となったであろう事は想像がつき、そこの顛末にいろんな解釈が派生して「赤穂浪士」に関わる歴史本が いろんな説として書き残されるに至るのだろう。


おそらく、現在の刑法で考えれば「仇討ち」じたいが根本的に認められない行為だから、「武士の本懐は…」なんて理屈は通用しないのが明白だが、にも関わらず そんな法律下の現代人の多くですら「忠臣蔵」の物語に感動し、涙するのは何故なんだろう?


もし、現代の話だとするならば 自称:識者とか 自称:評論家などが


「現行法が時代にそぐわなくなってる歪みが生じさせた事件であり、世間への警鐘だ」


とか、


「感情論を優先して怨恨殺人を認めてしまっては 類似犯が生じるのを止める事は出来ない。 だからこそ、今回は毅然と厳しく処罰すべきだ」


とか、持論をぶつけ合っているように見えて 実は、綺麗事を並べて売名行為しかしていない…みたいな報道らしき真似が盛んとなるのであろう。


要するに、法律で「~の場合は ~とする」と定められている事と 心情的に どう思うか?というのは 別個に存在してしまっており、それがいつの間にか大きく隔たったものになっていて、であるが故に 法律的には厳罰行為でありながら 心の中で「よくやった」と褒めている事に繋がるわけだが、それは 冷静に考えれば大きな矛盾ではなかろうか?


まぁ、江戸時代の話を 現代の法律で裁くと…という話が荒唐無稽なのは自覚しているし、今回の話は それが目的なのでは無い。


ここ最近の世相を眺めていると、幼女が理不尽に殺されたり、少年(大学生も含む)が 実にくだらない理由で殺人や傷害事件を起こした…という報道が日常茶飯事に流れているのを耳目にして 偏屈者の私としては 色々と考える事、感じる事が大なのだ。


でね、先に申し上げておくが 以下に述べる事はブタネコの個人感に基づく偏屈な考えであり、極論であり、決して 私が「正しい」と信じて語るものでは無く、いわば妄想の類で


「ふと、こんな感じの事を思ったんだけど どう思います?」


そんな程度の話だと 聞き流す姿勢で読んでいただければ幸いである。


では、今回の本論。


ある事件で 見ず知らずの少女を通り魔的に殺害した犯人達が 逮捕後に語る動機で


「むしゃくしゃしてたから」


そういうケースが 正確に数えたわけじゃ無いけれど 信じられないほど多い。


「別に その子が憎かったわけじゃない、誰でもいいから殺したかった」


そんな理由も 悲しい事に、よく耳にするのだが…


そんな理由で殺されたり、傷つけられた被害者は 実に迷惑この上ない。


そういう、分類上は「衝動殺人」とか、場合によっては「快楽殺人」なんて呼ばれるケースの場合 医学的に精神状態がどうかを問われ、心神喪失と判定されると 刑法39条により、刑法での処罰を問うのでは無く、医学的治療を施す方向の処置となる。


似て非なるケースとしては 未成年者が加害者だった場合、少年法の適用範囲か否かを問われ 一般的な刑罰を問うのでは無く、少年法での処罰へと移行する。


つまり、どちらも 刑法としての刑罰とは似て非なる処分となるわけだ。


さて、ここで良く問題となるのは 「通り魔」の場合、


「性格破綻者と心神喪失者の境界線って何ですか?」


と言う部分。


つまり、不穏当な表現をお許し頂いて判りやすく言えば すぐカッとなって見境無く暴力を振るい、時には手近にある木や石やバットやゴルフクラブを振り回して暴れる様な者(性格破綻者)と 人間として正確な判断が出来ない状態の者(心神喪失者)の違いってなんですか? という事。


私には しいて違いを挙げれば、性格破綻者は その者が冷静な状態であれば まだ、理性や善悪の判断がつくかもしれないが、心神喪失者には それが無い…という感じかな?なんて愚考する。


けどね、どちらも ハッキリ言えば似た様なもので、専門の学者や法律家なら ヒヨコのオスとメスを見分けるように両者を見分ける事が出来るのだろうけど、一般人に それを見分けさせるのは無理じゃないか?


で、もっと問題なのは無差別に複数の殺人を犯した者は基本的に 無期懲役か死刑と裁かれるが、心神喪失者の場合は治療施設への送致となり、刑罰は問えない…のが現行法である。


だから、「通り魔」事件の場合 弁護士も、場合によっては本人も「心神喪失」を主張する。


心神喪失者は医学的に言えば病人であるから、人権上の保護を考えた場合に刑罰の対象とすべきか否かは 法律とは別の次元の問題である事は 私ですら理解する。


だけども、被害者自身や被害者の関係者は そんな措置や刑罰で納得出来るのか?


納得出来ない事の方が圧倒的に多いのが現実なのは 誰の目にも明かである。


にも関わらず、「それが問題だ」と 自称:識者とか自称:評論家などですら いつも判で同じ事を言う割に その部分について踏み込もうとする動きは無い。


少年法の場合も同じで 昨今は、昔に比べ 厳しい処置も執られるような傾向にはあるが、依然として境界線が曖昧なままである。


だから、小賢しい犯罪者に至っては 重罪から免れるために「心神喪失」や「未成年」を隠れ蓑に利用しようとする者も 実際に少なくない。


「どうせ殺人を犯すなら 刑の軽い未成年のウチに…」


とか


「キチガイのフリを押し通して…」


とするのを 曖昧なままの境界線で ちゃんと見分けられるのか? そこを疑問に思う私なのだ。


さてさて、前フリとしては長くなってしまったが…^^;


依然、ある事件の際に 妻子を少年に快楽殺害された夫が、犯人が少年法により裁かれる事に異議を唱え、マスコミの注目を浴びた事がある。


その時に夫は


「いっその事、裁判なんかせずに釈放してくれれば 私がこの手で その犯人を殺してやる(裁いてやる)」


と言う意味の発言をした事から 尚更、好奇心旺盛なマスコミ共が群がった。


私は その報道を偏屈な私の目で眺めながら いろんな事を考えさせられたりしたものだ。


例えば、犯人は少年であるがゆえに 実名報道はされずに、「少年A」として人権を保護された。


しかし、被害者は最初から実名で顔写真までTVに映され、「犯人は妻を殺害の後、性的欲求を満たし…」など 被害者としては さらに辱めを受けるような内容まで報道された。


とかく、マスコミは「報道の自由」と称し、「視聴者は そこを知りたがっているんだ」とあたかも代理人を気どり、こんな事もあんな事も報道する。


その結果、場合によっては 警察発表を鵜呑みにして松本サリン事件の時の様な結果に至ったり、本来は犯人では無く、単なる参考人に過ぎなかった人物を あたかも犯人と断定したかの如き報道により、その人の家庭や、職場の人間関係を破壊した事例など枚挙に暇は無い。


しかしながら、ネットが変に発達してしまった今日 報道では守られたはずの「少年A」の実名や顔写真は流れ… それが良いのか悪いのかの議論すら本筋からは遠く離れ、被害者の人権には殆ど触れられようとしていない。


で、違う角度から考えた場合、少年犯罪には その少年が更生した後の未来に対して考慮し…という意味も含めて「少年法」は存在するわけだが、「強姦」とか「監禁殺人」等を起こすようなアホガキの将来を考えるよりも、被害者の人権や無念といったものの方こそ いい加減、考えてもいいだろ?と 私なんぞは思うばかりだ。


だからね、いみじくも 先に述べた妻子を殺された夫の「俺が裁いてやる」発言は 識者達からはマトモとは受け取られないかもしれないが、少なくとも 私は正直言って同意する。


もし、ウチの娘に何かが… 考えたくはないけれど、もしも… と思った場合、持っている金やコネや知恵をフルに動員して復讐する… と言うと、ブタネコはマトモな奴じゃないと思われる方が大勢いるだろう事は推察する。


けどね、それによって 私が刑罰に問われようと そんな事はどうでもいい。


それによって、被害者が救われるのか?と言えば 必ずしも救われるとは言えないだろう。


しかしながら、犯人に 安穏とした日々を与える訳にはいかない… そう考えるだろうと 自分で自覚するから、あえて申し上げる次第なのだ。


で、話を本題に戻す。


赤穂浪士は 主君の仇を晴らすために吉良邸に討ち入り、見事に本懐を遂げる。


しかし、その仇討ちは幕府の意向に逆らう行為(違法行為)にも関わらず、元禄文化と呼ばれた繁栄の陰で 武士のだらけた姿や幕府の悪政(生類憐れみの令など)に対する反感等が 本懐を遂げた浪士達の姿や行為に 鬱憤を晴らされた思いを抱き、そんな浪士達を 幕府は無情にも全員切腹に処した事から 人々は同情も含めて今日まで語り継いできたのだろうとも思えるのだが…


でも、いかに悪人だとされた吉良上野介にも 家臣や家族はいたわけで、それらの人々にしてみれば 赤穂浪士は敵(かたき)である。


延々と互いに復讐しあえば 終わりのない連鎖となるわけで、それを思えば「赤穂浪士は全員切腹」という幕府の沙汰は 連鎖を絶つための ひとつの判決としてアリだったのかなとも思える。


ただね、ここで忠臣蔵を思うのは 赤穂浪士のやった事は客観的に見れば、怨恨による計画的殺人である…という事。


けども、浅野内匠が松の廊下の刃傷沙汰を起こすまでには 様々な、苦渋に堪忍を重ねた上で…という流れ(脚色?)もあって「気持ちが判る」という情状的部分もある。


どこぞのアホガキみたいに


「むしゃくしゃしてたから」


そんな理由では無い。


同様に、赤穂浪士も 忍びがたきを忍んだうえでの決行だった。


で、何を言いたいかと言えば…


例えば、今の時代に


「殺人事件の被害者の父親が敵討ち、加害者を撲殺」


そんな見出しが新聞の一面に躍る日があったら どうする?


殺人は決して容認すべき事では無い。


そんな事は 他人に言われずとも理解している。


けどね、先に述べた夫の様な人物が 施設から出てきた元・加害者を殺すような事件が起きたら…


誤解を招くかもしれないが、そんな事が起きるのを けっして期待している訳では無い。


私が 今、一番 心配なのは、もし そんな事が起きたら、私は加害者となったその夫に同情を禁じ得ず、他の殺人犯と同列に見る事が出来ないだろうと思う事。


なのに、そんなことを憂いて法改正や 制度の見直しや 被害者や、その関係者へのケアや そういった事に 政治やマスコミが触れようとしない… そこが非常に気がかりなのだ。


小学生の女の子が連れ去られ、無惨な死体で遺棄された事件が続けざまに起こっている。


その子達の特に父親の心情を思うと 新聞やTVで流れるニュースの中に


「そんな事まで流す必要があるのか?」


そう思う記事(?)が多々あるように見受けられる。


少なくとも いち視聴者として、


「オマエ達が もし、”視聴者がそこを知りたがっている”と思い上がっているとしたら それは間違いだ。 少なくとも、俺が知りたい話じゃなく、むしろ知りたくない話の方が多いぞ」


受け取り方によっては 殺されてなお、マスコミの辱めを受ける娘の父親に かけてあげられる慰めの言葉が 私には見つからない。


あくまでも百歩譲っての話だが、万が一 娘に落ち度があって それにより恨まれて殺害された… とでも言うのなら、まだ、耐えようもあるかもしれないが、幼気な 何の罪もない子供が たまたま、そこにいた… それだけで命を奪われてるのあれば その心情を思う時、人として どう思い、どう考えるか?


加害者だけで無く、無配慮なマスコミに対して 私はそう言いたい。



何故なんだろうね…


単純に物語として楽しんできた「忠臣蔵」が 楽しめなくなってきている。


何故なんだろうね…



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コメント

なんだか、この前の「悪気が無ければ結果はどうでも良いのか」の話を思い出しました。
「精神異常者は罰せず」は極論すれば
「精神異常者は何をやっても良い」になり、つまり
「悪気が無ければ何をやっても良い」という論理になってしまう・・・
確かにこれでは被害者の家族は納得できません。
あくまでこれは極論で、何にでも当てはまるものではないけれど、
殺人も言葉で人を傷つけるのも同じ罪ですよね。

「少年A」に関しても普段から私は腹が立ってました。
大体小学生低学年でも殺人は悪いことだというのはわかっている事。
にもかかわらず、15歳前後の人間が罪を犯しても未成年ということで「少年A」というのはいかがなものか。
そういう法律を影であざ笑って罪を犯している未成年のバカヤローもたくさんいるはず。
被害者の家族で誰が「ああ、犯人は未成年か。じゃあ、しょうがないな」という人がいるでしょうか。

ちなみに私の母も、私のため(守るため)なら殺人なんて屁でもない、という人です。

 クラヒー!! ブタネコさん、おはようございます。復帰後、ようやくペースがもどったようで安心しています。

 江戸時代の仇討ちについては、ある時期までは奨励され、武家の当主が惨殺された場合は見事仇討ちを果たさない限り、跡目相続ができずに、断絶となったのではなかったでしょうか? 仇討ちはお上に届け出なければ、単なる私闘とされ、双方が法の裁きを受けたようにも聞きます(詳しくないですが。苦笑)。実際、仇討ちは返り討ちになる例も少なくない上に、追う方も追われる方もその後の人生は大きく狂ってしまったのでしょう。

 赤穂浪士の場合、いかなる理由があるにせよ、殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠に一方的な非があるのは間違いなく、お上の処断を不服とする仇討ちそのものが認められないのは明らかと思います。ちなみに、殿中で刃傷事件を起こした例は浅野内匠を含め3件あるそうで、浅野内匠以外の2件は相手を殺害した後、殿中警護の武士にその場で惨殺されているとか。その前例をもって、「武士がいったん刀を抜いた以上、相手を倒すことができなかった浅野内匠は武士として情けない」という批判もあったらしいですね。

 赤穂浪士の人気が高いのは、彼らが自らの怨恨のために行動していないことだと私は思います。赤穂の武士達のほとんどは主家断絶後、新たな人生を生み出す選択をしましたが、赤穂浪士はただ、主人の恨みを果たすことだけに賭けました。これは、戦国時代の武士の生き方とは大きく違ってます。主家あっての、武士ですが、主家が滅べば、新しい仕官の道を探すのが常だったはずです。武士としては軟弱のそしりを受けない主人ではあっても、その無念を晴らすために命をなげうって、吉良を討った。その潔い忠心に心打たれるのではないでしょうか。高倉健が大石を演じた『四十七人の刺客』で、大石に追い詰められた吉良が「内匠殿との間に何があったか聞いてほしい」と哀願した時、「そんなことはどうだって良い!」と斬って捨てた言葉に彼らの目的の単純明快さが表現されていると思いました。

 ところで、現代の仇討ち。私も大賛成です。

FORREST

★ うごるあ さん

私は今まで 「忠臣蔵」大好き男だったんです。^^

浅野が吉良に虐められ、松の廊下を起し、切腹、お家断絶、城明け渡し… 討ち入り。

吉良邸で赤穂浪士が バッサバッサと暴れ回る姿に溜飲を下げ、見事に本懐を遂げるシーンでは 浪士達と共に泣く。

そうすることによって「さぁ、いよいよ年の瀬だ」
そう実感したものでした。

でもね、今年一年の間にあった 個人的な出来事を思うと 今までみたいに素直に「忠臣蔵」を楽しめそうに無い自分に気づきました^^;

何故なんだろう? そう思ってみたときに 思い至ったひとつの理由が この記事でして^^;

もちろん これだけが理由の全てではありませんが、ま、オッサンの妄想として聞き流してやって下さい^^


★ FORREST さん

>江戸時代の仇討ちについては、ある時期までは奨励され、

(中略スイマセン^^;)

>実際、仇討ちは返り討ちになる例も少なくない上に、追う方も追われる方もその後の人生は大きく狂ってしまったのでしょう。
 

私も ほぼ同じ様に記憶しております^^


>赤穂浪士の場合、いかなる理由があるにせよ、殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠に一方的な非があるのは間違いなく、

(中略)

>相手を倒すことができなかった浅野内匠は武士として情けない」という批判もあったらしいですね。

たしかにそう思える部分も大です。^^


>赤穂浪士の人気が高いのは、彼らが自らの怨恨のために行動していないことだと私は思います。赤穂の武士達のほとんどは主家断絶後、新たな人生を生み出す選択をしましたが、赤穂浪士はただ、主人の恨みを果たすことだけに賭けました。これは、戦国時代の武士の生き方とは大きく違ってます。主家あっての、武士ですが、主家が滅べば、新しい仕官の道を探すのが常だったはずです。武士としては軟弱のそしりを受けない主人ではあっても、その無念を晴らすために命をなげうって、吉良を討った。その潔い忠心に心打たれるのではないでしょうか。


仰るとおりだと思います。

まさに 動機が「忠心」なんですよね。

要するに 私が申し上げたかった事のひとつには 昨今の事件の「動機」が 実にクダラナイものが多すぎる…という点であり、そんな中で 変な言い方ではあると思いますが 説得力のある「動機」が登場したら どういう風になっちゃうの?という部分に いろんな意味で危機感を感じたのであります^^

ま、そう言ってしまうと 別の論議を呼びそうで怖いなと思いつつ…^^;

怖いな、と思いつつ待ってるんでしょ?

ま、それはさておき、今回の記事に関連して・・

今朝ニュースで、どこだかの小学校が生徒に対して
「知らない人に道を聞かれても親切に教えなくても良いから逃げるように」
「知らない人に挨拶されても挨拶しなくて良いから逃げるように」
のような事を言ったということですが
これに対してブタネコさんの意見や如何に?

★ うごるあ さん

いいなぁ… いい具合に偏屈度がアップしてきましたね^^(半分、嫌味です^^;)

さて、コメントの問いかけに関して…

そういう先生に対して

「先生は 出世のために刃物を隠し持ってないの?」

と聞き返す生徒に 華丸を贈りたいですね 私は。


というのは 半分冗談ですが^^;(あくまでも半分です)


なんか、その言葉から


「辛い事があったら ただひたすら逃げるように」

という指導方針に受け取れたり、


「親切・礼儀なんかより 身の保全」


指導の言葉として述べる前に 何かが違うと思わないのか? その学校は? と思います。


>いいなぁ… いい具合に偏屈度がアップしてきましたね^^(半分、嫌味です^^;)

お褒めに預かりまして光栄です(半分、本音ですっっ)

うーん、やっぱりそっちの意見ですよねぇ。
いや、私もそうなんですけど、ただ、私は子供を持ったことが無いので

「あなたがそんな事言えるのは子供がいないからだ」

と言われると、ちと言葉に詰まる。
でも、人が困っている時に見て見ぬ振りをして、
自分さえ良ければそれで良いという子供になっていきそうだと思うと、やはり怖いものがあります。

同じようなケースで、子供に携帯を持たせるのもいかがなものかと思うんですけどね。

「何かがあった時、心配だから」

そうかもしれないけど、その前に何かがありそうな所へ行かせない教育は?って思います。

ただ、これも子供がいない身だから言える事なのかな。
それこそ訳のわからない動機で殺人を犯す輩が多い昨今、心配でしょうがないんだろうし・・・
でも、エスカレートする子供の防犯グッズを見ると何かが違う気がする・・・
でも、エスカレートしてるのは犯罪者もそうだし・・・
でも・・でも・・

★ うごるあ さん

>でも、エスカレートする子供の防犯グッズを見ると何かが違う気がする・・・
>でも、エスカレートしてるのは犯罪者もそうだし・・・


私に言わせると

でも、エスカレートする親バカもいるし…

という点でしょうか^^;

ま、私は自他共に認める親バカですし、娘の同級生達は 娘に「アンタの親父はヤバイよね」と よく言われ、それを嫁は非常に苦にしておりましたので 本当は偉そうな事は言えません事も よく自覚しております^^;

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。