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2005年12月07日

● 1リットルの涙 第9話~最終話


1リットルの涙 第9話~最終話の感想です。




1リットルの涙 第9話 2005年12月7日




今週の9話を観ていて あらためて思い知らされた事は、主人公が患ってしまった様な病気の患者に与える残酷さである。


今回、以下に述べる事は 今、現在に なんらかの病気と闘われている方々には酷い内容に受け取られるかもしれないと思いつつ、ごく最近、三途の川まで炊事遠足に行ってきた者の戯言としてお許し願い、申し上げてみたいと思う。


毎回、番組の終わりに「病状の進行速度には個人差がある…」という旨のテロップが流れるが、それにしても 早いか遅いかの違いはあれども、症状は同様なのだという事を考えると、主人公は 自分の病名を知って間もない頃に、その病気の進行した患者の姿を見て いずれは、そんな状態になってしまう事をも知る。


普通に歩く事が出来なくなり、喋る事が出来なくなり、物を持ったり、字が書けなくなり… 自分の身体が少しづつ その様になっていくと思うと それだけでも想像の域を超えるが、特に主人公は病に倒れるまでは 進学校に入学する程、勉強も出来、運動も部活で活躍するほどの能力の持ち主だから それらの能力が奪われてしまうギャップは想像するに余りある。


しかも、それが回復不能、不治の病と呼ばれる類とあれば どんなに周囲が励ましても 本人の葛藤や苦しみは 簡単に想像できるなどとは決して言えやしない。


だから、そんな状況の中で書かれた日記をまとめた原作本の内容は 物凄く重たい言葉で綴られている。


そりゃぁ人間だから、時には落ち込み、時には絶望感が漂う言葉の時もある。


だけど、原作本を御覧になった方は知っている事だが、時に 自分を明るく励まし、前向きに考えようと努力し、実際、そう過ごしている様も伺える。


ただ、活字で製本された原作本から ニュアンス的に受け取れきれずにいたと痛感したのは 映像で原作者自身が書いた実際の いわゆるミミズが這った様な文字を見たからだ。


病状が進めば進むほど 這いずり方は酷くなり、精一杯、頑張らないと書けない姿さえも想像でき、そんな姿を想像すればする程、胸が痛む。


だから、番組のエンディングに 直筆の文字が画面に映り、その文字が病状の悪化に伴い どんどん酷くなるのを見ると、内容を読む前に もう目頭が熱くなっている私がいる。


主人公は どんな想いで、精一杯にその文字を その言葉を書き残したのか… そう思うと胸が熱くなるのだ。


私が過去に身近に知る実例も 全く同じだった。


周囲が悲観的になればなる程、明るく朗らかに 逆に勇気づける事を言ってくれたものだ。


だから、本人以上に周囲の人々が「死」に対して怯え、「苦しみ」に対して心配したものだが、当の本人は ある時期を境に、あくまでも自然体で 逆に周囲が気配るのを迷惑だと怒りさえもした。


そんな姿を 私は「悟りの境地」なんだと解釈し、今でも目を閉じると ありありとその神々しい姿を思い出す。


過去、何度も 私はこのブログで「神様なんかいない」「神なんか信じない」と述べたけど、百歩も二百歩も譲って もし、神がいるとするならば この主人公や 私の知る「亡き友」こそ「神」だと思うし崇めるべき存在だと思っており、それに比べると 比べる事じたいがおこがましいほど「釈迦」や「キリスト」や「アラー」なんてのは掃いて捨てるゴミ以下の様なものだと感じている。


少しづつ自由や夢を奪われ、「病なんだから仕方が無い」と無理矢理納得させられ、我慢を強いられ… でも、この主人公や 私の知る「亡き友」は朗らかに笑っていたのだ。


そんな事を思うと「凄い」としか言えない私が情けない。


遠い昔のある日の事。


同じ中学から 同じ高校へと進学した友人が、進学して間もなく病に倒れて入院した。


入試に際し、多少具合が悪くても それが寝不足やストレスや無理を重ねるのは受験生なら誰もが似たようなものだから そんなので病気に気づくのが遅れて…なんてのは 珍しい話では無い。


しかし、実際には後で判った事だが 友人の病は「白血病」で、笑って話せるような病気じゃ無かった。


友人が入院して間もない頃、その友人に対して クラスメイトの殆どは無関心だった。


進学間もなく、同じ中学だった者ですら なかには、まともに会話した事の無い者までいるぐらい、皆「はじめまして」状態だったわけだから その中の一人が入院しちゃったんですと言われても それが、どんな子かすら覚えていなかったのが実状だったし、当初は本人ですら ちゃんと病名を知っていたわけでは無く、当然の如く 殆どのクラスメイトには最期まで病名を教えたりしなかった。


けれども、その友の入院が 1週間…、1ヶ月…と日が経つうちに 無関心なクラスメイト達にも 軽い、簡単な病では無い事ぐらい想像がつく。


けれども、それでも無関心な状態は変わらず、中には


「なんかね、聞いた話によると精神病らしいのよ…」


とか、それに尾鰭がついたのか


「レイプされたらしいのね、で…」


とか いろんな根拠の無い無責任な噂が囁かれるのを耳にした。


最初の頃は 私もちゃんと病名を知っていたわけでは無い。


でも、数度の見舞いで本人と話しもして 学校で囁かれている噂が根も葉もないデマである事も知っていた。


だから、本音を言えば その無責任なデマを耳にする度にハラワタが煮えくり返る様な怒りを覚えたし、そんな話を楽しそうに交わす者達を嫌悪した。


デマを打ち消そうと躍起になった事もあるが、そうすると


「ブタネコ君がムキになってるのって なんか変じゃない?」


なんて事を言われ、面白がって話を創る奴らから餌にされた事もある。


そういう状況を経験したからこそ 人の中には実に情けない者がいるのだと痛感したものだった。


好奇心が旺盛で、詮索好きで、他人のトラブルを眺めるのが大好きで… でも、いざ自分がトラブルに巻き込まれると責任を転嫁し、悲劇の主人公と酔い、同情を引こうとする… そんな輩が潜在的に沢山存在しながら、そういう輩に限って 自分はごく真っ当な人間だ…なんて振る舞っている。


そういう連中のパターンのひとつが「良い人」を装って 入院している友を見舞う事だった。


「どう? 元気?」


「入院が思ったより長引いているから 心配してたの…」


学校ではロクでもない噂話にキャッキャッと笑っていたクセに 病室では神妙な顔をして さも、親しげにそんな事を言う。


でも、その仮面の下では


「明日、学校でみんなと話す時の格好のネタがないかしら?」


なんて好奇心が渦巻いており、

「で、アンタ いったいなんの病気なの?」

「熱あるの?」

「いつ頃退院出来そうなの?」

「~さんとか、~君とかは見舞いに来てるの?」


まるで、「オマエは芸能レポーターか?」と問い詰めたくなるような質問を連発する。


入院生活が1年を過ぎ、私が高2になっていたある時、私は 後に私の嫁になる女の子と 病状が悪化しつつあった友の病室に見舞いに行き、お喋りに興じていた。


どんな話題を どの様に話していたかまでは覚えていない。


その頃には既に 友は窶れ果て、元気な頃の面影は陰を潜めてしまっていた。


そこへ、高1の時に同じクラスだった女の子AとBが 二人で見舞いに現れた。


今、思っても不思議なのだが、そのAとBは 友とは中学も別で親しい交遊があったとは思えない。


だから、友自身も その時に、突然現れた二人が 何故、その日に現れたのかを理解出来なかった様だった。


が、「見舞い」とは ひとつの「気持ちの表れ」でもある。


付き合いの親しい度合いに関わらず、見舞うという行為そのものを否定する事は如何なものかと 私は、その時までは思っていた。


けどね、結果から先に言えば その二人は 友に対して心から見舞う気持ちで現れたのでは無い。


「私は病気の友人を見舞う心優しき人間なんだ」


そういう実績を作りたかったのと、


「話のネタが欲しかった」


という理由でしか無かったのだ。


女の子ばかりの病室に居たたまれず、私はABが現れた時点で病室を出て、病棟のロビーで缶コーヒーを飲みながら、鞄に入れてあった その時、読みかけの文庫本の続きを読んでいた。


30分ぐらい過ぎた頃であろうか、急に騒々しくなった方に目をやると ABに対して何か怒鳴っている 私の彼女の姿と、気まずそうにしているAB 間に入って、場を鎮めようとしている看護婦さんの姿があった。


私が その場に行くのと入れ替えに、ABは不満げな表情で帰って行く。


その場に残った彼女に看護婦さんが 優しく声をかけている。


「アナタの気持ちは判るわよ、私も この仕事について 何人も、ああいう見舞客を見てきたもの… でもね、ここは病院で 他にも患者さんが大勢いるんだから、もっと冷静にしてくれないと困るの…」


彼女は黙って それを聞き、看護婦さんには詫びている。


でも、怒り心頭なのは目に見えてハッキリしており、看護婦さんが立ち去るのと同時に 私は彼女をロビーに引っ張って 何があったのかを聞いた。


彼女の言い分は、


「普段、学校で友の事を 勝手に想像した噂話で面白がっているクセに、いきなり見舞いと称して観察に来た事じたい許せない。 でも、それ以上に許せないのは 窶れた友に”可哀相”と言ったのが 心の底から断じて許せない」


というものだった。


そう説明している彼女は 涙こそこぼしてなかったが、今にも泣き出さんばかりに激しく怒っているのが目に見えて、自分でも それが判っているから


「私、今日は このまま家に帰る。 御願いだから、悪いけど 病室に置いてきた私の鞄を取ってきてくれない? こんな顔、友には見せたくないんだ…」


と言った。


言われた通り、従順な私は 友の病室に行くと 友は呆れた様に笑ってた。


「私の事をABが”可哀相”って言ったのが気にいらないんでしょ?」


何もかもお見通しだった。


私が「その通り」と苦笑いして言うと


「病気になって、痩せちゃって 自分ひとりで起きあがる事が出来ない時があったり、もちろん歩けなくなっちゃって… でもね、そんな状態でも それなりに出来る範疇で いつもなにかを 私なりに楽しんでいるのね。

心の中では 仕方ないって諦めてもいるんだけど、でも、絶対に また普通の健康な状態に戻る奇跡を起こすんだ…なんて事も 当然、思っているけど… でもねぇ、そんな私みたいな状態の者にとって 健康な人から”可哀相”って言われるのが 実は、物凄くこたえるの。

なんか、哀れまれているのと同時に 見下されている様にも感じるの


  起きる事も出来ないのか? 可哀相に…

  身体中、痣だらけなのか? 可哀相に…

  何食べても 味が判らないのか? 可哀相に…


言葉って難しいよね、どんなに その人の事を思って言ったにしても 聞く側には そう素直に受け止められない言葉があるのよね…


そう言えば、この前 ブタネコ君は知らないだろうけど 面白い話があったのよ。


ほんとに久しぶりに高校の先生が御見舞に来てくれたんだけど、それって 本当は御見舞じゃなくて 私の両親と話をしたかったらしいの…


で、その時の話って 私が1年以上入院している間、ウチの両親が授業料とか修学旅行の積み立てとか 色々とお金を払ってくれてるんだけど、それが 今後も入院が長引くようなら もったいないんじゃないのか?って事だったらしいのね…


そしたら、お父さんがカンカンに怒っちゃって 金の問題じゃ無い、娘が高校に在学している事が大事なんだ、娘が元気になったら すぐ復学出来るように払ってる金に もったいないとは何事だ?って怒るのよ(笑)


でも、私は自分でも もう復学出来るなんて思っていないから 私自身でも確かにもったいないなぁ…って思ったの、だから そうお父さんに言ったら、今度は 私がお父さんに怒られちゃって… 主治医の先生がお父さんに 患者に声を荒げてどうするんですか…って怒って…


でもねぇ… 泣きたくなるぐらい嬉しかったんだぁ… もったいないお金だけど、おかげで私は今でも高校生なんだ…って思えるわけで、それは私にとって まだ、普通の子でいられる(普通の健康な子に戻れるの証みたいなものなんだ…って実感できるの。


嘘でも、そして無意味でも、高校生なんだから勉強しなきゃ…とか、早く身体を治して学校に通える様にならなきゃ… この先、そんな事が無理だと判っていても 高校生だから見れる夢を 見る事が出きるの。」


遠くを見つめるような感じで 呟くように言ったその言葉や姿も、「亡き友」の教えの一つとして 私は忘れる事が出来ない。


同時に、その時 心の中で私は 友がしがみつくような思いで語る「高校」の生徒や教師の実際がロクなもんじゃ無いと強く思い抱きながら、それを彼女に言えなかった。


もしも、それでささやかな夢が見れるなら そんな夢さえも壊すような事になると思ったから…。


その直後、ケロッとした笑顔で


「今日は もう帰っちゃうんだ? じゃぁさ、明日来る時に 必ず、彼女にババロア作ってきて…って言っておいて」


おかげで、それ以来 私はババロアを食べる事が出来ないし、もちろん 嫁に作ってくれと頼む事も出来ない^^;




1リットルの涙 第10話 2005年12月13日




悪いけど、もう感想を書けないや…(ToT)


(じゃぁ、書くな!!…という ツッコミは無しの方向で…)




以上です。




1リットルの涙 最終回 2005年12月20日




前回、第10話を見た後、感溢れて…というか 感極まって


「悪いけど、もう感想書けないや」


と、1行だけ書いたところ、


「書けないとは どういうことですか?」


と、1行だけのコメントが寄せられた。


サイトを始めて数年、ブログを始めて 約1年弱の間、いろんなコメントを頂戴したが このコメントほど脱力感をもたらされた事は無い。^^;


最終回の放送を観て、おそらく、いろんなブログやサイトで「感動しました~」「泣きました~」と、ごく当たり前の感想やコメントが溢れるのであろうから、へそ曲がりな私としては それらと同じ様な内容は書きたくない。^^;


なので、思った事を思ったまま書きたいと思うのだが、そうすると内容が内容だけに誤解を招くかもしれないと 我ながら、自覚もしている^^;


特に 上記のようなコメントを寄せられたら… そう思うと情けないが、それでも やはり思った事を述べてみたいと思う。



さて、ドラマ内に登場する麻生君は ドキュメンタリ-な原作を基に、ドラマ化に際して持ち込まれた架空の人物設定であり、極論すれば「作り物」である。


こういう真似は 一歩間違えると いくら原作がノンフィクションであっても、ごちゃ混ぜになった結果、物語全てが架空の話となるわけで、往々にして そういうケースの場合の原因は、持ち込まれる架空話は陳腐な「お涙頂戴」感を増すだけで そこにあざとさが露呈して真実みが薄くなるだけに終わる事が多い。


であるがゆえに、一部の評論などを見ると


「お涙頂戴が鼻につく、その最たる部分が麻生君の存在だ…」


等という記述を やはり、実際に目にする事がある。


たしかに、麻生君の台詞や行動は感動を呼ぶ反面、その存在が架空だと判ると それは「作り物」という意味で、素直に受け止められないモノになってしまうのかもしれない。


いつもの私であれば 同じ様に「お涙頂戴」と判断したらボロクソに批判していたと思う。


悲しい事だが、多くの視聴者には 実は、原作などロクに読まず、


「まぁ、なんて可哀相…」と


ただ、泣きたいだけのために見ているような輩もおり、クールが変わって新しいドラマが始まれば このドラマの事など、すっかり忘れてしまったりする。


だから、どの部分がフィクションで どの部分がノン・フィクションなのか? なんて事は そんな人達にとっては実はどうでもいい事で いつの間にか、ゴッチャになった事すら気づかず、制作者の思惑にハマって


「原作者が可哀相…」


とか、


「素敵な恋人がいて幸せだったと思います…」


なんて感想が寄せらりたりするものだ。


私は、こういうドラマの場合 どうしても実話の部分と、付加された創作の部分を分けて考えてしまうわけで、ゴッチャにしてる人とは あまり話したいとは思わないし、率直に言えば 私は ゴッチャの見方の感想には 不愉快感が増し、ただ辟易する そんな偏屈なヘソ曲がり野郎だからだ。^^;


だから、本当は ドキュメンタリーな原作には あまり、創作を持ち込んで欲しくない… と言うのが 私の個人的願望なのだけど、「1リットルの涙」を見ていて このドラマに関しては 勝手ながら、麻生君の存在を ドラマに加味して その行動や台詞で表現した事には 意味があると感じられたから許せる…、いや、良くやった…とすら思える。


その意味とは


『病気に対する偏見や、差別的な目や考えの前に 辛い思いを感じたであろう原作者の心の代弁であり、そんな中にあってさえ、亡くなるまで ずっと、頑張り続けた事に対する原作者への御褒美であり、”こうだったら良かったのにね”という祈念の意が込められているんじゃないか?』


つまり、麻生君のような男の子の存在があれば心安まったかもしれない…、誰かが たった一言、言ってくれさえすれば わだかまる思いを抱かずに済んだかもしれない…、~な事は 出来れば止めて欲しかった…


そんな意味が込められているんじゃないか? と感じたのだ。


そう思うとね、許せるんだな… 麻生君を持ち込んだ意味がね。


だからこそ、ドラマから何も得ない様な ただ「感動しましたぁ~」だけの感想には


「原作者が浮かばれないだろ…」


「何かを感じ、心に刻んでやらなきゃ駄目だろ…」


そういう想いが より一層、強く感じてしまうのだ。




とかく、この「1リットルの涙」と「世界の中心で、愛をさけぶ」を比較して語りたがる人にも 同様に、私は個人的に不愉快感を抱く事が多い。


私に言わせれば 病に倒れて亡くなってしまう主人公の姿や想いから 観てる者達は何かを得ろよ…という部分では 「1リットルの涙」とTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」の間では その「何か」が えてして多くの共通点があるとは思うけど、だからと言って「~の台詞の部分は…」とか「~のシーンが…」と 見える部分だけを挙げて あぁでもない、こうでもない…と述べるのは 正直言ってウンザリだ。


これが、以前、個人的に腹立たしさの塊みたいになったクソ番組であれば 笑いのネタとして私も指摘するだろうし、実際に弄りも行った。


けれども、この「1リットルの涙」は 制作姿勢に真摯さを感じ、そんな真似をする必要は無いし、無礼だとすら感じている。


だから、真剣に上辺の比較をして語っている人に出会うと 単純明快に「アホか?」と思う。


これは矛盾と思われるかもしれないが、私は自分では矛盾だとは思っていない。


要するに「1リットルの涙」というドラマで 新たに気づかされた事や、忘れていた大事な事を思い出させて貰ったり、自分に限らず 身の回りの人々に考えなきゃいけないよとテーゼを与えて貰ったと感じており、それに対しては こちらも謙虚に礼を持って応えるべきだと思うからだ。


ゆえに、最終回を見終わって、深く感謝申し上げると同時に あらためて原作者の御冥福を心よりお祈り申し上げる次第です。



お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

“言葉” で本心を伝えるのって 難しいよね・・・(ToT)
そんなつもりは無いんだけど 相手を傷つけてしまう・・・
そんなつもりじゃないのはわかってるんだけど
傷ついてしまう・・・

ブタネコさんへ
今日の文章は考えさせられました。幸い僕の周りではお見舞いという環境に、この数年ないので相手を傷つけることはありませんが、いくら思いやりの気持ちがあっても、相手を傷つける言葉がつい口に出ることがありますよね、特に相手が入院という心細い環境にあれば余計に神経を使わないといけないと自戒しました。

私も、私の妻も最後の直筆で轟沈です。

そして今日のブタネコさんの記事でも、涙腺大破です。

言葉の解釈って、本当に誤解を生みますね。
とくに日本語はあいまいな表現が多いので。

いつも内なる思いをどないして、うまく文章で表現できるか苦悩しています。
少しでもブタネコさんの、文章表現力の豊富さにあやかりたいものですww

ブタネコさんの記事を拝見してると、身が引き締まります。

でもほどほどに御願いしますね。

>言葉って難しいよね、どんなに その人の事を思って言ったにしても 聞く側には そう素直に受け止められない言葉があるのよね…

これは本当に難しいですよね

見舞いに来た先生も、恐らく悪気があったわけじゃなくて本当にただ、お金がもったいないと思ったんでしょうね。
けど、信頼関係を築ける程の間柄じゃなかったためにそこまで考えが回らず=思いやることが出来なかったために怒らせてしまった・・・。

だから多分亜紀父が同じようにオーストラリア修学旅行代を払っていたとしても
谷田部先生なら違った反応だったんでしょうね
(そういえば舞台版はご覧になれたんですか?)

★ taku さん

どしたの? 随分、シリアスじゃん^^;

古くなった牡蠣とか、とろけた鮟鱇食べておかしくなったのかい?


★ タンク さん

いろんなブログや TVの番宣や、掲示板を覗きに行ったら
「可哀相」という言葉が乱発されていて なんだかなぁ…と。

 
★ Wen さん

>身が引き締まります。

そうすか… ダイエットのお役に立てて幸いです^^;


★ うごるあ さん

>見舞いに来た先生も、恐らく悪気があったわけじゃなくて本当にただ、お金がもったいないと思ったんでしょうね。


アナタは優しい人だなぁ…^^

悪気が無ければ許される、もしくは 悪気が無いんだから許してあげよう…

私は心の狭い人間なんで 他人に迷惑をかけたあとで 言い訳の決まり文句みたいに「悪気は無かったんです」と言われると 余計に腹を立ててしまいます。

悪気が有るか無いかの問題では無いのです。

時と場合を考えない行為は 責められたり、非難されて当然じゃないか?と。

私は その教師に1年間 ある教科の授業を受けた者として 本当はもっとボロクソにこき下ろしたいのを書かなかっただけなのです。^^;

あ、誤解の無いように申し添えますが、わたしは うごるあさんのコメントに怒ってたりはしません。

うごるあさんの様に 優しく解釈する人がいる反面、それを利用するかの如く 甘えたように思いやりに欠ける行為を行う人を 余計に不快に思うだけです。

>どしたの? 随分、シリアスじゃん^^;

北の魔王と違って マジメなもんでw☆\(-.-メ)バキッ

あれ?どうやら私のことを良いように解釈されてしまったようですね。
やっぱり言葉って難しい・・・

私も狭量な人間ですから基本的には

>他人に迷惑をかけたあとで 言い訳の決まり文句みたいに「悪気は無かったんです」と言われると 余計に腹を立ててしまいます。

というのは良くわかりますよ。同じです、同じ。

「悪気がなければ・・」これは許される場合と許されない場合があるだろうし(それはブタネコさんも同様だと思いますけど)。
許されない場合はやはりブタネコさん曰く

>時と場合を考えない行為は 責められたり、非難されて当然じゃないか?と。

という考えは凄く良くわかります。

「お金がもったいない」というのは多分、この先生はこういう思いやりの手段しか持ってなかったんでしょうね。これを「思いやり」と言って良いかといえば違うと思いますけど。
だから、もしかしたら怒られた後も
「何だよ、人がせっかく(お金がもったいないと思って)心配したのに」
って思ったかもしれませんね。

こういう感想を持つのも、実際にその先生に接していたブタネコさんと私では温度差ができているからなんだと思います。
実際に接したブタネコさんにすれば
「何だよ、こんな先公にそんな甘っちょろい感想いらねーんだよ」
ってな感じでしょーか?

★ taku さん

>マジメなもんで

あ、そうだったんですか 了解です。


★ うごるあ さん

そう、言葉は難しい^^

私が その教師をボロクソに書かなければ、読む人の中には
「きっと悪気は無かったのだろう」
と解釈する人もいる。

ボロクソに書けば書いたで もしかしたら、
「金銭面を真剣に心配して下さった結果だ」
なんて 真剣に怒って反論される方が出ても不思議ではありません。^^;

で、あらためて

うごるあさんは 優しいよ。^^
(と、勝手に決めつけてみます^^; (嫌がらせ含みで^^;))


>そうすか… ダイエットのお役に立てて幸いです^^;

入院後、毒吐きはパワーアップしたようですね~( ̄ー ̄)ニヤリ

怖や怖や・・・ヽ(ヽ´Д`)ヒイィィィ!

★ Wen さん

毒は適度に 毎日吐かないと 健康を損なう原因となります。^^;

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。