● 雑感(10月4日)
このブログで ウチの嫁のエピソードを書き記してきた事が良かったのか? 悪かったのか? 未だ、私には判らないが…
時々、何かの記事のコメントで 読まれた方からの一文に
「ブタネコさんの奥さんのファンです」
と書き添えられてるのを見ると
「おかしいなぁ… なんで、”ブタネコのファンです”とは言って貰えないのだろう?」
と勝手な方向で 凹む私がいたりする。^^;
嫁と結婚して 2年目の ちょうど今頃の事だった。
私は とある会社でSE(システムエンジニア)として働き、嫁も とある証券会社で働き、二人揃って 東京に住んでいたのだが…。
仕事に不満があるわけでも、夫婦生活にも不満など無かったが、その頃、私は 大学生時代から住み続けていた東京に ほとほと嫌気が差し、東京に住んでいる事が嫌で仕方が無かった。
実際、その頃は 仕事上の都合で日本国内の至る所に 短くて3日、普通で1週間単位で出張する事が多く、私は1週間のうち 半分を自宅で過ごせれば良い方で そんな留守がちの生活をしていたわけで 余所の地に行けば行くほど 東京の嫌な部分が目に付き 鼻をついた。
今思えば、実に笑い話なのだが、大学を出て とある会社に就職する時、私が その会社に入社しようと思った最大の動機は 札幌に支社があったから。
そう、私の人生の設計図では やがては札幌に戻り、札幌で生活する事になっていたのだ。
ところがね、入社して早々、2週間の社員研修を受けている時に 何度か人事担当者と面接があり、希望の配置先や事業部を言え…と言われたものだが、その時に
「事業部や職種に 特に希望はありません。 私の希望は札幌支社勤務です。」
そう言ったら、当時の人事部長が
「珍しいね君は(笑) 入社、早々 自ら”島流し”を希望するのかね?」
と言ったのだ。
この会話、今の人が聞いたら理解出来無いのだろうね。^^
札幌オリンピックを ひとつの区切りとして それ以前と、それ以降の札幌は大きく変わったが、それでも バブル期の前までは 札幌勤務というのは「島流し」「流刑地」「都落ち」等と、それなりの大手企業の中で 特に上昇志向の強い人達には言われていた。
だから、その時の人事部長も 本人は冗談のつもりで
「君が 仕事で何かヘマをしでかしたら
すぐ飛ばしてあげるから…
まずは3年、本社で鍛えられてみたまえ」
と笑いながら言ったのであろうけど、その言葉は私を酷く傷つけた。
札幌支社では出世できない… そう傷ついたのでは無い。
「仕事が全て」「出世が全て」そんな判断基準が受け入れられなかったし、故郷である「札幌」を 安易に馬鹿にされたみたいで 腹立たしさすら こみ上げた。
(ま、札幌には 札幌の醜悪さがあるが その話は別の機会に^^;)
なので、入社して2週間も経たないうちに 私は、その会社に入社した事を もの凄く後悔した。
当時は「石の上にも3年」と いったん、その仕事に就いたなら3年は辛抱して働くものだ… というのが常識だった。
ましてや、年功序列の風潮も強く 転職なんて事は 余程の理由が無いと世間は認めてくれなかった。
しかも、それなりに名のある大学を出て、名のある企業に入る…というのが 人生での勝ち組みたいな意識が強く そのレールから 自ら途中下車する事は 大馬鹿者と見なされた。
嫁は 就職していたけれども、その仕事に愛着とか情熱を持ってはおらず、内心では 私以上に 彼女も札幌での生活を望んでいた。
その頃、ちょうど 我々夫婦の父親達も定年退官を迎え、第二の人生を始めており、我々夫婦が札幌に戻る事を望むような発言もチラホラしだした時期でもあった。
そんなある日の事、いつもの様に出張先から戻って 嫁と晩御飯を食べていた時、何気に
「こんな出張生活なのだったら、
別に 自宅が東京に無くたって、
札幌が自宅でも良いんじゃないか?」
と言ってみた。
すると嫁は 実にアッサリ
「え? ホントに? じゃ、アタシ 来年の春に会社辞めるわ」
と言う。
その呆気なさに驚いた私は
「いや、俺、まだ会社に話して無いし、了解も取ってないから…」
すると嫁は
「そんなの知らないわよ グズグズ言われるようなら 辞めればいいじゃない?」
と、これまた呆気ない。^^;
と言うのも、このブログの『 喫茶「職安」の話 』カテゴリ-の記事で述べたオッサン達から
「そろそろ札幌に戻って 俺達の仕事を手伝え~」
と誘われていたのを嫁も知っていたからなのだと思っていた。
事実、それから数日の内に 嫁は勤務先に 翌春(3月一杯)での退職を申し出て 引き留められるのを頑なに拒み、受理させた。
それは 実にもの凄いスピードで トントンと嫁は自分の事だけを片付けてしまったのだ。
私はと言うと、当時は 後のバブル経済へと向かい始めた好景気で、仕事はいろんな所に転がっていたし、コンピューターも もの凄い勢いでグレードアップされたハードウエアが開発され、数年前までは 体育館ぐらいの広さの設備が無ければこなせなかった演算処理が 数年後には机の上のパソコンで充分にこなせる様な革新期であり、SEは何人いても足りないぐらい需要があった。
だから、給与や有休などの雇用条件を見直す事を前提に引き留められ それに対して私も無下に出来ずに ズルズルと日が過ぎていた。
そして、年末になり 夫婦揃って年末年始の休暇により、札幌に帰省したのだが…
大晦日の夜、私の両親や嫁の両親達が入り混じって紅白歌合戦を見ながら 年越し蕎麦を食べてたら いきなり嫁が
「ねぇ? 私、正月明けても東京には戻らないし、
このまま、仕事も辞める事にするからね」
と言い出した。
親父達は
「別居か?」
「喧嘩したのか?」
「まてまて、早まるな、まず話し合いだ…」
「何があったんだ?」
「この馬鹿(私の事)が 浮気でもしたのか?」
と 上を下への大騒ぎとなった。
すると嫁は 平然と美味そうに蕎麦をたいらげながら
「赤ちゃんが出来たの、4ヶ月なんだ…」
一瞬、場は静まりかえり 直後、
「ホントか?」
「でかした、孫だ!!」
「あらあら… お赤飯ね、お赤飯炊かなきゃ…」
とんでもない盛り上がりとなり、
「(嫁に)会社なんか辞めちゃえ」
「そうだそうだ、東京なんか行かんでいい!!」
「そうそう このまま札幌で産め、そうしろ? な!」
親父やオフクロ達が もの凄い騒ぎである。
「石の上にも3年、辛抱するのが男の道だ!!!」
そう頑なに言い放った 私の父までが
「会社なんか辞めて このまま札幌に居ろ」
と言う様は 初孫への思い…恐るべし を、まざまざと見せつけられた思いがした。
そんな騒ぎの中で ポツンと私だけが呆然としていた。
決して、子供が出来たのが嫌だったとか、それで困った…なんて気持ちは無かった。
ただ、どうしていいか判らなかったのだ。
面白いモノで あくまでも私の場合…という意味だが、その時に頭に浮かんだ事は
「子供が出来たら 扶養手当が**円ついて 所得税の控除が**円で…」
そんな どうでも良い数字ばかりだった^^;
それよりも もっと重要な事は 札幌に戻って経済的に賄えるのだろうか?とか 仕事を転職して ホントに良いのか?なんて事だったわけで…
休暇を終えて 独りだけ東京に戻った私は 正月明け早々、上司に その件を相談した。
すると、上司の第一声は
「今、君(私:ブタネコ)に辞められると 私の
上司としての管理能力が問われるんだよねぇ…」
その言葉を聞いた瞬間 本当は
「会社の都合も考えて区切りの良いタイミングで…」
と言うつもりだった私は
「自己都合で御迷惑をおかけしますが、本日をもって退職させて下さい」
と言い、しつこく粘る上司に
「どうか、くだらない失言をする管理能力を問われてください」
と言い切り、とっとと 自分の机やロッカーから私物を整理して退社した。
その日の夜、札幌の嫁に電話をして 事の顛末を話し、ついては ちょっとの間、本州を旅して札幌に戻る…と言うと 電話の向こうで 嫁は大笑いしていて
「でしょ? とっとと辞めちゃえば良かったのよ そんな会社」
とまで言う始末だった。^^;
その後、札幌に戻った私は 喫茶「職安」の常連達の仕事を手伝いながら 自分なりのSE的仕事も知古の会社から請けながら過ごす日々となったわけだが…
ふと、思い返すと ウチの嫁は 時々、実に豪快な真似を平気でする。
私は いつもそれに振り回されるのだが、気がつけば そんな振り回しを楽しんでる私がいる。
そうか…
私が 一番の
ブタネコさんの奥さんのファン
だったのだ(ToT)
だから、試しに言ってみた。
「奥さん、僕 アナタのファンなんです… サインを頂けませんか?」と。
すると、嫁は言った。
「え? サイン? そんなにサインが欲しいなら、してあげるから
離婚届を持って来て」
「当然、財産は全部、慰謝料よ…」とも (ToT)


