● 雑感(9月12日)
人が人を好きになる時って どんな時だろう?
私は 嫁をもらって もう20数年になる。
お陰様で、今のところ離婚の危機は 私の方から申し出ない限り可能性は薄く…
(私の方から申し出ても 成立する可能性は薄いが^^;)
たまたま、ある友人と暇潰しの世間話をしていて そんな事が話題に上がったので考えてみた。
たとえば、「一目惚れ」という言葉がある。
私が思春期を迎える頃か その少し前あたりでは 恋愛の始まりは 男女どちらかの「一目惚れ」から始まる事が多かった。
で、仮に ある男の子Aが ある女の子Bに「一目惚れ」してしまったとしよう。
最初は ほのかな恋心だから AはBの姿を垣間見るだけでドキドキする。
そして、Bの事を もっと知りたくなる。
「どんな食べ物が好きか? 趣味は何か? 好きな本は? 好きなタレントは? 好きな音楽は?…」
Aが物怖じしない性格であれば Bに直接聞けば話は済むし、簡単に その知りたい事を聞いて知ることが出来る。
ところがね、恋心が無ければ なんでもない言葉でも、恋心を抱いてしまってからでは なかなか聞けなくなってしまうのが 恋心なのである^^;
廊下でバッタリとすれ違う時や 「A君 先生が呼んでたよ」という 何気ない伝言ですら 話しかけられるだけで有頂天になったりするからだ。
やがて、Aは もっとBと親密になりたくなる。
そのため、授業中も ずっとBを見つめ続けたり、Bの家を見に行ったり、もし、Bが部活をしてる娘だったら その練習を眺めに行ったり…
さて、Aの行動が そのレベルに達する頃には 実はBの方では Aの様子が変だと薄々気づき始める。
何か視線を感じる時があり、その方向を見るとAがいたりする事が多くなる。
最初は 偶然かな?ぐらいの認識でも 回数が嵩めば 偶然とは思えなくなる。
問題は BがAに対して恋心を持てば それは恋愛として成立する可能性が高くなる…という事。
「A君 私が気になるのかな? それって? もしかして?」
Bという女の子が そういう思考の持ち主なら Aは まだ救われる。
けどね、時代が進み 現代では そういう真似をしていると
「なんかさ、Aって 気持ち悪い…っていうか 薄気味悪いんだよねぇ」
ほとんどのケースが そういう方向に受け止められる。
「好きな子の家を見てみたい。」
そう思って 実際に見に行くと ストーカー一歩手前と扱われるのが普通だそうだ。^^;
ストーカーを擁護しようとは けっして思わないけど、ほのかな恋愛感情と ストーカー行為の境界線って どういう部分にあるのだろう?… ふと、疑問に思う。
これは ABそれぞれの性格や普段の行いなど いろんな要因を考えた上でケース・バイ・ケースではある。
で、面白い事に 最近、若者達の間では「場の空気を読め」という言葉が 頻繁に用いられる。
女の子Bが 神経質な子だったり、思い込みの激しい子だったり… 「家を見に来られる」それだけで もの凄く不快感を抱くような子だとしたら Aの行為は許されない。
けど、その程度なら 全然、気にしない…という子であれば Aの行為は問題とされない。
もっと言ってしまえば、Aが 誰にも知られずにいれば行為は問題視されないし、誰かに見つかった時点で 問題視されても仕方が無い…なんて境界線を主張する者すらいる。
それと… 我々の世代の者が子供の頃に もう既にいたけれど、妙に小賢しいガキが どんどん増えているような気がする。
「ルールを守る」という事を いつの間にか「ルールさえ守っていればいい」という考えになり、「ルールを破っても 誰かに見つからなければ 破った事にはならない」みたいな考えに至ってる者すら見受けられる。
これは言い方を変えると
「法律で明確に 駄目とされている行為は犯罪、
けれども 法律に書かれていない事を犯罪とは言えない」
という解釈になったり… 要は 判断基準、境界線を法律書やマニュアルに求めてしまう。
官僚の仕事はマニュアルを作る事… そう言い切る評論家や官僚がいる。
しかし、彼等の作るマニュアルは 全て、何か事故や災害や犯罪が行われた後に
「それを教訓として…」
作られるものばかりで しかも、その教訓となる物事が生じてから直ぐには作られる事も少なく、かなりな年月が経って後、ようやく時代遅れのような文言が並ぶマニュアルとなる。
また、それらには 事前に、物事を想定して作られるものは皆無に等しい。
小泉自民党を全面的に支持する気は無いけれど、「社民党が無くなれば 憲法9条も無くなる」等と、思い上がった事を主張する社民党は全面的に支持しない。
自分達だけが正しい… 常に そう主張し続け、他者へ耳を傾けようとしない共産党を「たしかな野党」等とは認めない。
文章とか文言とかは とても大事な事で、大事な事だからこそマニュアルで 良し悪しの境界線を明確にしよう…という働きも重要な事ではあるけれど、それよりも もっと大事な事は 心の問題なのだ…と 私は思う。
話が脱線したので 本線に戻すが…
マニュアルや法律書に どう書かれているか…
不思議な事に 日本の義務教育では教えていない。
憲法についても 教えているようで 実に上辺だけである。
法律や納税や年金は 何十年と人生を送る上で 絶対に、知っておかねばならない事であるにも関わらず、それを きちんと学ぶ機会は 限りなく限られている。
中学や高校で 刑法や民法を 何故、教えない?
年金の計算方法など そのシステムを 何故、教えない?
税金の計算方法など そのシステムを 何故、教えない?
ある教師は それについて
「それらの事ってさ 何年も経たないウチに
すぐ変わってしまうから教えても仕方無いんだよね」
と言う。
それが 正しい理由なのかね? > 日教組
たとえば…
男の子Aが 一目惚れした女の子Bに対して 恋心が高じていくに従って もっとBの いろんな事を知りたくなったり、Bと接触したりなる…
その時に、Aが 自分自身で何かをしようとする場合に それをしたらBが嫌がるか否か? Bの気持ちを考えているか? と言うのが問題なのだ… と 私は思う。
つまり、
「俺は Bが好きなんだ。
だから、好きな子の事を知りたくなるのは
ごく普通の事で 知りたいから家を見に行くし、
偶然を装ってでも Bと話したり、Bの傍に近寄るんだ…」
というのは 一見、一理あるようにも思えるが、その考え方の中に Bへの配慮は一切入って無く 全てがAだけの主張でしか無い… そこが問題なのだ。
マニュアルや法律書では規制されていなくても、相手の嫌がる事をすれば 嫌われるし、批判されるのは当たり前の事。
つまり、相手を思いやる心が重要なんだ…という事であり、それを察するのが「場の空気を読む」という言葉の根本なのである。
しかしながら、そういう肝心な事を置き去りにして 目に見えるマニュアルの箇条書きにしか拘れない姿は 受け入れられる問題では無いだろう。
で、小賢しい輩達は
「相手に対する思いやりが大事だ」
その言葉すら 知っている、判っていると主張する。
しかし、それが何故小賢しいかと言えば
「俺は 相手を思いやってるんだから オマエも俺を思いやれ」
と、暗に「思いやり」を強要したり、
相手の気持ちが 単なる「ワガママ」でしか無いのに
「思いやりが大切だよね」
と、無意味に甘やかすばかりのアホばかりだから「小賢しい」と言わざるを得ないのだ。
と言うわけで、今 私が 何を最も言いたいのか? と言えば…
晩御飯は まだですか? > 嫁


