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2005年09月24日

● 私をスキーに連れてって


1987年に ホイチョイ・プロダクションが制作した最初の映画。



私をスキーに連れてって


ホイチョイ・プダクションは 当時、ビック・コミック・スピリッツ誌上に「見栄講座」と言うタイトルで マンガの様な エッセイの様な 若者が見栄を張るには どうすればいいかを風刺たっぷりに描いた作品が 大ヒットしていた。


私も それを愛読していた一人なのだが、そんなホイチョイが作った映画と言う事で密かにヒットし、今でもファンが多い作品なのだが 映画=芸術作品 という固定概念に縛り付けられた多くの映画評論家達からは黙殺された作品である。


主演は

私をスキーに連れてって

原田知世」と


私をスキーに連れてって

「三上博史」


脇を固めるのが


私をスキーに連れてって

今では すっかり亭主に浮気されてしまう主婦専門女優と化した「高橋ひとみ」


私をスキーに連れてって

原田知世の実姉で 今では姿が見れない「原田貴和子」


私をスキーに連れてって

あいかわらずの「布施博」


私をスキーに連れてって

今じゃ 絶対に姿を見れない元祖「ヒロくん」


私をスキーに連れてって


実を言うと 私は札幌育ちの人間なのだが、そんな私が 東京の大学に入り、東京の とある会社に就職した頃、都会に対して感じていたカルチャー・ギャップの ひとつの集約が この映画にはある。


「ブタネコ君 札幌出身なんだって? じゃ、スキー巧いんだ…」


私が北海道出身だと聞いただけで そう決めつけた様に喋り出す人間が関東圏には 実に多かった。


私の場合、一応、高校生の時にスキー検定1級というのを取得しているので それなりに滑る事は出来る方だとは思っている。


しかし、この検定というのは ひとつの目安であって権威があるか? と言えば疑問の多い基準だと 多くの道産子は考えている。


パラレル、クリスチャニアなど 曲がり方のテクニックを如何に綺麗に行えるか… 検定の基準は そこにある。


けれども、私の知る 道産子のスキーとは「いかに早く滑り降りるか?」が 巧い下手の目安だったりするわけで、求めるモノは 姿・形では無く どんなフォームであろうとも それなりのスピードで滑り降りる事にある。


たとえば、札幌市内の南西に藻岩山という 標高300数十mの山がある。


この山には ナイター設備も整った それなりのコースを いくつか持った市民スキー場がある。


この市民スキー場には 通称:「うさぎ平」と呼ばれる 最も傾斜のきつい 難度の高いコースがあるのだが、そこに集う子供達は そこを無理矢理腰をクイクイ動かしながらパラレルのフォームに拘って滑り降りるスキーヤーを見ると


「何、カッコつけて滑ってんだ? あれ」


「なまら、邪魔だべや」


そう言って小馬鹿にし、急斜面を降りきったあたりにある コースの中央に一本だけ切らずに残されている 大きな木まで 皆で競争するのが通例だった。


そんなのが 少なくても私の知るスキーの神髄だったのだ。




さて、話を「私をスキーに連れてって」に戻す。


この映画の上映後 スキー人口がアッと言う間に増えた。


特に 若者のスキーヤーが激増した。


同時に、割と地味だったスキーウェアが実にカラフルに ファッショナブルにもなった中で 真っ白のウェアを着る女の子も増えた。


私をスキーに連れてって

それは この映画の原田知世が与えた影響が大だったと言って良い。


しかし、


私をスキーに連れてって


この画を見て判る通り、白は保護色となってしまって 見分けがつき難く、その為に衝突事故が増えた。


また、スキーのテクニック等 二の次で、やたらと道具に拘るアホも増えた。


「板はロシニョールで ビンディングはサロモンで…」


ましてや


「その ロシ(ロシニョール)の板 去年のモデルだよね?」


「そうなんだ… 今年のは金が無くて買えないよ」


なんて会話が普通になり、スキーの板ごときが 流行のブランド品扱いとなり、毎年、買い換えなきゃ…みたいな風潮になる。


何かを始める時、カッコから入るのと 基礎を覚える事から始めるのと 典型的に別れるパターンがある。


どちらもどちらでアリなのだが、スキーの場合は 圧倒的に前者が多い。


だから、滑るよりも 道具やテクニックの専門用語を ふんだんに盛り込んだ会話に夢中になり、スキー場に来ても 滑るより、お喋りに夢中になる輩の方が圧倒的に増えてしまった。


そんな雰囲気が嫌になったのが 私がスキーに行かなくなった理由のひとつで、もうひとつは


私をスキーに連れてって

わざわざ車のタイヤを履き替えて


私をスキーに連れてって

数時間、車を走らせてスキー場へ行く…


そんなスタイルが定着してしまった風潮も嫌だった。^^


だって、札幌の若い社会人達は 会社を定時で退社したら スーツ着たままスキーウエアや靴等が入った大きなリュックを背中に、スキーを肩に担いで市営の路面電車に乗り、「ロープウエイ前」で降りて ロープウエイに乗って藻岩山の頂上に行く。


そこで、革靴をスキー靴に履き替えて スキーを履き、スキー場の底の位置にあるロッジへと その格好で一度滑り降りるのである。


考えてもみて頂きたい。


スーツ姿で滑る… それは 決してお洒落な姿では無い。


でも、それは 簡単には転ばないよ… という高いテクニックの持ち主であるという自信の表れなのである。


つまり、


「俺は 一度も転ばずに 頂上から下まで滑り降りる事が出来るのさ…」と。


私達、藻岩山札幌市民スキー場で過ごした者達には それは、まさに上級者の証であり、もの凄くカッコ良い行為だったのだ。


パンパンと身体(コ-ト)に降り積もった雪をはたき落としながら スーツ姿にスキー靴で ロッジの中の更衣室へと向かい、スキーウエアに着替えるサラリ-マン それが、藻岩山札幌市民スキー場では 夕方6時から7時ぐらいまでは定番の光景で それまでは学生達で占領されていたロッジやゲレンデが そういうスーツ姿が登場すると


「ボウヤ達、これからは大人の時間だから 遠慮しときな」


そんな暗黙の子供と大人の境目にすら思えたものだった。


これは 札幌という環境が そういう環境だったから特別…だとは思う。


けどね、判って頂きたいのは そんな環境で過ごすと スポーツなんだかファッションなんだか判らない関東圏人のスキー感には馴染めない 独特の遊び感覚があるという事だ。


だから、「私をスキーに連れてって」という映画は その遊び感覚を思い出させる映画と受け取る事が出来るのだが、この映画を見て受ける印象というか感慨は 関東圏人とは大きく異なるわけで、共通している部分は


私をスキーに連れてって

私をスキーに連れてって

私をスキーに連れてって


この一連の流れを見ても判るように 原田知世が もの凄く可愛いい。


私をスキーに連れてって


という事だろう^^;


あらためて、今回 この映画を見直して…


私をスキーに連れてって


こんな感じのバブリ-なお姉さん達もいたし…


私をスキーに連れてって

このオフィス光景が 非常に懐かしい。


手前のPCは 8インチフロッピーのマシンじゃん(N5200かな?)


私をスキーに連れてって


課長もヒラも タバコくわえて書類書き… 


ヘビー・スモーカーの私には 古き良き時代だ^^


私をスキーに連れてって

これは 原田姉妹の貴重な共演ショット^^


私をスキーに連れてって私をスキーに連れてって

この背中に背負うライトは 真剣に欲しかったが、あまりにも高価だったんで 手が出なかったなぁ…^^;


やっぱ 私にとって1980年代は いろんな思い出の多い時期なんだな…


この映画を再見して あらためて そう思った。



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 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

大好物の「わたスキ」有難うございます。
もうスキーも10年以上行ってませんねぇ。今の若い層はスキーに行かないそうですし、行ってもスノボみたいですね。あの頃が懐かしいなぁ。
取りあえず、パチッ!

私をスキーに連れてって! ( ・∀・)イイ!

とってもいい!!
原田知世。。。( ・∀・)イイ!

知世ちゃんは、確かオーディションで特別賞に選ばれて、芸能界入りした。確か優勝は渡辺典子だったと思う。
はるかちゃんも特別賞、今は無き藤本綾がグランプリだった境遇と似ている。。。と勝手に思っている。

>何かを始める時、カッコから入るのと 基礎を覚える事から始めるのと 典型的に別れるパターンがある。

実は私は後者のパターンで、安い古い板を乗っていて、たまたま友達がはいていたロシの7Sを試乗して、いきなりうまくなった。。。ように感じた。そこでサロモンのエキップ9000デモを兄貴をうまく騙して買わせたのだった。。。Σ(^∀^;)ってなことを思い出した。

道産子でスキーをうまくないなどと考える人はいない。。。
例えば。。。
ブタネコさんが足にきりたんぽをつけて、松葉杖でこの時期歩いていたとする。
ははーサマージャンプで失敗したんだなーと思うだろう。。。
けっして、はるか姫の新CM見たさにこけそうになり、ネコを避けて骨折したうえ、娘のパンツを見てぴっぱたかれなどとは、想像もつかないことであろう。。。o(^▽^)oゲラゲラゲラゲラ

ようこそ オッサンが遠い目をして 昔を懐かしむブログへ…(ToT)

ホントは 若い娘さん達で キャピキャピするブログになるはず
だったのに… orz


★ mac  さん

>あの頃が懐かしいなぁ。 

まったくです^^;


★ ピエロ 御中

>兄貴をうまく騙して

そんな頃から そういう奴か… φ(`д´)カキカキ

>はるか姫の新CM見たさにこけそうになり、ネコを避けて骨折したうえ、娘のパンツを見てぴっぱたかれなどとは、想像もつかないことであろう。。。

ドンマイ > 俺 orz


私は ヤマハのスキーを頑固に愛用してました。

東京の友人に「板は何つかってるの?」と聞かれ「ヤマハ」と答えたら
「オマエ エレクトーンを足に履いてんのか」
と言われたものだ。

今、思えば スキーなんかしないで ヤマハの音楽教室で
まじめにエレクトーンやってたら「朔と亜紀」を楽に弾けたんだ…
そう思うと 妙に口惜しい。

おっさん3号です。
この映画を観て 毎週のようにカミさんと
苗場に通ってた私には耳の痛い ブタネコさんの考察でした。

過ぎ去りし80’s
昔 「POPEYE」で 70’s特集やってましたね。 是非 80’sもお願いしたいです。

と言うより ブタネコさんのブログで
もう やってるようなもんですね。

★ 虎馬 さん

この映画 1987年封切なんです。

そう、朔と亜紀の年なんですよ^^

それ気づいたら なんだかね…

おっさん4号です((爆))。

私は青森ですが、東京に来て全く同様な事を思っていました(^_^;。

他人「出身が青森?スキー上手いんでしょう?」
ラバ「スキー?小学校で卒業しました( ・_・)」
 「高校の体育の授業でクロスカントリーはやりましたが」
 「バイアスロンならやってみたいですねぇ」
他人「。。。。」

。。と、こういう会話のリピートでした。
(バイアスロンは無理だろ!という突っ込みはナシで)
ちなみに最初使っていたスキーは、いわゆるバネスキーでメーカーは青森スキーと言う地場モノでした。
サスガに一本ストックではありませんよ!(爆)。

1987年 夏

そうでした。
ブタネコさん 私 この年に結婚して
新婚旅行は 当時流行のオーストラリアでした。
コアラを抱き シドニー オペラハウス ゴールドコーストで泳ぎ エアーズロックへのオプションもありましたが 安いのでゴルフ三昧しちゃいました。
・・・行っときゃよかった。

エアーズロックで泣く朔。
思い出すたび後悔で泣く僕。
それを見てあきれるかみさん。

あの頃 苗場で 「ばーん」と やってた面影は もうありません。

★ 虎馬 さん

>・・・行っときゃよかった

御心中をお察し申し上げます^^;

こんな事になるなど その当時、予想なんか
出来ませんからね^^;

>あの頃 苗場で 「ばーん」と やってた面影は もうありません。

再び、御心中をお察し申し上げます^^;

私なんか ばーん どころか ガンガンやられてます 未だに^^;

>私なんか ばーん どころか ガンガンやられてます 未だに^^;

い~じゃないですか。私のトコなんか、す~っと実家に帰って行きました(泣

★ 雄きち さん

ドンマイです^^;

おお~
この映画好きです^^DVDも買いました。
以前記事にした事もあります♪
私も雪国新潟なので関東に行くと「スキー上手くて日本酒好き」な勝手なイメージを味わいました(笑)
これを観て免許取ったら白いセリカを買うぞっなんて思ったもんです…懐かしい。
原田知世はかわいいですよね~いくつになっても変わらないというか。

★ Doc schmid さん

白いセリカ…

ダブルXでしたっけ? いい車だったなぁ…^^:

私はスカイライン派だったけど^^;

お初です。
ワープロですよ、ワープロ
日立のワードパルだったはずです。
この映画、ヴィクトリアの試写会を含めて、本当に何度も見ています。
LDもDVDも何度も観ているダイスキな作品です。

★ 鷹 さん

ああ、そうだ そう言われればワープロかもしれませんね^^;

御指摘ありがとうございました。

コメントは初めまして・・・

1月28日付けの朝日新聞土曜版に
「私をスキーに連れてって」の特集があり、
そういえばブタネコさんの所でも取り上げられてたな~・・と、以前の記事を読ませていただきました。

雪と無縁の場所に生まれ育った私は
若い頃スキーなんて興味もなく、
「なんでわざわざお金を出して寒いところへ行くの?」と、
大学時代、スキーに目覚めた友人達の誘いにも耳を傾けることはありませんでした。
その後、
この映画が話題になっていた87年といえば
すでに私は子育て真っ最中。
バブリーな生活とは縁遠い毎日でした・・・

そんな私は
’95~’98の3年間、連れ合いの転勤に伴って札幌に住むことになりました。
わざわざお金を出さなくても
冬はイヤというほどの雪と向き合う生活になりました。

それこそ藻岩山のふもと、
部屋の窓から
うさぎ平を何人ぐらいの人が滑っているか
見えるぐらいの場所に住んでいたのです。

この環境を見逃す手はありません。
子どもが学校に行っている間、
家からウエアを着込み、スキーを持って
バスに乗り、たったの200円ほどで到着。

スキーレッスンを受け・・いやぁ、楽しかった。
カレシなんていなくても
初心者ゲレンデでボーゲンでも
「ブ・リ・ザードブリザード・・」と
平気で歌ってましたっけ・・

3年間冬は毎週末スキー、
もはやスキーはレジャーではなく生活の一部、という生活の後
また転勤で雪と無縁になりました。
以来、スキーはやってません。

私の80年代の半分は子育てで終わってしまったけれど
遅まきながら90年代の札幌での3年間が
青春の思い出、ですかね。

今回、ブタネコさんの記事を
改めてじっくり読んでみて、
「藻岩山」に触れ、
とても懐かしくうれしい気持ちになり、
こんな時期のずれたコメントになりました。

★ ななこ さん

はじめまして、コメントありがとうございます。

「藻岩山」 懐かしいですか?

昔、私が関東圏に居住していた頃、帰省の折、千歳からJRで札幌に走る車中で新札幌を過ぎたあたりから 進行方向左に藻岩山が見えて それが だんだん近づいて大きくなるに従い

「帰ってきたぞぉ」

と、実感したものです。^^

今後も よろしく御願いします^^

はじめまして。色々な話を興味深く読ませてもらっています。わたしも40を超えたおっさんですが原田知世のファンでした。私をスキーにつれってってのコメント懐かしくよませていただきましたこれからもちょくちょくよせてもらいます

★ 光 さん

はじめまして、コメントありがとうございます。^^

今後も よろしく御愛顧の程を…

はじめまして
私も1984年まで札幌におりまして、お小遣いが少ないので中学へブーツとスキーを担ぎ登校し、その帰り安い藻岩山へ通いました。当時、貧乏だったので藻岩山ジュニアレーシングに入りたかったのを親に言えなかったのが今でも思い出します。
大学時代にこの映画が放映されたようですがスポーツ?生活の一部?であったスキーですので全く関心が無く、放映後も北海道の普通のスキー場が急に混雑した等の記憶はありません。
しかし、1989年に就職して関東に行ったら大違いで夜からこの映画をビデオで見せられ夜な夜な車で移動し、朝から夕方までスキー、そして夜中に帰宅と非常にエネルギッシュな人達に出会い、この映画を改めて凄いとおもいました。
 そんな私も東北でスキー指導者として、週末は山へ出かけております。しかし、年々若者は減り、この映画の時代にスキーに魅せられた人が少しづつ戻ってきておりますが歯止めが利かない状態です。
 そんな時代だからこそもう一度こんな元気になる映画のような物が出ないかと思っております。
「I LOVE SNOW」でもう一度あの感動を・・・と世の中動かないかな~

★ わか さん

コメントありがとうございます。^^

>中学へブーツとスキーを担ぎ登校し、その帰り安い藻岩山へ通いました。

概ね、どの辺の中学かが想像出来ます

(だって、似た様な地域なんですもん^^)

>エネルギッシュな人達に出会い

私も関東圏で過ごしている時(特にサラリーマン時代) 周囲の人達のスキーとゴルフ事情を耳目にして 私の場合は「凄い」ではなく「アホか」と思いました。^^;

>年々若者は減り

そうらしいですね…

子供の頃、冬はスキーかスケートが定番だった者としては 今の子供は何して過ごしてんの?なんて思うばかりです。

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。