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2005年09月14日

● がんばっていきま… 5話~最終話


がんばっていきまっしょい 第5話~最終話までを語ってみる。




● がんばっていきまっしょい 第5話を見た。(2005年8月10日 記)




なんだかなぁ… なにから言えばいいのだろう。


先々週、怒って帰った女子コーチ なんだったんでしょう?


悦子の姉に彼氏がいて… で、親父は なんで優しくなっちゃうのでしょう?


男子部が怒ったまでは理解出来たが その後の心境変化が よく判りません。


ブーの 新海女子への演説は立派だったが、怒ったり褒めたり忙しすぎて ついていけません。


そして、新海女子は やっぱりヒールだったんですねぇ… そのクセ扱い軽いし…


三文スポ根路線かと思いきや、三文青春ラブ路線になりかけてるし…


ボートは どこに向かって漕いでるの?


何を がんばっていきまっしょい?


質問だらけである(ToT)


良かったのは ただ、ひとつ


「小日向文世の説教」だけ。


そこのとこだけ


「良い事言ってる」


そう思った。




● がんばっていきまっしょい 第6話を見た。(2005年8月17日 記)




未だに 中田とブーの見分けがつかない。


一緒に見ていた娘に


私「これ中田?」


娘「これ、ブー」


しばらくして…、


私「これ、ブー?」


娘「これは 中田」


さらに しばらくして 中田とブーが会話している


私「右がブー?」


娘「ブーは 左」


すると ついに娘がキレて


「お父さん さっきから どうして正確に間違えるの? ホントは判って聞いてない?」


と怒鳴る。


娘よ わざとじゃないんだ… 父は 本当に見分けがつかないのだよ。(ToT)


しばらくして 娘が画面を指差し


娘「この女の子は誰?」


私「鈴木杏」


娘「この子は?」


私「相武紗季」


娘「この子は?」


私「岩佐真悠子」


娘「この子は?」


私「佐津川愛美」


すると娘は また吠えた


「なんで



 女の子の名前は




 即答できるの?





何故なんだろう?…(ToT)




● がんばっていきまっしょい 第7話を見た。(2005年8月23日 記)




うん、今日も紗季ちゃんが いっぱい^^


それだけで満足ではあるが… 笑顔のシーンが少なかったのが、とても心残りである。




昨夜から ある事情により、私は すこぶる機嫌が良い。


もうね、ただ ジッとしているだけでも「ムフフ」と笑いが こみ上げるぐらいに機嫌が良い。


そんな私を見越してか


スーッと近づいてきた嫁が


「実は 話さなくちゃイケナイ事があるの…」


と言う。


なんだろう?と聞いてみると


「うちの家庭菜園で作った”絹さや” 昨日、収穫しているところに叔父さんが来たから お土産であげたんだけど… 間違って、ウチの分を残すの忘れて全部あげちゃったの…」


実は 絹さやと油揚げの味噌汁が 私は大好物なのである。


なので、その為に毎年 自作している。


今年は まだ、自作のモノは食べてない。


そう、収穫を楽しみにしていたのだ…


でもね、私は ある事情で すこぶる機嫌が良い。


「しょうがないじゃない」


そう言って笑って許す。


すると、今度は 娘がスーッと近づいてきて


「実は 私も話さなくちゃイケナイ事があるの…」


ん? 何だろう?


「実はね お父さんが大事にしてた原付バイク 車庫に車を入れる時に引っかけちゃって…」


「え?」


「倒しちゃったら ミラ-折れて、タンクも凹んじゃったの、それと ママの車も凹んだの…」


「ママ知ってるの?」


横で嫁が


「私の車は直したんだけど… アナタの原付は…(放置ですか?)」


私は ある事情で すこぶる機嫌が良い… ^^;


「でね、実は…」


と また、嫁から…


そして、娘も「実は 他にも…」


私は ある事情で すこぶる機嫌が良い… (ToT) 


しかし… コイツら(嫁&娘) 懺悔の機会を


ズーッと狙ってやがったなぁ…(ToT)


その為、本日10時以降は 我が家の居間は懺悔の部屋と化したので


「がんばっていきまっしょい第7話」は 感想を書けるほど見てません^^;


以上で失礼します。^^;




● がんばっていきまっしょい 第8話を見た。(2005年8月31日 記)




この番組、私の中では 既に 相武紗季PV(プライベートビデオ)と位置づけられて久しい。


で、実は 数日前 今まで買ったまま封印して読まずにおいた 原作を とうとう読んだ。


いやぁ… 腰が抜けたね^^


もう、ビックリしました その内容に。


原作「がんばっていきまっしょい」は そのタイトルにもなった「がんばっていきまっしょい」と その続編となる「イージー・オール」というタイトルの 二つの短編で構成されていた。


かつて私が感動し 素晴らしい作品と思っている映画「がんばっていきまっしょい」は 原作における前半部だけで「イージー・オール」の部分は入っていない。


結論から言うと この原作、読まなきゃ良かった^^;


まず、映画を見て「良かった…」と思った作品が TV、そして原作と見て どんどん崩壊していく… こういうパターンへの変化は 実に珍しく、かつ 寂しい。


でね、今夜のTV版を見ていて あらためて思ったのは TV版は いったい「がんばっていきまっしょい」という物語を どの様な作品と受け止めて どのように表現したかったのだろう? という事である。


このTV版は 当初の降板事件があり、その影響で 途中、1話分が前半部の総集編の様な「特別艇」とされ 当初の予定より1話分が縮められ それが原因で面白くなくなった…とか、話の収拾が…とか 非難の意見や弁護の意見も集中した。


けどね、あらためて原作読んで そして、今までの物語の展開を思うと、1話分が縮められた事なんか そんな大問題じゃ無いよ これ。


たまたま、役者が変更になった「中田三郎」という役が 物語の展開上で どのように重要だったのかは 原作を読んで 私なりに理解出来たが、今夜の第8話のような展開になるのなら そもそも必要なんて無いんじゃないの?


どうせなら、原作通り… ~という展開にしてくれれば 話の良し悪しはともかく、


「あぁ… なるほどね」


と、苦笑しながら 頷いてあげられたと思う。


けどね、落ち着いて考えてみると そんな役の設定に あの「ジャニーズ」が許可するとは思えない。
(というか、シャレにならない^^;)


なので、やはり降板騒動以前で キャスティング・ミスだった…と言わざる得ないし、全体の物語の設定も 降板騒動以前の時点で 全く、おかしい。


話の隅々の 断片部分には たしかにジーンときたり、せつなくされたり いいシーンはあったと思う。


けれども、全体を通して眺めた時 ひとつの作品として良し悪しを考える時に 仮に悪しだったとして その原因を「降板騒動」に帰結するのは間違いだと 今の時点で 私は申し上げておきたいと思うのだ。


【注】上記 私の考えには某局のアナウンサ-を庇護・弁護する考えは無い。 と、同時に 彼女に対して批判する気も無い…という事も ここで断っておきたい。


もし、降板騒動が無かったとして では、その時、TV版「がんばっていきまっしょい」が素晴らしいドラマに成り得たのか? それに対して 私は”否”と言いたいのだ。


「雨鱒の川」を撮った監督である「磯村一路」が 何故、映画版「がんばっていきまっしょい」を ある意味、中途半端とも思えるエンディングにしたのか?… その理由も 原作を読んで よく判った様な気がする。


当初から「イージー・オール」までをも全体のストーリーとして制作しようとしていたのは間違い無いTV版であるならば 今夜の回で いきなり物語に登場した年上の女に フラレたんだか、想い続けるんだか どっちでもいいけど、そんな「中田三郎」という設定だったとしたら そんなもん初めからいらなかったじゃん…と言っておく。


いやぁ… ホント、原作を読んで 腰が抜けたよ^^;




● がんばっていきまっしょい 第9話を見た。(2005年9月7日 記)




先週、原作を読んで TV版と映画版を完全に区分ける事が出来たせいか、純粋にTV版として見る事が出来、そこそこ面白いと感じた。


しかし、その結果 やはり、このTV版は いろんな意味で頂けなかったな…とも思った。


本来であれば 先週の時点で感想を書き続けるのは止めようと思ったのだが、この1週間、いろいろと考えているうちに 今までTV版に対して述べた話の一部を訂正しなくてはいけない必要性を感じ、今夜の放送を見ていて それが私としては 個人的に確信に変わったので書き記す事にする。


この物語を TV化しようとした事は 全然、間違いでは無かったと思う。


しかし、ストーリー全体のプロットや キャラ設定、そしてキャスティング あくまでも個人的意見だが、やはり 全てにおいて間違いが多すぎたと思う。


悦子の設定は 私、個人としては賛同しないが このTV版の様な設定もアリだとは思う。


しかし、鈴木杏をキャスティングした事と その演技には 率直に言って辟易した。


彼女は決して下手な女優では無い。


それは 今までに いくつかの作品の彼女を見て知っている。


では、今回 何故、辟易するのか?


それは 思うに演出が下手くそだったから…と断言したい。


例えば、回が変わる毎に 違う演出家が担当するのは 近頃のTVドラマでは常套手段となっているが、このTV版「がんばっていきまっしょい」の場合 回によって悦子の精神状態の 躁鬱とでも言うべき感情の波が激しすぎる。


たとえば、悦子が恋に悩む話の回は ひたすら鬱路線になり、悦子が元気にはしゃぐ話の回では 躁状態が激しすぎる。


だから、ずっと見続けてきて 悦子に残る印象は 感情の起伏の激しい子…という印象となる。


それは ある意味「熱い少女」を表現しようとする時の 一歩間違った姿…とも言えるわけで、そういう設定の女の子のキャスティングとして 鈴木杏がハマったのか?と考えた時、残念ながら 否 と言わざるを得ない。


これは 鈴木杏のせいでは無い。


ドラマ制作者の、おそらくはキャスティングの担当者の問題である。


リーやダッコ、ヒメのキャスティングは 大変失礼な言い方だが、その年代の女の子なら 誰がやっても 似たり寄ったりだったと思う。


個人的には「相武紗季」が見れたのが とても嬉しかったけど、だからと言って これが彼女の代表作として胸を張れる作品か?と言えば それは無理だろう。


また、関めぐみを起用して 新たに設けたヒール的役柄の設定も その設定自体の挿入意義が見出せず、実に中途半端であった。


この事については 後で述べるが 降板騒動のあおりによる…という解釈もあり得るが、中田三郎の事も含めて 私は そういう問題じゃ無いと思う。


また、悦子の父親等家族の設定は 父親以外に目立った粗は無かった。


父親に関しては 物語の前半と後半で 全く違う人物設定ですか?と聞きたくなる 統一性の欠如で、それについては 異論も多いと思うけど 今夜の父親みたいなノリが根本だったとするなら 私としては理解出来なくないけど、だとすれば 物語の冒頭の頃の親父の設定はなんだったのか?と 問い詰めたい。


でね、前回の記事や 映画版での記事で述べた事と重複するが、降板騒動により 物語が破綻したとは 私には思えない。


今夜の 腰を痛めた悦子…というエピソードは もっと、時間をあてて 物語っても良かったと思う。


そう感じたからこそ やはり、先週の 中田三郎の恋愛物語は どうでもいい話だったとしか思えず、その辺と関連していたっぽい ヒール役の関めぐみが演じたキャラ…という設定じたいも必要性を感じず、これが たとえば降板問題が生じずに どんな内容だったのかは 想像するしか無いが、最初の設定通りに 物語が進んでいたら… 私には評価が下がる事はあっても 上がる事は無いと思えて仕方が無い。


むしろ、大変申し訳無い言い方だが、降板騒動のお陰で ドラマへの不満を全て


「降板騒動があったから仕方が無い」


と、責任転嫁出来て良かったね…と 言いたい気分なのである。


いずれにせよ、ここまで見続けたから 最終回も見ようと思うが…




● がんばっていきまっしょい 最終話を見た。




基本的に このTV版に対して申し上げたい事は 今までに しつこいぐらい申し上げたので、同じ事を繰り返すのは野暮というモノ^^


なので、ある ひねくれたオッサンの 今夜の『最終回の受け止め方』についてのみ 言及したい。


順を追うと、


先週のラスト、父親の運転する車に乗って 琵琶湖まで応援に行こうとする悦子…


これは良い。


けどね、道を間違える…って どういう事?


その上で、予選の日を間違える…となれば もう、何も言う気力が起きない。


最後の最後で ドタバタ喜劇を狙ったのか?


脚本・演出について 散々、苦言を申し上げてきた意味を 思い出して頂きたい。


このTV版では 何をコンセプトにしていたのだろう?


悦子の頑張り?


高校生という時代の少女達の青春?


シリアス? or コメディ?


結局、良いとこ取りをしたかった風にしか思えない。


たとえば、


「東京に旅立つ娘を見送る父」


このシーンだけを見れば 大杉漣は 持ち前の良い味を出している。


でもね、全体を通して描かれた父親像は 回毎にバラバラなのである。


これが キッチリとキャラが徹底して繋がっていれば ボロボロに泣けたシーンになったであろうけど、一部分として 局所的に見ないと泣けない残念なシーンになってしまった。


そのバラバラ度の最たるシーンは 


「ボートに声援を送りながら 悦子が湖岸を走るシーン」


である。


実は 私、昨年の春に ギックリ腰を患った経験者である。


学生時代は 腰、肩、肘の痛みに悩まされ続けてきた経緯もある。


そんな中、ギックリ腰だけは 簡単に歩いたり走ったり出来るものでは無い…という事を強調しておきたい。


特に、何度も再発させて慢性化してるなら まだ、なんとかなる。


でも、生まれて初めて…という 1回目は とりわけ、他人の身体になってしまったぐらいの違和感が生じ、有る程度 元通りに戻るには かなりの時間が必要である。


だから、本当の本音を言えば ギックリ腰が生じて以降の 悦子の所作は 全然、説得力に欠けたものと感じて仕方が無かった。


これは 鈴木杏の責任では無い。


プロットを決めた者達が 御都合で決めた話だからである。


思うに、湖岸をあれだけ走れるほど回復(無理が利く)しているのであるならば 今まで描かれた悦子というキャラであれば 再起不能と引き替えてでも試合に出場するんじゃないか?


歩くのもやっと… みたいな感じだから 泣く泣く、諦めざるを得なかった…んじゃないのか?


湖岸を走ってエールを送る姿は 感動を呼ぶシーンに見えるかもしれないが、以上の様な理由により、逆に醒めてしまって


「そこまで お涙頂戴をしたいのか?」


と、制作者達の甘さと 小賢しさに 激しく嫌悪を抱く。


だから、今まで このブログ内で 時には苦言を呈してしまった鈴木杏に対しては よく頑張ったね 御苦労さん…と いろんな意味で労ってあげたいと感じた次第だ。




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コメント

ふふ。ブタネコさんらしい見方でございます。

そうですね、私もですが、世の中には悦子のように、
自分の好きな事を断念せざるを得なかった人はたくさんいるはずで、
演出、脚本のやりようによっては涙ボロボロ、という事も出来たはずですね。

腰を痛めた悦子の疾走も、製作者側のドラマに対する
「誠意っていうのは、そういうとこに表れる」
事を示した一例かもしれませんね。

まあ、とは言いながらも鈴木杏の悦ネエもようやく彼女なりの悦ネエとしてそれなりにはまってきたし、
最初の頃に比べれば最後の方はそれなりに良かった気がしますよ。

こんにちは。悦ネェが走るシーンは、腰の痛みを押して、それでも走っているんだと思ってました。確かに走れる状況じゃなかったですよね。

ウ~ン、厳しいですね。

単純に感動してましたが、言われてみれば
設定上の無理やキャラの描き方等
?!がもっとあったんでしょうね。
ボートを中心にとはいえ
ストーリーはどうも恋愛もんだったような・・・。

セカチュウをテレビ版でやったとき
私は一回もまともにみませんでした。
それは単純に山田孝之と緒形直人の
朔太郎に対してどうしても生理的にうけつけなかった
というだけの理由なんですが。
「助けてください」の一言でさえ、解釈も表現もちがってたし。

原作、映画、ドラマ。
媒体が違い、脚本や俳優がかわると
何を先に見たか、どれに感動したかで
残りに対して拒否反応を示してしまうこと
ないですか?映画も原作も見てないのですが
あくまで好みなんですけど
これはちょっと・・ってことがあるんですけど。

★ うごるあ さん

>最初の頃に比べれば最後の方はそれなりに良かった気がしますよ。

うん、それは同感ですね。

だから、とても残念感が 私は強い^^;


★ いわぴい さん

ま、偏屈親父の言ということで ひとつ…^^;


★ Ageha さん

>それは単純に山田孝之と緒形直人の
>朔太郎に対してどうしても生理的にうけつけなかった
>というだけの理由なんですが。
>「助けてください」の一言でさえ、解釈も表現もちがってたし。

たとえば、ですが…

どんな素敵な話でも 大嫌いな役者が演じてると
拒絶してしまう事が私には よくあります^^;

ですから、仮に 山田、緒形、森山、大沢… そんな中に、
もし、ひとり そういう役者が混じってしまうと それで評価が
大きく変わってしまう事も 下手すれば大いにあり得たと思います。^^;

なので、御指摘に対して抗う事が出来ません^^;

ただ、弁明をすれば 今回の「がんばって…」は 鈴木杏のキャスティングには
文句を述べ、それは今でも変わりませんが、鈴木杏じたいは 好きな部類の
女優さんです。

ですから、そういう 役者の好き嫌いで述べたつもりはありません。^^;

また、

>何を先に見たか、どれに感動したかで
>残りに対して拒否反応を示してしまうこと
>ないですか?

に関しましては 大いにあり得ると思います。

先に いずれかに感動してしまうと 後のモノで
その感動を壊されたくない…という様な心理は
多くの方々に見受けられるモノと思います。

ですから、~という作品は映画でヒットした作品… なのでTV化しよう…
そういう風潮が強いドラマ制作には辟易する事が多いです^^;

>Agehaさん へ

ブタネコさんの援護射撃じゃないですが
ブタネコさんレスの
>ですから、~という作品は映画でヒットした作品… なのでTV化しよう…
そういう風潮が強いドラマ制作には辟易する事が多いです^^;

というのは私も大きく同意です。
で、それを踏まえた上で、ブタネコさんもそうですがセカチューの場合、小説、映画が先だったのにもかかわらずTV版にはまってしまったという人はたくさんいます。

で、何が言いたいかというと、Agehaさん仰るところの

>何を先に見たか、どれに感動したかで
残りに対して拒否反応を示してしまうこと
ないですか?

というのはやはり普通はそうなんだけど
TV版セカチューの様に本当に素晴しいものは、そんな事を吹き飛ばしてしまうということ。
TV版がんばっていきまっしょいは残念ながら吹き飛ばすほどの作品にはならなかった、という事です。
少なくとも私は、そして恐らくはブタネコさんもそのはずです。

☆ うごるあ さん

そのはず… その通りです^^;

ついでに言えば 私なりに「完全な別物」と踏まえて
見続けたつもりですが、TV版は部分的には泣けても 
全編通しては「良い作品」とは感じられなかった…
という つもりで述べました^^;

とうとう終わってしまいました。映画との比較で、「良い作品」とは感じられなかったというブタネコさんの感想もわかるような気がします。

演出が3人いて週替わりだったという御指摘は、さすがだと思いました。確かに回によってばらつきがあったように思います。そういえば、「優しい時間」もそうでしたね。これは演出家育成のためなんでしょうか。

残念ながら、今クール最高、とか、後々まで語り継がれる、とかいうレベルの作品にならなかったとは思いますが、「少女たちのボートにかけた青春の物語」として、オカダはそれなりに満足しています。

「ですから、~という作品は映画でヒットした作品… なのでTV化しよう…
そういう風潮が強いドラマ制作には辟易する事が多いです^^;」

そうです、そうです。これもあった。
セカチュウ以降増えたでしょ。
テレビ局がスポンサーにつくからこんなことになる・・・。
もしかしたら「NANA」も・・ってのはやめてほしいけど。

でも「今会い」は見ないくせに「電車男」は見てる。
これも今会いは2時間のストーリーとして納得してしまって満足したから。
でも「電車男」は逆に
映画として十分楽しめたけれど、
そんなにネット住人が少ないわけないとか
いい人ばかりじゃないとか
話がうますぎるとか
納得のいかない部分をテレビ版が解決してくれないかなという期待があったので。

見てない部分をちゃんと見てから発言しましょうということで、
ホントに失礼しました・・・。
山田孝之も緒形直人も決してキライな俳優さんでないことも
弁解ですが付け加えときます。

★ オカダ さん

お疲れさまでした^^

そうですか、船のシーンを御覧になったんですか…

いいなぁ、サキちゃんが 見てみたいなぁ…^^

>「優しい時間」

たしかに、そうでしたね^^;

>「少女たちのボートにかけた青春の物語」

すいません、私は そこまで優しく見てあげる事が出来なかった… orz


★ Ageha さん

>セカチュウ以降増えたでしょ。

実際、TV番も ~という作品は映画でヒットした作品… なのでTV化しよう…

下手すれば石○君も そのクチなんじゃないかと思う事がありますです、

>ホントに失礼しました・・・

え? 謝られるような事は 何も無いですよ^^;


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