● 悪霊島(鹿賀版)
今回は「悪霊島」に触れてみたいと思います。

「鵺(ぬえ:伝説上の怪鳥)の鳴く夜は気をつけろ…」
それが この映画のキャッチでした。^^;
この作品の原作は 横溝正史氏の最後の書き下ろしとなった長編です。
この作品は 一連の
「東宝-市川崑-金田一:石坂浩二」ではなく
「東映-篠田正浩-金田一:鹿賀丈史」というスタイルで1981年に制作・封切りされた。

個人的には「鹿賀丈史」の金田一耕助も けっして悪くないと思ったが、いかんせん篠田正浩の様な監督に任せた事が 原作の面白さをすっかり損なわせ、金田一耕助というキャラクタ-も生かし切れていない。
これは 日本映画の典型的な醜悪なパターンと言って良い。
篠田正浩と言えば 東映の、というよりも日本映画の世界では巨匠と呼ばれる一人なのかもしれない。
けどね、巨匠の仕事だから 全てが素晴らしい… そう安易に決めてしまう風潮に 私は辟易する。
たしかに、篠田作品には 素晴らしい作品もある。
だからこそ、巨匠と呼ばれるのは 私も理解するし認める。
でも、
「監督独自の視点・解釈で映画独自にオリジナリティを持たせる」とか、
「作品の素晴らしさを認められないのは観客側の素養の乏しさが原因」とか
映画自体 中途半端なストーリーにしておきながら
「観た人に考えて貰うための手法」
等と 姑息な提灯記事しか書かない 試写会で無料で映画を見せて貰ってる ハイエナの様な映画評論家達のおかげで日本映画が堕落した…と 私は言いたいのである。

さて、この映画は そんな巨匠:篠田の手法として ヒッピー(死語ですね^^;)青年役(古尾谷雅人)の視点で その物語の大半が描かれ、部分的に第三者視点で描かれる。
だから、冒頭とラストに ヒッピー達のテーマソングのひとつとも言える ビートルズの「Let It Be」が流れる。
「Let It Be」が名曲である事は認めるが、何故、横溝作品とビートルズなのか? それは観賞後20数年経った今日でさえ 私には判らない。^^;
推理物の様でありながら 犯人や動機や背景やトリックに関して 薄っぺらな表現ばかりで どちらかと言うと 登場する人物達の人間像を一生懸命に描こうとしている様な気もするが、ハッキリ言って 描き切れていない。
だから、いったいどんな映画にしたかったのか? 横溝作品の大ファンを自認する私としては 篠田を正座させて問い詰めたい。
ゆえに、この映画での 私にとっての魅力は



といった 瀬戸内大好き人間の私としては 嬉しくなる景色が見れた事。
それだけである。
で、恒例のクイズ(?)

この ミニスカートが似合う 可愛いい女の子は誰?
ヒントは…

正解は


根岸季衣です。^^;


