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2005年09月01日

● がんばっていきまっしょい 後編


この記事は『がんばっていきまっしょい 中編』の続編です。




尚、この記事には映画版「がんばっていきまっしょい」と 原作の内容に関するネタバレが含まれますので 読み進める場合は その旨を御了承願います。


腰痛で戦列を離れた悦子を欠いて参加した大会だったが…


がんばっていきまっしょい

簡単に勝たせて貰えるほど甘くは無い。


そんな時、悦子は 偶然、

がんばっていきまっしょい

道後温泉でコーチと行き会う。

がんばっていきまっしょい

かき氷を食べたり バッティングセンターで話しているうちに

がんばっていきまっしょい

悦子「私、ボートが無かったら、何も無いんです…」

がんばっていきまっしょい

再び、練習に臨む悦子を その姿から何かが変わったコーチ自身も 

がんばっていきまっしょい

腰痛を克服する指導を悦子に行い、ボートの練習にも 本格的な指導を与えていく。


そして、迎えた大会で

がんばっていきまっしょい

がんばっていきまっしょい

がんばっていきまっしょい

がんばっていきまっしょい

必死に頑張る選手達、

がんばっていきまっしょい

声援を送るブーと

がんばっていきまっしょい

声援を送るコーチ。


初めて予選に勝つ事が出来、全国大会への希望が出る。


がんばっていきまっしょい


その喜びを伝えようと電話をする悦子だが、

がんばっていきまっしょい

そっけない父。


翌日、全国大会の出場をかけた一戦に臨むが…

がんばっていきまっしょい

漕いでいる途中で 悦子の体調が崩れてしまい、漕げなくなってしまう。

がんばっていきまっしょい

ブーの声援の声に 我を取り戻したかの如く漕ぎ始める悦子だったが…


がんばっていきまっしょい

がんばっていきまっしょい

がんばっていきまっしょい

がんばっていきまっしょい

がんばっていきまっしょい

結果は惜敗。


この決勝のシーンの ボートを漕ぐ女の子達と BGMで流れる音楽が非常にマッチしていて とても良い。


大事な本番の最中の選手の真剣さと、青春と、スポーツの切なさみたいな感じが漂い とても言葉では表せないぐらいに情感が溢れた映像となっている。


冬を目前に艇庫の整理を行い

がんばっていきまっしょい

暮れていく海を眺める悦子に

がんばっていきまっしょい

ブーが保育園の時に ジャングルジムから突き落とした事を懺悔し、「その意地の張り方 好きじゃ」と告白とも取れる台詞を言って去る。


がんばっていきまっしょい

独り残った悦子は 自分を勇気づけるように

「悦子 ファイト!」

と声を出す…。




さて、私が 何故、この映画「がんばっていきまっしょい」を秀逸な作品と感じているのか…


その最大の理由は 最後の場面で悦子達が勝たなかったから…なのである。


とかく、スポーツ物の物語は ラストを劇的に勝利して終わる。


それは ある意味、ドラマとして そうあるべきなのかもしれない…とは思うが、その為に 信じられないぐらいのハードトレーニングを積み重ねたり、とてつもない素質を持ったスーパーマンの様なメンバーに恵まれたり、悪役とも言える適役(ヒール)の存在があったり… 劇的なラストを盛り上げ、説得力を持たせるために「なんだそりゃ?」とも思えるシーンが連発する作品が殆どである。


でもね、体育会系人間としては そういうラストは夢であり、理想ではあるけど 劇的であればある程、それはフィクションになってしまい「あぁ 良い話だったね」程度にしか受けとめられないぐらい現実感が失われる。


どんな競技の選手も 優勝者以外は敗者なのである。


選手の殆どが負ける… そこが、実は重要なのである。


敗戦の反省の中に「今度こそ…」と闘志を燃やしつつ「頑張るぞぉ…」と思うのが現実なのである。


だから、タイトルの「がんばっていきまっしょい」という言葉を思う時、


「あと、もうちょっとで…」


という惜敗の状態が 最もリアルになるのだ。


この映画に登場する5人の女の子は 基本的に元々がスポーツ少女だったわけでは無い。


高校に入って 初めて体育会系の部活であるボートに触れ、そこからスタートしているわけだから筋力も体力も 簡単に勝てるような状況で無いのが当たり前、でも、そんな女の子達でも1年、2年と頑張ると 予選で勝てるようになる。


どんな子でも頑張れば ある程度は勝てるようになる… でも、決勝で勝てるようになるか…と言えば そうそう簡単にいかないのがスポーツなのである。


劇的に勝利で終われれば それは最高の結果と言えるが、そういうエンディングじゃないところに この映画の物語の真の渋さが光る。


偏った考え方と思われるかもしれないが、スポーツの試合を見る時、私は勝者よりも敗者に目がいってしまう。


仮に、日頃から応援してる選手達であれば尚の事、「今度こそ…」という闘志を失っていない限り「よくやった」と声援を贈る。


負けて ヘラヘラ笑ってるようなら そんな者を二度と応援したりなどしない。


負けても、泣きわめいたり、審判の判定や、天気の悪さや、コンディションの悪さなど 敗因を他に求めるようであれば そんなアホを応援してしまった情けなさで一杯になる。


悔し涙にくれながらも 目の光りは失わず、


「この次が もしあるならば その時は負けません」


というような 潔いコメントを述べる敗者にこそ 私は声援を送りたくなるからだ。


この映画の5人の少女、特に悦子は まさに、観ているこちらも「がんばっていきまっしょい」という気持ちにさせてくれる子であり、物語だと感じるのである。




さて… この映画を見た時に 私は この物語の原作を読んでいない。


純粋に映画だけを観て 上述したように感動し、感銘を受け、私が過去に観た映画の中でも屈指の名作であると位置づけている。


そんな映画の原作だから さぞ、名作なんだろうと…期待して入手を試みたのだが、何故か入手できず 上映から数年過ぎて つい最近、TV化に際して再販された物を入手できたわけだ。


で、ここでお断り申し上げておくが これから以下に述べる事は あくまでも私(ブタネコ)の個人的な感想であり、映画と原作とTVは それぞれ別の物…というのが 私の本来の考え方であるのだが、どうしても比較論的内容に受け止められてしまいかねない記述が混じる事を お許し頂きたいと思う。


まず、映画を観て 上述した感を抱いた私だったから TV化に際して ドタバタの学園コメディにされてしまうのを 最も怖れた。


かと言って スポ根物とか、ラブロマンス物…という風に染められてしまうのも怖れた。


純粋に「悦子」という 平凡だが どこか屈折した女の子が 高校生活の殆どをボートにかけて過ごす青春物語というのが理想で そこに劇的な勝利や幸運など ありがちなベタなストーリーを持ち込んで欲しくない…と思っていたわけだが、TVの1話、2話と見ていくと TV版の悦子は熱すぎて馴染めない。


タイトルである「がんばっていきまっしょい」という女の子なんだな…とは理解出来つつも、私に言わせれば 悦子だけが一人で勝手に「頑張ってるだけ」周囲の者や 特に、見てる者を頑張ろう…という気持ちにさせにくい、むしろ 引いてしまうキャラに映ったのである。


だから、そう感じた時点で 私の中では TVと映画は完全に別物の作品と 気持ち良く割り切れた存在となり、そう言う意味で TVの物語に関しては 部分的には とても良いシーンはあるけれど 全編を通じて感動できる素晴らしい作品か? と、問われれば、
全くもって「否」と応える作品となってしまった。

(だって、TV版を見て”俺も頑張ろう…”なんて 未だに一度も思えて無いからね)

ただ、そう言う風にTV版が見えてしまったのは もしかしたらキャストの一人の降板問題が影響を及ぼしたからかな…と 情状酌量を与えていたから 今まで見続けていたとも言える。

(実際、最終回のラストまで見ないと結論は言えないしね)


で、数日前に とうとう原作を読んだのだが…。


これまでの記事ではネタバレを防ぐために あえて記述しなかったが、原作を読んで 最も腰が抜けた理由は 中田三郎がホモで ブーに恋するキャラだったからである。


同性愛者に偏見を持っているのか?と お叱りになる方もおられるかとは思うが、あえて申し上げるけど 私は同性愛に対して 温かな理解を与える事が出来ない考えの持ち主である。

批判したり差別したりはしないけど、頼むから近寄らないでくれと懇願する。


だからね、期待して読んだ原作に そんな登場人物が出てきた時点で もう、ガッカリなのである。


原作の前半「がんばっていきまっしょい」の部分には その中田三郎は登場しない。


中田三郎が ほとんど主要な人物として登場するのは 後半の「イージー・オール」の部分である。


磯村一路が 何故、映画の物語を 原作の前半部分だけに多くを留めたのか? その理由について 私が勝手に想像したのは 中田三郎というキャラの必要性であると思う。


そして、そこを映画に持ち込まなかったのは極めて正解だったと思う。


それに対して TV版は その中田三郎役の役者が降板騒動になってしまったのが いろんな意味で運命のいたずらなのかもしれないが… 原作の「イージー・オール」の部分を多く取り入れた物語構成にしていたのだとしたら 中田役はキーであり、さぞ 頭の痛い問題であったろう。


でもね、今週放送した第8話では 中田君は同性愛者では無く、原作にも登場しない 訳の判らない年上の女性を憧れる… そんな少年の設定となっていた。


だから、あえて私は言いたい。


せっかく登場の必要性を拘った中田三郎キャラなのに 何故、ブーに対し恋焦がれる同性愛者というキャラにしなかったの?と。


当初から、完全に作り替えてしまう予定だったとしたら 降板騒動で代役を立てる程、拘る必要のあるキャラだったのか?


極論だが、親の都合で転校でも 事故で死亡でも、別に消そうと思えば消したって構わない役であり、


「いやTV版は原作に忠実に 同性愛者のテンマ・カケル(中田三郎の原作内での愛称)君の存在が必要だったんです」


と言われれば 成る程ね…と納得も出来るのに、第8話のストーリーみたいな設定なら 別に中田三郎に拘らなくてもいいじゃん。


そう思うとね、降板騒動の影響なんて そもそも無かった…とも考えられる様な気がしてならないのです。


つまり、当初の企画段階でのプロットで 物語は破綻していたんだ…と。




実はね、映画版を「秀逸な作品」と位置づけていながらも 細かい部分に関して 正直に言えば疑問を抱いていた。


たとえば、冒頭に出てくる廃屋と化したボートハウスに 3人の男が訪れて 解体するとか相談するシーンがあるのだが あのシーンは いったい何の為に挿入されたのか?という疑問。


おそらく、物語のあった30年近く前から それだけの時間が経過してるんだよ現代は…という意味を観客に悟らせる為なんだろう…と推察するが、だとすれば もっと違う手法でも良かったんじゃないか?なんてね。


それと、コーチの存在やキャラにも もう少し肉付けがあっても良かったんじゃないか?…とか そういった疑問はあったけど、ほとんど 取るに足らない事であり、原作を読めば補って貰える…と期待してもいた。


しかし、原作では補って貰えなかった。


それも、腰が抜けた理由である。^^;


原作の物語は 諸手を挙げて「素晴らしい」と讃える作品には感じなかったが、面白い作品であった事には間違い無い。


でも、私が映画版から受けた感動や感銘は 原作には残念ながら無かった。


なので、原作と映画も 完全に別物と割り切る考えに至った次第である。


そもそも、TV化に際して 私が個人的に過度の期待をし過ぎてしまった事の反動が そのまま私自身に返ってきただけの事であり、原作者やドラマ制作者を 必要以上に批判する気も無い。


ただ、いろんな意味で期待外れだった…と自覚し、記事でお騒がせした このブログを読みに来て下さった方々に深くお詫びを申し上げると同時に あらためて映画版の素晴らしさを再認識した次第である。

お駄賃

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コメント

>その最大の理由は 最後の場面で悦子達が勝たなかったから…なのである。

完全に激しく同意です。

ブタネコさんが憧れを持った海、それはやはりこの映画の海が日本海でもなく、オホーツク海でもなく、ましてや東京湾なんぞでもなく、瀬戸内海だったからですか?

★ うごるあ さん

そうですね、瀬戸内だから…ってのは 大きい理由ですね。

瀬戸内の風景が ホント大好きなんです。

ああ、やはりそうでしたか。

何なんでしょうね、あの瀬戸内海の魅力って。
日本海にしても太平洋にしてもオホーツク海にしても
必ず他国との間にある海であるのに対して
瀬戸内海だけ日本の中にある海だからなのかな?
この映画も外国では不可能な、日本でしか表現できない雰囲気を持っている映画ですよね。
私は必要以上に日本という事にこだわる評論とかは嫌いなんですが(スイマセン、ヒネクレ者で)
でもこの映画は素直に「ああ、日本でしかできない映画だな」と思います。

瀬戸内の風景が好きって事は、ひょっとして大林監督のいわゆる尾道三部作も好きだったりします?

★ うごるあ さん

>ひょっとして大林監督のいわゆる尾道三部作も好きだったりします?

あれ? 知りませんでした? 大好きです。

最近の大林宣彦の作品には失望感が大きいけど 初期の頃の
瀬戸内を舞台にした作品は大好きな物が多いんです。

>私は必要以上に日本という事にこだわる評論とかは嫌いなんですが

同感です^^ しかし、日本の事を知ろうとせずに(知りもせずに) 
外国にばかりに目を向けたがる評論は もっと、嫌いです。^^;

個人感なんですけど、瀬戸内界隈を旅していると 上手く言えませんが
古き良き日本を感じられる事が多いんです。

たとえば この映画で悦子が着ている制服、藩校の名残を感じる
学校の漆喰の壁とか… 地元の人は嫌がるのかもしれないけど、
歴史の浅い北海道みたいなとこで育った私には 見るモノすべてが
けっして古くなく新鮮に映ります。

【※注意!!】

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