● takuさんへの返信(普通編)
「やらないで失敗しないより やって失敗したほうがいいと思う・・・」
10代で同じ年の場合 精神年齢は圧倒的に女子が上になりますね^^
特に男子は 思っている事が うまく言葉にして伝えられない事が多く
それができない自分にジレてしまうことがあります^^
そんな時 それはこういう事なんじゃないの? と 例え話だったり
1冊の本だったり 1篇の詩だったり・・・に置き換えて
自分の考えを理解してくれる女子がいたら・・・
忘れられない人になっちゃうんだな これが!^^;;
多分 コレを読んでいる 35歳以上の方なら
今までに一人二人いるはずですw
その辺の 森下脚本のノスタルジックな部分をかきたてるうまさが
このドラマのファンの年齢層が高いことに寄与している
原因のひとつだと思われます^^
(その辺 どう? 10代の頃の同級生を奥様に持つ 北の御方様は・・・?(爆)
ちなみに・・・これは正式なネタ振りですw 1本これで書いてね♪).
と、神ブロガ-taku氏より 与えられた課題に対する 返答その2
「とりあえず、ブタネコ的には普通の内容 編」
です。^^;
このブログを始めて間もない頃に
『ある野球部の話』
という記事を書いた。
そこで述べた通り、私は これでも一応、中学・高校と野球部に在籍していた。
上の記事でも書いた様に 私の通っていた中学の野球部は 御世辞にも強豪校では無かったが、何故か私が3年の夏の大会では「え~?」と学校関係者が驚くぐらい間違って勝ち進んだ。
市大会半ばで敗れて 道大会には進めなかったけど、市大会で接戦で我々が負けた相手が その後、簡単に勝ち進んで道大会で優勝した事もあって スカウトしに見に来ていた高校の野球部の関係者の目に ウチの中学のメンバ-の多くがとまった。
私には 悲しい事にスカウトのお呼びは掛からなかったが、レギュラ-だった3年生7人の内 私以外の6人は 表向きは”無い”と言われていた特待生制度により 強豪と言われていた私立の高校に中3の秋の9月の時点で 無試験合格の内定を受け、10月には 放課後に その高校の練習に参加するため通うようになっていた。
正直言って、1人だけ お呼びが掛からなかったのは 私にとって内心、もの凄くショックだった。
けど、これも正直に言うが 私自身、中学レベルならともかく 高校で それも真剣に甲子園を目指すようなレベルの野球には技量的について行ける自信は無かったし、気力も無かった。
自尊心的に言えば 私は、他の野球部員より成績が良かったから、私学で野球という進路より 公立で それなりの大学進学を目指したかった…という気持ちもあり、ショックではあったけど 尾を引く問題でも無かった。
その後、一応 目標だった高校に入り そこの野球部のレベルが私でもついて行けそうなレベルだったのと やはり、野球が好きだった事もあって 高校でも野球部に入ったのだが…
その程度のレベルだと 何十人も部員がいる強豪と違って 1年生を含めた部員全員で13人しかおらず、であるがゆえに 1年生なのに夏の大会で 自動的に背番号を貰ってベンチ入りし 私の場合は、中3で市大会に出場した…という実績だけで 勝手な期待を背負わされ、あろう事かセカンドのレギュラ-にまでしてもらっていた。
ロ-カル・ネタで恐縮だが、今は 跡形もなくなってしまったけど、私が現役だった時 札幌市の中央部にある中島公園に野球場があり、プロ野球の公式戦が行われていた円山球場と その中島球場の2ヶ所が高校野球の試合場だった。
円山は プロが使用するだけあって、道内では最高の設備のグランドだったけど 中島はグランド自体が狭い上に設備が老朽化して 御世辞にも立派とは言えないグランドだったので、スタンドとグランドの境となるフェンスが とても低く金網だったから、客の野次を もろに浴びるグランドだった。
で、私が 高校の公式戦デビュ-を果たしたのが その中島球場だったのだが、その時の対戦相手が クジ運悪く強豪と呼ばれた とある私立高Aで、そこは私と中学で一緒に野球をやっていたチ-ムメイト4人が推薦で入った学校でもあった。
私よりも巧いと スカウトの目に止まった4人は 当然、スタンドで応援である。
私は その時にスタメンである。
それが 彼等には とても面白くなかった。
ず~っと 試合の最初から最後まで野次られっぱなしだった。
その状況は 3年の最後の夏の大会まで続いた。
特待生で 私学に進んだ6人は 誰1人として3年になっても ベンチ入りすら出来なかったのである。
所詮、運良く市大会に勝ち進めた中学校の出身と言っても 個人のレベルは知れている。
強豪の高校ともなれば 全道各地から それなりの実力を持った面子が集まり、一つの学年だけで数十名がしのぎを削り、同じ様に毎年、新人達も入るのだ。
そう簡単にレギュラ-になれるほど 強豪校は甘くない。
ところが、私の進学した高校は
「強豪と呼ばれるところを ひとつぐらい食いたいね」
と、実にお気楽な野球部だったし、あくまでも運良く1年でスタメンになれた私は そのまま3年の最後の夏まで レギュラ-で通されただけの事であり、それは 私自身が一番身に染みて よく判っていた事ではあった。
(実際、卒業までに 部員が18人以上になった事は無く、OBの協力が無ければ紅白戦すら出来なかったのだ^^;)
3年の夏の最後の大会の3回戦 その時も中島球場で 対戦相手は私立高Aだった。
「ブタネコぉ~ テメェ まだ野球やってたのか?」
「テメェ程度の実力で レギュラ-なんて片腹痛いぜ」
その程度の野次なら笑って聞き流せるが だんだんエスカレ-トしていき
「ブタネコぉ オマエの妹、ブスのクセに 男好きなんだって?」
みたいな野次が飛び始め さすがに試合中にスタンド乗り込んでブッ飛ばすわけにはいかないから
「アイツ等 絶対、試合が終わったら 停学覚悟で半殺しにしてやる」
そう心に誓った。
そんな時だった
「そういうクダラナイ野次しか飛ばせないから レギュラ-になれないのよ」
女の子の声が スタンドに響き、つられて 観客達が 一斉に笑った。
その声が 付き合っていた彼女の声だと 私には 直ぐ判った。
それまで野次にムカムカと腹を立てていた気分は どこかにフッ飛び、それよりも 人前で よく、そんな大声出せたな…と そっちの方にビックリしていた。
野次はピタッと止まり、試合が終わるまで 二度と飛んで来なかった。
結果は接戦だったけど、ウチの高校の負け、僕の高校野球は それで終わった。
負けても涙は出なかった。
涙が出るほど 真剣に甲子園を目指していたわけじゃなかったからだ。
試合後、球場の横 中島公園の一角で簡単な監督の話を聞き、そこで解散となり ユニホ-ムにグランドコ-トを羽織り、大きなバッグを担いで帰ろうとしたら 自転車に乗った彼女がいた。
平日の昼間だったし、3回戦程度では全校応援なんかになるはずなく、学校は平常通りの授業の真っ最中である。
「サボって見に来たの?」
「だって、最後の試合でしょ?」
「なんだ、初めから負けると思ってやがったのか」
そんな会話をしながら だだっ広い中島公園を横切るように歩いた。
「オマエ 凄い声で 怒鳴ってたね」
「あれ? 聞こえちゃった?」
「相手側のスタンドにまで 充分、聞こえる…って事は グランドで守備位置についてる選手には まる聞こえだよ」
「そりゃそうだ」
「でもさ、今 思うと あの台詞は可哀相だと思うよ」
「なんで?」
「だって アイツらは甲子園に行きたくて あの高校に行ったんだよ、なのに 3年間頑張ってベンチにすら入れなかったんだ。 それって… ある意味、辛い話だよ」
「それは判るわよ、でも、アナタに あんな僻んだ様な野次を飛ばした時点で もう、同情の余地は無しよ」
「まぁ…、それは…」
「男ならさ、ドッシリと現実を受け止めて それはそれ、これはこれって メリハリつけられなきゃ駄目よ」
「そっか… 成る程ね、ところで これで俺は高校野球生活が終わっちゃったんだけど、これから どうすりゃいいのかな?」
「バカじゃない?」
実は その当時、私には具体的に将来、「こうなりたい~」というビジョンが無かったのだ。
このブログの中に
『喫茶「職安」の話 』
というカテゴリ-を設けて 高校生の時に通っていた喫茶店でのエピソ-ドを書き綴っているが、その中で「屯田兵の御隠居」と呼ばれた因業爺ぃの事も書いたけど、その爺ぃが死んだのは 私が高校2年の時の事。
喫茶店の常連達は 皆で組んで ともすれば危なげな仕事をしていたわけだが、そこで 常連達からバイト少年として可愛がられていた我々は その常連達から、高校卒業後も そのまま、バイトでは無く、ちゃんと仕事として手伝う事を望まれていた。
「そういうのも面白いかもしれないなぁ…」
なんて、時折 思う、私がいた。
ただ、その常連のオッサン達は 皆、すこぶる専門知識の鬼みたいな人達ばかりで、高卒の20歳にも満たない小僧が 太刀打ちできる相手では無い。
それはオッサン達も 充分に見抜いていたから
「とりあえず、どこでもいいから大学に行って 成績なんか どうでもいいから、友達を見つけてくるんだな…」
とか
「だいたいな、医者になりたい…とか 専門の技術者になりたい…なんて 希望なら その為の大学・学部に行かなきゃならんけど そうじゃないんだったら体育大学出たって 外語大出たって 何にも変わりゃせんのよ」
なんて事も言われた。
ただ、いずれの場合でも
「オマエは 他のバイト君達の様に 明確に”~学部”って志望無いんだろ? そんなの何だっていいんだよ 4年間、何でもいいから何かを学んで 卒業したら俺達の仕事の跡を継げ な? そう思ったら気楽だろ?」
と、言われたものだ。
ただ、その進路は 明確に「~株式会社」に入る…とか、公務員になる…のと違って とても危ない方向でもある。
軍人家系の 私の父や母が それを許すとは思えない。
ましてや、安定した収入や補償があるとも思えない。
それを考えると
「どうしたもんかなぁ…」
と、思うばかりだったが、決めなきゃいけない進路であるにも関わらず 決める事が出来ず…
「ま、とりあえず (野球の)夏の予選が終わるまでは 野球だけ夢中になろう…」
いわば、そう言う風に逃げて”先送り”してたのだ。
それが、予選に負けて、”最後の夏”が終わった瞬間 ド-ンと頭の上にのしかかってきた。
で、話を 元に戻す。
私「ところで これで俺は高校野球生活が終わっちゃったんだけど、これから どうすりゃいいのかな?」
彼女「バカじゃない?」
と言った後、彼女は
「とりあえず、どこでもいいから アナタは大学に行くの。
そして、卒業したら なんでもいいから仕事をするの
子供が出来るまでは 別に アナタの給料で
食べさせてくれなくてもいいわ…
だから、子供が産まれるまでに どんな仕事をするか
どれだけ稼げるようになるか 自由に考えればいいじゃない?
それぐらいの自由はあげるわよ。
犯罪者になろうが、他人には言い難い仕事だっていいわよ
ちゃんと 私と子供を食べさせてくれれば文句は言わない。
そのかわり、子供が出来たら それ以降は アナタの
給料だけで食べさせてもらうから それなりに稼いでね。
子供は 出来るだけ早いうちに産むわよ。
だって、私は”若いママ”になりたいんだから。
でね、絶対に約束して欲しいの
私が死ぬ時に”あ~面白い人生だった”って言わせてね。」
正確な言い回しは 微妙に違うかもしれないが そんな事を言ったのだ。
で、現在に至るのである。
信じようが信じまいが 好きにして下さって結構。^^;
(ここまで記して もの凄く恥ずかしくなってます^^)
尚、この件についての御質問には 一切、応じ無い事を 明記しておきます。^^


