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2005年08月11日

● ブタネコ的 ソラノウタの考察


「最愛の人」という表現は なにも相手が「恋人」だけとは限らない。

親にとって「最愛の娘」というのも「最愛の人」と言えるでしょ?




何度も述べた事だが、私が 原作を読んで不愉快に感じたのは「サク」という彼氏の視点でしか語られていない為、そこに登場するアキの両親の描写が薄く、ともすればサクのワガママや 独自の屁理屈で論理が展開しているわけで そこに説得力を感じる事が出来ず、そのサクの論理に同意しかねる部分が大きかったからである。


特に、死んだアキの灰を撒けずに持ち続けておきながら 新しい彼女と訪れた母校でアッサリと撒くラストには


「それじゃぁアキが可哀相じゃねぇか?」


と、腹立たしい思いが強かった。


映画では 映画なりに その辺の理由づけを「律子」という女性を登場させ、律子のエピソ-ドにより補っているが、そのぶん 祖父のエピソ-ドが希薄になったり、原作と同じ様にアキの両親と言う部分も おざなりだったのが不満に感じた。


理由はハッキリしている。


私が 年頃の一人娘を持つオッサンである事と 高校時代に 白血病で亡くなった”亡き友”の親父さんに対する敬慕とも言うべき感情を棚にあげる事が出来ないからだ。




TV版のアキ父(三浦友和)は最高だった。


掛け値無しに、演技、台詞 なにもかもが最高だった。


登場シーンの全てに 亡き友の親父さんがオーバーラップして もう、どうしようも無いぐらい泣けて仕方が無かった。


そんな TV版のアキ父に対し


「アキが遺した絵本(ソラノウタ)を17年間 サクに渡さなかったのは酷い」


と、評した友人がいるが、私は、私なりに その設定を充分に理解出来るから 勝手ながら弁護をしてみたいと思う。




で、それを語る前に ひとつ余計な推論を述べてみたい。


それは、


「サクは いつアキの遺灰を手に入れた(小瓶に詰めた)のか?」


という疑問である。


祖父の恋人の時の様に 墓から盗んだのか?


私は ウルルでアキの両親と散骨する際に、撒けずに握りしめた遺灰を ハンカチに包むなりして密かに持ち帰り、アキ父は ウルルでサクも撒いたものと考えていたが、実は密かに小瓶に詰めていたのだと思っている。

(以上は ブタネコの勝手な個人的推測です)




さて、今回の本題だが…


よく考えて(思い出して)みて欲しい。


アキが病に倒れ 真島という青年と出会って以降を 映像で見ている我々視聴者は「ソラノウタ」は アキがサクに宛てた誕生日プレゼントであり、遺言なのであろう…と 理解する。



しかし、視点を変えて アキ父やアキ母の視点で見直して頂きたい。


アキの死後、遺品を整理していて この絵本をアキ父が見つけ、アキ母に見せる。

世界の中心で、愛をさけぶ


この絵本は アキが病室でコッソリと作っていたものだから その時、気づくまで両親も その絵本の存在を知らなかったわけだ。


で、絵本を開いて中を見る。


「ソラノウタ」と題された絵本の中の言葉は

   生きていくあなたへ

   もしも、おまえが枯れ葉って
   何の役に立つのって聞いたなら

   私は答えるだろう
   病んだ土を肥やすんだと

   おまえは聞く
   冬はなぜ必要なの?

   すると私は答えるだろう
   新しい葉を生み出すためさ

   おまえは聞く
   葉っぱは何であんなに緑なの?

   そこで私は答える

   なぜって
   奴らは命の力に溢れているからだ

   おまえは また聞く
   夏が終わらなきゃいけないわけは?

   私は答える
   葉っぱどもが みんな死んでいけるためさ

   おまえは最後に聞く
   隣のあの子は何処に行ったの?

   すると私は答えるだろう
   もう見えないよ
   なぜなら おまえの中にいるからさ
   おまえの足は あのこの足だ

   がんばれ


これって、最愛の娘を失った二人宛にも 当て嵌まるメッセ-ジだと思いませんか?

(もっと踏み込めば 視聴者である我々へのメッセ-ジにも受け取れる)


この時、両親には 最愛の娘から 自分達に対して


「生きていくあなた(両親)へ」と


一時的ながらも、受け取れたんじゃなかろうか? 


私には そう思えてならないのだ。




世界の中心で、愛をさけぶ

「最後のワガママ」とテープに言い遺して ウルルへと向かった娘。


死を覚悟して旅立つ時に


「生きていくあなたへ」~「がんばれ」


というメッセージは、最愛の娘を失った喪失感から 一歩一歩、抜け出して行く時に この絵本は大事な遺品であり、かけがえの無い娘からの メッセ-ジになったんじゃなかろうか? 


それは あたかもサクがアキの遺灰を「アキが死んだ事を忘れない為に」持ち続けた様に両親が生き続けていく上での 心のハリの様なものとして…。




確かに、落ち着いて考えれば この絵本は 娘からサクへと贈られるべきものと両親は気づいていたかもしれない。


では、何故、気づいて直ぐに サクへ渡さなかったのか?


タイミングとしては ウルルの散骨の前後が望ましかった様な気がするが、私には この時、アキ父は あえて、渡す気が無かったと思うのだ。


それは…

【第9話】
世界の中心で、愛をさけぶ

サク父に結婚写真を撮って欲しいと頼む時の アキ父の言葉の中に 結婚写真を撮る事で将来的にサクに影響を与えるんじゃないか?と危惧している旨を サク父に吐露している。


世界の中心で、愛をさけぶ

結婚写真に関しては「こんな風に幸せになろうって頑張るんじゃないですか?」と言うサク父に同意を得て写したわけだが…


アキ父は サクに対して 娘の恋人だった事、娘が最後に幸せを感じさせて貰えた相手、そんな様々な事柄から サクに対して他人とは呼べない感謝と思いやりを抱いていたと思うのだ。


だからこそ、


「もしかしたら、これ(ソラノウタ)を渡す事で サクに 再び、悲しみを思い出させてしまうかもしれない… 娘との想い出を引きずってしまうかもしれない…」


そういう風に考えたんじゃないかな…なんて思うのだ。

(まさか、娘の遺灰を小瓶に詰めて持ち歩いているとは知らずにね)


その後、時が経って、高校卒業と同時に サクは人知れず宮浦を去ってしまい 渡す機会も失われる。


だが、17年経って会ったサクが 


世界の中心で、愛をさけぶ


その17年間、娘を忘れきれずに引きずってきた様を見れば 逆に、フッ切れさせるために 今こそ、渡すべきだと思ったんじゃないかな…。


だからこそ、

(アキ父)「持って行こうとも思ったんだが、顔一つ見せない人間に
      わざわざお受け取り願う義理も ないかなと思ってね…
      まだ独りらしいな?」

 (サク)「はい」

(アキ父)「お父さん、お母さんが 心配してらしたぞ…」

 (サク)「そろそろとは思ってます」

(アキ父)「そうか」

 (サク)「はい」

(アキ父)「もう忘れたか 亜紀のことは」

 (サク)「どうなんでしょう…」

(アキ父)「失礼だぞ、相手の女性に」

 (サク)「きっと、これから だんだん忘れていくんでしょうね… すいません」

(アキ父)「寂しいんだろ… 俺もそうだ、

      見たくないことまで 夢に見ていたのに見なくなってね

      そのうち、思い出すのにも時間がかかるようになって…

      あの時はどうだったか?って 女房に確かめるようになって…

      でも、忘れたいのでも 忘れないのでもなくてね

      人間は忘れていくんだよ 生きていくために…

      まぁ、そんなことは お医者様に説教してもな…」


という台詞に至るんじゃないかな…と思う。


この台詞の最初


「持って行こうとも思ったんだが、顔一つ見せない人間に

 わざわざお受け取り願う義理も ないかなと思ってね…」


という部分は アキ父の負けず嫌いな性格と 本当は自分(アキ父)にとっても大事な品なんだ…という気持ちと サクに対する感謝や優しさが入り混じった 実に見事な脚本だと思う。



そして、最後の


(アキ父)「よく頑張ったな… サク、

      生死を扱う仕事は辛かっただろう

      もう充分だ、ありがとう」


この台詞で 撃沈です。 私は。

何度も言うが このTV版の演出と脚本は 本当に素晴らしい。


情感の機微を よく理解した演出であり、台詞まわしだと思う。


余談だが、正直言って、もし私が アキ父だったら…と考えた時、私は感謝の言葉を告げても「ソラノウタ」は サクには渡さないと思った。


それは 私が欲張りである事と、やはり娘の大事な遺品である…という事からである。


けどね、そんな私が 上記の考察を語ったのは 我が”亡き友”の親父さんであれば 間違いなくアキ父の様な行動を取ったと思うからで 私は自分の事しか考えていないが”亡き友”の親父さんは いつも我々、娘の友人達に気を配ってくれる人だったのだ。 


実際、盆暮れの暑中見舞いと年賀状を 毎年欠かさず送ってきて、必ず


「元気か? 相談事があるなら いつでも来いよ…」


と書き添えてあったものだ。


我が家は 嫁と私と夫婦なのだから 一軒に一通で良いのに、必ず 私宛と嫁宛と それぞれ1通づつ ちゃんと分けて送って寄越す そんな律儀な人だったのだ。


先にも、述べたが、私はサクに「ソラノウタ」を絶対に渡さないと思った。


それを思うと まだまだ、”亡き友”の親父さんの様な器の大きな大人になり切れていない事に気付き ただただ、恥じ入るばかりである。


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

 クラヒー!! ブタネコさん、おはようございます。天邪鬼なので、評判になったTVドラマはかえって観ないことが多いです。この作品もTV版、映画版未見ですが、不覚にも涙をボロボロこぼしてしまいました・・・。今度、DVDでも借りて来ようかと思います。

FORREST

おはようございます。ブタネコさん。

朝から泣かせないで下さい…
私も何故亜紀父は本をすぐに渡さなかったのだろう??と、ずっと引っかかっていました。
でも、ブタネコさんの考察を読んで、なるほどな~って頷いています。
父にとっても、サクと同じように、自分のために持っていたのかもしれませんね。
そして、渡す時の負けず嫌いな言葉とか、父親の心理状態が本当に良く描けていると思います。
このシ-ンの台詞に、もう誰もが撃沈でしたね。

亜紀父の心情を感じたせいでしょうか。
亡くなられた友人のお父様から毎年届けられる年賀状と暑中見舞いは、娘さんが亡くなった事を忘れないために、
そして、娘を支えてくれた友人にも忘れてほしくないんじゃないかな~って思いました。
お父様もブタネコさんやブタネコさんの奥様に支えられているんじゃないかな。。。

大変失礼な私の勝手な思い込みを書いてしまい、申し訳ありません…。

ホント、休みの朝から泣かせられましたよ(´;ω;`)ウッ…

この「ソラノウタ」を発見した時点で、朔に渡さなかったというのは、当時公式BBSでも議論がありました。
私が書いた見解は、
「もしあの時朔があの本を手にしていたなら、おそらく外の写真等と共に、封印されていたのではなかろうか?」
「だとしたら、17年後のあのタイミングがやっぱりベストだったんじゃないかな~というコメントを書いた記憶があります。」

亜紀の両親には、私も轟沈です。
最終話での亜紀の部屋・・・
17年経ても、亜紀の遺品が祭壇の周りに飾られてあったり・・・
いかに亜紀を失っての喪失感が強かったのだろうと、それを想うだけでもう駄目です。

亜紀父の、「もう十分だ、ありがとう」の言葉には、本当に17年も重みがぎっしり詰まっていましたね。
まさに言霊でした。

ブタネコさんは、あの本を渡さないんですね~w

ブタネコさんらしいや( ̄ー ̄)ニヤリ

私は亜紀の意思を考えて、やっぱ渡すかな。

まぁ、ブタネコさんの娘さんへの過剰な?愛情を感じます。
娘かぁ~、うちは息子だもんな~。
その辺の意識の違いなんでしょうね。
しかもうちはまだ3つだし。


最後に一点気になったことがありました。

それは、亡き友の親父さんの所で
「律儀な人だった」と過去形で書いてありますね。
今現在は・・・?
案外過去ログ見れば、書いてありそうな感がありますが。

余計な斟酌でしたら、堪忍忍。

こんにちは。二度目のコメントです。
ソラノウタを渡すタイミングについて、全く同意です。
朔自身の中で前に進もうという変化が起きない限り、
ここに書いてある真のメッセージを、朔は理解できないと思うのです。
いつか朔の中で気持ちの整理がついて、廣瀬家を
訪れた時、そのときがこれを渡す時だと、真さんは
考えていたと思うのです。

それにしても改めて読み返すと、
「枯れ葉~病んだ土を肥やすんだ」
まさにアキバ系研究員の皆さんの、紫陽花の丘の考察、
そのまんまじゃないですか。

★ FORREST さん


TV版「世界の中心で愛をさけぶ」は秀逸です^^

是非、御覧になるべきです。(必ず2周して下さい^^)


★ リンダ さん


まぁ、「お盆」と言う事で…^^


『亡くなられた友人のお父様から毎年届けられる年賀状と暑中見舞いは、娘さんが亡くなった事を忘れないために、そして、娘を支えてくれた友人にも忘れてほしくないんじゃないかな~って思いました。』


たぶん そうでしょうね。^^

でも、それだけじゃ無かったと思ってます。

なんて言うのかな… 亡き友が亡くなって以降、もしかしたら親父さんは 我々を自分の子供の様に考え、接してくれていた様にも思えるのです。
(ありがたい事です^^)

しかし、亡き友のオフクロさんは 我々を見ると 亡き友を思い出す…と言って 亡き友の死後 我々を拒絶されてました。


どちらの心情も判ります。


★ Wen さん


「お盆」ですからね… 泣いとけ^^

『ブタネコさんは、あの本を渡さないんですね~w』

ええ、絶対に渡さない。^^

「貴様は 一生、引きずって生きて行け」

それぐらい極端な思考になるような気もします^^;


『「律儀な人だった」と過去形で書いてありますね。』

うん、過去ログ 読んどけ^^

(現在、過去ログ整理中です^^)


★ TOH さん


『まさにアキバ系研究員の皆さんの、紫陽花の丘の考察、
 そのまんまじゃないですか。』

そう思われますか?^^

ならば、彼等の研究も 無駄じゃ無かった^^

>うん、過去ログ 読んどけ^^

工エエェェ(´д`)ェェエエ工工 

大橋巨泉なみの、命令系ですがなw

ブタネコさんの、ブログにきてやった(・∀・)イイコトイッタ!!

過去ログかぁ~、この際最初からちゃんと熟読して、一つ一つコメント書いていくかな~。
夏休みの宿題ということで・・・

( ̄~ ̄;)う~ん、やっぱり読むだけにしとこ。

過去ログ 少しでも読みやすくなればと思って
カテゴリー細分化作業してます。

過去ログだからと言って 気にせず、ガシガシ
コメントしていいですよ~^^

ブタネコさん、こんばんは。
てらと申します。
takuさんとこで、ちょっと合いの手入れさせてもらったことあるんですが、初コメントです。

過去ログも随分読ませてもらって、ご家族や、亡き友さんのこと、セカチューへのただならぬ思い入れや、つっこみたくなるほどおかしいtakuさんとのやりとりなど、興味深く読ませていただいてます。いつも気の利いたコメントができず、今回やっと思い切ってコメントしてます。

「ソラノウタ」をどうして亜紀パパは17年間も渡してくれなかったんだろうって、ずっと思ってました。
ブタネコさんの「ソラノウタ」の考察で、なんか最後のわだかまりが取れた感じで、(以前書いておられたラストシーンの考察も含め)もう1度
セカチュー最初から観たくなりました。(3周目です)
それにお盆ですしね。

★ てら さん

コメントありがとうございます^^

『おかしいtakuさんとのやりとりなど』

ですよね? takuさん”変”ですよね?

でも 良い人ですよ(きっと)


拙ブログの記事 お褒め下さり恐縮です。

今後も よろしく御願い申し上げます。^^

ついに書いちゃいましたね
恐らくブタネコさんがこのドラマにはまった一番の原因である亜紀父、そして亜紀父が一番存在感を表す場面。
サクと亜紀父の会話を書いているだけで恐らくブタネコさんは涙、涙だったでしょう(よく頑張ったな、ブタネコ。ありがとう)。
読んでるだけで私も涙、涙です。

終わりよければ全て良し、という言葉がありますが
このドラマは例えこの最後が無くても十分すぎるほど他の凡百のドラマを遥かに凌ぐドラマなのに、この会話の為にもう、どうしようもないくらいの高みに登ってしまって、「TV版セカチューを理解できない者は人に非ず」という、おごる平氏並みの感覚へと誘ってしまったと言えるでしょう。

「ソラノウタ」は、勿論最初から最後まで良いんだけど、特に最後の「がんばれ」は素晴しいですよね。
あれ程父の「がんばれ」に反発していたのにもかかわらず、最期の最後に「がんばれ」という言葉が出てきたのは結局父の愛情を亜紀は理解していた、というのを表していて、単なる「がんばれ」ではなく、とても考え抜かれた脚本の末の「がんばれ」ですね。
これを受けて2周目は2話での亜紀の父への反抗にすら涙してしまうんですよね。

私は娘もいなければブタネコさんのような体験もありませんので、ブタネコさんとは感動の仕方が違うかもしれません。
しかし、このドラマが最高である最大の要因は、二人の友人と家族を丁寧に描いてある点である、という感想は恐らく同じでありましょう。

ですので、ちょっと立ち読みした「謎解き世界の中心で、愛をさけぶ」の中にある原作評で「この物語(勿論原作の事です)は恋人同士の友人や家族を書かなかったことが良かった。それにより二人の恋愛模様に集中できるから」とか何とか書いてあったのを見て、「何を抜かしてんだ、コノヤロー。病気の話で両親が出てこないなんてあるかよ(これは映画に対しても同じ感想です)」と、おごる平家になったりします。

ああ、話が尽きない・・
何でこんなにこのドラマは素晴しいんでしょう

★ うごるあ さん

うごるさん御指摘の その本(あえて名前は書きません^^;)

TV版のDVD見て ブッ壊れた後、「世界の…」と名のつくモノは ピアノの楽譜まで買った私ですから、実は 私も書店で見つけた時に 買うつもりで手に取ったのです。

で、パラパラとめくった時に

「この物語(勿論原作の事です)は恋人同士の友人や家族を書かなかったことが良かった。それにより二人の恋愛模様に集中できるから」

そう、その記述を見て 投げ捨てるように買うのを辞めたのです。

私が原作を評価していないのは まさに その文章が示す内容だから。

「二人の恋愛模様」だけが重要なのだとしたら「白血病」をアイテムに使うな!!… それが全てでした。

だから、原作の作者に対して 間違っても「ファンです」なんて気持ちは 針の先程もありません^^;

強いて言えば、TV版が出来るキッカケを作ってくれてありがとう…と言う事のみ。

従って、どんなに友人が薦めても その作者の他の本は 読みません。

「ソラノウタ」については 実は もうひとつ別の角度から考えた考察があるのですが まだ、うまく文章にまとめきれてません。

きっと そのうち、まとめてみせようとは思ってます^^;

「がんばれ」

その、たった一言にも 凄い伏線の張り方をしてくれましたよね TV版は。

もうね、全ての台詞に 何かの伏線があるんじゃないか?とすら思ってしまいます。

(ボウズの言った「痒いんだよオマエラ!!」にですら^^;)

まぁ、お盆という事で…

ブタネコさん、始めまして。
私は昨年偶然にセカチューの映画版のDVDをレンタルで見、次いで原作を買い、そしてTV版を全部見て遅まきながらファンになった一主婦です。
これも偶然にこのブログに行き当たり、二度と見つけられないかもと思い『お気に入り』にセットしました。
どうぞ宜しく。
凄く素敵なブログですね。写真もいっぱいで、毎晩楽しく見ていますが、まだ全部は読み切れていません。
ブタネコさんの仰ることを、心からうなずいています。
若い二人とその両親の夫々の関わりが、しっかり捉えられていますよね。
私はラストの「ソラノウタ」から、大人のサクの手から光の中へアキの遺灰が消えて行くあのシーンにいつも涙しています。
またコメントさせて下さいね。

★ ミケネコ さん

こちらこそはじめまして コメントありがとうございました。^^

今後もよろしくお願いします。

ブタネコさん、こんばんは。
「ソラノウタ」の詩全文を初めて見ました。
この詩も全編を通して重要なシーンに二度登場しますね。
初めは、雨の中アキが弔文に代えてこの詩を読み上げていました。
そして、二度目はサクへの遺書と言うかたちで、その表紙の絵は先に亡くなった青年が残した病院の窓から見ていた樹のスケッチ。(と思いますが)
上記に限らず、いたるところで伏線を張り巡らしてあるなと思っていましたが、ブタネコさんの考察や皆さんの書き込みを見ていると、本当に見事な脚本だと改めて感心しています。

★ ミケネコ さん

>サクへの遺書

う~ん ちょっと意味が違う様な…^^;

こんばんは、続けて書いていいですか?

「ソラノウタ」
雨の中アキが弔辞代わりに読んでいる時は、誰か第三者の作品だと思っていました。
弔辞なのに『奴らは』とか『お前は』とかを自分の言葉としては使わないでしょう。
でも絵本になってアキの声が読んでいる時、あれ?と気付きました。
葉っぱは枯れて土に還る… ここまでは詩としても普遍的ですが、「隣りのあの子は何処へ行ったの?」から「お前の足はあの子の足だ」
雨の中アキは何処までを最後まで読んだんでしょうね。
サクに残す絵本の文は途中からアキが自分のメッセージとして追加したのでは、と思いますが。

★ ミケネコ さん

当ブログは 古い記事へのコメントや コメントの連投を禁止しておりませんので気にされる必要は全くありません。^^


で、

>雨の中アキは何処までを最後まで読んだんでしょうね。

特に、頂戴したコメントの上の部分における仰りたい意味が ちと理解できません^^;

少し、落ち着かれる事をお勧めします。

【※注意!!】

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