● 戦後60年スペシャル「ヒロシマ」
昨夜、TBS系で放送された 戦後60年スペシャル「ヒロシマ」を観た。
事前に、個人的に怖れていたほど 酷い内容では無かった。
ここで私が言う「酷い」とは TBSの報道や その象徴たる「筑紫哲也」の得意とする リベラルを装おいながら偏ったイデオロギ-に帰結させる「酷さ」という意味である。
正直な感想を そのまま言えば、筑紫も少しは丸くなったのかな? と思った。
まぁ、人間 誰しも老いれば 微妙に思考や性格が変わると言う。
そう思えば 心なしか 筑紫の顔も曲がった様な気がして、少しは考えも曲がったか…
そんな感じがした。
だが、やはり TBSの報道の根本は変わっていない。
「綾瀬はるか」という 素敵な女優を「客寄せパンダ」にし これからの日本を背負う彼女と同年代の若者に「戦争」や「原爆」等への認識を求めるという企図は 私がヲタを自認する「綾瀬はるか」を「客寄せパンダ」として扱うところに腹立たしさはあるが、企画意図は悪くは無い。
「綾瀬はるか」が祖母から体験談を聞いて 知らなかった事を知る、その様を見て 同じ様に知らなかった若者達が知るキッカケとなる…
そういう企図は時節柄、非常に良いと思う反面、「綾瀬はるか」という女の子のプライベ-トな部分に 視聴者が土足で踏み込んでしまう危険性を考えると、それを見せてくれた「綾瀬はるか」自身や御家族、そして 辛い経験を話された祖母殿には 深く感謝し敬意を表するばかりだが、それだけに、TBSやホリプロ そして、筑紫 オマエ等は「綾瀬はるか」に それだけの事をさせた責任の重さを 今後も深く、ちゃんと踏まえておけよ…と 言っておきたい。
と言うのはね、「ヒロシマ」という番組は「綾瀬はるか」のPVでは無い。
当たり前の事だが、TBSや筑紫が「戦争」や「原爆」を語る番組なのである
しかし、私も ある意味 そうなんだけど「綾瀬はるか」が見たくて「ヒロシマ」という番組を見た者達がいる。
そして、今までは関心も興味も無く、知らずにいた事を 綾瀬はるかが知ったように そういう視聴者達も知る。
そこまでは 番組の企画意図として良しとしよう。
問題と指摘したいのは TBSの報道(筑紫も含めて)の相変わらずの偏向ぶりが どうしても付加されており、それをも含めて「知らなかった者が事実として知ってしまう」事の危険性なのだ。
現に、放送後 いろんなサイトを見て回ると
「綾瀬はるかの涙に感動しました」
という様なコメントが いろんなところに書かれている。
たしかに「綾瀬はるか」の泣くシ-ンは 私も 貰い泣きした。
しかも、そのコメントと併せて
「私も はるかちゃんと同じ様に
初めて いろんな事を知り、考えさせられました。
そして はるかちゃんが言った様に
私も いろんな事を知って考えていかくなくてはと思いました」
という様なコメントの多さも目にする。
だからこそ、オッサン(ブタネコ)は 言っておきたい。
ただ見たり、聞いたりして「へぇ… そうなのか」と言うだけでは
「知って考えた事にはならないよ」と。
同時にね、新聞や雑誌やTV等 メディアの言ってる事が 全て正しいと思っちゃいけない…とも。
当然、この「ヒロシマ」という番組の内容も含めて 正しいか否か、それを 見極めるフィルタ-みたいなものを 自分の中に作らなくちゃ駄目だよ。
世の中「右と左」「ハト派とタカ派」なんて言い表される様に 対極する意見がある場合、両者を見比べ、聞き比べて 自分で判断するフィルタ-が必要なんだけど そのフィルタ-を ちゃんと持ってる人は 世の中、あまり多くは無いのです。
多くの人は フィルタ-を持っていないどころか、そういった話になると無関心になっちゃうのです。
そのフィルタ-を持つには 出来るだけ公平になった視線や 中立に沿った理性で 記事や書類や 番組や 話を聞き比べていかなくては駄目なのです。
さて、TBSや筑紫が偏向している事は 昨夜の放送でも変わってはいない。
それは 歴史に「たら」「れば」といった ”IF(もしも~)”を持ち込むのは 小説の世界ではアリでも 歴史検証の場では 大いに慎重に、かつ 公正中立に行わなければ危険である。
細かい点を指摘していけばキリが無いので 大きい部分だけを指摘しておきたい。
「あの時、原爆は止められた」
いきなりの このサブタイトルが偏向を如実に物語る。
当初はドイツに落とされるハズだった原爆が 日本に投下されるまでの流れを追った部分はいい、問題は ルーズベルトが急死して、トル-マンが大統領になり ヤルタ会談、ポツダム宣言…という流れの中に 日本側の極秘裏に行われた終戦工作をも取り上げたあたりから 事実なのか、制作者が想像(偏向?)で語っているのか分からない話が混じり出す。
ポツダム宣言の受諾を 国体護持=天皇の安全 と日本政府が迷い、悩む…というあたりから よからぬ帰結へと結びつけかねない映像が増えていくのだ。
つまり、国体護持に拘るあまり受諾が遅れたから 原爆投下に繋がった…という考え方
これは 確かにひとつの認識であり、少なからず 私もそういう認識ではある。
それだけに、
「もっと早く受諾していれば 原爆投下を回避できた」
と、現在でも 天皇に対して恨む人達や 責任を問う人達がいる。
しかし、実際には 広島、長崎に続いて 3発目の原爆が用意されており、天皇が受諾してくれたおかげで その3発目(全部で4発あったという話もある)を免れた…と感謝する人もいる。
(この部分は 放送では紹介されていない。)
そもそも 日本政府が原爆の存在を知っていたのか? もし、知っていたら?
「慌てて受諾した」かもしれないし、存在を信じないで史実通りになったかもしれない。
それが 歴史に禁句の「IF」である。
でも、よく放送を思い出して頂きたい。
再現映像と 関係者達のインタビュ-及び その内容は 視聴者に「戦争責任」という部分を 天皇へと向ける誘導と思える構成のものが多く、それ以外の部分には ほとんど触れていない。
そういう部分を 私は「偏り」と指摘するのだ。
戦争責任に関しては 天皇にだけあったのでは無い。
強いて言えば 明治からの「天皇制」による弊害が大きく現れてしまった結果と言う人もいる。
それは 私も否定しないし、充分に検証すべき点だと思う。
ゆえに、天皇に全く戦争責任が無かったとは言わない、昭和天皇御自身が それを認める発言を何度もされていた事からも明確である。
しかし、メディアは 特に筑紫や朝日新聞、毎日新聞などは その部分に昔から 執拗に拘るきらいがある
特に”天皇制”という部分にこだわり、遠回しに天皇の「個」に対して責任を問う手法を多く用いる。
「何か恨みでもあるのか?」
と聞いてみたくなるぐらいにだ。
「極東軍事裁判」通称:東京裁判における A級戦犯と呼ばれる人々の裁判も 基本的には「個」への追求なのだが、その時の裁判としてのあり方は けっして裁判として厳正に執り行われたものでは無かった事は今日、明らかになっている。
東条英機は生前「私は戦争犯罪人では無い、戦争責任者である」という主旨の発言をしている。
子供の屁理屈みたいな言葉と受け取られる事が多いのだが、「戦争責任者」としての罪は自覚していたのであろうと受け取れる言葉である。
戦争責任を問う…という事は 二度と戦争を起こさない為の検証としては 極めて重要な事と言えるが、最も重要な事は 個の責任の追求よりも 事実の確認なのである。
しかし、日本は戦後 その出来損ないの「極東軍事裁判」の結果のみ尊重するだけで検証という事には 一切と言っていいぐらい触れていない。
だから、釈然としない思いや ぶつけようの無い怒りまでが「個」へと向けられるし、いつの間にか 嘘やデタラメが「事実」として罷り通っていたり、真実が闇へと葬られ60年が過ぎたとも言えると思う。
原爆投下を行ったエノラ・ゲイの乗員のインタビュ-があった。
再現フィルムにも いろんな台詞が登場した
「この投下に関われる事を誇りと思え」
指揮官がブリ-フィングで その様な事を言う。
視聴者、特に被爆関係者が観ていたら はらわたが煮えくり返る場面だったと思う。
でも、実際は再現シ-ンに ほぼ近かったのだろうと 私は思う。
戦争中は 双方の国民の誰もが 友や知人、親戚縁者を失い、その復讐心に燃える者が少なくなかったからだ。
「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった。我々は後悔していない」
つい最近、乗員達がインタビューに対して そう答えたと新聞で見たばかりである。
エノラ・ゲイの乗員達は 爆撃機の乗員だったのである。
積んだ爆弾を あらかじめ指示された場所に投下する いわば歯車の一つなのだ。
実際には、機械じゃないから感情もあるし、感想も述べる。
仮に彼等が
「原爆なんて トンでも無いモノを落とすのなんて嫌です」
そう抗ったならば… 最悪の場合、抗命罪で銃殺… それが当時の軍隊でもある。
原爆開発に関わり、投下の際に立ち会い、キノコ雲を撮影した科学者。
祈念館で 爆発直後のキノコ雲の映像を前に
「これは 私が趣味で撮った映像だ」
という意味の発言をするシ-ンを見て やはり、はらわたが煮えくり返る視聴者は多かったのだろう…とも想像する。
いわゆる フランケン・シュタインを産み出す博士に通じるマッド・サイエンテイストの姿に通じるものを 私も感じた。
被爆者との会話の後、「私は謝罪をする気は無い」とも言い、「リメンバ-・パ-ルハ-バ-という言葉がある」とも言い切る。
正直に かつ、率直に申し上げるが、私は このシ-ンを観ていて この科学者個人に対しては 腹は立たなかった。
むしろ、堂々と 広島の地で 被爆者やTVカメラを前に言い切る姿に 敵ながら天晴れとさえ思った。
そう、当時のアメリカ国民は考えていた… そのひとつの表れなのだ。
当時の日本人が「鬼畜米英」と呼んだのと まったく、なにも変わらない。
TV画面の中で そう発言したのが その科学者だからと言って、その科学者個人に怒りをぶつけたり、責めてはいけないと 私は思う。
普段、私は 中国や韓国という国を ボロクソにけなしている。
(同時に 日本という国もけなしているが…^^;)
しかし、中国人や韓国人の ”個”との付き合いは 一般的、日本人に比べて はるかに多いと自覚している。
その友人である中国人や韓国人に対しても 直接、会話が出来るぶん 文章とは比べられないぐらい激しくボロクソに言っている。
当然、彼等も言い返してくるし 私と同じ様に それぞれが、自分の国の事も平気でけなす。
その結果、喧嘩になった回数よりも 比べようもなく互いに「面白い奴」として友人になった回数の方が圧倒的に多いし、互いに互いの国の事が判り建設的であったとさえ言える。
そういった場合、中国人や韓国人の友人達は 口を揃えて
「君は その君自身の持っている歴史認識を どこで学んだの?」と聞く。
少なくとも 私は小・中・高の学校教育の中で 正しい戦前・戦後史を教わった事など全く無い。
強調して言っておく
全く無い!!!
変に歪められた認識の押しつけは クソ教師共から聞かされそうになった事はある。
私の歴史認識は 私が いろんな本を読み、いろんな祈念館など場所を巡り、いろんな人達の話を聞いて それらを斟酌し咀嚼した結果であって 自分の目と耳と肌で感じたものであるから、中国人だろうが、韓国人だろうが、アメリカやロシア人が相手でも 自信持って語る。
けどね、その中国人や韓国人の友人達に言わせると そうやって私みたいに言い返す日本人は極めて希で 大抵が
「ま、過去にはいろんな事があったかもしれないけど…」
とか、
「そういう話は また、別の機会に… と言う事で」
等と ヘラヘラ笑って誤魔化したり、話を変えるのが典型的日本人で 圧倒的多数なのだそうだ。
そりゃ、そうだろう。
語り合える材料が何も持ち合わせて無い。
教育も受けてなければ、知ろうとする関心も無く、そのくせ、「話し合えば解決する」と口先でしか言わない者ばかりなんだもん日本人って。
筑紫は番組の最後で いつもの様に綺麗事をまくしたてる。
その中で 被害者意識、加害者意識に触れ 中国や韓国との問題に触れた。
だから、あえて言っておきたい。
「広島」「長崎」「原爆」 これは戦後史を考える上で重要な部分ではある。
しかし、筑紫が最後に述べた綺麗事を考えるならば…
筑紫が 今、一番早急に検証するべきと主張すべきなのは 極東軍事裁判が どの様にして行われ、戦犯として裁かれた者が どのような罪状で どのような審理を経て どの様に判決を受けたのか? じゃないのか?
中国や韓国との歴史問題、靖国問題を知ろうとする時、一番避けて通れないのが「極東軍事裁判」だろう?
そこに手をつけようとしないのは「戦争責任」を再検証すれば 必ず、当時のマスコミに対する責任追及も求められる… だから、その部分は タブ-視して触れずにきたと 過去の識者達は口を揃えている。
筑紫に対して 言ってる事と やってる事の違いを猛省すべきと指摘したい点のひとつが それなのだ。
ただ、原爆投下直前の 広島の街並みの それが破壊される様のCG再現は どれだけ費用がかかろうとも 詳細に作って将来の為に遺すべきだと思うし、その作業にあたられている方々の熱意には敬意を表したい。
その映像を観た者ならば 核の発射ボタンを押そうとする時、間違いなく躊躇うよ。
それだって 充分に核に対する抑止力と言えるのだ。
最後に、非常に不謹慎な発言と誤解されるかもしれないと思いつつ述べたいのだが、
この番組の中で見せた「綾瀬はるか」の泣き顔は 彼女が とても素敵な女の子である事の証だと感じた。
女優としての演技とか打算とかが入り込む余地の無い、素直で真摯な泣き顔だった。
私は 綾瀬ヲタを自認するファンであるがゆえに、今後は演技の泣き顔だけで充分です、素の泣き顔なんか見たく無い…と懇願する。
素で そんな泣き顔にならないで欲しい、泣いてしまう様な事が 彼女に起きないで欲しいと切に願う次第でもある。
だから、今後は筑紫に対して いままでの事以外に
「てめぇ はるかちゃんを マジ泣きさせやがって…」と
新たな憎しみの炎が追加された事を ここに明記しておきたい。


