● ブタネコ的 17年の考察(2)
このところTV版「世界の中心で愛をさけぶ」における「ラストシ-ンの解釈」について 語るところが多かった。
この件に関して 私は「亜紀の遺灰を撒き終えた事で サクが観る事出来た夢」という説を提唱してみたわけだが、何度も言うように それが全てだ…と思っているわけでは無い。
他の解釈を 完全に否定する事など出来ないし、いろんな想像が出来るところも TV版「世界の中心で愛をさけぶ」の もうひとつの楽しみ方なんじゃないか?と思えば いい歳かっ喰らったオッサン達が あぁでもない、こうでもないと 語り合っている姿は 滑稽だが愉快ですらある。
で、この「ラストシ-ンの解釈」は TV版「世界の中心で愛をさけぶ」における いろんな場面の解釈の中でも 大きく論議の別れるもののひとつだから、人によっては「最大の謎」と呼ぶのだが、私は あくまでも個人的な意見としてTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の最大の謎は
「亜紀の遺灰を撒くのに 何故17年間 かかったのか?」
という点なんじゃないか? と、感じてきた。
・「17回忌」というのは 仏教的に ひとつの節目と考えられる。
・亜紀が生きた17年…と言う意味で 亜紀がいた17年と 亜紀がいない17年という対比。
など、自分なりに それについての解釈を想い描いてみたけれど どれも「帯に短し、タスキに長し…」的感覚が否めず、シックリとこなかった。
「何故、サクが遺灰を撒く事が出来たのか?」
そこに答えを見出せば、「何故17年かかったのか?」も 同時に判明すると 私は考えていたのだが…
「亜紀の意思が働いた…」
このところ いろんな部分の 私の解釈の修正に影響を与えた この考えに則ると17年目を選択したのも「亜紀の意思」と思わなくてならないのだが、この点については 正直、微妙な疑問を感じる。
「17年後に 私を撒いてね」
亜紀がそんな示唆を 具体的にしていたわけじゃない…からだ。
そこで、ふと思うのは
「亜紀の骨を撒く場所が 何故、校庭なのか?」
という疑問である。
実は「世界の中心で愛をさけぶ」の原作の描写を 私が嫌う 大きな理由のひとつが それなのである。
原作の描写は ともすればロマンチックではある。
原作でのサクは 亜紀の遺灰を当初は夢島で撒こうとする…、ここは 私は理解出来る。
しかし、夢島で撒く事が出来ず「このまま持っていよう」と考える…、ここも 私は理解する。
なのに、「何故、グランド?」 しかも、「何故、新たな恋人が そばにいるところで?」 そこに違和感を感じ、説得力を感じなかったのだ。
TV版は

「いつも アンタはここで廣瀬を観ていたよねぇ…」
というシ-ンが代表するように グランドで 部活の亜紀を眺めるサク…という構図があり、グランドで撒く事の意味づけ(説得力)を図っている。
「もし、私がサクだったら…」
そう考えた時、真っ先に思い浮かべるのは「ウルル」である。

あらためてウルルに行って ちゃんと撒いてやる… そう考える。
だから、映画版のラストには とても説得力を感じたのだ。

しかし、TV版の展開を観ていて サクは 一度は亜紀の両親とウルルに行き 自分は撒けなかったけど、両親が撒くのには立ち会っている。
そう思うと、少し穿った考え方とは思うけど、「アキとサクの 二人だけの場所」というイメ-ジにそぐわない様な… ちょっとだけ、そんな違和感が生じる。
個人的願望が含まれてしまうのだが^^; 亜紀の遺灰を撒く場所は
・亜紀がいた場所
・亜紀が好んだ場所
そして、
・亜紀とサクが 共にいた場所
じゃないと 納得出来ない私がいた。
だから、次に考えた候補地は「アジサイの丘」である。
しかし、

「亜紀など いなかったのだと言われている気がして…」
と、17年後のサクに否定されてしまう^^;
ならば、次の候補地は?…と考えた時、思い浮かぶのは

「夢島」なのだが、
確かに 亜紀の視点で考えれば、夢島は

幸せのピ-クだった思い出の場所と考える事も出来るが、


サクの視点で考えると 亜紀が倒れた悲劇の場所…というイメ-ジが強いであろうから いかがなものかと考える。
そうやって考えていくと

この「校庭」という選択が ベストだなぁ…と思うに至る。
【ブタネコ注記】
これは TV版の展開を観ていてのブタネコ的帰結であって、原作の描写を肯定するものではありません。 念のため^^;
しかし…、
撒く場所が「校庭」になったのは良しとして、では
「何故、17年後なのか?」
その時期の部分の解釈は? まだ、足りていない。
でもね、あらためて考えると これって、言い方を変えれば
「17年目に 遺灰を撒けたのは何故か?」
という事にもなる。
17年撒けなかったんだから、この先20年、30年 撒けずにいたって不思議じゃない、いや、むしろ「死ぬまで撒けない」という姿が 最も理想なのかもしれない…とまで 考えた事もあった。
しかし、17年目の この時期に サクは撒く事が出来、視聴者である我々は それを
「よく頑張ったなぁ… サク」
と、泣きながら受け入れる。
何故? 受け入れられるのだろう?
撒いた場所が「校庭」だからか?
そこに気がついた時、「アッ!!」と ある事を思い出した。
第1話の冒頭


谷田部先生からハガキである。

「松本君、お元気ですか?
実は今度、君たちが通った校舎が取り壊されることになりました。
最後に見に来ませんか?
あれから もう17年が経ちました。
まだ帰って来れませんか?」
君たちが通った校舎が取り壊されることになりました
これが そもそもの事の発端だったのか・・・・・・・
今、撒かないと「亜紀とサクがいた校庭」も 無くなってしまうのだ。
人間は 死ぬと灰になる。
思い出の場所も 姿を変えて 無くなってしまう…。
「生きていくために 忘れる」
「堤幸彦」そして「森下佳子」よ
オマエら こんなとこにも伏線貼ってやがったのか…
気がついてみると もう、嬉しくて 泣けて来るよ…(ToT)
