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2005年07月12日

● ブタネコ的 ラストシ-ンの考察


このブログの常連コメンティタ-の方々より、かねてからTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の最大の謎とも言われている ラストシ-ンの考察を語れ…と言われてきたけれど、実を言うと 私自身もかねてより、ラストシ-ンに関して感じている事がありながら、お恥ずかしい話だが、私自身の中で 考察をまとめきる事が出来ずにいた。




今回、ある事がキッカケで いろいろと考えているうちに そのまとめきれなかった部分に光明を得る事が出来たので語ってみようと思う。


まぁ、何はともあれ 画像を並べてみますのでラストシ-ンを思い出して頂きたい。


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン


ラストシーン




さて、多くの視聴者は このシ-ンを


「サクが死んで 再びアキと巡り会う」


という風に解釈している方々が多い。


これは、このシ-ンの直前に


   『走り終わったその時に 君に笑って会えるだろう』


というナレ-ションがあるから、


「人生を走り終わった(寿命を全うした)サクが (天国で)亜紀と笑って再会した」


と解釈する。


これについて 私も同意するし、否定するつもりも無い。


実際の所、そう解釈するのが 一番、自然だと思う。


しかし、へそ曲がりな私は このラストシ-ンの意味って 果たして それだけなのか?と疑問に思い続けていた。


いろんなところに伏線やシンメトリ-を仕掛ける 鬼才:堤幸彦が そんな簡単なシ-ンで終わらしているのだろうか?… そう、疑問に思うのだ。


で、この解釈の他に


「ラストシ-ンは 視聴者を救済する為のシーンだ」


という説がある。


事実、


「ラストシ-ンのおかげで なんとか明るい気持ちになれました…」


そういうコメントを寄せる「セカチュ-・フリ-ク」も少なくない。


実際の所、私も このシ-ンが無ければ ズド-ンとアキの喪失感に沈んだまま 数日、自室に閉じ籠もって シクシク泣いていた事だろう。

(と言いつつ、ラストシ-ンを観たのに やっぱり泣いていた私だが^^;)


でもねぇ…、大変申し訳無いが その理由を合わせて考えても、まだ 納得のいかない私がいた。


なんか、ジグソ-・パズルのピースが いくつか欠けたままの気分だったのだ。


しかし、そこを埋め合わせる解釈が 悲しいかな思い浮かばなかったのである。




先日、


綾瀬はるかなる日々』の中に更新された、『世界の中心で、愛をさけぶ・第2話』という記事の終わりに記された


「ドラマの根底に 亜紀の意思を感じました・・・」


という takuさんの言葉を目にして あらためてTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の いくつかのシ-ンの解釈に変化が起きた。


それは、


  ・『続・アキバ系研究員達の考察


  ・『「世界の中心で愛をさけぶ」17年(ブタネコ的 第4話の考察)


  ・『ブタネコ的 第1話の考察


  ・『takuさんに 再び捧げます


  ・『ブタネコ的 第5話の考察


という風に書き綴ってきたわけだが…


それらの記事を まとめているウチに 更に幾つかの考察が浮かんできて、それらを思い浮かべているうちに「あれ?」と思い至った事がある。




このブログの常連コメンティタ-の1人である「うごるあ」さんが 


  ・『続・アキバ系研究員達の考察


という私の記事に寄せて下さったコメントの中に「面白いなぁ」と思った部分がある。


このドラマは映画版のようにユーレイや普通現実では起こり得ないような偶然の出来事を排除して(一樹が一人でサクに会いに来ちゃったのだけは例外)、徹底して現実に起こりうる事のみで演出していっている事が深い感動を呼んでいるんだと思いますが、最初の最初と最後の最後だけ、現実には起こっていないシーンで演出されています。


たしかに、第1話の冒頭のシ-ンは 


ラストシーン

サクはポケットからアキの遺灰の入った小瓶を取り出し


ラストシーン


ラストシーン

ウルルで灰を撒こうとする。


しかし、実際には 第11話の映像の中にあるように

ラストシーン

アキの遺灰は 小瓶からではなく、木箱から取り出している。


だから、この冒頭のシ-ンは サクの心象風景だ…という理解が一般的である。


私も この解釈には異論が無いが、もう一歩 踏み込みたくなるキッカケに 今回、気づいた。


と言うのは この冒頭のシ-ンの直後に流れる 17年後のサクのナレ-ションの内容である。


   朝起きると泣いている。

   悲しいからでは無い。

   17年前の夢から 17年後の現実に戻ってくる時に

   跨ぎ越さなくてはならない亀裂があり、

   僕は涙を流さずに そこを超える事ができないのだ




17年前の夢



「心象風景」=「夢」?




で、あらためて ラストシ-ンを見直していて ここでも「あれ?」と思った事がある。


ラストシーン

(アキ)「ビックリした?」


ラストシーン

(サク)「ビ・ビックリしたよぉ…」


このシ-ン、普通に何も考えないで観ていたら 誰もいなかったはずの堤防に 突然、アキが現れたから、


「ビックリした…」


という会話になるんだと誰もが解釈していると思う。


でもね、なんか私には 引っかかるモノが感じられたのだ。


そこで、他の「トントン・プス」シ-ンを見直してみた。


【第1話】
ラストシーン

(アキ)「おはよ」

(サク)「お、おはよう」


【第2話】
ラストシーン

(アキ)「おはよう サク」

(サク)「おはよう あ・あ… 廣瀬」


【第4話】
ラストシーン

(アキ)「おはよ」

(サク)「おはよう」


【第7話】
ラストシーン

(アキ)「おはよっ!!」

(サク)「 … 」


【第9話】
ラストシーン

(アキ)「おはよ」

(サク)「 … 」


お気づきであろうか?


「トントン・プス」の後は 決まって アキの台詞は「おはよう」なのだ。


この「トントン・プス」シ-ンは 他に判っているだけで2ヶ所あり、そのうちのひとつは


【第6話】

ラストシーン

(アキ)「サクちゃん」

(サク)「 … 」


なのだが、このシ-ンは 皆様も御承知の通り、1ヶ月ぶりに再会した二人のシ-ンであって 他のシ-ンとは状況が違う。


そして、もうひとつは


【第7話】

ラストシーン

(アキ)「今度は もうちょっと元気になって サクちゃんちの朝ご飯も食べてみたいなぁ…」


ラストシーン

(アキ)「おはよ…って言うの」


ラストシーン

(アキ)「それが今の夢かな…」


というシ-ンなのだが、これもまた、「夜の海辺」等 状況や意味が違う… 


けれども、このシ-ンに気が付いた事で 私が先に述べた 「ビックリした?」 への引っかかりの答えを得た様な気がした。


「(トントン・プスをして)おはよ…って言うの」


というアキの台詞に 


「トントン・プス」=「おはよう」 


という行為に込める、アキのこだわりを 感じませんか? と。^^;


だから、「トントン・プス」の後に「おはよ」ではなく、「ビックリした?」と聞くアキに違和感の様なモノ、普通とは違う、スペシャルな意味込めを ラストシ-ンから感じたのだ。

(場面が昼間だからだろ?という ツッコミは無しの方向で^^;)



さて、

ラストシーン

追いつけない速度で去っていくアキを

ラストシーン

僕は もうつかまえることができない

ラストシーン

生きている限り 

ラストシーン

君と僕とは 遠くなるばかりだろう

ラストシーン

だけど、僕は 走ることをやめない

ラストシーン

走り続ける僕たちの足跡は

ラストシーン

君がいた証だから。

(ナレ-ションと画像が合っていない事は どうか御容赦^^;)


この場面を見直していて ふと、思ったんだけど…


サクは 心の中で何かに気づき、ようやくアキの遺灰を撒く事が出来たわけだが…


この後、今までの様に 


ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン


この夢を見続けたのだろうか?


と、考えた時 ハタと思った。


もしかして、


ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン

ラストシーン


このラスト・シ-ンは 


『アキの遺灰が撒けた後に サクが観た夢なんじゃないか?』


そんな思いに至ったのだ。


「アキの死から抜け出せなかった17年間」… サクは寝ていた様なもの


それを起こすかの様な「トントン・プス」であり、アキの死後 サクが初めてウルルの場面とは違う夢を見ているのに対して 本来なら


「おはよう サクちゃん」


と言うところだが、


「(いつもと違う夢で)ビックリした?」


と、アキが からかう様に言ったんじゃないか?… と。


他の方が どう思うかは判らないが、そういう解釈に至った時、私は 個人的にスッキリした気分になれた。


「人生を走り終わったサクが 亜紀と笑って再会した」


という解釈や


「ラストシ-ンは 視聴者を救済する為のシーンだ」


という解釈もアリだし、それはそれで正解だと思う。


しかし、私が自分自身の解釈の中に欠けていると 漠然と感じていたジグソ-・パズルのピースとは サクの魂の救済だったのだ。


アキが死ぬのと同時に、サクも死んだも同然だった17年間だったのだ。


アキの遺灰が撒かれて もし、アキが成仏したのなら、撒いたサクも成仏しないと(決して”死ぬ”という意味では無く) サクが可哀相なのである。


そこで私は夢想する。


グランドでアキの遺灰を撒いた日の夜。


眠ったサクが見た夢は 今までのウルルの場面とは全く違う、防波堤でのアキとの夢。


その夢の中で アキは ようやく「生きていく事に目覚めた」サクに「おはよう」という気持ちを込めて「トントン・プス」をする。


それは アキの死後、17年間 アキを想い続けたサクを 見るに見かねて


---- < 以下、引用 > ----

【引用元】

綾瀬はるかなる日々』の『世界の中心で、愛をさけぶ・第2話



ラストシーン


1話で 倒れた緒方朔のポケットから転げ落ちた亜紀の骨が入ったビン・・・


ラストシーン


折しもそれは 亜紀の誕生日の7月2日・・・


ラストシーン


その時から 亜紀は朔の近くに来ていたのではないでしょうか?


ラストシーン


17年後の朔を見て このままではいけないと思い 朔に道を指し示していく・・・


ドラマでは説明の無かった ラジオネーム:ジュリエットさんからの


ラストシーン


不思議な投稿ハガキ・・・


ラストシーン


5話の夢島で 亜紀が残したテープを探す緒方朔に


ラストシーン


まるでテープを見つけさせるかのように転がっていくビン・・・


ラストシーン


最終話で 朔と明希との事を確認して ビンは自分の役割は終わったのだと言わんばかりに


ラストシーン


自ら割れて “ソラ”へと消えていった亜紀・・・


ラストシーン


“ソラノウタ”が 17年後に朔の手元に渡った事さえも 亜紀の意思が働いたのだと考えるのは・・・いき過ぎでしょうか?^^;


この2話のラストにおいても


ラストシーン


「亜紀など いなかったのだと言われている気がして」

と考えてる朔の横に来ていて

「昔 教えてあげたのに・・・

 朔ちゃんって いっつも肝心な事忘れるよね・・・

 ココの紫陽花が今は青いのは 私のおかげなんだよ♪」

 って笑ってる気がするんです^^;;


---- < 以上、引用終わり > ----


そんな 亜紀の意思の行き着いた結果が この夢なんじゃなかろうか?


我ながら この解釈が全てで 絶対にコレだ…とまで言い切る自信は無い。


しかし、「遺灰を撒けて あ~、お終い」 TV版「世界の中心で愛をさけぶ」は そんな薄っぺらな物語では無い。


サクは この先も生きていくし、そんなサクに「生きていくあなたへ」とアキはエ-ルを送り、思いを託している。


アキの両親は 17年間のサクに「もう充分だ」と理解を示し、谷田部先生は「誰かを乗せて走りなさい」と示唆している。


小林明希は 亜紀の存在、サクと亜紀の経緯を理解した上で


「松本君が話したくなったら いつでも聞くよ」


と、受け止める意思まで示しており、明希の息子は サクが自分の父親だと 既に認知している。


亜紀の遺灰を撒く事が出来たサクが 今までの様に 


   朝 起きると泣いている

   悲しいからじゃない

   夢から現実に戻ってくるとき

   跨ぎこさなくてはならない亀裂があり

   僕は 涙を流さずに そこを超えることができない


そんな夜を迎える必要は無い。


亜紀は言ったのだ


「サクちゃん 明けない夜は無いんだよ」


まさに、全ては亜紀の意思だったのだ…と思うと 私は個人的に納得出来た。


だから、この先 サクが小林明希と第二の人生を過ごす事も 亜紀は既に容認しているし、明希も亜紀の存在を理解している…と思える。


当事者達が理解して容認している以上、そこに簀巻きの理由は無い。




以上、ラストシ-ンの考察に関して 我ながら ちと強引かな…と思う部分を多々感じつつ、こんな意味も含まれてるんじゃないかな?…と 想像するままを述べてみました。


何度も申し上げている事ですが、これは重度の「セカチュ-症候群」患者が妄想したものであり、健康な方が目にしたら思わず後ずさりする内容だと心得ます。


もし、違和感を感じたり、嫌悪感を感じた場合は 見なかった事にして放置して下さい。


『オタク的 考察』関連の記事

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コメント

ついに来ましたか

うーん、この線も考えたことは考えたんですが、
えーっと、もうちょっと考えてからコメントします。

ただ、あの世は無いけど天国はある、というのがこのドラマの(亜紀の)解釈だと思いますが、天国(世界の中心)の解釈は二人が一緒にいる世界(亜紀目線だとサク)だと思います。
だから、亜紀の生前はこの世が天国だったのが死後は二人は別々の世界に住むことになったのでお互い天国ではない世界に。そしてサクが人生を終えた後再び二人は住む世界が一緒になるので、最後のシーンはあの世で再会というより天国で再会したんだというのが先日の私の最後のシーンの考察の補足です。

ただ、これもねー。サクの中に亜紀はずっといたんだ、ということに緒方サクは気づくわけですが、それだったら亜紀の死後もずっとサクは天国にいるんじゃないか?と問われたらその通りなんですよね。

2回目のコメントです。
僕はラストシーンについては、
「走り終わったその後の再会」派なのですが、
亜紀の「びっくりした?」については、亜紀が居た事に対してではないと思ってます。
朔は走り終わった後で必ず亜紀に会えると思っていた。
だからウキウキしたような、会うのが待ちきれないと言った様な表情で
走っているように見えるんです。
そして防波堤についたら亜紀が居ない。
あれ?あれ?と周囲のテトラポット等を見回すカットも入っていますよね。
すると後ろからトントンプス。
亜紀の悪戯好きは相変わらずで、こっそりかくれて朔を驚かせた。
そこで、「居なくてびっくりした?」なんだと思うんです。
朔:「したよぉー、居ないかと思っっちゃったよー」
相変わらずの、かわいい二人でエンディング。
こんな解釈のヤツも居ると言うことで。
精神的に救われたいだけの、勝手な妄想かもしれませんがw

初めて書き込ませて頂きます。ブタネコさん、私はあなたに激しく同意、いわゆる禿同です。ここまでの考察に至るまでに、どれだけドラマを見直し、亜紀が朔に伝えようとしている事、(又は私達みんなに向かって伝えようとしてくれている事)を汲み取ろうとされていたかと思うとその真っ直ぐな澄んだ心に感動いたします。
自分達の金儲けと暇つぶしでどうでもいい事ばかりを垂れ流しているTV番組ばかりの中で、ドラマ版「セカチュー」は本当に大切な物を改めて気付かせてくれる大切なドラマです。ブタネコさんの考察、本当に目からウロコでした。

>うごるあ さん

『あの世は無いけど天国はある、というのがこのドラマの(亜紀の)解釈だと思いますが、天国(世界の中心)の解釈は二人が一緒にいる世界(亜紀目線だとサク)だと思います。』

上記、うごるあさんの前提に関し

「あの世は無い」---同意^^

「天国はある」----条件付き同意^^

「天国(世界の中心)の
 解釈は二人が一緒に 
 いる世界 ---- 不同意^^;
(亜紀目線だとサク)」

と 書くと 短絡的な表現なんで誤解を生みそうですが…^^;

ラストシ-ンの解釈というのは 「夢」「死生観」「宗教観」等を 
どのように解釈するかで 大きく変わると思います。

今回、自分なりに考えてみて つくづく、そこを感じましたから^^

ですから、自分で どんなに「これが正解」って思っても、解釈の違う人に それが説得力のある考察に成り得るか?と考えると 非常に難しいものがありますね。

たとえば…(あくまでも、例えばです^^)

サクは亜紀の遺灰を撒いた日の夜、この世で成すべき事は もう無くなったと安心して 亜紀に会うために自殺した。

ラストシ-ンは そのサクを迎えにきた亜紀を描いたシ-ンだ

そういう解釈をする人がいても 私は不思議に思いません。

ただ、その解釈を納得するか否かは別の問題ですが…^^

まぁ、上の極論的例えほど極端じゃなくても 微妙な違いがあって当たり前だと思います。

考察というのは 考えているときがいちばん楽しく、その為に 他人の意見や疑問に耳を傾ける事だと思います。

だから、あえて 早急に結論を見出す必要は無いと思うんです。

また、何回かDVDを見直しているウチに「あれ?」って事が起きれば 今回、大げさに「考察」と語った事とは 全く矛盾するかもしれない結論になる可能性がありますしね。^^;
(私の場合は 特にね^^)


>TOH(とー) さん

「走り終わったその後の再会」派… いや、別に派閥争いして
るわけじゃありませんし、その解釈が いたって自然だと思いますよ^^ だから、否定してませんしね。^^;

おそらく その解釈をする人が 圧倒的多数だと思いますもん。

ただ、私は 記事にも書いたとおり

「それ以外の含みが きっとあるはず」

と考えた結果が 今回の考察…なのでありまして どっちが正しいとか否とかの 比較や議論をする気はありません。^^

たぶん、私は欲深なんです^^;

TOH(とー) さんを含めた 圧倒的多数の方々の解釈だけでは満足し切れない 欲深なんですね。^^


>名ナス さん

お褒めいただき ありがとうございます^^

その御言葉で これからも生きていけます^^

それにしても…

こんな欲深な私を

「真っ直ぐな澄んだ心」

と、言ってくださいますか…(感涙です)

その御言葉、嫁や娘に 聞かせてやりたい。

1話の始まりが、朔の夢の中の場面のウルル。
最終話の最後が、亜紀との17年間を朔なりに終えた後の夢・・・

深い・・・深い所までいきましたね~。

なんか映画版「今会いにゆきます」のように、ぴったりパズルが完成した感がありますね。
まったくもって、同感です。

死後の世界なんですが、あっさり無いと否定するのも寂しいので、あったらいいのぁ~ということで(つ´∀`)つ

ブタネコさんの考察、お見事です(・∀・)イイ!!

>wenfang さん

だって、アキが「無い」って言ったんだもん^^


このまま永久に考えがまとまらない気がするんですが
その前にブタネコさんの考察に対して質問があります。

>当事者達が理解して容認している以上、そこに簀巻きの理由は無い。

この部分だけを読むと、サクは亜紀のことを想いながら明季と歩んでいき、明季もそのことを承知でサクと歩んでいく、という風に取れます(取る事もできます)。

でも

>だから、この先 サクが小林明希と第二の人生を過ごす事も 亜紀は既に容認しているし、明希も亜紀の存在を理解している…と思える。

この部分の「サクが小林明希と第二の人生を過ごす」だけなら明季を女性としてでも生涯の伴侶として(サク祖父にとってのサク祖母の関係)でも取れるんですが「亜紀は既に容認している」とあるので明季を女性としてサクはこれからを過ごして行く、と取れ、「明希も亜紀の存在を理解している」は、明季は亜紀を好きだったサクもひっくるめてサクを男性として愛していく、という事になるのかなと思います。

結局、ブタネコさんの解釈ではサクは明季を女性として一緒になろうとしたんでしょうか。それともあくまで好きな人は亜紀一人なんでしょうか。

というのは、ブタネコさんの考察を受け、また、引用していただいた私の考察も改めて考えると
確かに物語の最初と最後がサクの夢だった、という風にすると構図的にスッキリするんですよね。
ただ、その場合にしても、もし明季を女性として迎えた場合、亜紀と手を繋いでいく夢を見るのはブタネコさんの簀巻きの刑に遭うことになります。
サクが簀巻きの刑に遭わないためには、明季との関係を、まるで4,50年連れ添った夫婦が感じると言う、男女の仲というのを超えた生涯の伴侶、つまりサクが見ていた祖父と祖母の関係のような関係にしなくてはなりません。

さて、如何でしょうか。

 いつも ブタネコさんの卓見にはひざを打っています。
 今回のラストのシーン解釈には 感動すら覚えました。
  もうひとつの解釈 (サクの走り終わっての再開) というのは 私にはなじめませんでした。
 というのは、サクとアキの会話に おじいちゃんとおばあちゃんはいやなところをみせあっていて やっぱり そんなのがいい、と言ったんですよ。
 そのサクが 明希と何十年か一緒に走り続けた後に あのラストは ちょっと・・・
 それより 17年ぶりに生きることにめざめたサクに 「おはよう」、そして 「がんばれ」 とアキが夢の中で応援している、のほうがすっきりします。
 ブタネコさんのおかげで また せかちゅうがよりいっそう好きになりました。
 

 はじめまして、宜しくお願い致します。
肩や腰の調子がどうもと思っていましたが、咽び泣く自分に心もだいぶ凝っていたんだなとTBSセカチューを見て気づきました。それなりに積み重ねてきた人生のいろいろなつぼを刺激され、痛気持ち良い感覚というか、すっかりセカチュー病です。
 高校卒業後、帰れなかった故郷に帰ってきた朔を支えてくれた明希さんは、6歳の男の子を1人で働きながら育ててきた苦労人。保険という仕事柄、やはりいろいろな人生を見てきたことでしょう。大人な感じで、多くを望まず、踏み込んでこない関係です。亜紀パパのお言葉を頂き亜紀ちゃんを送り亜紀ちゃんの本を読みやっと朔は、次のステージに進みますが、やっぱりいつも亜紀のことは考え続けると思います。何回も見た夢は、ブタネコさんのおっしゃる通り胸を締め付ける荒涼とした風景から2人でいつも空や海を見ていた幸せな防波堤に変わったことでしょう。それが最後のシーンかもしれません。2度と会えない人だけどずっと朔は、亜紀ちゃんに恥ずかしい生き方はしてないよ、がんばってるよと話しかけ支えにしていると思います。その時のその姿は、健康なときの好きといってくれたときのもので、自分も白髪とか生えてこないんだろうな。

 

>うごるあ さん

今回のレスは「うごるあさんに捧ぐ」というタイトルで
記事にして掲示しましたので よろしくです^^;


>くまさん さん

コメントありがとうございました。

お陰様で ちょっぴり自信と喜びを得ました^^


>ウルウル さん

御病状が悪化しないことを 陰ながらお祈り
申し上げます。^^;

はじめまして。
本放送開始から3年が経とうというのに、セカチュー症候群が再発したモンといいます。
症状を和らげるために(悪化させるために?)セカチュー関連の記事を再読させてもらってます。

自分も、この考察に同意します。
堤監督の技炸裂で、色々な解釈が出来る様になっているラストシーンですが、自分にとって
一番素直に共感できるのはブタネコさんの解釈です。

また、ブタネコさんの考察にしたがって考えると、1話の冒頭が「夢→目覚めると泣いている→
病院で倒れる(目覚めたのは亜紀の意思が感じられる世界)」の順になっているのに対して、
最終話は「病院で倒れる(目覚めたのは亜紀がいない世界)→目覚めると泣いている→夢」という、
シンメトリーの構成になるわけで、森下さんの脚本らしいな~と、ひとり納得しました。

★ モン さん

こちらこそ、はじめまして コメントありがとうございます。^^

3年立っても 壊れたままのブタネコです。^^;

TV版「世界の中心で愛をさけぶ」は深いですよね…

ブタネコさん。レスありがとうございます。

> TV版「世界の中心で愛をさけぶ」は深いですよね…

本当ですね~
本放送の時から何十回も見ているのに、いまだに新たな発見があったりします。
(見るごとに物語に入り込んでしまって、気が付かなかっただけなんですが…)


昨日の追加です。

> 自ら割れて “ソラ”へと消えていった亜紀・・・
> “ソラノウタ”が 17年後に朔の手元に渡った事さえも 亜紀の意思が働いたのだと考えるのは・・・
> いき過ぎでしょうか?^^;

いき過ぎではないと思います。

10話でのビンの描写は、冒頭でビンが割れ、雨が降ってきて、遺灰が流され、最後は空になったビン
の残骸です。
そして、ビンの残骸の前後のシーンは「助けてください」と空港のロビーに落ちている“ソラノウタ”です。

亜紀の側から見ると、「ここ天国だもん」と「もう見えないよ なぜなら おまえの中にいるからさ」の間に
“遺灰が流され、空になったビンの残骸”がいるわけで…

ビンが自ら割れることで、その役割を“亜紀の意思を言葉で語る=ソラノウタ”に託したのだと思います。

★ モン さん


>亜紀の意思が働いたのだと考えるのは・・・
>いき過ぎでしょうか?^^;

この部分は takuさんの記事の引用である事を まず、確認させて頂いて…

記事内でも述べているように 私も このtakuさんの考察に同意なんです。^^;


ま、セカチューを知らない人、嫌いな人には「単なるコジツケ」に映るやもしれませんが…


朔のポケットからビンがこぼれ落ちるのは このビンが割れた時以外に、夢島のタイムポストの時があります。

これもリンクだと私は感じたので記事の内容の考察が浮かんだわけです。


だから、モンさんの仰る事も よく判ります。^^


> この部分は takuさんの記事の引用である事を まず、確認させて頂いて…

申し訳ありません。
勘違いしました。

ブタネコさんと、takuさんに不快な思いをさせてしまって…
ほんとうに、ごめんなさい。

> だから、モンさんの仰る事も よく判ります。^^

こう言っていただけると、助かります。

★ モン さん

全然、不快になんて思ってませんので どうか、お気になさらず。^^

むしろ、モンさんのコメントを読んだtakuの野郎が「そうだろ、そうだろ ウンウン…」って悦に入ってるだろう事を思うと そっちの方が 甚だ不愉快です。^^;

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