● ブタネコ的 ラストシ-ンの考察
このブログの常連コメンティタ-の方々より、かねてからTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の最大の謎とも言われている ラストシ-ンの考察を語れ…と言われてきたけれど、実を言うと 私自身もかねてより、ラストシ-ンに関して感じている事がありながら、お恥ずかしい話だが、私自身の中で 考察をまとめきる事が出来ずにいた。
今回、ある事がキッカケで いろいろと考えているうちに そのまとめきれなかった部分に光明を得る事が出来たので語ってみようと思う。
まぁ、何はともあれ 画像を並べてみますのでラストシ-ンを思い出して頂きたい。















さて、多くの視聴者は このシ-ンを
「サクが死んで 再びアキと巡り会う」
という風に解釈している方々が多い。
これは、このシ-ンの直前に
『走り終わったその時に 君に笑って会えるだろう』
というナレ-ションがあるから、
「人生を走り終わった(寿命を全うした)サクが (天国で)亜紀と笑って再会した」
と解釈する。
これについて 私も同意するし、否定するつもりも無い。
実際の所、そう解釈するのが 一番、自然だと思う。
しかし、へそ曲がりな私は このラストシ-ンの意味って 果たして それだけなのか?と疑問に思い続けていた。
いろんなところに伏線やシンメトリ-を仕掛ける 鬼才:堤幸彦が そんな簡単なシ-ンで終わらしているのだろうか?… そう、疑問に思うのだ。
で、この解釈の他に
「ラストシ-ンは 視聴者を救済する為のシーンだ」
という説がある。
事実、
「ラストシ-ンのおかげで なんとか明るい気持ちになれました…」
そういうコメントを寄せる「セカチュ-・フリ-ク」も少なくない。
実際の所、私も このシ-ンが無ければ ズド-ンとアキの喪失感に沈んだまま 数日、自室に閉じ籠もって シクシク泣いていた事だろう。
(と言いつつ、ラストシ-ンを観たのに やっぱり泣いていた私だが^^;)
でもねぇ…、大変申し訳無いが その理由を合わせて考えても、まだ 納得のいかない私がいた。
なんか、ジグソ-・パズルのピースが いくつか欠けたままの気分だったのだ。
しかし、そこを埋め合わせる解釈が 悲しいかな思い浮かばなかったのである。
先日、
『綾瀬はるかなる日々』の中に更新された、『世界の中心で、愛をさけぶ・第2話』という記事の終わりに記された
「ドラマの根底に 亜紀の意思を感じました・・・」
という takuさんの言葉を目にして あらためてTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の いくつかのシ-ンの解釈に変化が起きた。
それは、
・『「世界の中心で愛をさけぶ」17年(ブタネコ的 第4話の考察)』
・『ブタネコ的 第1話の考察』
・『ブタネコ的 第5話の考察』
という風に書き綴ってきたわけだが…
それらの記事を まとめているウチに 更に幾つかの考察が浮かんできて、それらを思い浮かべているうちに「あれ?」と思い至った事がある。
このブログの常連コメンティタ-の1人である「うごるあ」さんが
という私の記事に寄せて下さったコメントの中に「面白いなぁ」と思った部分がある。
このドラマは映画版のようにユーレイや普通現実では起こり得ないような偶然の出来事を排除して(一樹が一人でサクに会いに来ちゃったのだけは例外)、徹底して現実に起こりうる事のみで演出していっている事が深い感動を呼んでいるんだと思いますが、最初の最初と最後の最後だけ、現実には起こっていないシーンで演出されています。
たしかに、第1話の冒頭のシ-ンは

サクはポケットからアキの遺灰の入った小瓶を取り出し


ウルルで灰を撒こうとする。
しかし、実際には 第11話の映像の中にあるように

アキの遺灰は 小瓶からではなく、木箱から取り出している。
だから、この冒頭のシ-ンは サクの心象風景だ…という理解が一般的である。
私も この解釈には異論が無いが、もう一歩 踏み込みたくなるキッカケに 今回、気づいた。
と言うのは この冒頭のシ-ンの直後に流れる 17年後のサクのナレ-ションの内容である。
朝起きると泣いている。
悲しいからでは無い。
17年前の夢から 17年後の現実に戻ってくる時に
跨ぎ越さなくてはならない亀裂があり、
僕は涙を流さずに そこを超える事ができないのだ
17年前の夢
「心象風景」=「夢」?
で、あらためて ラストシ-ンを見直していて ここでも「あれ?」と思った事がある。

(アキ)「ビックリした?」

(サク)「ビ・ビックリしたよぉ…」
このシ-ン、普通に何も考えないで観ていたら 誰もいなかったはずの堤防に 突然、アキが現れたから、
「ビックリした…」
という会話になるんだと誰もが解釈していると思う。
でもね、なんか私には 引っかかるモノが感じられたのだ。
そこで、他の「トントン・プス」シ-ンを見直してみた。
【第1話】

(アキ)「おはよ」
(サク)「お、おはよう」
【第2話】

(アキ)「おはよう サク」
(サク)「おはよう あ・あ… 廣瀬」
【第4話】

(アキ)「おはよ」
(サク)「おはよう」
【第7話】

(アキ)「おはよっ!!」
(サク)「 … 」
【第9話】

(アキ)「おはよ」
(サク)「 … 」
お気づきであろうか?
「トントン・プス」の後は 決まって アキの台詞は「おはよう」なのだ。
この「トントン・プス」シ-ンは 他に判っているだけで2ヶ所あり、そのうちのひとつは
【第6話】

(アキ)「サクちゃん」
(サク)「 … 」
なのだが、このシ-ンは 皆様も御承知の通り、1ヶ月ぶりに再会した二人のシ-ンであって 他のシ-ンとは状況が違う。
そして、もうひとつは
【第7話】

(アキ)「今度は もうちょっと元気になって サクちゃんちの朝ご飯も食べてみたいなぁ…」

(アキ)「おはよ…って言うの」

(アキ)「それが今の夢かな…」
というシ-ンなのだが、これもまた、「夜の海辺」等 状況や意味が違う…
けれども、このシ-ンに気が付いた事で 私が先に述べた 「ビックリした?」 への引っかかりの答えを得た様な気がした。
「(トントン・プスをして)おはよ…って言うの」
というアキの台詞に
「トントン・プス」=「おはよう」
という行為に込める、アキのこだわりを 感じませんか? と。^^;
だから、「トントン・プス」の後に「おはよ」ではなく、「ビックリした?」と聞くアキに違和感の様なモノ、普通とは違う、スペシャルな意味込めを ラストシ-ンから感じたのだ。
(場面が昼間だからだろ?という ツッコミは無しの方向で^^;)
さて、

追いつけない速度で去っていくアキを

僕は もうつかまえることができない

生きている限り

君と僕とは 遠くなるばかりだろう

だけど、僕は 走ることをやめない

走り続ける僕たちの足跡は

君がいた証だから。
(ナレ-ションと画像が合っていない事は どうか御容赦^^;)
この場面を見直していて ふと、思ったんだけど…
サクは 心の中で何かに気づき、ようやくアキの遺灰を撒く事が出来たわけだが…
この後、今までの様に






この夢を見続けたのだろうか?
と、考えた時 ハタと思った。
もしかして、









このラスト・シ-ンは
『アキの遺灰が撒けた後に サクが観た夢なんじゃないか?』
そんな思いに至ったのだ。
「アキの死から抜け出せなかった17年間」… サクは寝ていた様なもの
それを起こすかの様な「トントン・プス」であり、アキの死後 サクが初めてウルルの場面とは違う夢を見ているのに対して 本来なら
「おはよう サクちゃん」
と言うところだが、
「(いつもと違う夢で)ビックリした?」
と、アキが からかう様に言ったんじゃないか?… と。
他の方が どう思うかは判らないが、そういう解釈に至った時、私は 個人的にスッキリした気分になれた。
「人生を走り終わったサクが 亜紀と笑って再会した」
という解釈や
「ラストシ-ンは 視聴者を救済する為のシーンだ」
という解釈もアリだし、それはそれで正解だと思う。
しかし、私が自分自身の解釈の中に欠けていると 漠然と感じていたジグソ-・パズルのピースとは サクの魂の救済だったのだ。
アキが死ぬのと同時に、サクも死んだも同然だった17年間だったのだ。
アキの遺灰が撒かれて もし、アキが成仏したのなら、撒いたサクも成仏しないと(決して”死ぬ”という意味では無く) サクが可哀相なのである。
そこで私は夢想する。
グランドでアキの遺灰を撒いた日の夜。
眠ったサクが見た夢は 今までのウルルの場面とは全く違う、防波堤でのアキとの夢。
その夢の中で アキは ようやく「生きていく事に目覚めた」サクに「おはよう」という気持ちを込めて「トントン・プス」をする。
それは アキの死後、17年間 アキを想い続けたサクを 見るに見かねて
---- < 以下、引用 > ----
【引用元】
『綾瀬はるかなる日々』の『世界の中心で、愛をさけぶ・第2話』

1話で 倒れた緒方朔のポケットから転げ落ちた亜紀の骨が入ったビン・・・

折しもそれは 亜紀の誕生日の7月2日・・・

その時から 亜紀は朔の近くに来ていたのではないでしょうか?

17年後の朔を見て このままではいけないと思い 朔に道を指し示していく・・・
ドラマでは説明の無かった ラジオネーム:ジュリエットさんからの

不思議な投稿ハガキ・・・

5話の夢島で 亜紀が残したテープを探す緒方朔に

まるでテープを見つけさせるかのように転がっていくビン・・・

最終話で 朔と明希との事を確認して ビンは自分の役割は終わったのだと言わんばかりに

自ら割れて “ソラ”へと消えていった亜紀・・・

“ソラノウタ”が 17年後に朔の手元に渡った事さえも 亜紀の意思が働いたのだと考えるのは・・・いき過ぎでしょうか?^^;
この2話のラストにおいても

「亜紀など いなかったのだと言われている気がして」
と考えてる朔の横に来ていて
「昔 教えてあげたのに・・・
朔ちゃんって いっつも肝心な事忘れるよね・・・
ココの紫陽花が今は青いのは 私のおかげなんだよ♪」
って笑ってる気がするんです^^;;
---- < 以上、引用終わり > ----
そんな 亜紀の意思の行き着いた結果が この夢なんじゃなかろうか?
我ながら この解釈が全てで 絶対にコレだ…とまで言い切る自信は無い。
しかし、「遺灰を撒けて あ~、お終い」 TV版「世界の中心で愛をさけぶ」は そんな薄っぺらな物語では無い。
サクは この先も生きていくし、そんなサクに「生きていくあなたへ」とアキはエ-ルを送り、思いを託している。
アキの両親は 17年間のサクに「もう充分だ」と理解を示し、谷田部先生は「誰かを乗せて走りなさい」と示唆している。
小林明希は 亜紀の存在、サクと亜紀の経緯を理解した上で
「松本君が話したくなったら いつでも聞くよ」
と、受け止める意思まで示しており、明希の息子は サクが自分の父親だと 既に認知している。
亜紀の遺灰を撒く事が出来たサクが 今までの様に
朝 起きると泣いている
悲しいからじゃない
夢から現実に戻ってくるとき
跨ぎこさなくてはならない亀裂があり
僕は 涙を流さずに そこを超えることができない
そんな夜を迎える必要は無い。
亜紀は言ったのだ
「サクちゃん 明けない夜は無いんだよ」
まさに、全ては亜紀の意思だったのだ…と思うと 私は個人的に納得出来た。
だから、この先 サクが小林明希と第二の人生を過ごす事も 亜紀は既に容認しているし、明希も亜紀の存在を理解している…と思える。
当事者達が理解して容認している以上、そこに簀巻きの理由は無い。
以上、ラストシ-ンの考察に関して 我ながら ちと強引かな…と思う部分を多々感じつつ、こんな意味も含まれてるんじゃないかな?…と 想像するままを述べてみました。
何度も申し上げている事ですが、これは重度の「セカチュ-症候群」患者が妄想したものであり、健康な方が目にしたら思わず後ずさりする内容だと心得ます。
もし、違和感を感じたり、嫌悪感を感じた場合は 見なかった事にして放置して下さい。
