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2005年07月09日

● ブタネコ的 第1話の考察


今回、この記事で以下に述べる事は 根本的に私(ブタネコ)の脳内で勝手に描いた妄想から始まった事である。




だから、どうか 慢性で、しかも 重篤な「セカチュ-症候群」の発作によるものと笑って見逃して頂きたい。


さて、キッカケは 数日前に拙ブログにコメントを下さった 「海」さんが主催する『いろいろ』というブログ内に


『セカチュ-1話で質問』


という記事を発見し 拝読した事が発端です。


で、その記事の中に以下の設問がある


世界の中心で愛をさけぶ



この日は日曜で、恩師のお葬式に行くのに、なぜ亜紀は、ふなむしやパッチンガムやキーホルダーを持ってきていたのでしょうか?

わかりません。教えてください。



というものだった。


この問いかけに ちと意表を突かれた。


キ-ホルダ-は おそらく、自分の宝物として愛用していたんじゃないか?と 愚考する。


世界の中心で愛をさけぶ


以前、別記事でも述べた事だが、70~80年代を学生として過ごした者には 受験勉強をしながら 深夜ラジオを聴くのは ひとつの定番スタイルで 人気番組に投稿して記念のアイテムを手に入れようとするのも 当時の ひとつの楽しみであり、実際に 手に入れる事が出来たアイテムは 自慢の宝物になった記憶が私にもある。


だから、何かの投稿で 手に入れていたキ-ホルダ-は アキにとって大事な宝物であり、鞄にブラ下げたり、実際に キ-ホルダ-そのものの本来の使い方として大事に持ち歩いていたんじゃなかろうか?…と思う。


世界の中心で愛をさけぶ


しかし、何故「ふなむし」や「パッチンガム」までをも持っていたのか?


これは 問われるまで 全く考えもしなかったが、いざ考えてみると なんか奥が深そうに感じたのだ。


で、この問いに関する回答としては 上記ブログの中で Wenfangさんが既に応えられている内容が 私には とても説得力のある答えなので あえて、愚見は申し上げないが…


この問いかけを考えている最中に 別の事に ふと私の妄想が広がったのだ。


ひとつは


「アキは いつから サクが好きだったんだろう?」


と言う事。


TV版「世界の中心で愛をさけぶ」の物語は 学年主任の葬式の日から始まる。


世界の中心で愛をさけぶ


それより以前に関しては 殆ど、情報は無い。


世界の中心で愛をさけぶ


「この葬式の日に サクがアキに恋をした…」


というのは 多くの共通した公式見解である。


では それに対してアキは いつからサクが好きだったのか?


もしかしたら、それより以前から アキは 密かにサクの事が好きだったのかもしれないが、それについては不明である。


むしろ、単純に 


世界の中心で愛をさけぶ


「弔事を読んでいる最中に いきなり降り始めた雨に傘を差し掛けてくれた…」


というのが、そもそものキッカケ…というのが自然な解釈なのかもしれない。


世界の中心で愛をさけぶ


宝物をプレゼントしたくなるぐらいアキには 嬉しい行為だった… 


世界の中心で愛をさけぶ


ゆえに、それじたいが 愛情表現と見る事は簡単である。


だから、それが 恋愛のキッカケになったとしても なんの不思議も感じない。


ただ、ここに ひとつだけヒントの様なアキの台詞がある事に気づく。


それは 防波堤の告白「好きなものランキング」の中の一言


「第3位、いつもいつも鍵を無くしてモゾモゾしている 松本朔太郎」


世界の中心で愛をさけぶ


である。


「いつもいつも」


少なくとも この言葉から 


「前から(おそらく葬式の日よりも)サクのこと 見てたのよ」


という意味を受け止める。


厳密に いつから好きだったのか?を 突き止める必要は無い。


その「葬式より前から…」「見ていた」さえ判れば とりあえず充分なのである。


と言うのは ここからが私の 今回の本題。


とさっこさんの設問から、「ふなむし」や「パッチンガム」は 考えてみれば意外な品である。


何故、意外かというと これらの品が 余計にアキが孤独だった…事を 裏付けるような気がしてならないからだ。


というのは偶然かもしれないが、私の記憶にある「パッチンガム」を所持していた 私のリアルの同級生は どちらかというと社交性に欠けた 友人の少ないタイプの者だったからだ。


ゴムでできた クモやゴキブリのオモチャを所持している者も そうだった。


始終、数名の友人達と和気藹々に過ごしている者達には そういうアイテムは 逆に不要だったのだ。


言い難いことではあるが、友人との社交性に欠けた者が ある種のコミニュケ-ションを図る為のキッカケのグッズとして使用していた感が強い。


で、後に サクと付き合うようになって スケやボウズとも会話をする様になるアキだが、それまでは 智世だけが友人で、同級生といっても 他に心やすく付き合っている友人の姿が無い。


実際に、アキ自身が 第2話のアジサイの丘のシ-ンで


世界の中心で愛をさけぶ


「揉めるのが嫌で 家でも学校でも 嘘ばかりついている」


と言う意味のことを述懐している。


その辺からも 友人関係での社交性が 今ひとつ欠けていたんじゃないか?と推察してしまった時、あまりにも「綾瀬はるか」が可憐で可愛いが故に 想像もしていなかった、あるシ-ンの もうひとつの意味に気づく。


世界の中心で愛をさけぶ


弔事を読んでいる最中に突然、降り出した雨


世界の中心で愛をさけぶ


待避する生徒達


世界の中心で愛をさけぶ


濡れながら弔事を読み続けるアキ


ここで、


もし、サクがアキに傘を差し掛けなかったら その後、どうなったんだろう?


「世界の中心で愛をさけび損なった」


というドラマが そこで終わった… というギャグ的オチを言うつもりは無い。


ズブ濡れのまま 最後までアキは弔事を読み切るんだろうねぇ…。



で、ハタと気づく。


アキには こんな状況で 傘を差し掛けてくれる友達がいなかったのか?と。


そこに気が付いた途端、「セカチュ-症候群」に冒されている私は 目頭が熱くなる。


「アキは なんて可哀相な娘なんだ…」と。


アキは孤高な女の子だったのだ。


世界の中心で愛をさけぶ


サクが差し掛けた傘は 孤独なアキに差し伸べられた救いの手でもあったのだ。


それが この弔事のシ-ンに込められた もうひとつの意味だと思ったら「セカチュ-症候群」に冒されている私は 目頭が熱くなってしまうのだ。


で、先の検証によって得られた


「アキは葬式の日より前から… サクに対して恋心の様なものを抱いていた」


だったとしたら


世界の中心で愛をさけぶ


このアキの表情に込められた感情は いかばかりのモノだったのだろう?…


あぁ、駄目だ また泣けてきた。


そして、この流れには 同じ第1話の中で さらに追い打ちをかけるシ-ンがある。


世界の中心で愛をさけぶ


「ジュリエット辞めたら…」


その理由をサクは


世界の中心で愛をさけぶ


「いつもと笑顔が違ってた」


世界の中心で愛をさけぶ


と、なにげに言う。


そう、アキが「いつもいつも鍵を無くして…」とサクを見ていた様に サクもアキの笑顔の違いが判るぐらい アキを見ていた…


この瞬間の


世界の中心で愛をさけぶ


「え?」と驚き


世界の中心で愛をさけぶ


なんとも言えない微笑みを浮かべるアキの仕草や表情に「自分を見てくれている者の存在」 それが、よりによってサクだった喜び… ほんの瞬間的な映像なんだけど もの凄く巧く表現されていて良い。

(ホント良いよ はるかちゃん)


「なぁ~んだ オマエ達、見つめ合ってたんじゃないか? それも前から…」


泉谷しげる並の酔っぱらい親父として「おだやかじゃ無ぇな? オイ?」と乱入したくなるぐらい 切なく甘酸っぱい。


そして、TV版で廣瀬亜紀という女の子が 何故、陸上部の選手として描かれたのか? そこにも新たな深い意味を発見し、理解出来た様な気がした。


それは、陸上競技は「個人競技」である事。


集団による「団体競技」では無く、「個人競技」である…という点に アキが元々孤高だった…という事を サブ的に表現している…という事。


同時に 短距離選手という部分に「短い生涯を駆け抜ける…」というイメ-ジを暗に重ねて含めた事。


それを わざわざ、とってつけたように わざとらしく重ね合わせるのでは無く そういう積み重ねから 暗に視聴者が「廣瀬亜紀」という女の子をイメ-ジする際の ささやかな材料にしかしなかった事。


そういう妄想に 取り憑かれて、新たにイメ-ジが修正された「廣瀬亜紀」という女の子を想うと その後の廣瀬亜紀の「生き様」は感慨深い。


死に際する 彼女の意思や遺志が胸に刺さる。


普通に観ていると TV版「世界の中心で愛をさけぶ」第1話は 物語全体ののプロロ-グとして サクとアキの交際の始まりを表現している回なのだが、作品全体の観賞後の感動が 何故、かって他のドラマに無かった程の後遺症を私に与えたのか?…の一端は 数々の名場面もさる事ながら この深層心理にボディブロ-を与えている ささやかなシ-ンの積み重ねのおかげだと あらためて実感した次第だ。


と言うわけで、あらためて もう一回 DVDを見直そうと想ったブタネコである。

『TVドラマ版』関連の記事

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コメント

亜紀はおそらくクラスの中で、近づきがたいオーラが出ていたんでしょうね~。
本当は寂しがりやで誰かに甘えたかったんだけれども、優等生の仮面をずっと頑張ってかぶっていたんでしょう。

智世とは同じ部活仲間として、仲はよかったものの、その智世を通じての朔・介ちゃん・ボウズの幼馴染友情をいつもうらやましく眺めていたんだろうと愚考しました。
その中心人物でもあった朔をずっと見ていたというのも、なるほど頷けます。
朔は朔で感受性の鋭い子だったので、いつも無理してそうな女の子(亜紀)を心配半分で見守っていたと思う次第です。
葬儀で雨が降っても弔辞を読み続ける亜紀に対し、見て居られなかったという気持ちと、そんな亜紀を守り愛おしく想う気持ちが朔の魂を揺さぶり体を突き動かしたんですね。

陸上競技を選んだ事に関しては、ストーリー的な所大だと思いますが、自分をどこまで高められるかという亜紀の限界への挑戦心だと考えています。

今まで自分ひとりで生きてきた亜紀にとって、やっと安らかにもたれかけられる存在が朔太郎だったんですね~。

16歳で故郷広島を飛び立ち、大都会東京でまがいなりにも、一人で生活し寂しさも味わった彼女ならではの表情だったと感じました。
故郷は遠くにありて想うもの・・・
いい言葉ですね。

廣瀬亜紀という女の子を、綾瀬はるかという女の子が演じてくれて本当によかったなと思いますね。

やばい、また症状が~ヽ(´Д`;)ノアゥア...

これだったのか、ブタネコさん・・

素の亜紀を知っている我々(私だけ?)は
いわゆる何でも出来る優等生という感じはあまり受けず、
もっと親しみやすいんですけどね。

あの弔辞のシーンの解釈は確かにそうですね。
亜紀がもっと素の自分を出せば智世以外にも親友がいても良さそうなのに、
あの負けず嫌いの性格が変な方向に働いて
上手く皆と接することが出来ないから
意地悪二人組みを筆頭に変なやっかみを受ける。
そんな亜紀の学校での立場をあの弔辞のシーンは象徴していたのかもしれません。

★ Wenfang さん

学年主任の葬式の日までのアキ…

それまでの アキの孤独感に気がついた時、今までとは
また違った涙が溢れて止まらなくなっちゃいました。

サクと言葉を交わす様になって どんどん膨らんでいく幸福感…
それを思うと2話以降 発病し病状が悪化していく その反比例さに
さらなる涙が溢れます。


★ うごるあ さん

そう、これだったんです^^

第1話で「あれれ?」状態なんですから ラストの事なんか
今、考えちゃ駄目なんです。^^

今回の記事に書いた事だけでも 2話以降の解釈には
案外 大きな影響を与えるところ大なのですから^^;

でもね、なんとなく 今回の件で見えてきたような気はしてます。

ホント 堤幸彦は あの手この手使ってますねぇ…^^;


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