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2005年07月07日

● 続・アキバ系研究員達の考察


私の友人に「アキバ系研究員を束ねた某国立大学理工学部教授」という人物がいる。




その彼が主催する研究室に集う研究員達に TV版「世界の中心で愛をさけぶ」を押しつけた顛末を


「世界の中心で愛をさけぶ」症候群


という記事で 以前、御紹介申し上げた。


その後、研究員達は 案の定「セカチュ-症候群」を患い その結果の話を


「世界の中心で愛をさけぶ」一考察


という記事として さらに、御紹介申し上げた。


この『「世界の中心で愛をさけぶ」一考察』という記事の中で アキバ系研究員達が示した 「アジサイの丘に関する考察」が 私にとって神ブロガ-の1人であるtaku氏の目に止まり、この程、神ブログ


綾瀬はるかなる日々


の中で、


世界の中心で、愛をさけぶ・第2話


という記事に引用されて 世間の目に止まった事は 彼等が普段、某国立大学理工学部のいち研究室として日夜研究に励んでいる ロクに世の中の役に立たない様なクダラナイ研究なんかよりも 遥かに世の為、人の為になったのだ…という事を 彼等は まだ気づいていない。


以前の記事におけるコメントでも述べた事だが、アキバ系研究員達の考察は 実は「アジサイの丘」だけに留まらず、些細なことから どうでも良い事まで まぁ、いろいろと話に出たモノである。


そんな中のひとつが 世の人々から評価を受けると言う事は 研究者である彼等にしてみれば望外の事であろうけど、 それが彼等の本来の研究すべき対象じゃ無いモノへの研究に対する評価だ…という点は 大いに彼等らしい話ではある。^^


私に言わせれば それだけの情熱があるのなら オマエ達の本来の研究なんか とっくの昔に遥か上のレベルまで到達してんじゃねぇのか?…と、思える程、彼等の研究意欲と情熱は 一度、火が点くと 際限が無い… にも関わらず本来の研究が捗らないのは何故だ?。^^;


さて、この研究成果が発表された taku氏の記事に寄せられた「もくぞう」さんのコメントに



しかし一つ気になった事が・・・・。

母:「花を咲かせるかしら?

   土に還ってあの子は 命を… 

   あの子は命を育てて 花に…」

の最後の 「花に…」の部分は「母に…」だった様に思うのですが?。

私の勘違い(聞き間違い)でしたらすいませんです。


という御指摘がありました。


で、早速、DVDで確認したところ…


確かに「花」じゃなくて「母」に聞こえます。


謹んで訂正させていただきたいと思います。


すいませんでした。^^;




で、その御指摘に対するtaku氏のコメント



◆もくぞうさん

 >最後の 「花に…」の部分は「母に…」だった様に思うのですが?

はいw おっしゃられる通りです(笑)

ただ ここはブタネコさんとこからの引用なので

そのまま掲載いたしました(笑)









フォロ-無しかよ!!! orz



神は 簡単に我を見捨てるのである(ToT)

(だから、宗教なんか嫌いなんだ)





(気を取り直して… ^^;)


さて、今回は 彼等の他の考察の中で 出た話のひとつを あらためて書き記しておきたいと思う。


第二話の中で、亜紀はサクの祖父の出征と その時の恋人との話を聞いて



「好きな人と一緒に暮らすのと 好きな人を想いながら 別の人と暮らすのと どっちが幸せなんだろね?」



と言うシ-ンがある。


この言葉は TV版の台詞の中で 原作の台詞が用いられる数少ない場面のひとつである。
(言い回しは微妙に違うけど)


で、この言葉の直後に 


「一緒にいると 嫌なことも たくさん見えるじゃない」


「ホントの私を知ったら サクちゃんは嫌になっちゃうかもな…って」


という言葉により、祖父が 骨を盗もうと思っている女性への想いを肯定しつつ、その時点での 亜紀の「純愛」に関する考え方の一端が窺える。


亜紀の言わんとするところは 少なからず理解出来る部分もある。


熱烈に愛し合った末、結婚した途端に喧嘩が絶えず、離婚に至り、愛し合っていたはずの男女が罵り合う仲に変化する様は 身近な中にも例が絶えない。


しかしながら、個人的意見を申し上げれば だったら そもそも結婚なんか成立しないじゃないか?…という極論に至る可能性を大きく秘めた思考であるとも言えるので、この亜紀の考えは 判るけど、簡単に肯定するわけにもいかない考えと 私は受け止める。


そして、このシ-ンは 第二話のラストで アジサイの丘で「変な女だよね」と自虐する亜紀のシ-ンの伏線と単純に受け止められがちであり、事実 直接的に このシ-ンを掘り下げる様な場面は その後の展開上には無さそうに見える。


だが… アキバ系研究員達は このシ-ンを指して


「これは この後、亜紀が死んだ後に 亜紀以外の誰か、例えば 17年後のサクが小林明希という女性と交際する事になったとしても サクが亜紀の事を想って暮らしていれば幸せだ… と 亜紀は考える…という風に 暗示している場面だ」


と言う。


私は この場面での亜紀の考えを肯定する事が出来なかった。


それは、11話の17年後のサクと亜紀父が海を観ながら交わす会話の中で



(アキ父)「もう忘れたか 亜紀のことは」

 (サク)「どうなんでしょう…」

(アキ父)「失礼だぞ、相手の女性に」



と 亜紀父が 亜紀を想いながら他の女性と付き合うのは”失礼”だと窘める。


この亜紀父の考えが まさに私の考えだったからだ。


他の人を想いながら 別の人と付き合う(暮らす)… 3文芝居のようなメロドラマには掃いて捨てるほど登場するシチュエ-ションだが、もし 現実的に そんな状態だとしたら その時点で「幸せ」とは言えないんじゃなかろうか?


人というのは 結構、エゴであり、恋人に対しては


「私だけを見て、私だけを想って、私だけを愛して…」


と願うものである。


表面上は付き合っているかに見えて 実は、内心 他の人の事を想っている… もし、我が娘の彼氏が そんな大馬鹿野郎だったなら 私は迷わず、そのバカを簀巻きにして豊平川に流すであろう。


そういう考えを言うと アキバ系研究員達は しばしの論議の後、更なる考察に至る。


つまり、このシ-ンは 第8話で


サクがスケの姪(少女)の七五三の写真をアキに見せ、その少女の事を微笑みながら話すサクの表情から アキはサクが子供好きな事を悟り、同時に



「君は大学は どうするんだ?

 治療は何年かかるか判らないんだぞ

 君の人生ってものもあるだろ?」



と、アキ父がサクに言った言葉をアキが偶然聞いてしまうシ-ンに至り、



「お母さん、私ね

 サクに もう来ないでって言ったんだ。

 サクのためを思ったら そうするべきだよね?

 サクはこれからどんどんいろんな世界に行って

 ちゃんと出会いもあって…

 その時、私の方がいいよって言えるもの

 私、何ひとつ無いと思うんだよ


 髪の毛なくて、ひとりで髪も洗えなくて

 お金ばかりかかって…

 性格もひがみっぽくて…

 きっと、子供とかも産めないっぽいよね

 そんな女、選ぶ理由 何も無いよね?」



と、アキは サクに、二度と見舞いに来るな…と別れを告げる名場面での 隠された伏線のひとつだという考察に至ったのだ。


病の進行具合や 病の現実に直面し、アキの心情や思考は どんどん大きく変化する。


その事に関して一番判りやすいのは



「きっと前の僕だったら

 単純に喜べたことが悲しくなる。


 世界を飛び回りたいと言っていたアキが

 ウチに来ることが夢だと語る。


 たぶん、現実を受け入れていくと

 こう言う事なのだが、

 それすら心のどこかで声がする…


 ”そんな未来はあるのだろうか?”」



とサクが語る場面であり、大抵の視聴者は その「夢」の部分だけで涙を流す。


しかし、そういった亜紀の心情の変化や 思考の変化を さらに深く感じさせる伏線が


「好きな人を想いながら 別の人と暮らす」


というのが ある種の「純愛」だ…と言っていた亜紀が


「サクのためを思ったら そうするべきだよね?」


と言う女の子に ここでも変化している事じゃないか?と。


こういった伏線は他にもある。


「(交際しているのを)他の人に知られるのは嫌だ」という理由で 帰りを送らなくていい…言ったり、サクの気持ちを知りながら ロミオ役を「学級委員同士で」としておきながら「連れてって欲しいとこがあるんだ…」と ねだってみせたり… 理解出来る範疇ではあるが、当初の亜紀には ある種のワガママというか ささやかな傲慢さがあった。


それが、


「サクのためを思ったら そうするべきだよね?」


という 相手を思いやる心情を持つ女の子に変化し、駅へと向かうタクシ-に乗る際に サクを突き飛ばす行為となり、最後には「ソラノウタ」へと至る…という機微である。


「世界の中心で愛をさけぶ」という物語の 大きなテ-マのひとつが「純愛」だとするならば TV版の物語の中で「純愛」という言葉が出てくるのは 第二話の


「好きな人と一緒に暮らすのと 好きな人を想いながら 別の人と暮らすのと どっちが幸せなんだろね?」


という台詞の直前だけである。


「~するのが ”純愛”だ」


と、台詞や演出で答えを 視聴者に押しつけているのでは無い。


ジワジワとボディ・ブロ-の様に 細かいジャブやフックで 視聴者を責め続け、その結果 視聴者が それぞれ独自に「純愛とは?」を考えるように示唆しているのである。


しかも、その上で


「好きな人を想いながら(忘れられずに) 別れて暮らす事が どれだけ辛いことか…」


という事を、第二話の時点で 物語のラストまで、ずっと忘れずに 視聴者に考えさせるための問いかけだ…ともアキバ系研究員達は言う。


もしかしたら、亜紀がなにげなく語ったこの一言が その後のサクの17年に至ったんじゃないか?…という意見さえあった。


祖父が恋人を想い続けた様に サクにも その遺伝子は受け継がれている。


ゆえに、愛する亜紀が「純愛だよね」と語った「想い続ける」 それが、ある種の使命となって深層心理に作用したんじゃないか?…という具合にだ。


で、あるアキバ系研究員は さらに語る。


もしかしたら、これは 亜紀は自分が死んでしまっても


「私(亜紀)は サクちゃんを想っているだけで幸せでいられるの…」


と、考えた上で サクに対して同じ考えを強要するかの如く


「サクちゃんも 私の事を想い続けてね」


と言うのでは無く、


「サクちゃんは サクちゃんの人生を全うしてね」


というメッセ-ジの伏線だ… と語るのである。


「純愛」とは 互いに相手を想い合う気持ちの表れでもある。


やたらと相手に


「今、どこにいるの? 雨降ってるし、車で迎えに来てくれる?」


とか、


「ゴメン、なんか疲れちゃってぇ… ボ-ッとしてたいんだよねぇ…」


なんて会話が多い昨今の若者達には縁遠いモノの様に思えるからこそである。


自己の要求を相手に行うばかりではなく、相手を思いやる気持ちや行動こそが肝要…。


そこを亜紀の仕草や台詞から感じ取るから 世の中で泥まみれになっているオジサン達は「セカチュ-症候群」を患うんじゃないか? と。


その意見を 私は否定する事が出来なかった。


むしろ、説得力すら感じたモノである。


人の心なんて 簡単に変わるモノでは無い。


けれども、「死」とか「愛」が絡むと 徐々にではあるけれど、大きく変わるモノでもある。


特に、「死生観」とか「恋愛観」というものは 他人から押しつけられるモノでは無い。


人それぞれが 独自の人生の中で築いていくモノだと思う。


いきなり降り出した雨に 傘をさしかけた事から始まった恋愛が、彼女の病、そして死へと繋がり、遺された彼氏の その後…の物語。


そんな流れの中で 彼女と彼氏の心の変化を考える時、第二話の


「好きな人と一緒に暮らすのと 好きな人を想いながら 別の人と暮らすのと どっちが幸せなんだろね?」


という亜紀の問いかけは 物語を見終わった今でも 答えを見つける事の出来ない問いかけとなっている視聴者は 案外、多いのではなかろうか?


で、私は 先程、嫁に なにげに聞いてみた。


私「もしかしてさ、オマエ(嫁)は 俺とは別の誰かが好きでさ、そいつの事を想いながら 俺と暮らしてる…なんて事、ないよな?」と。


すると、間髪入れず 嫁は応えた。


嫁「なに馬鹿な事を言ってるの? 他に好きな人がいれば とっくの昔に別れてるわよ」


それを聞いて ちょっと嫁を惚れ直した。


しかし、その幸せ感も束の間だった。


その直後、嫁は 続けて サラリと言ったのだ。


「まだ、アナタより好きな相手が現れていないだけ… なのかもしれないけどね」




『オタク的 考察』関連の記事

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コメント

乗り遅れちゃったんでレスがつくかな?

サクの祖父は結局のところ、ブタネコさんに簀巻きにされるようなことをした、ということなんでしょうか。
そしてサクはどうなんでしょう?
もし最後の最後のシーンが人生を走り終えた後に亜紀と再会した、という解釈で小林明季と男と女として結ばれたのならサクも簀巻きにされるはずですが。
(私は強引ながらも色々な理由から、サクは小林明季とは男と女の関係にならずに生涯の伴侶として人生を歩んでいったと思っているので、簀巻きにはならずにすむと思ってます。かなり苦しい理由付けですがね。じゃないと最後の堤防の再会のシーンの説明がつかない)

>うごるあ さん

一年前の記事でもコメントがつけば 気づき次第レスしますよ^^

まず、私が簀巻きにする対象は 相手が娘と付き合おうと
する輩に対してのみです。^^;

ですから、サク祖父やサクは対象じゃ無いです。

私の個人的考えは アキ父が
「相手の女性に対して失礼だぞ」
と言った台詞 そのままです。

いくらアキの台詞であっても 他人を想いながら
別の人と暮らす…という考えは納得出来ません。

ただね、何かの事情があって そういう状況の人もいる
だろうなぁ…とは思いますので、その事情を斟酌せずに
真っ向から否定する事も出来ないなぁ…とも 思っています。

ただし、ウチの娘と付き合っていながら 他の女性を想う…
娘の彼氏が そんな輩だったとしたら、その場合に関して
のみは 事情の斟酌など全くせず、簀巻きです。

これは私のエゴと言われても仕方ありませんが曲げません。^^;

そういう意味なので どうか御理解を^^

>まず、私が簀巻きにする対象は 相手が娘と付き合おうと
する輩に対してのみです。^^;

あ、いやぁ、分ってますよ
結局もしブタネコさんがサク祖母の父親だったら仲代達矢は簀巻きだ、という事ですかね。
で、もしブタネコさんが小林明季の父親だったらサクはどうなるのかな?っていうのをお聞きしたいんですよね。

このドラマは映画版のようにユーレイや普通現実では起こり得ないような偶然の出来事を排除して(一樹が一人でサクに会いに来ちゃったのだけは例外)、徹底して現実に起こりうる事のみで演出していっている事が深い感動を呼んでいるんだと思いますが、最初の最初と最後の最後だけ、現実には起こっていないシーンで演出されています。

最初のシーンは亜紀の骨が小瓶に入っていることで、サクの心象風景(現実に起こっていることではない)というのが皆の納得する結論として収まっていますが、
最後のシーン、亜紀は死んでいるのであれも現実には起こっていない(現世ではない)のは間違い無いのですが、あれの解釈によってサクは小林明季と、どうやって一緒に生きていったかが変わってくると思います。
今回のブタネコさんの記事にも関わってくると思います。

もし明季を亜紀に代わる新たな女性として一緒になったとして、最後のシーンを人生を終えた後の亜紀との(恋人としての)再会とすれば、サクは祖父と同じ道を歩んだので(もしブタネコさんが明季の父親だとすれば)簀巻きにされます。

それとも、最初のシーンと同じであれはサクの心象風景で、明季に言われてやっと亜紀が忘れるとか忘れないとかじゃなくずうっと一緒にいるという事に気づいた事をああいうシーンで表したのか?
でも、どうしてもその前の緒方サクの「走り終わった後笑って君に会えるだろう」のナレーションを受けてのシーンとしか思えないのでこの説は私は採れません。
やっぱり最後のシーンは人生を走り終わった後に亜紀と笑って再会したと普通に解釈するしか無い気がします。

そうなると苦しいながらも私は以下の理由で
サクと明季は男女としてではなく、お互いを大切な家族として一緒になったと思います。

1:サクは祖父が祖母という存在がありながらサトという女性を想い続けていた事に否定的だった。最後のシーンを死んだ後の亜紀との再会とする以上、明季を女性として見た訳ではない事になる。
2:そうなると明季の気持ちはどうなるの?となるが、一応病院での会話でサクが「まだ(前の旦那の事)好きみたいだよ」と言っているので、それをサクの嫉妬ではなく本当にそうなんだ、という事にする。く、苦しい・・
3:松本写真館にサクと明季の結婚写真ではなく一樹の入学写真らしきものが飾ってある。
サク祖父と祖母の結婚写真、サクと亜紀の結婚写真と来たら、セカチューの反復の構図としてサクと明季の結婚写真が来てもいいはず。
4:原作と映画に登場しなかった一樹の存在。
原作と映画での新たな女性には子供はいないので恋人ととるしかないが、一樹がいる事によって、明季は恋人としてではなく一樹もひっくるめた家族としてサクと一緒になった。だから亜紀の代わりに自転車に乗せて走ったのは明季一人だけではなく一樹も一緒だった。

特に2の理由は苦しんですよね・・・
第5話で「アキは一人でいいんだな」って泣いてるし。
しかもこれだとサクと明季はお互い別の人を想いながら一緒に暮らす事になる・・思い切り不自然だし一樹の気持ちもどうなる?ってことになります。
でもこうでもしないと最後のシーンの説明がつかない。
私の「亜紀があんまりかわいそうなので、サクは亜紀をずっと想っていて欲しい」という気持ちがこの強引な説を立てさせているのかもしれません。
こうも苦しくなっちゃうのは、あの最後のシーンがこのドラマには珍しく現実の世界では起こりえないシーンだからでしょう。

このセカチュー恐らく最大の難題、是非ブタネコさんのご意見をお伺いしたいです。

>うごるあ さん

難しく応えにくいことばかり まとめて投げてきましたねぇ^^;

で、順番に申し上げますと

・もし私がサク祖母の父親だったら… 仲代達矢は簀巻きです。

最後のシ-ンの解釈に関しては 正直言って、今 ここで語りたく
ありません。

どうせ語るなら きちんと記事で語りたいし、なによりも 私の中で
まだ完全にまとまっていません。

ただ、思わせぶりな言い方で申し訳ありませんが、私は単純に
よく、一般的に言われる サクが死んだ時のシ-ン…という解釈
というのも 大いに頷くところではありますが、私が愚考するものは
全く違う解釈なんです。

だから、今回の うごるあさんの問いかけには「サクが死んだ時のシ-ン」
…という解釈が前提での問いかけと思われる部分が多々なので
答えたくない…というのが 実感です^^;
(どうせ答えるなら ちゃんとした記事にしたいんで)

というわけで 申し訳ありませんが、今回の問いかけはパス
させて下さい^^;

というか、別件で「セカチュ-症候群」が悪化してしまい
いっぺんに いろんな事を考えたくない…という個人的心境も
大きな理由なのであります^^;

その件については 早いうちに記事にしますんで どうか御容赦を。

今晩は、ブタネコさんおじゃまします。

ブタネコさんも少し意地悪じゃないかと思います。

「好きな人と一緒に暮らすのと 好きな人を想いながら 別の人と暮らすのと どっちが幸せなんだろね?」
 結論は出ています。
『好きな人と一緒に暮らす』ほうが幸せです。
『好きな人を想いながら 別の人と暮らす』ような大馬鹿野郎はブタネコさんが豊平川に流してしまうからです。(^o^)

ここからが、本題ですが。

ドラマの中では、短い時間でも亜紀は『好きな人と一緒に暮らした。』
「一緒にいると 嫌なことも たくさん見えるじゃない」
「ホントの私を知ったら サクちゃんは嫌になっちゃうかもな…って」
そんな不安もアジサイの丘で(第2話)、ウルルに行く駅での(第10話)、朔太郎の『亜紀はそのままでいい』で救われ、そして朔太郎の腕の中『世界の中心』で愛をさけんだと、『幸せだった』と理解しています。

一方朔太郎は『好きな人を想いながら 別の人と暮らす』ことになります。この後の彼の人生が幸せだったのかは描かれていません。ただ、制作者が新たな伴侶の名を亜紀と同じ名前でありながら『明るい希(のぞみ)である明希』とした事で、ある程度うかがい知る事が出来るように思えます。朔太郎は新たな人生の目標を持ったと、自転車に乗せて走ることの出来る希望(のぞみ)を得たのだと思います。
その様に解釈しないと、あのラストシーン『堤防での出会い』と、つながらないように思います。
(堤防の二人、これが無いと最終話は辛過ぎます。このシーンがこのドラマの救いだと思います。)

話は飛びますが、このドラマ最大の謎はラストの『幻想的なシーン、堤防での二人』に対する解釈だと思うのですが。ブタネコさんはどの様に観てみえるのでしょうか、もし機会があればお聞かせ下さい。

追伸、私が以上の文章を投稿する前に「うごるあさん」のコメントがあるのに気づきました。重複するような内容で申し訳ありません。

光太郎さん
>堤防の二人、これが無いと最終話は辛過ぎます。このシーンがこのドラマの救いだと思います

いやぁ、ホントそうなんですよね。
だからなんだかんだ考証しても実はあのシーンは単に視聴者の救済のシーンというのも十分に考えられるんですよね。

あのシーンまで深い深いドラマではあっても
不可解なシーンというのはほとんど、いや、一樹が一人でサクに会いに来ちゃう事以外は全く無いといっていいほどのドラマなのに、この最後の最後だけ明確な答えが出せません。
よって、視聴者救済という線も十分あり得るんですが、
やっぱり私はサクが亜紀と再会する前に走っているのは
その前の緒方サクのナレーションを受けてのものだと思うし、
走り終えるというのは必ずしも「死」ではないとは思うけど、まあ、人生を生ききった事には変わりないと思うので、やっぱり何かしらの意味を求めてしまいます。
私がこのドラマに完璧を求めすぎているのかもしれませんが。

>ブタネコさん
このネタって全てを語り尽くした後の最後の最後に語りたいネタではありますよね。
そういう理由で秘めに秘めていたとしたら大変余計なことをしました。申し訳ありません。
亜紀に「まあまあ」と言われたと思って、気長に待ちます。
その時は皆さんと語り合いたいですね。

>光太郎 さん

『少し意地悪じゃないかと思います。』

少しなんて可愛いモンじゃありません、相当、意地悪だと自覚します^^;

『(堤防の二人、これが無いと最終話は辛過ぎます。このシーンがこのドラマの救いだと思います。)』

うん、”救い”なのは間違いない^^

けどね、単純なものでは無いと へそ曲がりな私には悪魔が
囁くのです^^;


>うごるあ さん

『何かしらの意味を求めてしまいます。』

激しく同意^^ なんです。

ただ、

『このネタって全てを語り尽くした後の最後の最後に語りたいネタではありますよね。
そういう理由で秘めに秘めていた』

いやぁ…、実は そうなんですよ… って言いたいところですが、
違うんです^^;

何度か 考えをまとめて文章にしようとしたんですが、どうも
うまくいかないんです^^;

自分の考察の中に 何か まだ、気づいていない、考えが至ってない…
そんな部分があると感じて 引っかかってしまうんです。

もったいぶるつもりはありませんが、もう ちょっと待ってね^^;

(この件については taku「神」が なんと言われるか 是非、伺ってみたいですし^^;)

(でも、「神」は フォロ-してくれないしなぁ…^^; (嫌味です))


このラストシーンに関しては、見る人それぞれの想いにまかせるっていう製作者側の意図があるように考えます。
ブタネコさんの見解、興味津々です。
また勉強させてください(〃 ̄ー ̄〃)

私も私なりに、考察しようかなと思う次第です。
でも単純な思考では、駄目だナァ~。

好きな人と暮らすのが一番の幸せなのは当然と言えば当然なのでしょうが。
逆にものすごく好きなだけに、地獄の苦しみを味わうというケースも、この世界では多々ある事だと思います。
長年の病苦に精神が耐えられなくなり、「殺してください」という伴侶の想いを受け、伴侶を殺害した・・・
なんて事例は実際にありますものね。
世の中には私達が到底及びもつかない、いろんな事象が存在しています。
一概に、これは善、これは悪などと決め付けることは絶対出来ないと思う次第です。
この「世界の中心で、愛をさけぶ」は、いろんな切り口から考えても、それだけ数種類の考え(
想い)がつむぎだされるドラマだと思ってます。
重くなりました、申し訳ありません。


takuさんは、神だけに気まぐれだったりして・・・(フォローの件)
(* ̄m ̄) ププッ

>Wenfang さん

「勉強」ってアナタ…^^;

私は ただ取り憑かれた妄想を イタコの口寄せのように
語っているだけのオッサンです^^

「見る人それぞれの想いにまかせるっていう製作者側の意図」

これは ラストシ-ンだけに限らず 全体が そうなんだと
私は思い感じてます。

だから、実際に 白血病で物語と同じ様な頃に友を亡くした
私には 私だけの思い入れ(思い込み?)が混じってしまいます。^^;

そういう経験の無い人には また違った風に感じられる作品なの
でしょうし、それはそれで良い事だとも思います。

ただ、もし そんな経験の無い人でも この先の人生の中で
そんな経験を味わった時 どう思い、どう感じるか? その時に
どういう人間でいられるか…を考えると 勝手ながら 私は
この作品が視聴者に与える影響は とても素晴らしいものだと
思えるはずだと 経験者として思うばかりです。

おっと… マジレスになっちゃいそうなんで この辺で^^;

(なってますね、既に充分^^;)

今晩は、ブタネコさんおじゃまします。

やはりあの『ラストシーン』は、誰でも疑問に思っている訳ですね。
言葉は悪いですが、『喰いつき』が違います、私も含めて。

ずるいようですが、私にもこのラストシーンの意味がわかりません。

『あの世なんてない』亜紀のサクへの言葉が気になります。

次回、ブタネコさんが記事にされるのを楽しみにしています。
それまでに私も良く考えてみたいと思っています。

「まぁまぁ、気楽に待ってます………」よろしく。^^);

>光太郎 さん

まぁ、あまり期待されても困るんですが…^^;

ちと考えてみます ハイ^^

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