● 続・アキバ系研究員達の考察
私の友人に「アキバ系研究員を束ねた某国立大学理工学部教授」という人物がいる。
その彼が主催する研究室に集う研究員達に TV版「世界の中心で愛をさけぶ」を押しつけた顛末を
という記事で 以前、御紹介申し上げた。
その後、研究員達は 案の定「セカチュ-症候群」を患い その結果の話を
という記事として さらに、御紹介申し上げた。
この『「世界の中心で愛をさけぶ」一考察』という記事の中で アキバ系研究員達が示した 「アジサイの丘に関する考察」が 私にとって神ブロガ-の1人であるtaku氏の目に止まり、この程、神ブログ
の中で、
という記事に引用されて 世間の目に止まった事は 彼等が普段、某国立大学理工学部のいち研究室として日夜研究に励んでいる ロクに世の中の役に立たない様なクダラナイ研究なんかよりも 遥かに世の為、人の為になったのだ…という事を 彼等は まだ気づいていない。
以前の記事におけるコメントでも述べた事だが、アキバ系研究員達の考察は 実は「アジサイの丘」だけに留まらず、些細なことから どうでも良い事まで まぁ、いろいろと話に出たモノである。
そんな中のひとつが 世の人々から評価を受けると言う事は 研究者である彼等にしてみれば望外の事であろうけど、 それが彼等の本来の研究すべき対象じゃ無いモノへの研究に対する評価だ…という点は 大いに彼等らしい話ではある。^^
私に言わせれば それだけの情熱があるのなら オマエ達の本来の研究なんか とっくの昔に遥か上のレベルまで到達してんじゃねぇのか?…と、思える程、彼等の研究意欲と情熱は 一度、火が点くと 際限が無い… にも関わらず本来の研究が捗らないのは何故だ?。^^;
さて、この研究成果が発表された taku氏の記事に寄せられた「もくぞう」さんのコメントに
しかし一つ気になった事が・・・・。母:「花を咲かせるかしら?
土に還ってあの子は 命を…
あの子は命を育てて 花に…」
の最後の 「花に…」の部分は「母に…」だった様に思うのですが?。
私の勘違い(聞き間違い)でしたらすいませんです。
という御指摘がありました。
で、早速、DVDで確認したところ…
確かに「花」じゃなくて「母」に聞こえます。
謹んで訂正させていただきたいと思います。
すいませんでした。^^;
で、その御指摘に対するtaku氏のコメント
◆もくぞうさん>最後の 「花に…」の部分は「母に…」だった様に思うのですが?
はいw おっしゃられる通りです(笑)
ただ ここはブタネコさんとこからの引用なので
そのまま掲載いたしました(笑)
フォロ-無しかよ!!! orz
神は 簡単に我を見捨てるのである(ToT)
(だから、宗教なんか嫌いなんだ)
(気を取り直して… ^^;)
さて、今回は 彼等の他の考察の中で 出た話のひとつを あらためて書き記しておきたいと思う。
第二話の中で、亜紀はサクの祖父の出征と その時の恋人との話を聞いて
「好きな人と一緒に暮らすのと 好きな人を想いながら 別の人と暮らすのと どっちが幸せなんだろね?」
と言うシ-ンがある。
この言葉は TV版の台詞の中で 原作の台詞が用いられる数少ない場面のひとつである。
(言い回しは微妙に違うけど)
で、この言葉の直後に
「一緒にいると 嫌なことも たくさん見えるじゃない」
「ホントの私を知ったら サクちゃんは嫌になっちゃうかもな…って」
という言葉により、祖父が 骨を盗もうと思っている女性への想いを肯定しつつ、その時点での 亜紀の「純愛」に関する考え方の一端が窺える。
亜紀の言わんとするところは 少なからず理解出来る部分もある。
熱烈に愛し合った末、結婚した途端に喧嘩が絶えず、離婚に至り、愛し合っていたはずの男女が罵り合う仲に変化する様は 身近な中にも例が絶えない。
しかしながら、個人的意見を申し上げれば だったら そもそも結婚なんか成立しないじゃないか?…という極論に至る可能性を大きく秘めた思考であるとも言えるので、この亜紀の考えは 判るけど、簡単に肯定するわけにもいかない考えと 私は受け止める。
そして、このシ-ンは 第二話のラストで アジサイの丘で「変な女だよね」と自虐する亜紀のシ-ンの伏線と単純に受け止められがちであり、事実 直接的に このシ-ンを掘り下げる様な場面は その後の展開上には無さそうに見える。
だが… アキバ系研究員達は このシ-ンを指して
「これは この後、亜紀が死んだ後に 亜紀以外の誰か、例えば 17年後のサクが小林明希という女性と交際する事になったとしても サクが亜紀の事を想って暮らしていれば幸せだ… と 亜紀は考える…という風に 暗示している場面だ」
と言う。
私は この場面での亜紀の考えを肯定する事が出来なかった。
それは、11話の17年後のサクと亜紀父が海を観ながら交わす会話の中で
(アキ父)「もう忘れたか 亜紀のことは」(サク)「どうなんでしょう…」
(アキ父)「失礼だぞ、相手の女性に」
と 亜紀父が 亜紀を想いながら他の女性と付き合うのは”失礼”だと窘める。
この亜紀父の考えが まさに私の考えだったからだ。
他の人を想いながら 別の人と付き合う(暮らす)… 3文芝居のようなメロドラマには掃いて捨てるほど登場するシチュエ-ションだが、もし 現実的に そんな状態だとしたら その時点で「幸せ」とは言えないんじゃなかろうか?
人というのは 結構、エゴであり、恋人に対しては
「私だけを見て、私だけを想って、私だけを愛して…」
と願うものである。
表面上は付き合っているかに見えて 実は、内心 他の人の事を想っている… もし、我が娘の彼氏が そんな大馬鹿野郎だったなら 私は迷わず、そのバカを簀巻きにして豊平川に流すであろう。
そういう考えを言うと アキバ系研究員達は しばしの論議の後、更なる考察に至る。
つまり、このシ-ンは 第8話で
サクがスケの姪(少女)の七五三の写真をアキに見せ、その少女の事を微笑みながら話すサクの表情から アキはサクが子供好きな事を悟り、同時に
「君は大学は どうするんだ?治療は何年かかるか判らないんだぞ
君の人生ってものもあるだろ?」
と、アキ父がサクに言った言葉をアキが偶然聞いてしまうシ-ンに至り、
「お母さん、私ねサクに もう来ないでって言ったんだ。
サクのためを思ったら そうするべきだよね?
サクはこれからどんどんいろんな世界に行って
ちゃんと出会いもあって…
その時、私の方がいいよって言えるもの
私、何ひとつ無いと思うんだよ
髪の毛なくて、ひとりで髪も洗えなくてお金ばかりかかって…
性格もひがみっぽくて…
きっと、子供とかも産めないっぽいよね
そんな女、選ぶ理由 何も無いよね?」
と、アキは サクに、二度と見舞いに来るな…と別れを告げる名場面での 隠された伏線のひとつだという考察に至ったのだ。
病の進行具合や 病の現実に直面し、アキの心情や思考は どんどん大きく変化する。
その事に関して一番判りやすいのは
「きっと前の僕だったら単純に喜べたことが悲しくなる。
世界を飛び回りたいと言っていたアキがウチに来ることが夢だと語る。
たぶん、現実を受け入れていくとこう言う事なのだが、
それすら心のどこかで声がする…
”そんな未来はあるのだろうか?”」
とサクが語る場面であり、大抵の視聴者は その「夢」の部分だけで涙を流す。
しかし、そういった亜紀の心情の変化や 思考の変化を さらに深く感じさせる伏線が
「好きな人を想いながら 別の人と暮らす」
というのが ある種の「純愛」だ…と言っていた亜紀が
「サクのためを思ったら そうするべきだよね?」
と言う女の子に ここでも変化している事じゃないか?と。
こういった伏線は他にもある。
「(交際しているのを)他の人に知られるのは嫌だ」という理由で 帰りを送らなくていい…言ったり、サクの気持ちを知りながら ロミオ役を「学級委員同士で」としておきながら「連れてって欲しいとこがあるんだ…」と ねだってみせたり… 理解出来る範疇ではあるが、当初の亜紀には ある種のワガママというか ささやかな傲慢さがあった。
それが、
「サクのためを思ったら そうするべきだよね?」
という 相手を思いやる心情を持つ女の子に変化し、駅へと向かうタクシ-に乗る際に サクを突き飛ばす行為となり、最後には「ソラノウタ」へと至る…という機微である。
「世界の中心で愛をさけぶ」という物語の 大きなテ-マのひとつが「純愛」だとするならば TV版の物語の中で「純愛」という言葉が出てくるのは 第二話の
「好きな人と一緒に暮らすのと 好きな人を想いながら 別の人と暮らすのと どっちが幸せなんだろね?」
という台詞の直前だけである。
「~するのが ”純愛”だ」
と、台詞や演出で答えを 視聴者に押しつけているのでは無い。
ジワジワとボディ・ブロ-の様に 細かいジャブやフックで 視聴者を責め続け、その結果 視聴者が それぞれ独自に「純愛とは?」を考えるように示唆しているのである。
しかも、その上で
「好きな人を想いながら(忘れられずに) 別れて暮らす事が どれだけ辛いことか…」
という事を、第二話の時点で 物語のラストまで、ずっと忘れずに 視聴者に考えさせるための問いかけだ…ともアキバ系研究員達は言う。
もしかしたら、亜紀がなにげなく語ったこの一言が その後のサクの17年に至ったんじゃないか?…という意見さえあった。
祖父が恋人を想い続けた様に サクにも その遺伝子は受け継がれている。
ゆえに、愛する亜紀が「純愛だよね」と語った「想い続ける」 それが、ある種の使命となって深層心理に作用したんじゃないか?…という具合にだ。
で、あるアキバ系研究員は さらに語る。
もしかしたら、これは 亜紀は自分が死んでしまっても
「私(亜紀)は サクちゃんを想っているだけで幸せでいられるの…」
と、考えた上で サクに対して同じ考えを強要するかの如く
「サクちゃんも 私の事を想い続けてね」
と言うのでは無く、
「サクちゃんは サクちゃんの人生を全うしてね」
というメッセ-ジの伏線だ… と語るのである。
「純愛」とは 互いに相手を想い合う気持ちの表れでもある。
やたらと相手に
「今、どこにいるの? 雨降ってるし、車で迎えに来てくれる?」
とか、
「ゴメン、なんか疲れちゃってぇ… ボ-ッとしてたいんだよねぇ…」
なんて会話が多い昨今の若者達には縁遠いモノの様に思えるからこそである。
自己の要求を相手に行うばかりではなく、相手を思いやる気持ちや行動こそが肝要…。
そこを亜紀の仕草や台詞から感じ取るから 世の中で泥まみれになっているオジサン達は「セカチュ-症候群」を患うんじゃないか? と。
その意見を 私は否定する事が出来なかった。
むしろ、説得力すら感じたモノである。
人の心なんて 簡単に変わるモノでは無い。
けれども、「死」とか「愛」が絡むと 徐々にではあるけれど、大きく変わるモノでもある。
特に、「死生観」とか「恋愛観」というものは 他人から押しつけられるモノでは無い。
人それぞれが 独自の人生の中で築いていくモノだと思う。
いきなり降り出した雨に 傘をさしかけた事から始まった恋愛が、彼女の病、そして死へと繋がり、遺された彼氏の その後…の物語。
そんな流れの中で 彼女と彼氏の心の変化を考える時、第二話の
「好きな人と一緒に暮らすのと 好きな人を想いながら 別の人と暮らすのと どっちが幸せなんだろね?」
という亜紀の問いかけは 物語を見終わった今でも 答えを見つける事の出来ない問いかけとなっている視聴者は 案外、多いのではなかろうか?
で、私は 先程、嫁に なにげに聞いてみた。
私「もしかしてさ、オマエ(嫁)は 俺とは別の誰かが好きでさ、そいつの事を想いながら 俺と暮らしてる…なんて事、ないよな?」と。
すると、間髪入れず 嫁は応えた。
嫁「なに馬鹿な事を言ってるの? 他に好きな人がいれば とっくの昔に別れてるわよ」
それを聞いて ちょっと嫁を惚れ直した。
しかし、その幸せ感も束の間だった。
その直後、嫁は 続けて サラリと言ったのだ。
「まだ、アナタより好きな相手が現れていないだけ… なのかもしれないけどね」


