● いま、会いにゆきます 映画版
あらためて、落ち着いて「いま、会いにゆきます」を 語ってみようと思う。
この作品を知ったのは 私がTV版「世界の中心で愛をさけぶ」で、完全に壊れていた時期だった。
毎日、何度も暇があれば 「世界の中心で愛をさけぶ」のTV版DVDを見返し、グズグズに泣き濡れている私に 娘が呆れながら
「今頃、セカチュ-にハマってんの? バカじゃん 今はね”いま、会いにゆきます”だよ」
と言ったものだ。
自分でも その当時の壊れ方に
「このままじゃイケナイ…」
そう思っていた時期だったから、リハビリ代わりに買ってきたのが
「いま、会いにゆきます」の原作本だった。
さて、この本を読んで感じた事は…
とても良い話だな… とは、思った。
おそらく、TV版「世界の中心で愛をさけぶ」を観る前だったら 相当、感動しただろう… とも思った。
感動しなかった訳では無い。
しかし、「セカチュ-症候群」で ブッ壊れた私には 正直に言って物足りなかった。
物語の中で 個人的に難点に感じた事がある。
そのひとつは「ア-カイブ星」 何故「ア-カイブ」なのか その理由が未だに判らない。
それと、もう一つが 主人公の片方「巧」の病気 物語の展開上、重要なファクタ-ではあるのだが、根本的なスト-リ-を構成する上で この病気が登場する必然性が 今ひとつ判らない。
「世界の中心で愛をさけぶ」の原作に対して「白血病」を悲しいアイテムとしか利用しなかった原作者へ抱いた不信感まで酷くは無かったが、私は こういう様な病気と物語の整合性には 個人的に敏感な傾向があるため、
「もう少し、違う表現があったじゃないのか?」
と、疑問に思う気持ちが拭い去れなかった。
だから、正直に言って物足りなかった。
けどね、巧と澪の高校時代のエピソ-ドには ノスタルジィを掻き立てられるものが多かった。
最近、よく思うのは 映画やTVドラマの制作者達が ちょうど自分の年代に近い世代になったせいか、題材に用いられる年代や 時代背景や 状況設定が 自分の世代とマッチしている事が多いから、余計に そういう風に感じる事が多いのかなぁ…と 勝手ながら思う事がある。
例えば、「世界の中心で愛をさけぶ」では「深夜ラジオのリクエスト」とか「ウォ-クマン」による 声の文通、映画「がんばっていきまっしょい」では アディダスのウィンドブレ-カ-や マジソン・バックを持って通学する学生達。
たかが…、と言われる様な そんな何気ない部分のシ-ンや小道具だけで 瞬間的に 自分の その時代にワ-プしてしまうのだ。
そして、「いま、会いにゆきます」の中にも 同じ様なノスタルジィがあった。
だから、「セカチュ-症候群」で壊れた状態でなかったら 相当、感動しただろう… と思ったのだ。
そういう意味では この作品と私の出会いは タイミングという意味では最悪だった。
けれども、先日の事
コンビニの店頭で「いま、会いにゆきます」のDVDを たまたま目にしたので 衝動買いの様に買い求めた。
で、早速 観たところ… 大変、良かった。^^;
竹内結子が最高だったし、なによりも 大好きな小日向文世が 味のある医者を見事に演じていた。
そして、何よりも特筆すべき点は
「いま、会いにゆきます」
その言葉を 竹内結子が語る瞬間に 鳥肌が立つような感動が味わえた…という点である。
原作を余計に弄らず、その一点に全てを集中するかの様な全体の展開構成は見事だった。
映像化された巧と澪の学生時代は 泣きたくなるぐらい懐かしかった。
修学旅行に同行した写真屋が 無差別に撮影した写真のサンプルが 学校の廊下に貼り出され、そのサンプルの番号をメモする… 私の友人にも 注文する番号を書き間違えたフリをして 大好きな女の子がアップで写った写真を買った者が何人もいた。^^
卒業式の日のサイン帳… 我が家にも 私のと嫁のと一冊ずつ 大事な想い出の品として保管してある。
私は日記を書く習慣が無かったが、嫁は書いており、それを密かに隠してあるのを 私は知っている。
(知っているが読んだ事は無い。 読みたくない…と言えば嘘になるが、そこは 触れないのが 私なりのカッコ良さだと思い込んでいる)
映画版「いま、会いにゆきます」の映像に出てくる そんなシ-ンは 過去の とても良質な作品同様に 私を学生の頃にワ-プさせてくれる作品だった。
そんな学生の頃を やたらと懐かしむ様に私がなってしまったのは 何故なんだろう…
そんな事を思いつつ、「セカチュ-症候群」の真っ只中で
「こりゃ良かった…」
そう思えた作品は数少ない。
そんな中のひとつが この「いま、会いにゆきます」だった…というだけで 私としては高く評価すべき作品なんだよなぁ…という事だけは感じている。


