● 赤い疑惑
先日、別の記事で申し上げた通り、理由あって 「赤い疑惑」全3話を1本にまとめて録画したビデオを 我が家で観る事が出来ないから、小脇に抱えて 最寄のネットカフェに行き ようやく、石原さとみ主演のリメイク版を見た。
な・懐かしい…
昭和の50年代のドラマって そう、こんな感じだったんだ。
今、あらためて見直すと 物語も どこかこそばゆい感がする。
で、全編を見終わって思うのは 「石原さとみ」という女優さんは 現段階では賛否両論が大きく分かれそうな気配を感じたこと。
しかしながら、私は 相も変らずファンを自称する。
あのポッチャリ感が何とも言えず好ましいのだ。
考えてみれば この「赤い疑惑」って たぶん、相当演技しづらかったんじゃないか?と思うのね。
特に脚本の台詞回しとでも言うべきところが 当時の脚本を そのまま焼き直したのか?と思えるぐらい 時代がかった言葉が多く、例えば普通なら「え?」と 聞き返すシ-ンでも「え・え~?」みたいな感じとでも言うのかな 出演する役者さんたちの ほとんどの演技がオ-バ-・アクションを求められていたんじゃないか?…とさえ思うのだ。
そんな中にあって 陣内孝則は光ってた。
元々、オ-バ-・アクション気味な演技ではあるけれど なんか妙にハマっていた。
私は この陣内孝則という役者が大好きなのだ。
彼を初めて役者として目にしたのは 倉本聡の「ライスカレ-」というドラマである。
ちゃらんぽらんだけど 根は優しい青年を好演し 次に 彼を観たのは倉本聰監督の「時計」という映画で 実に衝撃的なオカマ役を演じてみせた。
その後、「愛し合ってるかい」等 コミカルな路線が多かったが、「眠れる森」での復讐者は 実に見事としか言えないぐらいのハマりようだった。
昔、「赤い疑惑」の主人公「幸子」の父親は 宇津井健だった。
「ザ・ガ-ドマン」以降 宇津井健には潔癖とか正義感というイメ-ジが強く、陣内孝則の持つイメ-ジとは違うけど、今回の陣内孝則は とても良く 妙に「昭和の時代のドラマ」…という雰囲気を懐かしく感じさせてくれる演技だった。
さて…
「赤い疑惑」の内容に関して あえて語るのは止めようと思う。
と言うのは ネットカフェの個室に篭もって約6時間 画面から流れる「赤い疑惑」の画像を眺めてはいたが 私は 正直言って ドラマに深く入り込んで物語に触れる事が出来なかったからだ。
それは ドラマの出来の良し悪し…という意味では無い。
やはり、30年近く前の記憶 白血病で亡くなった我が友の記憶が呼び起こされ、ドラマの部分的なワンシ-ンから「そういえば…」と 記憶のワンシ-ンが呼び起こされ… ずっと、それの繰り返しで ドラマの内容どころの話じゃ無かったからだ。
白血病という病気の恐ろしいところは 前触れが無く ある日突然、発症する…という部分にある。
これは厳密に言えば 鼻血、貧血、口内炎、青痣…等 後から思い返せば
「あぁ、そう言えば…」
という症状なのだが、その一つ一つは どこにでもあるような症状ばかりだから、さして気にもとめない事が多い。
だから、
「元々、病弱で…」
という人よりも
「何故、あんな元気だった人が?」
と、思えるぐらい 病気とは縁の無さそうな人に発症する事が多いのが その落差の激しさの分だけ より悲劇的な病気なのかもしれない。
私の知る 亡き友は スポ-ツ・ウ-マンでは無かった。
やや内向的な性格ではあったが、いつもニコニコしている女の子で とても病弱には見えない子だった。
それが ある日からパタッと学校に来なくなり、親友だった女の子ですら
「風邪が長引いているんじゃない?」
なんて言ってたのだ。
やがて、それが「入院している」という事が判り、親友達の見舞いの日々が始まる。
明確な病名が告げられず、毎日の様に検査が続き 本人には
「原因不明の貧血」
として入院の日々はは1ヶ月 そして2ヶ月と経過していった。
高校一年生と言えば 多感であり、元気な盛りでもある。
その時期に 原因不明で入院の日々を過ごす焦燥感は 大変なものだったろうと想像する。
時には ヒステリ-の様に癇癪を起こしたり、イライラと 妙に絡む事もあったけど、総じて ニコニコと微笑んでいる… それが亡き友の印象だった。
実は 入院の時点で 亡き友の病名が白血病である事は判明していた。
今でも 決して軽い病気では無いけれど、当時での「白血病」宣告は死亡宣告と同じだったから、告知を受けた彼女の両親は それを彼女に言えずにいた。
彼女の父親は 彼女を救う方法は無いかと 日夜必死に探す日々をおくる。
海外の医療研究機関に問い合わせをしまくり、健康療法や 超能力といった事にまで調べるようになった。
そんな ある日の事である。
親父さんは ある知人から 沖縄のユタと呼ばれる人の話を聞く。
霊媒師、占い師、恐山のイタコの様な存在… 沖縄のユタと呼ばれる人は そういう存在なのだそうだ。
知人の縁故をたより、紹介して貰ったユタを訪ねて 親父さんは沖縄に行ったのだが、ユタから言われた事は
「私に病気を治す力は無い。
それよりも 今のままでは 貴方の娘さんは悔いを残す。
悔いを残したまま この世を去ると成仏出来にくくなってしまう
この際、早く 告知をしてあげて悟らせてあげるべきだと思う」
と言う事だった。
だから、親父さんは 亡き友に告知した。
同時に 娘の友達の中でも 特に親しい者達にも 娘の病名を告知した。
夕方の 薄暗い病院の広い待合いロビ-で 数名の子供達を前に 親父さんは缶ジュ-スを振る舞い、そして
実は、娘の病気は 白血病はなんだ。
残念ながら 今の医学では どうにも出来ない病気でね…
早ければ3ヶ月、もっても半年と言われてる。
そこで…、君達に御願いしたい事が いくつかあるんだ。
一つは、もし 君達の中に 娘に対して「ざまぁみろ」と思っている人がいるならば二度と面会に来ないで欲しい。
二つめは、もし、娘に対して「この子は可哀相」って感じで 同情とか憐れみだけで接しようとするのなら その人も二度と面会には来ないで欲しい。
三つめは、君達の年代で 友人の死を目の当たりにするのは とても辛い事だと思う…、今後も娘と接してくれれば その辛さは どんどん大きくなってしまうと思う… だから、その辛さに耐えれないのならば やはり、その人も 二度と面会には来ないで欲しい。
私としては ごく普通に 亡くなるその瞬間まで 娘には 今まで通りの普通の接し方を続けていこうと思っているし、病気や死を深刻に受け止めたり、とかく暗く日々を過ごす事が無いように心がけたいとおもっているんだ。
だから、演技でもいいから そういう接し方をしてくれる人以外は 娘との接触を断りたいと思っている。
判ってくれるかな?
と言った風景を 今でも覚えている。
まるで、ドラマのワン・シ-ンの様で なんか現実感が無かったが、妙に重苦しい雰囲気になった事だけは覚えている。
自転車の二人乗りで 亡き友の親友であり、当時、私と付き合っていた女の子を後ろに乗せての帰りの途すがら 自転車に揺られながら しゃくりあげて泣く彼女に言葉をかける事が出来なかった。
実は 私も泣きながら自転車をこいでいたのだ。
そのまま 真っ直ぐ家に帰る気分にもなれず、途中の自販機で缶コ-ヒ-を買い 豊平川の河川敷に行き、コンクリ-トの土手に並んで腰を下ろして 完全に陽が沈み 周囲が暗くなっても 無言で ただ、ジッと座っていた。
突然、知った事実に どう対応すべきか 私なりに考えはしたけれど簡単に答なんか見つかるわけが無かった。
自転車に乗ってる間はグシャグシャに泣いていた彼女は 土手に座っている間は ず~っと流れる川を見つめたままだったが、やがて、
「よしッ」
と声を出して立ち上がると
「ちょっと、ほら、帰るよ。 送ってよ」
そう言い、スタスタと自転車に行くと 後ろの荷台に座ってる。
私は 何をどう言っていいか判らないまま 言われるとおり、自転車をこぎ、彼女の家まで送り届け、すぐ近所の自宅に帰った。
その彼女に対して 何をどう言っていいか判らない…まま 結局、数日間 まともに会話も出来ず、でも 朝晩の自転車の運転手役を務めたわけで…
数日後の見舞いの帰り、自転車をこぐ 私の背後から彼女が久しぶりに話し出した。
「私、考えたんだけどさぁ…
下手に、何かを考えて行動しようとすると それって、結局は演技になっちゃうんだよね。
それってさ、なんか自分らしくない…って言うか、白々しい…って言うかさ、
とにかく嫌なんだよね。
だからさ、特別に 何かを気遣って…とかいうのしないでさ 今まで通り、思った事をそのまま 言ったり、やったりする事に決めたんだ。」
別に 私から尋ねたわけじゃないのに 彼女はそう言う。
「でもさぁ… こういうのって なんか悔しいって言うかさ…」
そこまで言うと あとは また数日前と同じ様にグシャグシャに泣き出した様で しゃくり上げる声しか背後から聞こえなくなった。
その日は豊平川に行かず、真っ直ぐ彼女の家に送ったのだが、30分もしない間に 彼女の父親から電話で呼び出され
「何で ウチの娘が泣いて帰って来なきゃならんのだ?」
そう言って 思いっきり殴られた。
ホントは「実は…」と 亡き友のことを言えば良かったのだが、そういう言い訳にすら「亡き友」の話はしたくなかった。
だから、2発、3発と 続けて、また殴られた。
彼女の親父さんも また、言い訳もせず ただ殴られている私に何かを感じてくれたのか
「オマエが泣かしたんじゃないのか?」
と聞くから
「違います」
とだけ答えたら
「そっか、そりゃ悪かった。
けどな、もしオマエが ウチの娘と付き合っているつもりなら 娘を泣かしたまま 家に送ってくるんじゃ無ぇ。
少なくても、何が理由かは判らんが、娘を泣かす奴を ぶちのめして来いよ。
その時は 世間がオマエを許さなくても 俺は オマエを許すから」
と言った。
この親父さんもまた、「娘の父」だった。
しかしねぇ…親父さん いくら俺でも「白血病」を ぶちのめす事は出来ないんだ。
その日から 亡き友が亡くなるまでの1年少しの間、雪の無い時は自転車 雪のある時期は一緒に並んで歩く病院からの帰り道を過ごしたが、その間に 彼女が泣く事は無かった。
しかし、亡き友が悟って菩薩の様な笑顔が神々しくなっていくのと同時に 付き合っていた彼女が逞しい…というか 心の強い子になっていくのを感じていた。
同じ様に 亡き友への見舞いに通った友人達も 高校1年生から2年生へと いろんな意味で成長する時期ではあるけれど、どこか他の普通の級友達とは違う部分も成長をしたと思う。
どこか哲学的な事、宗教観、死生観… そんな部分に 亡き友から教わった部分がある。
それは 頑固に心の中や思考の中にこびりついていて 今の普段の言動や行動に表れる。
それは 普通の人には時として 奇妙だったり、偏屈と受け止められる事が多い。
しかし、だからと言って 曲げるにはいかない信念となっているのも事実である。
薄暗いネットカフェの中で「赤い疑惑」のビデオを観ていて そんなありし日の自分を思い出していた。
ちょうど、ラストとなりビデオテ-プを巻き戻していたら 狙いすました様に携帯が鳴り、見ると嫁からの電話だった。
嫁「ねぇ? どこで 何してるの?」
私「あぁ、ネットカフェでお茶飲んでた」
嫁「買い物行きたいんだけど 運転手して欲しいのよ」
嫁用の車もあるんだし、わざわざ携帯で呼ばなくてもいいだろう…とは思わない。
亡き友の病室から帰る道 私は彼女の運転手として自転車をこいでいた。
30年近く経った今も、私は 彼女の運転手をしている。
それについて 今も昔も疑問や不満に思う事は無い。
こればかりは 自分でも不思議には思うが、だからと言って 真剣に考える気も無い。


