● 「世界の中心で愛をさけぶ」想い出
私が通っていた札幌のとある中学校は 当時、一学級の定員が一応45名という事で 学年で10学級あったのだが、ベビ-・ブ-ムのはしりでもあり、定員を上回る生徒数がいた。
だから、概ね学年の生徒総数は500人弱だったのだが、とりわけ 私の通っていた中学が出色だったのは そのうち 約2クラス分の100名弱は 元々、地元の通学区域に育った子供では無く、道内の地方都市で育ちながら
「高校は札幌の高校に進みたい」
と、大抵の場合は 本人よりも親が強く望んだ結果、わざわざ札幌市内(我が中学の通学地域内)に部屋を借りて住民票を移し、一時的な偽装工作のような手段ではあるが、その様にして転校してきた生徒達だった。
そういう子供達の家庭は 大抵が、道内地方でも名家だったり、今では死語となった感のある「成金」系だったり… いずれにしても、多くの家庭に共通だったのは
「親が それなりの金持ちで、尚かつ もの凄い見栄張り」
である…と言う点である。
だから、そう言う風に転校してきた子供の多くは 通常では考えられないぐらいの小遣いを貰っているのが普通で、親元から離れ、監視の目も緩み、遊び場が沢山ある札幌で真面目に生活できる訳がない。
ゆえに、その多くが 放蕩し、当時で言う「良い高校」に進学出来た者は 数えるほどであった事は言うまでも無い。
さて、私の中学時代のクラスにも その様に地方から一時的転校してきた友人が少なからず存在する。
そんな中に、全国的に競走馬の厩舎として有名な家の息子S君がいた。
率直に言って、S君は 転校してきた時点で、校内の実力試験等の結果などから見ても とても「良い高校」にいける成績では無かった。
じゃ、何故 わざわざ札幌に部屋を借りてまでして転校してきたのか?と言えば 彼の親、特に母親がもの凄い見栄張りな人で
「ウチの息子は優秀なんで いずれは札幌の進学校から東京の大学に…」
と、地元の御近所に言い振りまわっていたのである。
それに対してS君本人は…と言えば 成績は 御世辞にも良い方とは言えなかったが、性格は明朗活発で クラス内でも人気者だった。
まぁ、我々にしてみれば S君がどんな理由で札幌に転校してきたのか? 親が どんな人なのか? なんて事は どうでも良い事である。
単に愉快な友人… それで充分だった。
中学3年になって 本格的に進路相談が始まり、S君も そしてS君の親も S君の成績で進学出来得る高校では 当初の「見栄を張る」という目的は満たせないことを理解した。
S君にしてみれば 実際、学校の成績なんか どうでも良く、中学の3年間に ギタ-の魅力に取り憑かれ
「将来は 一流のギタリストになる」
そういう夢を描き、勉強もせずに ギタ-を弾くことばかりに夢中になり、
「塾に通う」
と、親に嘘を付いて捻出した資金を元手に ヤマハ音楽教室に通ったりしていた。
そんな彼が 中学3年の2学期が終わり、冬休みに入る終業式の日に 突然
「東京に転校する事になりました」
と引っ越していった。
真相を先に言えば、
「このまま札幌にいたのでは 見栄が張れない」
そう判断した母親が 知人のコネを総動員して 東京のとある有名私立高校へ 学力では無く、資金力に物を言わせて入学する手筈を整えたからである。
さて、私が高校2年の時 クラスメ-トの女の子が白血病で亡くなった。
その女の子と私は 同じ中学で、しかも同じクラスだった事もあり、その子と私のつきあっていた彼女が親友だったから、それは とても身近な親しい友人の死となった。
その亡き友に片想いしていた「一級建築士の資格を持った詐欺師」が 亡き友の通夜の席で人目を憚らずに号泣した話は 以前、
という記事を御参照頂きたい。
で、その通夜の席で もう1人、周囲の目を憚らずに号泣した男がいた。
それが、S君である。
S君は 転校した後、しばしの間、亡き友と文通をしていたのだそうだ。
そして、亡き友が高校入学して間もなく 病に倒れ、入院している間も 文通は続いていたのだと言う。
彼等は恋愛関係にあったわけでは無い。
当時、流行っていた文通相手(ペンパルなんて呼び方をした)として 互いに、格好の相手だったのだろう。
亡き友が亡くなる直前、衰弱し、目も見えなくなった状態だったので S君への手紙の代筆を 親友だった(今では私の嫁となった)女の子に 頼んだ。
その時、代筆した女の子は 亡き友の言葉を手紙に綴ると同時に 自らもS君に宛てて 亡き友が余命数日である事を綴った手紙を同封したのだという。
すると、その手紙を読んだS君は まさに、ブッ飛ぶかの如く 東京から長駆、札幌までやってきたのだが、ギリギリ間に合わず、亡き友は この世を去った。
彼等が文通で どの様なやり取りをしていたのか いくら、後に 私と夫婦となったからと言えども 親友の女の子だった嫁から その内容を教えて貰った事は無い。
(聞いた事も無いが^^;)
ただ、恋愛関係では無かった… それだけである。
にも関わらず、東京から飛んできた Sという男を 私は その時に深く尊敬した。
「男」と言うよりも まさに「漢」という風に。
私は その話を、当時 通っていた喫茶「職安」の常連客達に話したところ、常連客達は それぞれに口を揃えて
「それが 人の付き合いってもんだ。 そいつは 一期一会を心得た 見事な奴だ」
と、褒め称えた。
以来、私は 少しでも その時のS君の様にありたいと肝に命じている。
しかし、そんなS君の最後もまた そういうS君らしいと言えば それまでの話である
1982年(昭和57)年2月8日 東京の赤坂にあった『ホテル・ニュージャパン』が火災となり、多数の重軽傷者が出る、戦後の火事としては有数の事件が発生した。
その日、たまたま S君の弟が 大学入試の為に上京して宿泊しており、幸いにも一命は取り留めたが重傷で搬送された。
その報せをうけて 当時、たまたま博多に出張していたS君が その弟の元に向かうため、急ぎ上京しようとして 翌朝の飛行機に乗ったところ…
1982年2月9日「羽田沖日航機墜落事故」に遭遇したのである。
通称:「K機長の逆噴射事件」である。
この事故で、S君は かろうじて一命を取り留めた。
しかし、S君の弟は 火傷など若干の後遺症は残りはしたが その後、元気に回復する事が出来たけど、S君は 下半身不随となり、脳障害もあって 言語や知覚も麻痺してしまい、快復の兆しも無いまま 数年後、衰弱した所に肺炎を発症して亡くなった。
当時、私は関東近郊を転々としていたので、入院中のS君の元に 何度か見舞いに行ったが、後遺症により S君には私が誰かは判らなくなっていた。
そのS君の事を 私は、ちょっとだけ迷ったが、思い切って 白血病で亡くなった亡き友の親父さんに電話をして話した。
と言うのも、親父さんは 娘の通夜の席で号泣している S君や「一級建築士の資格を持った詐欺師」の姿を遠目に見ながら
「本当はねぇ… 娘の彼氏と酒を飲む…って場面も味合いたかったし、なによりも そういう事を味合わずに逝った娘が不憫に思うんだけど… でもね、あぁいう風に泣いてくれる男友達が 少なくても二人いたってだけで、大したもんだと 娘を誇りに思うしか無いよなぁ…」
そう呟いたのを聞いたからだ。
「その二人のウチの一人が 実は、今 かくかくしかじかで…」
電話で そう話す私の言葉を
「そうかい… そりゃ大変だ。」
私は 何かの折に見舞いの手紙でも送ってくれれば それでいい… そう思っていた。
しかし、亡き友の親父さんもまた「漢」だったのだ。
翌日の午後、札幌から東京へと現れ、両手に抱えきれない花と 北海道の銘菓を沢山抱えて S君の病室を見舞ったのだ。
当然、S君の両親は 亡き友の事や亡き友の親父さんの事を知らない。
だから、私は それを説明したのだが…
「死んだ女の子の父親」
というのが S君の母親には どこか感に触れるモノがあったらしい。
「縁起でも無いから帰ってください」
と、けんもほろろに病室から追い出されてしまったのだ。
私は その足で札幌に戻るという親父さんに付き添って 羽田まで見送る途すがら、予想もしなかった母親の対応を親父さんに詫びた。
しかし、親父さんは 優しい微笑みを表情に浮かべながら
「たしかになぁ… あのお母さんにしてみたら 怒る気持ちも判るよ」
そう言って
「ブタネコ君も 気にするんじゃ無いぞ、これは 私の考えでの行動だから君が 気に病む必要はない」
とも言った。
だから、私は あえて親父さんに
「まさか、こんなタイミング早く 東京に来るまでするとは思いませんでした」
と言ったところ
「もし、娘が生きていたら おそらく、万難を排して飛んできた…んじゃないか?って思うんだ、だからね、娘が来れない代わりに 私が来た…。
でもね、もし 霊とか魂の存在があるならば もしかしたら、今 私の この肩の上や 頭の上に乗っかって 娘の魂が一緒にいてくれるんじゃないか?… とも思うのさ。
だとすれば、S君には申し訳無いが 私は娘が喜んでくれるなら それが一番嬉しいんだ。」
私は その時の情景や 親父さんの表情、仕草 全てが瞼に焼き付いている。
なんとも言えない感動が そこにあったのだ。
「俺も こんな風に趣のある大人になりたい」
心の底から 思ったのだ。
私は それ以来、都内から羽田へは モノレ-ルに乗る事が出来ない。
特に 晴れた日の夕焼け混じりの空の日は 絶対にモノレ-ルに乗れない。
その日の親父さんとの会話は 晴れた日の夕焼け混じりの空をバックに モノレ-ルの車中で 親父さんと交わしたものだったからだ。
だから、たとえ雨の日でも 浜松町からモノレ-ルに乗って 大井町を少し過ぎたところにある 特徴のある倉庫の側に差し掛かると その日の事を思い出して 自然と私は涙を流してしまうのだ。
久しぶりに 昨夜、早い時間にベッドに横になって寝たら 何故かは判らないけど、その時のことを夢で見たので記した次第だ。
