● あいくるしい 最終話
あいくるしい 最終話を見た。
まぁ、なにはともあれ
「御苦労様でした」
と、申し上げたい。
出演者も 制作スタッフも そして、見続けた視聴者にも…
で、最終回に至るまでは…として 口を噤んできた事を ようやく話す事が出来る開放感って こんな気軽な気分なのかと 初めて知る。
さて、この「あいくるしい」を観て その結果、私は何を得る事が出来たのか… それを考えた時、
「綾瀬はるかの成長度の確認」
ただ、それだけの事。
ある意味、それが 最も重要で かつ、それさえ確認できれば あとは何もいらない… という綾瀬ファンの思考も否定できない。
私は 綾瀬ファンではあるけれど、同時に 素敵なドラマの世界に まったりと浸かっていたい・・・という 現実逃避型人間でもあるので 成長度と言う点では充分すぎるほどの収穫ではあったが、全く 浸かることの出来なかった物語には 不満タラタラの状態である。
先日、
という記事の中で触れた疑問について 最終話を見終わった今、私なりに考えてみる。
・なぜ「ほのか」は 耳の不自由な女の子…という設定にしなきゃならなかったの?
結局、この設定の必然性が何かは 全く、判らなかった。
ただ、あったのは 受け取り方を間違えると「耳の不自由」な方を馬鹿にするような意味にしか受け取れない台詞がいくつかあったり、基本的に 制作者側に そういう設定に関する重要度の意識が働いていない…としか思えない場面の多さである。
最終話に スパ-リングを終えた豪を ほのかが手当てするシ-ン。
何も考えないで見ていれば 良いシ-ンだったのかもしれないが、私には 制作者側に そういう設定に関する重要度の意識が働いていない…としか思えない象徴的なシ-ンにしか映らなかった。
「その理由は 豪が ほのかを見つめながら喋らない」
もっと厳密に言うと
「豪が喋るときの 唇の動きを ほのかが見えていない」
という点。
「耳の不自由」な方とコミニュケ-トを行うには 手話や筆談の他に 読唇術という方法がある。
ようするに、喋るときの唇の動きや形で 相手が何を言ってるのかを理解する…という事であり、「耳の不自由」な方は 出来るだけ話相手の唇を見ようとするし、相手も意識して 口を ちゃんと見せ、読みとりやすいように話すのが気配りとなる。
最終話の スパ-リング後の手当のシ-ンには そういう意識への配慮は一切無い。
・なぜ「車椅子の少女」という設定が必要だったの?
実は同時に事故に遭い、亡くなってしまった弟への心因性のモノだった…
この件に関しては 多くを語るよりも もし、機会があるなら制作者に 一言だけ聞きたい事がある。
「で?」と。
文字通り、一言だけである。
拙い表現で恐縮だが クララは立った。
そして、走り去る汽車を追うように走った。
野島… これって ギャグだったのか?(笑えないぞ)
・なぜ「パンチドランカ-」の元ボクサ-という設定が必要なの?
別に 後遺症で記憶が無くなろうが、無くなるまいが 物語の根本には なんの必然性も重要性も無かった。
百歩譲れば 奈々(志保)と竜一(萩原 聖人)という「親子」の絆を表したかったのかなぁ…とは思うけど そもそも、その設定の重要性じたいが薄過ぎて話になっていない。
・なぜ「不倫相手」が「怪物」と大げさに呼ばれるの?
検討する必要性じたいが無い程、軽い扱いだった「怪物」の登場を見ると、それまでの 事ある毎に「怪物が…」という ネタ振りの台詞が耳障りで仕方が無い。
私は 私の友人で つい最近、離婚が成立した「一級建築士の資格を持った詐欺師」と呼ばれる男を これにちなんで「怪物」と呼んでいる。
昨日も 一緒にゴルフをしたのだが、
「おい怪物、今のはOBだ」
という感じで利用している。^^;
・なぜ矢口と瀬戸を 腹違いの兄弟として設定する必要があるの?
これもまた、物語の根本には なんの必然性も重要性も無かった話となってしまった。
瀬戸は実子の矢口に気配って海外に行くと言う。
その上で、何故か 真柴家に現れ「バイクを弟にやる」と言う。
どうして、いきなり そんな話の展開になるのか理解に苦しむ。
しかも、それを「待って…てあげる」と言う みちる。
判らない…。
・南果歩夫婦が離婚する話を盛り込む必然性は何?
と言うか、そもそも 原口親子が登場する必要も無いじゃん…という話で終わったね。
で、ふと思うのは もし「あいくるしい」が実話に基づいた話だったとしたら 私は「聖子」という女の子が この「あいくるしい」に登場する 最も不幸な子だったな…と思う。
スカ-トをまくられ、その姿が 全国放送でオンエアされ、親が離婚し、「虹色の戦士」とか言う 謎の集団に参加させられ、幼馴染みにはフラレ、最後は転校し故郷を離れる…
この子が一番 可哀相だ。
・なぜ 話の中で時折、「都会」と「田舎」の対比に触れる必要性があるの?
全く、どうでもいい話でした。
で、ひとつ 引っかかったのは 真柴家の母親が いったい、どんな病気だったのか? その病名は明らかにされていないのだが… 最初の頃、豪がカルテを持って 東京の大学病院を廻り 話を聞いたシ-ンによれば 難病に近い病気の類という印象を受けた。
と、同時に その事を知った豪と父親の会話の中に
「この街の病院(矢口の病院)の医者が 日本でも有数の専門家(母親の病気の)なんだってな」
という豪の台詞があった。
ずっと、引っかかっていたのだが、本日の最終話をうけて ようやく指摘が出来る。
そんな病院のある街って それほど悲観する様な
田舎なのか?と。
さて、以前の私の記事に この拙ブログの常連コメンティタ-の1人である「光太郎」さんより頂戴したコメントの中の疑問にも ここで合わせて語ってみたい。
虹色の戦士、どんな意味があるの?。
私には判りませんでした。^^;
幌は泣くのか、泣く時はどんな事がその理由になるの?。
最終話のラストで泣いてましたね。
でも、なんで泣いてるのか 私には判りませんでした。^^;
みちるは誰かと結ばれるのか、その相手は誰?
瀬戸は矢口と付き合え…と言う。
矢口は 簡単な理由で みちるを諦める様な奴。
みちるは なんとなくだが、結果的に 瀬戸に「ほ」の字(死語ですね^^;)
なんだかなぁ… です。
よく、いろんな ドラマのレビュ-や感想を述べているブログやHPを覗いて廻ると
「ツッコミどころ満載ですが…」
という表現を目の当たりにする事が多い。
かくいう私も その表現を 何度か使ったことがあるけれど、この「あいくるしい」ほど ツッコミどころ満載で、実際に 私がツッコんだドラマは かつて無い。
で、この文の冒頭に戻るわけだが…
まぁ、なにはともあれ
「お疲れさまでした」
と、申し上げたい。
出演者も 制作スタッフも そして、見続けた視聴者にも…
ラストのエンド・テロップを見ていて 個人的な思い込みに基づく感想だが、なんとなく制作スタッフ達の 敗北感が漂う疲労感を強く感じた。
「いやぁ ホント お疲れさまでした…」
そう、実感タップリに くたびれたAD達の姿が目に浮かぶ。
そんな彼等にも
「お疲れさまでした」
と、私は申し上げたい。
「野島を憎んで他は憎まず」
の精神である。
で、あるがゆえに 野島と石○ この二人にだけは 間違っても
「お疲れさまでした」
なんて言う気は無い。
語る言葉すら見つからない。
「あ~、やっと終わった 良かった良かった(終わった事が良かった…という意味です 念のため)」
そう思った番組は 近年、この「あいくるしい」以外 他には無い。


