● 雑感(6月14日)
昔、私が大学を卒業して間もなく 新社会人としてサラリ-マンに成り立ての頃の話である。
入社早々、ある電気メ-カ-に出向を命ぜられて 私は、プログラマ-やシステムエンジニアとなるべく研修を受ける事になった。
で、最初に赴いた先は神奈川県の川崎 その次が、都内の港区… いろんなメ-カ-に出向させられたのである。
そんな時、私は ある出向先の工場長と親しくなった。
当時、趣味でラジコンのヘリに熱中していた私は たまたま、出向先の社内にラジコン同好会なるものがあり、そこに参加させて貰ったところ 主宰者が その工場長だったのだ。
工場長のYさんは 熊本出身でデップリとした体格で 明朗快活な人だった。
何故か、私は そのYさんに可愛がってもらい よく、一緒に 試作のラジコン・ヘリを作っては飛ばしに行き、その大抵が墜落して修復不能になるぐらい大破させては あそこが悪い、ここを改良しよう…等と語り合ったものだった。
その地での 私の研修期間は3ヶ月だったので、研修終了と同時に 私は次の研修先へと移動したのだが、Yさんとの交誼は その後もずっと続いてた。
数年後、秋葉原のとある会社の電算室を稼働させる業務についていた私のもとに
「転勤の途中に寄ったんだ…」
と、不意にYさんから連絡があり、近所の喫茶店でコ-ヒ-を飲んだのだが…
その時、目の前に現れたYさんは かつてデップリとした体格で明朗快活な姿は見る影も無く、痩せこけて顔色も悪い まるで別人の外見に変わり果てていた。
「工場で問題が起きてねぇ… 責任取らされて左遷だよ」
Yさんは 寂しく笑った。
転勤先は「札幌」だと言った。
そう、私の故郷である札幌は 高度成長の経済の末期だった その当時、「左遷」先として「島流し」「流刑地」「都落ち」等と大手企業内では言われる事が多かった。
Yさんは 勤務する社内でも将来有望と言われた人で、工場長の次のポストは 本社で役員だろう…と言われていた人だった。
しかし、話によると 製品の製造工程に問題があり、リコ-ル騒ぎとなって 数億円の損害を生じさせてしまった そのメ-カ-内で 派閥争いに敗れ、責任を取らされて左遷になるのだという。
相当、ストレスを抱えていたのであろう、
「胃潰瘍が酷くてね こんな外見になっちまったよ」
確かに、見る影は無かった。
それから 数年後、故郷に戻った私は Yさんと再会した。
すると、Yさんは 最初に会った頃以上に デップリとした体格で明朗快活な姿になっていた。
たった数年の間に、世の中は バブル経済と呼ばれた時期になり、札幌は 島流しの場所から 出世コ-スの通過点と呼ばれる様に変わった。
理由は簡単である。
暮らすには最適な環境だからだ。
ただね、この場合の「暮らす」とは 「遊ぶ」という意味が大きい。
たとえば、ゴルフをしようとする。
その当時の関東圏でに住む私の知り合いの多くは 早朝、6時頃に出発し 千葉や茨城のゴルフ場に行って 9時頃からスタ-トして4時頃 ホ-ル・アウトし、8時か9時頃帰宅する… まる1日を費やして 3万円前後の費用が必要だった。
ところが、札幌では 朝、9時に会社に出社して 9時半頃、取引先のお偉いさんと
「ゴルフ行くか?」
と話がまとまると 30分もあればゴルフ場に行けるので 10時半にはスタ-トし、3時頃にはホ-ル・アウトして 夕方の5時前には のうのうと会社に戻り、
「取引先を接待してました」
と言えたのだ。
その時にかかる費用は 平均で1万円ちょい。
関東圏とは環境が全く違うのである。
当時、大ブ-ムだったスキ-にしても ス-ツ姿でスキ-をかついで会社に行き、5時半の定時で退社して 1時間後には藻岩山や手稲山のスキ-場についてナイタ-を8時半まで楽しめた。
だから、バブル期に平然と行われた過剰な接待や グルメ・ツア-や 仕事よりも趣味優先…みたいな暮らしをする上では 札幌という場所は もの凄く恵まれた環境の場所だったのだ。
元々、地域産業が弱かった札幌が そのバブルによって 大きく経済が変化したおかげで、大手企業の札幌支社の売り上げは大幅に増加し、島流しできたはずの支店長達は、その波のお陰で本社の本流へと戻って行ったのだ。
その中でYさんは かたくなに本社へ役員となって復帰する話を固辞し、札幌に留まり続けた。
「食い物は美味いし、ヘリを自由に飛ばす環境には恵まれている 最高の場所だもんな」
彼は そう言って、社内での出世争いより、生活の重視に思考が変わったのだ。
札幌市内に土地を買い、自宅を建て、悠々自適への目指していた。
そんな矢先に バブルが崩壊した。
札幌支社の営業成績は バブルにより急激に増加したぶん、バブル崩壊によるダウンは まさに急降下並の激減だった。
人生に「たら」とか「れば」は禁句だが…
その時に 役員となって本社に戻っていれば Y氏は そんなものにまったく影響を受けなかったであろう。
しかし、札幌に残り続ける選択を選んだばかりに 業績不振の責任を全部被る羽目となる。
バブル期の高金利で購入した土地建物を処分する為、そして 急激に冷え込み、リストラブ-ムと呼ばれる時代になってしまった中、Yさんは会社を退職し、退職金で住宅ロ-ンをなんとか無くし、故郷の熊本に帰って行った。
札幌を離れる数日前、サッポロ・ビ-ルのビ-ル園で 共通の知人数人とYさんんが集い、ジンギスカンを食べながら「Yさんを見送る会」を行った。
少し、窶れた姿ではあったが Yさんは明朗快活に
「楽しかった… 札幌生活は」
そう言って 何度も笑っていた。
けれども、会の時間が経過し、Yさんの酔いが増すと共に 次第にYさんは
「サラリ-マンなんて クソだよ、クソ!」
と愚痴り始め、興醒めした参加者が 一人、また一人と姿を消していき、最後は 私とYさんの二人だけとなった。
藻岩山の中腹にある 札幌の夜景を見下ろせるバ-の様な店に 本当は恋人達がデ-トに使うには定番の店だから 男二人で行くのが私は嫌だったのだが、どうしても行きたいとYさんにせがまれ その店に行った。
たしかに そこからの札幌の夜景は絶景だった。
その景色を眺めながら Yさんは
「俺の人生 なんだったんだろなぁ…」
ぽそっと呟いただけで 飲み物に口もつけず、長い時間 夜景をみつめたままだった。
それが、私と Yさんが会う最後となった。
半年後、Yさんは 熊本の実家で首を吊って自殺した。
遺書には長い文面で いろんな事が書かれていたそうだが、その中に 自殺の動機として
「残りの人生に楽しめそうな余地は無い」
と書かれていたそうだ。
工場長時代は 典型的な企業人でありながら、個人の趣味も大事に楽しんでいる人だった。
しかし、高度成長時代は 企業人である事と、個人の趣味を楽しむ事は その多くが相反する生活を求められたものだった。
バブル期により、そういう考えは大きく変わった。
そしてバブル崩壊と共に 考え方もグチャグチャになった。
高度成長時代、会社は城で 社員は兵隊だった。
上司の命令は絶対で、そういう立場に 少しでも上の立場になろうと争った。
転職なんて事は 一般的な考えとは認められず、「脱サラ」という言葉がブ-ムになっても 多くの兵隊達は「企業人」の姿勢を変えようとしなかった。
しかし、バブル崩壊から 今に至り、「会社」が城だ…なんて考えは過去の遺物だと 若者達の多くは考え、同時に では 何故、過去の人達は そういう考えに至っていたのか?…は 何も知ろうとしない。
私が会社員になって間もない頃、
「最近の若い奴は…」
と、口うるさい 爺ぃ的大先輩がいたるところにいた。
けれども、そういう人物は 何故か憎めず、また、実にいろんな事を知る経験豊富な人として敬意を向けられる人だった。
そういう年代になった私が もし、今
「最近の若い奴は…」
と、言ったら
「オッサン、五月蠅ぇんだよ」
と言われるだけでオシマイなのだが、中学生の女の子が自分より年下の子をさして
「最近の若い子ってさ~」
という会話をするのは ごく普通なのだそうだ。
まったくもって なんだかなぁ…と 思う今日この頃である。
たまたま、Yさんの話を ある共通の友人と久しぶりにしたせいか つい、懐古的な事を考えてしまったので書き記しておく次第だ。


