● 瑠璃の島 第10話(最終回)
他の方が 何というかは私にとっては どうでもいいし、知った事では無い。
ただ、声を大にして言いたいのは 私にとって「瑠璃の島」は とても良い作品で、心に染み入るモノがあった… という事。
たった 一言の言葉が 全ての苦労をフッ飛ばして忘れさせる事がある。
その一言のおかげで やって良かった、生きていて良かった…と、思える事がある。
モノや金が全てでは無く、大事なのは気持ちなのだ。
そんな事が 忘れかけている自分も情けないけど、それを思い出させてくれた「瑠璃の島」には深く感謝を捧げたい。
全編を通して 制作者が何を視聴者に伝えたいのか? それも一貫していて、そこに余計な小細工も無く…
と、言いたいところだが、最後の仕掛けには やられた。
私は 話の流れから 瑠璃は西表の中学に行くものだと思ってた。
しかし、第8話に登場した記者の記事と 実母の電話による知らせ、この流れにも 不覚にも心を揺さぶられた。
冷めた見方をすれば「そのまんまの設定じゃん」という声が聞かれるかもしれないが、私は そうは思わない。
初回の時の瑠璃と 最終回の時の瑠璃は まったく違う女の子の様で、実は 内面的には変わっていない様な気もする。
私には 一番、大きく変わったのは 瑠璃の母親だと思えるのだ。
別れて暮らして はじめて本当の親子の絆が出来たんじゃないか? と。
だからこそ、中学の報せを校長や自治会長では無く、母親から伝わるところに 何とも言えない感動がある。
そして、そういう流れを作ったのは 実は勇造なのである。
瑠璃が どんなに素晴らしい子であったとしても その子を島に連れて行き、流れを作ったのは勇造である。
けれども、物語では その勇造を褒め称えるわけでも 必要以上に立派な人物に扱うわけでも無く、ただ、味わい深いキャラクタ-として描き続けただけ、こういう言い方は酷だが、実の子では無い里子を育てるために いろんな苦労を 苦労とは思わずにこなしていく… そんな姿に 同じ、一女を持つ父親として 感情移入すると同時に わたしはセコイ人間だから なにか報われる事があってもいいだろ…と ひたすら願っていた。
それが、ラストの 船の上での不意を突くような
「お父さん」
という呼びかけ… もうね、ここで 私は爆沈です。
良かったなぁ… 勇造。
その一言で 全てが報われたじゃねぇか。
俺も 一緒に泣いてやる…
そんな気分だった。
「親の面倒を見るのは 子供のつとめだよ」
そう言って荷物を持ってくれる瑠璃。
その後ろ姿を見つめながら そこだけは 私は 勇造とは 若干、違う涙が流れた。
瑠璃は中学1年生。
それに対して ウチの娘は二十歳過ぎ(年齢ボカします^^;)
でも、私は まだ娘から
「親の面倒を見るのは 子供のつとめだよ」
という言葉を貰った事が無い。(大泣)
最後に 某TBSの石○氏に 見てないとは思うけど この場を借りて言っておく。
人間の礎になるもの。
それは、「家族」です。
家族との関係が希薄になり、新聞には親殺し・子殺しの記事が当たり前に載ってしまう時代。
古きよき時代にはあった「絆」が消えつつあると言われています。
その「絆」を取り戻そうとしても、気恥ずかしさや周りの目を気にして家族愛を詠うことが面映い。
本当は、誰もがみな、心の奥底では、家族の愛に飢えているのに…。
―あいくるしい―それは、田舎町で暮らすどこにでもいるような家族の物語。
―あいくるしい―けれど、私たちが忘れてしまった真実の家族のかたち。
あなたも、もう一度「家族」を考えてみませんか?
そして、人と人との「絆」を取り戻してみませんか?
ごめん、石○君
1日早い 土曜日に、
その企画意図のドラマを
充分、堪能したから
君のは いらない。
以上。


