● テキ屋だったH
喫茶「職安」の常連客の一人に Hというヤクザがいた。
Hさんは 国内でも屈指の規模の大きな団体で 最高幹部だったが、代を子分に譲り 名目上は「常任相談役」という肩書きだが 事実上は引退して 悠々自適で過ごしていた。
この人も若い頃 太平洋戦争に陸軍の航空部隊で整備兵をしていた経験を持つ人で 「屯田兵の御隠居」と同じ様に 戦争経験者独特の信念というか雰囲気を漂わせた人だった。
また、その当時の少し前、東映ヤクザ映画が全盛で 特に「仁義なき戦い」のシリ-ズがヒットしていたのだが、Hさんは その映画の中に出てくる多くのキャラとは異質な人だった。
「ヤクザってのはよ アンチャン…」
と言うのが口癖で 訥々とヤクザの事を語る。
「一般的にヤクザって言うけどよ 元をただせば”博徒”と”テキ屋”って二つがあって、本質が違うんだよ。
”博徒”ってのは文字通り”博打(バクチ)打ち”の事。
”テキ屋”ってのは お祭りの出店なんかをやっている”香具師(ヤシ…とも読むし、テキ屋と読む人もいる)”や 表向き”露天商”と名乗っている人の一部の事。
「香具師」の語源の一つは 「香りのするモノを 作って売る者」という意だそうだ。
平安時代まで遡る大昔の頃からある「匂い袋」と呼ばれる 草花を乾燥させたり、麝香の様なモノを袋に詰めて 香水代わりに使ったモノを作って売った人… 今では 屋台でイカや焼き鳥を焼いた匂い、たこ焼きや 焼きそばの匂い、香しさで人を引き付けて屋台で商売する…香具師という事らしい。
最近じゃ それに”愚連隊”あがりとか、”企業舎弟”なんてのまで混ざっちまって訳がわからなくなっちまった。
基本的に、”博徒”は 元々は”賭場”を開く縄張り(シマ)を大事にする生き物で、”テキ屋”は 祭りの縁日を”タカマチ”と呼んで タカマチからタカマチへと全国を旅して歩いたもんさ… だから、「男はつらいよ」の寅さんみたいなのが 典型的な昔のテキ屋でな 俺も、そんなテキ屋の一人で いろんなとこを旅したもんだ…」
なんて、今風に言えば ヤクザのトリビアについて語っていた。
我々、バイト少年達の名前を覚えようとせず、「オイ、そこのアンチャン」「そっちのアンチャン」と 常に「アンチャン」と呼ぶ人だった。
それは Hさんが整備兵として従軍していた時に、次々と新たなパイロットが転属してきては Hさんがいた飛行場から特攻として出撃して行った。
その時に「名前をちゃんと覚えておいてやれ、それが せめてもの彼等への手向けだ」とHさんは上官から言われたのだそうだ。
それ以来、
「その人達の名前は いつでもハッキリ言えるけど、そのせいか 新しい名前を覚えるのが嫌になった」
と、Hさんは笑って言った。
ふと、そのHさんを思い出したのは理由がある。
毎年、6月の中にあると 札幌市内の中心部にある中島公園で 北海道神宮のお祭りにちなんで数日間の縁日がある。
私達が喫茶「職安」に出入りして間もない頃 このHさんが 数人を連れて喫茶「職安」で話し込んでいる姿を見たのを思い出す。
毎年恒例の中島公園の縁日は 規模の大きなお祭りである。
広い公園の中には サ-カスや バイクの曲芸や お化け屋敷や、見せ物小屋 数え切れない出店の数である。
そこで、毎年 問題になるのは 出店の場所の仕切。
つまり、どの人が どの場所に なんの屋台を出すか…を決める仕切なのである。
実際は 規模の大きな市のイベントであるから 市役所の「公園管理課」なんてのが仕切る…という形を取るのだが、それはタテマエである。
市役所の小役人に テキ屋を相手に仕切れる度量のあるヤツなんかいない。
だから、名のある親分に こっそりと頼む…というのが 当時の風習だったのだ。
ところが、その当時 市内でも名のあった親分が亡くなり 跡目で揉めている時だったから 市の小役人共は 誰に頼んで良いか判らなくなってしまい、縁故を頼ってHさんに 相談に来たのだ。
当時、札幌オリンピックのおかげもあって 札幌は人口100万人に届く勢いの活気のある街だった。
にも関わらず、道内最大の縁日というイベントの裏側は そんな御粗末なものだったのだ。
そこで、Hさんは 市内の親分衆に声をかけ、一同に会して相談し その結果が「くじ引き」となった。
まったく原始的な方法だが、公平な方法でもある。
縁日が始まる数日前の ある日、中島公園の一角にある護国神社の境内が「くじ引き」の会場となったのだが… Hさんは 既に現役から身を引いた人だから 自分の若い衆(子分)はいない。
元の組に声をかければ すぐに大勢が手伝いに来るが、その手伝いは ある団体の構成員だから 公平なくじ引きと言う場に偏りの疑念を持たれるのは良くない…と考えた。
そこで駆り出されたのが 我々、バイト少年達である。
「くじ引き」の手伝い 一人5万円
我々は その条件に飛びついた。
で、その当日。
いやぁ… 日本全国 各地から、いっぱい集まりました テキ屋さん達が^^
”テキ屋”=”ヤクザ”という先入観のせいかもしれないが 恐そうな顔のオッサンばかり 数え切れないぐらいに集まった。
けっして狭くは無い境内が人混みとなり、その周囲を密かに機動隊をはじめ 大勢の警官が取り囲んでいる中、
「やった! いい場所引いたっちゃ~」
「ここじゃ 何も売れねっぺ」
いい歳のオッサン それも、強面のオッサン達が悲喜こもごもである。
クジを引いた者は クジで当たった場所を 境内の一角に陣取った主宰者(Hさん達親分衆)の集うテントに来て登録する。
ただ、そこで、個別に微調整が行われる。
と言うのは 縁日を歩けば御承知の通り、焼きソバ屋が2軒並んでいたり、金魚すくいが並んでいる事は基本的に無い。
同業が並ばないように 全体に散らばすのも仕切の仕事なのである。
その為に、事前にクジには入れない「空き地」を 各所に設けてあり、同業が固まった時に その空き地へと変更させ調整していくのである。
主宰者テントには タテマエの関係上、市役所の小役人も数人、詰めていたが くじ引きの間、一言も発する事は無かったが、時折 警備にきていた警官の中でも 階級が上そうな人物がテントに現れると 急に偉そうな尊大な風をみせるのが 酷く滑稽でもあった。
近年では、いわゆる「暴対法(暴力団対策法)」が1992年3月に施行され 縁日からヤクザを追い出せ…という風潮が強まり、当時のようなテキ屋は急激に減った。
しかし、私はヤクザやテキ屋の肩を持つ気は無いけれど、多くのお祭りの縁日の活気は失われた様な気がしてならない。
「暴対法」の必要性、重要性は認めるが、人が法を新しく定める時、必ず どこかに手抜かりや見落としがあり、イタチごっこになってみたり、よろしくない事が減る分 良かった事までもが失われる。
ヤクザがヤクザとして テキ屋がテキ屋として行動しているぶん判りやすかった事が、「暴対法」によって ヤクザが行動に制限を受けた事を補うかのように「企業舎弟」や ヤクザじゃ無いのに ヤクザ以上にあくどい事をする自称:カタギ(一般人)という輩が増えた感がある。
縁日からヤクザを追い出せ…という運動のおかげで 地域の振興会や商店会、学校PTAのボランティアにより運営される要になった とある街のとある神社のお祭りがある。
テキ屋が仕切っていた時は 非常に活気のあった縁日だったが、今では 完全に寂れてしまった。
原因は簡単である。
なんでもかんでも「ボランティア」と名乗るのは簡単で いかにも世の為人の為…という風を装えるが、根本的に 何の為のボランティアか? と言う事を忘れたり、気にもしてない人が多すぎる。
「縁日の売り上げで ~しましょう」
建前上は立派そうな事を言っても 一般人は個別の利権に走りガチなのである。
中には「町会長から無理矢理押しつけられちゃってさぁ…」とか「PTAの人間関係があるから断れなくて…」と嫌々やってるひとも案外多い。
そんな嫌々が募れば けっして良いモノになるわけが無い。
テキ屋=ヤクザ=悪 という図式は簡単で判りやすいが、お祭り・縁日が大好きで…というテキ屋達が集まった縁日には 自然と活気があり、夜店独特の雰囲気と郷愁が漂う。
ここまで述べてきたら なんか、環境破壊の話に似てるなぁ…と フト感じ、苦笑いする次第である。
話が長く脱線してしまったので 今回はここまで 続きは あらためて次回に語るとしよう。
