● 口入屋のS(その2)
「依頼人は嘘をつく」という言葉がある。
面白いもので この言葉を 全く別の二つの業種のエキスパ-トから聞いた事がある。
ひとつの業種は弁護士。
もっとも、弁護士の場合は「依頼人は嘘をつく」という意味合いの他に「依頼人は自分に不利な事は話さない」という意味合いを含んでいる。
たとえば 離婚裁判の代理人を依頼された時、依頼人は 相手の事を「酒癖が悪い」「女癖が悪い」「暴力を振るう」と ボロクソに言うが、依頼人自身が相手に対して行った非道の数々は 相手側から指摘されない限り なかなか自ら話そうとしない。
だから、弁護士は依頼人からの申し立てを聞いただけでは 実際の所、裁判方針を決められない事が多く、往々にして「事実を言わない」のでは無く 最初から依頼人自身が虚偽の申し立てをする事だって多いと言う。
そして、もう一つの業種とは金貸しである。
人は「お金を借りるためなら 平気でいろんな嘘をつく」 ある金貸しは そう言って苦笑する。
「社長、こんな美味しい物件(案件)がありまして…」
と言って、事業資金を借りに来る人…
「今回の手形さえ なんとかしのげれば来月はきちんと…」
と、手形決済の資金を借りに来る人…
そういう人の中の多くは 目先の事しか考えていなかったり、下手すると きちんと返すあてや そもそも返す気など無かったりする。
「口入屋のS」と呼ばれた人は その辺を見抜くのが もの凄く巧かった。
「へぇ? そうなんだ… その土地がその値段で買い取れるの?」
「とりあえず、今月の手形決済したら 月末までの入金で 穴埋めできるのね?」
温厚に ニコニコしながら そう依頼人と話ながら、依頼人の表情や仕草、話す内容を吟味し
「ありゃ、何か隠してるなぁ…」
S氏が そう言った依頼人は たいていが「嘘をついていた」と後で判ったものである。
ある時、S氏は 私と二人だけの時に 余程、気が向いたらしく 自分(S氏)の昔の話をしてくれた事がある。
その時の話によると S氏は太平洋戦争中 小学生だったそうで、S氏だけ残して他の家族は米軍の空襲に遭い 実家を直撃した たった1発の焼夷弾で家族全員が死んだのだそうだ。
S氏だけは 近くの軍需工場に動員されており、難を逃れたのだそうだが、たった独り生き残り 両親それぞれの兄弟の家を頼って転々としたが、どの家も当時は逼迫していたから 顔は笑顔で迎えてくれても 実際には随分と冷たい仕打ちに遭ったのだと言う。
S氏の父親は元々 その土地の地主だったので、財産は それなりにあったそうだが、所詮小学生だったS氏にはどうしようもなく、終戦で復員してきた 唯一、独身だった叔父さんが全ての管理を任されたのだという。
その叔父さんは S氏にとって とても良い叔父さんだったそうで、戦後、S氏は何ひとつ不自由せずに過ごしたが、その叔父さんは 違った意味でも「お人好し」で 親戚を始め悪辣な人達に随分と騙されて S氏の親が遺した資産の半分以上を失ったのだとも言う。
その一連の流れを 子供ながらに見て育ったS氏は 金が絡むと人間がどんなに変わってしまうのか… それを枚挙に暇が無いほど見て過ごしたのだそうだ。
だから、S氏は
「どんなに親しい友達でも 実は 俺は信用する事が出来ないんだ…」
と言った。
「人を見抜く能力」を得た代わりに、「人を信じる…という心」を失ったのであろうけど、S氏は 実に涙もろい、情の深い人だった。
誰かが怪我をしたり、入院した…と聞けば 必ず見舞ったし、誰かの家で不幸(死者が出た)が起きたと聞けば 不祝儀を必ずきちんと届け、子供の入学や結婚など お祝い事も欠かす事は無かった。
我々が 友を白血病で亡くした時は 関係無いのに一緒に泣いてくれたし、我々が友を見舞っている…という話を聞いた時は 出張で何処かに行くたびに 友の病床に持って行ってやれ…と いろんなお土産を買って来てくれたりもした。
「他人を信用する事が出来ない」人なのに「情が篤く深い」人… そういう人を想像し、理解するのは難しいかもしれない。
述べている私ですら 巧く説明できている自信が全く無い。
たとえば S氏に金を借りに行った場合、最初から きちんと最悪の結果を招いた場合の事、リスクやデメリットを話せば S氏は S氏の意見を添えた上で金を貸してくれる人だった。
そして、ある意味、予想通り最悪の結果となり、借りたお金が無駄になっても ちゃんと話してさえいれば
「仕方無ぇなぁ 今回は 良い勉強したって事で 次は 頑張れよ」
と、カラッとケラケラ笑って済ます人だった。
S氏は生涯を独身で通した。
「人を信用できない」…
であるがゆえに 配偶者を娶る事も出来なかったのかもしれない。
S氏が亡くなったのは 今から15年ほど前の事。
居眠り運転により、峠道を崖から落ちての事故死…と処理されたが 我々には 自殺だったんじゃないか?という思いが 実は未だに拭えない。
かなりの資産を遺したが、その遺産に関して きちんと遺言書を作成しており、遺産の処理の方法も 実に念入りに細かく指定されていた。
S氏は法律にも明るい人だったから 自作の遺言書であるにも関わらず、弁護士が見ても唸るほど完璧な書式になっており、30数ペ-ジの小冊子になっていた。
その遺言書に従って 処理の手続きをしたのは 我々、喫茶「職安」のバイト少年達である。
S氏は 生涯の最後に 我々を信用してくれたらしい。
S氏の事故は 我々のメンバ-が 皆、国家資格を取得する者は取得して それぞれが なんとか一人前扱いをして貰えるようになって間もない頃であり、あたかも それを待っていたかの様なタイミングでの他界だった。
死の直前、我々をつかまえては
「おみゃぁさんらは ワシの子供みたいなもんだで、
遺産ぐらいは残してやらんば らちかんでね…」
とか、
「もう 思い残すことは無ぅなったで この世はつまらんでいかん…」
と、よく口にしていた。
遺言書とは別に 同封されていた手紙があり、そこには
「もし、私が死んだ時は私の実家(愛知県某所)だった土地の地中深くに 私の骨を埋める事。
その後、土地は整地した上で公園にして 自治体に寄付する事。
そうしてくれる事で 私は40年数年前に骨一つ遺さず
爆撃で灰になった家族達の元に逝けるから
この事くれぐれも密かに宜しく頼む」
と、書かれていた。
死体埋葬に関しては法令があり、ホントは その文書のような行為は許されない。
しかし、我々は 某墓地にダミ-の墓を建て あたかも、そこに埋葬した様に見せかけて実際には その手紙の主旨に則って密かに処理を行ったのだが… 公園の一角には 焼夷弾で半分焼けながらも 見事に、その後 蘇った桜の古木がある。
一度、満開の時期に その桜を見に行ったのだが、それは見事な桜で、近在では名物として扱われている。
その古木が 実はS氏とS氏の家族の墓標なのだが、知らない人には どうでもいい話である。
15年経った今だから コソッとここに記しておく次第だ。


